第5話 夢路のヨルシャミ
ルタリナは静夏に送り届けられ、結界の中に避難しており無事だった。
女の子も両親が見つかり、手を振りながら去っていった背を見送ってもう三日になる。
あれから伊織は魔導師と医師の両方に診察されたが、体に異変はないようだった。
ゴーストゴーレムに侵入され、そして返り討ちにしたのは間違いないらしい。
神から授かった力で危機を脱したことは理解したが、一体どういった原理なのか伊織自身にもわからない。
わかるのは静夏の強さが肉体に由来するものなら、伊織の強さは精神や魂に由来するものということだけだ。現状、制御ができないというのが静夏との大きな差だった。
――ちなみにこのことから村人たちは「やはりマッシヴ様のご子息なだけある!」「そうだ、イオリ様のことはインナーマッシヴ様とお呼びしよう!」「良案だ!」と盛り上がり、それだけは勘弁してほしいと説得するのに苦心した。
精神衛生上、このエピソードは早めに忘れた方がいいだろう。ゴーストゴーレムをどうにかできる精神・魂といえども心まで超人ではない。
武器があっても自分の意思で自由に使えなければ危険なだけだ。
原理を理解するまで旅に出るのは難しいかもしれない――そう思っていたが、旅立つきっかけはある日突然やってきた。
***
伊織の眠りは深い。
前世では夢も見ず翌朝を迎えることが多く、それは今世にも受け継がれている。
しかしこの日は気がつくと白いもやの中で横になっていた。霧でも雲でもないものが視界に充満している。不思議と煙たくはない。
そう自覚した瞬間、景色が見覚えのない草原へと一変した。
「えっと……?」
ここはどこだろう、なんで部屋の中じゃないんだろう、と伊織はぼんやりとした頭で考えてみるが答えは出ない。草原の中にいるという事実だけがそこにある。
やがて夢の中特有の「まあこういうものか」と安易に何でもかんでも受け入れる気持ちになり、もうひと眠りしようとしたところで棒状のもので頭を小突かれた。
痛みはないが心底驚いて上半身を起こす。
「せっかく直々に来てやったというのに、二度寝するとは何事だ!」
声の主は伊織の身長よりやや小さな女の子だった。
黄緑色のウェーブした長髪に薄緑の綺麗な瞳、華奢な体躯だが女性的な丸みのあるフォルム。髪の間からは尖った耳が覗いている。
ツンとした目元は自信にあふれており、それが印象的だ。
伊織にとっては奇抜なカラーリングをしているという印象が強いが、その奇抜さを抜きにしても驚くほど可愛いと一目でわかった。
ああ夢かこれ、と伊織は納得した。
やたらと可愛い女の子が突然出てくるなんて夢に違いない。
そんな伊織をよそに女の子は体に不釣り合いなほど大きな杖を地面に突き立てて言う。
「我が名はヨルシャミ。世に知らぬ者はおらぬ超賢者である!」
「ち、ちょうけんじゃ」
「……なにを微妙そうな顔をしている?」
眇めた目で睨みつけながら女の子、ヨルシャミは自身を指さした。
「とりあえず時間がない故、手っ取り早く済ませるぞ。一週間後、リカオリ山……あの山だ、その麓の森にある小屋で倒れている私を助けろ」
伊織はヨルシャミが示した山を見る。
草原の先にそびえる木々の生い茂った山。シルエットはまるで荘厳な城のようで、その特徴さえ覚えていれば遠目から見ればすぐにわかりそうだった。
しかし知らない山だ。
見知らぬ場所でも夢に見るんだなぁ、それに話してる内容も不思議だなぁとふわふわとした感想を抱く。
「これほど強い力を持っているのだ、お前にとっては簡単な依頼であろう?」
「うーん、よくわからないけど……その口ぶりだとそこで自分が倒れちゃうって事前にわかってるんだよな? そこに行かないようにすればいいんじゃ?」
細かな疑問はとりあえず無視し、一番疑問に感じた点を挙げるとヨルシャミはきょとんとした。
「自動予知で感知したものだ、私が自分の意思でどう動こうが結果だけは覆らぬ。普通これくらい察せるであろう?」
「え、えー……」
「……ふむ? もしやお前、魔導師ではないのか……?」
伊織はすぐに首を縦に振った。
自分はあんな不思議な力を使える人間ではない、と。ベルのような魔法を使えたなら村のために活かしている。
するとヨルシャミは「なんと!」と大変ショックを受けた様子で仰け反った。
「一度しかないチャンスをこのような凡骨に使うことになるとは! なんて運のなさだ、我ながら可哀想! 私が可哀想!」
聞き捨てならないことを言われた気がするが、どうにも本気で悔しがっているらしい様子に責める気が削がれる。
伊織は頬を掻きつつヨルシャミに歩み寄った。
「やっぱりよくわからないけど、もし君が困ってるなら助けるよ」
夢の中とはいえ、困っている女の子を見捨てるのは避けたい。
