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異世界転移したけれど、さっさとお家に帰りたい  作者: 焼酎丸
第5章 アンラ神聖国に蠢く闇
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巨大な天使 その一

「な、な、ななな…」

「落ち着いてクシケンス」


 私たちの視界を覆っていたのは、巨大なおっぱいだった。繰り返す。巨大なおっぱいだった。


「…な、何これ?」

『大天使と呼ばれる存在です…エクーニゲル…こんなものを作り出すとは…』


 最初、白い薄布に包まれただけのそれが、胸部であるなどとは微塵も思っておらず、ゆっくりと視線を上に上げていけば、そこには顔があったのだ。金髪の美しい女性の顔だった。

 唖然とする私のすぐ側で、クシケンスが戦慄き我に返ると、ようやく私も事態を把握できた。空へと浮いた王都アンラの目の前に、そのアンラすら優に超える巨躯の天使が並んでいたのである。


「これは…どうすりゃいいんだ…」

「…あ〜、死んだかも〜」


 青くなるモスクルに、引きつった笑みを浮かべるアシュレイ。私も口にこそ出さなかったものの、ここまでかな—と、弱気になっていた。


《諦めませんよ。良いですね?》

(…う、うん。分かった)


 ラヴァに励まされ頷きを返してから、大天使へと視線を戻す。大天使は瞼を閉じたまま微笑を浮かべていた。動き出す様子もなく、ただ黙して中空に佇んでいる。だがしかし、一度その気になれば、彼女が手を振るっただけでも私たちは壊滅的なダメージを受けることは想像に難しくない。これほどの巨体とあっては、逃げることすら難しいだろう。


「エクーニゲル…」


 上空を見つめたまま、誰ともなしに呟いたのはブルーツだ。彼女の寂しげな視線の先には、天の門を潜るエクーニゲルの背中がある。既に彼には、私たちのことなど眼中にはないのかもしれない。一度も振り返ることなく、天の門の先へと消えていった。


「ぐ…う…」

「アイマス…」


 僅かに呻き声を漏らしたアイマスに顔を向ける。彼女は未だに意識を取り戻すに至らなかった。

 ソティの法術は今し方終わったところであるらしく、ちょうど顔を上げたところであったが、不安が拭えないのか、表情は良くない。


「…退くぞ。アンラは放棄する」


 静かに撤退を告げる声はモスクルのものだった。目に力を込めて皆の顔を順に見回すモスクルに、誰も異を唱える者などいはしない。


「…そうね。皆はこのまま退いてちょうだい」


 そんな中、モスクルの言に同意を返しつつも、己はここに残る—と、とんでもないことを言い出したブルーツ。

 モスクルの目が見たこともないほどに大きく見開かれ、ブルーツの正気を疑うかのように上擦った声を上げる。


「何を考えてるっ!死ぬ気かっ!?」

「…ごめんなさい。彼を逃す訳にはいかないの」

「馬鹿かっ!いくら十天とはいえ、こいつはどうにもならんだろっ!?それに、エクーニゲルにしてもそうだ!無理だ!勝てるビジョンが全く見えん!手を出してこないなら、このまま撤退する!」

「でも!」

「でももクソもない!体勢を整えるんだ!ここは堪えろ!」


 声を荒げてブルーツを説得にかかるモスクルの言に、皆が相次いで頷く。私も頷いた。退けるならば退くべきだ。逆に、不服そうな顔のブルーツが信じられないとすら思っている。

 もちろん、ブルーツが強いのは理解している。けれど、エクーニゲルの底は知れず、ダンジョンの中は、目の前に佇む大樹のような馬鹿げた天使で溢れているかもしれないのだ。たった一人で向かったとして、何ができるというのか。


「…私ね…周囲に人がいると、全力が出せないのよ…私のスキルは、皆を巻き込んでしまうから…」


 寂しげに笑いながらブルーツが告げれば、それを聞いたモスクルの顳顬には、小さくない青筋が浮かぶ。初耳だぞ—と呟いたのはさておき、何故かソティへと視線を向けた。

 そのソティは顔を上げ、モスクルを真っ直ぐに見つめていたりする。視線が交差すると、徐に頷いた。

 

