第83話 美しきものたちへ契約を
なにはともあれ『撫でる』ことによる影響について色々と判明したのは伊織にとって喜ばしいことだった。
それと同時に今後は不用意に撫でないよう注意しよう、と心に決める。
特にニルヴァーレに対しては。
その後、引き続き気分転換兼イメージ訓練として周囲の景色を変えたり、任意の衣装や小物などを作り出した。
今のところ、まだここ最近のもの――例えば現在泊まっている宿屋や、少し遡って赤い目の蛇がいた洞窟などを。服なら昨日着ていたものやウェイター服などしか再生できないが、慣れれば更に古い記憶にあるものでも形作れるという。
(ってことはつまり……いつか前世の世界も再生できたりするのかな?)
伊織にとっては数ヵ月前に去った故郷のような記憶の真新しさだ。
しかしこの世界から見た場合、現実というより空想に近い景色ではないだろうか。
夢路魔法の世界でどこまで再現できるのか、それも含めて気になりつつも今夜は切り上げることになった。
「ああそうだ、イオリ。ちょっとこっちにおいで」
「……? はい。なんですか?」
さて、この夢から抜け出てきちんと休養を取ってから目覚めよう。
そう思いヨルシャミに引き上げられかけたところで、ニルヴァーレが伊織を呼び止めた。
「ずっと考えていたんだが、やはり……」
ニルヴァーレはこそっと伊織に囁くように言う。
恐らくそんなことをしてもヨルシャミには聞こえていると百も承知だろうが、彼はわざわざ声をひそめて言った。
「ヨルシャミだけズルいと思わないか」
「へ?」
「契約さ! 僕だって今は仲間だからね、仲間。しかし表の世界じゃなかなか手助けできない。君たちはそれを咎めたりはしないだろうが、こっちとしては退屈――ああ失礼、こっちとしては歯痒くて夜も眠れない気がするんだ!」
気がするだけか、とやはり耳に届いていたらしいヨルシャミが呆れ声で呟くのが聞こえた。
「そこで僕も君と契約を交わそう。うんと長いやつを」
「えっ、でも僕、ニルヴァーレさんを助けられるようなことは何も――」
「違う違う、さっき言った通り何もできなくて歯痒いから、こっちがそっちに何かしてあげる契約だよ」
とんでもない、と伊織は首を横に振った。
不安だというのもあるが、それ以前に先生のひとりとして世話になっているのだ。
ここで学んだことはそのうち現実の世界でも役に立つ日が来る。
その恩をカウントされていないのは伊織としては避けたいことだった。
伊織が慌ててそう伝えると、ニルヴァーレは「君はこんなことに恩を感じてるのか……」と肩を竦める。
「いいんだ、これは僕がやりたいからやってるんだよ。というか僕の我儘だ! だってここで独りぼっちとか退屈だし寂しいし!」
「めちゃくちゃ素直に言うようになったなニルヴァーレよ……!」
「この空間の特性のせいってことにしておいてくれ! ――とはいえ意識的に素直にはなってるけどね、なにせしがらみが何もなくなってしまったし。僕は僕が美しいと思うものに全身全霊を注ぐだけだ。つまり生き甲斐であり趣味だよ」
趣味、とニルヴァーレは言いきった。
これも『自由』の形のひとつなのだろう。
不便なことも多い肉体だ、ここまで言うなら話くらいは聞くべきかもしれない。
そう思い直した伊織が「じゃあどんな契約をしてくれるんですか?」と訊ねると、ニルヴァーレは待ってましたといわんばかりに手を叩いた。
「美しきものたちよ、君たちのことは僕が在る限り、僕が僕にできる手段をすべて以てして守ってやろう」
……たち?
そう顔を見合わせた伊織とヨルシャミに笑いかけ、ニルヴァーレは左右に広げた両手の平に魔法陣を生み出した。
金色に光るそれを「はい」と存外軽い様子で伊織の左手とヨルシャミの左手に押し付ける。
ぎょっとしたのはヨルシャミだった。
「なぜ私にまで!?」
「イオリは伸びしろがあって面白いから構い倒してるが、君だってまだまだ僕の中で美しくあり続けているんだぞ、ヨルシャミ。それを忘れないでいてもらえるかな」
「おのれ、忘れていたかったというのに……!」
「あと単純に魔石になった体で魔法を使うことに慣れてきたから、ふたり分の契約を結ぶのなんて簡単だからさ。遠慮なく受けてくれ、僕はきっと役に立つ」
タダより高いものはないが、と渋ったヨルシャミだったが、ニルヴァーレの実力は認めているのか「仕方がないな」と折れた。
それと同時に契約が締結し、光が瞬いて契約の証を形作る。
「ヨルシャミの腕輪のように現実世界にも持ち出せるから安心しろ。というか、まぁ外でも同時に生成されているだけだが。契約魔法で魔力を固めたものだから丈夫だし無くすこともない」
「ああ、やっぱり腕輪だけ劣化してなかったのってそういう……」
様子は異なるが魔力で出来ている辺り、魔石と似ているなと伊織は思った。
案外魔石化魔法もこういうところからヒントを得たのかもしれない。
そう感心していると、現れた契約の証が視界に入って伊織は固まった。
「……あの、これ……」
指輪だ。
シンプルなシルバーのリングに金色の石が一粒嵌っているだけのシンプルなもの。
見れば契約者側には不要だが「お揃いだよ!」とニルヴァーレも同じものを指に嵌めてニコニコしている。
ヨルシャミが腕輪だったのだから装飾品になるのはおかしくない。
問題は嵌っている場所だった。
「っななな、なんで左手の薬指なんですか!?」
「……? なにか問題が?」
「利き手より邪魔にならないだろう」
見ればヨルシャミまで左手の薬指に指輪が嵌っている。
ふたりの様子に初めはからかっているのだと思った伊織だったが、そこに嘘偽りがないと気がつくとハッとした。
(もしかして、この国では結婚指輪を左手の薬指に嵌める風習がない……のか?)
ならばこの反応も頷ける。
そもそも前世でも日本を出れば様々な結婚にまつわる風習があったのだ、可能性としてはありえるだろう。
ひとりドギマギしていた伊織は言うか言うまいか迷い――
「……も、問題ないです」
――結局、自ら言い出す気恥ずかしさに負けてそう返したのだった。