人助けは今の伊織が一番成し遂げたいと思っていることだ。もしかしたらその願望が夢に表れたのかもしれない。
するとヨルシャミは嘆くのをやめ、代わりに伊織をじいっと見て半眼になった。
「……魔導師ではないがちょっとばかり良い奴のようだな、魔導師ではないが」
「二回言うんだ……」
「まあ他に方法はない、この任はやはりお前に任せるとしよう。名は?」
「藤石――ああ、えっと、伊織だよ」
どうやらこの世界では苗字を持つ者の方が少数派らしい。
下の名前だけ名乗るとヨルシャミは「ふむ、イオリか」と頷いた。
「一週間後、リカオリ山の麓の森だ。忘れるな」
「わかった」
夢の中の出来事はすぐ忘れてしまうもの。
しかしこれだけ念入りに言われると起きても覚えていそうな気がする。
ヨルシャミは伊織の返事を聞くとにんまりと笑った。
「ふははは! 年若い男は御しやすくて好きだぞ、この姿にほいほいつられる姿は滑稽で大変良い! まあ年齢性別など問題のもの字にもならぬほど素晴らしい普段の私でもつれたであろうが!」
「それ口に出していいのか……?」
「うーん、よくはない! ああ、うん、夢路での言葉は全部表に出やすいのだ」
ヨルシャミは唐突に真顔に戻る。
詳しい理由は理解できなかったが突然冷静になった様子が面白く、伊織は肩を揺らして笑うとぽんぽんとヨルシャミの頭を撫でた。
年下の子をあやすように優しく。
「とにかくちゃんと助けるから大丈夫、安心してくれ」
「な――」
「?」
「撫でるな阿呆!!」
あんぐりと開けた口を閉じ、真っ赤になったヨルシャミは杖を握る手に力を込めた。力みすぎて両耳が上がっている。
あ、小さいとはいえ女の子に無断で触れるのはまずかったか。
伊織がそう己を恥じたと同時に、杖にはめ込まれた珠が光り始める。緑と青のグラデーションが美しい珠だ。
ヨルシャミはそのまま杖を大きく振り上げる。
今度は小突かれる程度じゃ済まなさそうだぞ、と身構えるも振り下ろされた杖は宙を切り、風の軌跡が青い色を帯びて伊織の右腕に巻きついた。
「け、契約は成された! 忘れるでないぞ!」
「えっ、ちょ、待……っ」
ヨルシャミの姿が霞む。
思わず呼び止めそうになった伊織は腕を伸ばし――
「……」
――天井に向かって腕を伸ばした状態で目覚めた。
その腕の先、手首にはまった青色がかった銀の細い腕輪を凝視する。何度見てもそれはそこにあった。
家の外では村人たちの話し声がし、身動ぎするとはっきりとした触感が伝わってくる。つまり夢の中ではない。
「……なんで?」
これはヨルシャミが契約の証としてつけたものだと自然と理解した。
理解したが頭が混乱して、つい素直な感想を口にしてしまう。
そうしている間もやはり腕輪はなくならず、伊織の手首で緩く朝日を反射していた。
***
静夏は村人の薪集めを手伝いに出ているようだ。
ヨルシャミが『魔導師』と口にしていたことを思い出し、村の魔導師に訊けば何かわかるのではないかと考えた伊織は村長の家へと向かうことにした。
村長の家には客室がいくつもある。
その客室は村の客人に貸し出すしきたりになっており、魔導師のベルはその一室を使用していた。
魔導師は四十を少し越えた女性で、覚醒する前の伊織のサポートをしていた人だ。
彼女の本名は大変長いらしく、本人の希望で周囲からはベルと呼ばれている。
話に聞くとベルは村から遠く離れた王都で宮廷魔導師を務めていたらしいが、ある日『聖女マッシヴ様』の噂を聞いてベタ村を訪れ、そのまま静夏の在り様に惚れ込んで村専属の魔導師になったのだという。
そんな凄い立場だったなら何か知ってるかも、と伊織がドアをノックすると村長が顔を出した。
「これはこれはイオリ様、なにかご用でしょうか?」
「ベルさんに少し用事があって……」
「ふむ? ベルに? すみません、じつは今――」
村長が少し体をずらすと家の中央に位置するリビングにベルと誰かが座っているのが見えた。どうやら客人らしい。
「あの方がマッシヴ様の助力を乞いに訪ねてきたのです。そこでマッシヴ様が帰ってくるまでの間、ああしてベルが話を聞いておりまして」
「あっ、なるほど」
じゃあ出直します、と言いかけたところで伊織はハッとした。
玄関からでは背中しか見えない客は薄茶色の髪をした女の子で、尖った両耳が左右に伸びていた。夢の中で見たヨルシャミより長いが似ている。
もしかして何か繋がりがあるかもしれない。
そう思った伊織は不躾な申し出だとわかっていたが、いてもたってもいられず村長に訊ねた。
「……あの、少し気になることがあるんですけど、僕も一緒に話を聞かせてもらってもいいですか?」