「事実で御座います」

「…」


 何故それをソティが知っているのか?—と聞いてみたい気もするが、話がややこしくなるだけだ。

 モスクルはモスクルで僅かに逡巡した様子を見せたものの、結論は変わらなかった。


「ダメだ。退くぞ。今のお前は王妃だ。民を導く義務がある。エクーニゲルは化け物だ。とてもではないが、単身で向かわせることはできない」

「…でも—そうね…わがまま言ってごめんなさい」


 何か言いかけたブルーツだったが、一度嘆息すると、素直にモスクルに従った。


「話はまとまったな?」

「…ああ、すまんなクローディア」

「良い、気にするな。亜空間を開くぞ?」

「…やってくれ」


 クローディアとモスクルの会話を聞いて、僅かに気分が上向く。クローディアらには、一瞬で遠く離れた地へと転移する術があった。それを使えば、ここから逃げ出すのは難しいことではないだろう。私同様に忘れていたであろう皆も、心持ち顔に喜色が見て取れた。


「…おい…嘘じゃろ?」

「な、なんだ?どうしたクローディア?変な冗談はやめろ」


 ところが、手を伸ばして亜空間を開こうとするクローディアに、徐々に焦りが見て取れるようになる。亜空間が開けないらしく、顔色がどんどん蒼白になってゆくのだ。

 再び不穏な空気が立ち込めはじめた頃、ラヴァが思い出したかのように呟いた。


『…結界…』

「…結界…そうか…迂闊じゃった…」


 ラヴァの呟きだけで、クローディアは理解できたらしい。ゆっくりと手を下ろすと、処置なしとばかりに首を振る。


「…天使の業じゃよ。あ奴らは存在そのものが聖域なのじゃ。近くに天使がおっては、空間に作用する術理は機能せん…」


 それっきりクローディアは口を噤む。

 助かると思ってしまったからだろう。梯子を外されたかのような気分になった。やり場のない怒りに駆られ、拳を握り込む。許されるならば、力の限り叫んでやりたかった。


「そ、そん…な…」

「詰んだ〜」


 クシケンスが肩を落とし、アシュレイは何もかも諦めたかのように座り込む。


「聖域でありますか…そうなると、閉鎖空間ということでありますな?」

「うん?…まあ、そうじゃな」


 しかし、その中にあってただ一人、微塵も顔色を変えていないのはクルスだ。考えがあるのか、横目のままでブツブツと何かを呟いている。かと思えば、顔を上げた彼女は、再びクローディアへ問いかけた。


「アレが動かないのは、魔力感知だからでありますか?」


 クルスの言う、アレ—とは、大天使のことだろう。なるほど、魔力感知タイプの敵ならば、襲ってこないことにも納得がゆく。今の私たちは、モスクルの作り出した不可視の領域により覆われているからだ。

 この領域が外側からどのように見えるかは分からないが、目視できたとしても、不可思議な箱があるといった具合だろう。

 じゃろうな—と、クローディアは同意を示していた。


「わしもこれほどの天使を見たことはなかった。故に推測によるところが大きいが、天使は皆、魔力感知じゃ。こやつも例に漏れず魔力感知なのじゃろうな。今のあやつには、わしらの姿が見えておらんのじゃろう」


 クローディアとクルスに倣い、皆が大天使を見上げる。巨大な天使は、まるで標本のように微動だにせず佇んでいる。

 ファーレンが手を振ってみせたが、やはり無反応だった。


「襲ってこない謎が解けたわね…さて、どうしようかしら…」


 由香里が大きく溜め息を吐く。

 泣き言にも取れるその発言は、私の気持ちの代弁でもある。目の前の大天使は襲いかかってこなかった訳ではなく、襲いかかれなかっただけなのだ。きっと、私たちの姿を捉えられるようになれば、先の暴風同様、即座に襲いかかってくることだろう。

 猶予をくれた訳でも、慈悲を見せている訳でもないことが知れたことで、また一段と空気が重くなった。聞こえるのはエルの呼吸音のみだ。


「…このままここで助けが来るのを待つのはどうでしょう?」

「いや、待ってくれ。これは維持するのにMPを消費し続ける。そこまでは保たない。…その、限界が近い」


 助けを待つことを提案したセイクリッドだったが、この案はモスクルが却下する。その理由に、皆の顔から表情が消えた。


「…なら、決まりであります」

「…決まり…で御座いますか?」

「何をするつもりなの?」


 ロケットランチャーを作り出しながら大天使を見つめるクルスに、ソティとブルーツが尋ねる。クルスはソティらを一瞥もせず、こともなげに言って退けた。


「魔力感知ならば、大きな魔力に狙いを定めることでありましょう。私があれの気を引くであります。皆はその隙に撤退するであります。結界があった場合についてでありますが…私が大技を連発するでありますから、結界を壊したとしても皆に注意が向くことはないと思われるであります」


 クルスの提案に、皆は静まり返る。互いの顔を窺うかのように、チラチラと視線だけを巡らせていた。葛藤しているのだろう。私もそうだ。

 クルスほどの腕ならば、そう簡単にやられることもない。逃げられる可能性は低くないだろう。

 けれど、それはつまり、彼女を見捨てることに他ならない。このまま誰もが口を噤んでいれば、なし崩し的に、クルスの案は採用されるに違いない。そんな空気になっていた。


(…そんなの、納得できない)


 むしゃくしゃして、乱暴に頭をかく。

 そんな私を気遣うのは、肩の上のラヴァだ。コンコンと嘴で頬を叩き、落ち着かせてくれた。


(…ラヴァ、ごめん…)

《まあ、貴女はそういう人ですよ。付き合いましょう》


 正直言えば、死にたくない。死ぬのは怖い。私一人なら我武者羅に逃げているところだ。

 けど、仲間を見捨てても生き延びたいか?—と聞かれれば、答えは否である。そんな後ろ暗い真似はしたくない。綺麗事だと思うし、私一人が残って何ができるとも思えない。けど、クルスが残ると言うのなら、私も残る。そう決めた。


「クルス、付き合うよ」

「…は?」


 付き合うよ—と声に出すと、妙にスッキリした心持ちになった。鳩が豆鉄砲を喰らったかのような顔を作るクルスも見れたし、大満足である。自分でも驚くほど自然に笑えた。


「い、いや…私はその、お前たちに死なれるのが、一番困るのでありますが—」

「よく言ったわ真。私も付き合うわよ」


 クルスの発言を遮って、由香里も声を上げる。クルスは苦り切った顔を作るが、由香里もまた憑物が落ちたかのように、スッキリした顔を見せていた。


「はぁ…」


 気落ちしたというよりは、私ら同様、肩の荷が降りたかのような調子の嘆息が聞こえてくる。

 顔を向ければ、クローディアらが苦笑していた。


「お主らだけを死なせたとあっては、わしもあやつに合わせる顔がないわ。付き合うとしようかの。なに、わしらに万が一のことがあったら、モスクルに責任を取ってもらえばよい」

「保護者は必要だろ〜」

「ぼ、僕だって残ります!」


 次々と殿に立候補が続けば、苦い顔を作るのはモスクルだ。若者—一部、見た目詐欺な者もいるが—を死地へと追いやるように感じられて、きまりが悪いのだろう。


「はぁ…ったく。俺も残るぞ」


 ついにモスクルも手を上げる。すっかりと観念したのか、逆に吹っ切れたのか、表情は清々しいものだった。


「ダメなので御座います。動けないドーアや、アイマス、デンテ様を担ぐ男手が必要なので御座います」

「え?いや、そんなんブルーツ一人で—」

「ダメなので御座います」


 しかし、残留を決めたモスクルの決意を、あっさりとソティが打ち砕けば、モスクルは渋い顔で頭をかいている。


「お、おい…けどな」

「けどもクソもないので御座います」


 チラチラとこちらを見てくるモスクルだが、助け舟など出すつもりはない。彼ら施政者に近い者たちは、生き残るべきだ。モスクル、ロロナ、王妃であるブルーツはもとより、女神教の要職にあるセイクリッドも。それを言ったらアシュレイとてそうなのだが、アシュレイに関しては、何を言っても聞き入れてはくれまい。