村長は気分を害した様子もなく「いいですとも、イオリ様にも聞いていただければマッシヴ様へお伝えする時にわかりやすくなります」と頷く。
念のため客の女の子にも確認を取ってから伊織は家の中へと入った。
ふんわりとした薄茶色の髪を持つ女の子の名前はリータ。
リータは姉が怒らせた森の魔獣を退治してもらうため、噂のマッシヴ様を頼ってベタ村までやってきたのだと口にする。
丸みのある目元や赤い瞳は普段なら優しい雰囲気をしていたのだろうが、今は姉への怒りに燃えていた。
「妹の私が言うのも何なんですけど、姉はものすごーくバカなんです! 本当にバカなんです! 脳みそまで筋肉で出来てるんです、絶対!」
「の、脳筋ってやつですか」
妹にそこまで言わせるとは、と伊織とベルは顔を見合わせる。
リータの姉は筋肉を鍛えることを生き甲斐としており、力試しに無茶を繰り返していたらしい。その中で一番のやらかしが今回の件だとリータは説明した。
静夏は思慮深いが、リータの姉はとにかく体だけ鍛えているタイプのようだ。
そしてこの依頼には魔獣退治だけでなく『自分より優れた筋肉を持つ者なら話を聞いてくれるのではないか』という下心もあるのだという。
薄々感じていたがこの女の子、とても正直だなと伊織は思った。
「お願いします、私が言っても全然聞いてくれないんです。怒った魔獣はまだ森の奥で暴れているだけですけど、きっとあと数日もしないうちに里まで降りてくるに違いありません」
「大丈夫です、母さんならきっと引き受けると思うので」
リータの里は離れた場所にあり、一日や二日で移動できる距離ではない。
伊織は旅立ちが遅れていることを理解している。それでも自分の力を解明するまでは難しいと思っていたが、これはいい機会かもしれない。
ほっとした様子のリータに伊織はおずおずと質問した。
「ところで……その尖った耳って僕たちと違いますけど……」
「イオリ様、リータさんはフォレストエルフなんです」
ベルがそっと耳打ちする。
リータは不思議そうな顔をしており、どうやらフォレストエルフを知らないことは当たり前のことを知らないのと等しいことのようだった。
つまり、このリータの表情はスプーンを知っている人がフォークを指して「これはなんですか?」と問われた時と同じ顔なのである。
異種族の存在自体は学習の際に目にしたが、伊織はエルフとは初めて直接会った上に、まだエルフの三種それぞれの詳細は知らない。
「す、すみません、まだ種族に関しては勉強が足らなくて……。は、恥かくついでに訊いてもいいですか。そういう風に尖ってて、もう少し短い耳の種族っているんですか?」
とんでもない箱入り息子だと思われたかもしれない。
しかしリータは少し考え込んだものの、嫌な顔ひとつせず答えた。
「耳の長さは個人差がありますけど、エルフ種で短いならベルクエルフがいます。私たちの遠い親戚って感じですね」
「緑色の髪をしてる人もいます?」
やけに細かな指定に今度はベルも不思議そうな顔をする。
伊織が場違いかもしれないと不安になりつつあらましを説明すると、意外にもふたりは真面目に取り合ってくれた。
ベルは「緑髪ならベルクエルフの特徴のひとつですよ」と答えてから言う。
「夢を利用した伝達手段は古い文献で聞き齧ったことがあります。ただ使える人物に心当たりはありませんね……それより」
「それより?」
「自動予知は高度且つ血筋に由来するものと言われています。それを使える魔導師を私は存じ上げません」
「ま、魔導師じゃなくて賢者ってやつなら……」
「賢者という肩書は一般的じゃないんです。個人が好きに名乗るもの、といったところでしょうか」
前世でいうなら山に住む老人が自らを仙人と称するようなものだろう。
しかし腕輪はたしかに契約の証として作られたものだという。この契約魔法も高度であるため、あながち賢者というのも虚言ではないのかもしれないとのことだった。
「これだけ力のある者なら前線を退いたとはいえ私の耳に入ってくるはずなんですが……名前は名乗っていましたか?」
伊織は「ああ!」と手を叩く。
たしか世に知らぬ者はおらぬと言っていたはず。名前を聞けばベルたちもピンとくるかもしれない。大きなヒントは初めから手元にあったわけだ。
うっかりしていたなと少し恥ずかしく思いながら伊織はその名を口にする。
「ヨルシャミです」
そう口にするとベルは神妙な顔つきになり、リータは口元に手をやった。
伊織はどきどきしながら返答を待つ。これでヨルシャミの正体がはっきりするのではないか、と期待しながら。
ややあって、ふたりは同時に伊織を見て言った。
「知りませんね」
「知りません」
「世に知らぬ者だらけじゃんッ!!」
また杖で殴られそうになる幻覚が見えた気がするが、伊織は全力でそう叫ぶしかなかった。