「モスクルたちは役目があるでしょ。先に戻ってて。私たちだって死にたくはないからさ、無理はしないよ」

「マコトの言う通りじゃの。お主らにはやらねばならんことがある。ここはわしらの出番じゃ。年寄りはさっさと帰れ」


 クローディアの言に、何名かは吹き出した。お前が言うか—というやつである。私も笑いを噛み殺した。


「…無理だ」

「無理でもやるので御座います」

「そうじゃの」


 頑とした私たちを前にして、何とかして考え直させようと、言葉を選ぶモスクル。

 そんな彼の肩を叩いたのは、意外にもブルーツだった。


「託しましょう。増援を呼ぶのよ。そっちの方が、皆で残るよりも、まだ勝ちの目はあるわ」

「…ぐ、む」


 苦々しい顔で不満を呑み下したモスクルは、キッと私たちを睨み付けてくる。いつも小言をもらっているせいか、射竦められると、少しだけたじろいだ。


「…見捨てるつもりはないぞ。這いつくばろうと、泥水を啜ろうと、とにかく耐えろ、逃げ回れ。再生者(レナトゥス)を見つけ出して連れてくる。日暮れまでには駆けつけられるはずだ」

「…はっ、それは心強いでありますな」


 大真面目に語るモスクルだったが、チラリと太陽の位置を見たクルスは鼻で笑った。

 太陽は中天を既に過ぎたところだが、冬とはいえど、日暮れまでには随分とあることだろう。縁起でもないが、間に合わないだろうな—と、思ったに違いない。


「ラヴァ、エンチャントお願い」

『ええ。やってやりましょう』


 モスクルの展開している不可視の障壁が消え去れば、大天使は即座に動き出すことだろう。

 私を含めた残留組は覚悟を決めて、各自で準備に入る。ラヴァにエンチャントを施してもらう傍ら、私も、デ・エンチャントを発動するべく魔力を練った。


(アタックにするか、マジックにするか…)

《オバーですか?プロテジョンですか?》

(…迷ってる。クルスの攻撃力を最大限に活かすなら、プロテジョン・アタックだけど、安全策を取るなら、オバー・アタックかマジックなんだよね…さっきの暴風のこともあるし…)

《なら、オバー・マジックでは?どのみち、全乗せするんでしょう?早いか遅いかの違いなら、安全策を講じてから、本格的に弱体化を進めれば良いでしょう》

(…そうだね。うん、デ・オバー・マジックに決めた)


 ラヴァと共に作戦を練る。作戦と呼べるレベルですらないが、方向性さえ定まると、後は早い。デ・エンチャントならばお手の物だ。試したことはないため何とも言えないが、侵食もプラスしてやれば、大きな効果が見込めるかもしれない。障壁が消失した瞬間に撃ち込むべく、早くも矢を番えて弦を引いた。


《怖いですか?》

(…怖いよ)


 力を込めて引いてなお、カタカタと弓矢を持つ手が震えている。多少のズレはラヴァが修正してくれるため問題はないが、未だに死の恐怖に抗えない我が身を情けなく感じた。


《大丈夫です。今までだって何とかなったじゃないですか?》

(…うん。そうだね)


 何の励ましにもならないラヴァの言に、これまでのことを思い返せば、確かにその通りだ。我ながらよく生きていたものだと感心する。この世界に来て、すぐゴブリンを単独で撃破し、ディメリア帝国からアンラ神聖国へ向かう山中では、オーガなんかに襲われたこともあった。庭園の迷宮においては、巨大な薔薇に殺されかけたり—半分は自滅だが—、それに一昨年の蟻の巣に加えて、つい先日のグリムときたものだ。まったく、実に冒険をしていると思う。


「…準備は終わったか?障壁を消すぞ?」


 背後からモスクルの声が聞こえてくる。返事は疎だ。皆、それぞれのやり方で集中しているか、あるいはシミュレーションでも行っているのかもしれない。

 私も声を出したりはしない。有りっ丈の魔力を矢に乗せ、その時を待った。


「3、2、1—やれっ!」


 号令一下で、引き絞っていた弦から指を離す。視線は真っ直ぐに射った矢を見つめていたが、意識は走り去ってゆくモスクルらの足音を探していた。


「…アイマスをお願いね」


 誰ともなしに呟き、やるしかないのだ—と、己を奮い立たせる。見上げるのも馬鹿らしくなるほどに、巨大な大天使の胸元めがけて飛翔する矢の行方を見守った。


—バシュウウウ—


 矢の命中直前に撃ち出されたロケット弾が、尾を引きながら唸り声を轟かせる。

 その後にはファーレンと由香里が並び、エルとアーサーさんが後を追走する。驚くべきことに、クローディアとクシケンスもそれに続いた。

 

「聞けい!巨大なゴーレムを生み出す!危険を感じたらここまで逃げてこい!良いな!?」


 ロケット弾が着弾した衝撃で、クローディアの外套がはためく。前をゆく者たちは殊更に頷きを返したりしなかったが、きっと聞こえていたことだろう。


『デカい上に動かないとは助かりますね!サンダー・ボルテックス!』


 いつの間にか私の肩から飛び上がっていたラヴァの攻撃魔術だ。

 瞬く間に天を覆った黒雲は渦をなし、無数の落雷を大天使へと叩き込んでゆく。稲光が過ぎ去る毎に雷鳴が轟き、それが次の落雷への呼び水となるのだ。

 あまりの迫力に、顔が少しばかり強張った。


(すっご…)


 雷を操るのはラヴァの専売特許だが、これほどまでのものを見たことはない。彼自身の力が増してきていることに加えて、ここまでの、やり場のないフラストレーションを一気に放出したかのような暴れっぷりである。


『昇華!ボルテックス・ケイジ!』


 ノリノリのラヴァは更なる魔術を披露する。

 大天使を襲う無数の稲光が、天の黒雲を巻き込んで監獄のように大天使を閉じ込めたのだ。床石がメリメリと剥がれ、白と黒の螺旋を描く監獄へと引き込まれてゆく。こちらも引きずり込まれないよう耐えるのに精一杯で、追撃もクソもあったものではない。

 これだけで終わったのではないか?—と、思わせる光景だった。


『すみません、MP空になりました。終わりです』

「…バカでしょラヴァ?」


 確かに終わった。大天使ではなく、うちの鷲の方が。ヘロヘロと私の元へ戻ってくるや否や、肩に留まるではなくフードの中へ直行である。呆れてものが言えない。


「ま、まだです!」


 ラヴァの作り出した監獄が消えると同時に、ファーレンらは再び駆け出す。

 黒雲が消えた後には、黒焦げから徐々に修復されてゆく大天使の姿があったからだ。


《全力だったんですけれどね…ショックです…》

(いいから寝てろアホ!)


 ラヴァの戯言に怒鳴り付けつつ、新たなデ・エンチャントを矢に乗せる。

 次に用意したのはデ・オバー・アタックだ。大天使の巨躯はグリムを超える。それを思えば気休めにしかならないかもしれないが、即死さえしなければ、ソティがどうにかしてくれるに違いない。


—バシュウウウ—


 いつの間にかクルスは両肩にロケットランチャーを担いでおり、そこから撃ち出されたロケット弾は、二条の雲を描きながら大天使の左肩へと着弾した。

 ラヴァの雷撃により脆くなったであろう腕は、ブチブチと嫌な音を鳴らすと、千切れて落下していった。


「まず一本でありますな」


 成果に満足いったのか、ニヤリと怖い笑みを浮かべるクルスは、ゆっくりと大天使を挑発するかのように歩く。当初、彼女が想定していたように、大天使の注意を一身に引き受けるつもりでいるのだろう。ラヴァは既に微々たる魔力しか残しておらず、大天使の注意は、クルスに向かっているように思われた。

 それはさておき、落ちた腕は地上へと落下し、ズシンとか、馬鹿みたいな音を立てているのだが、下は大丈夫なのだろうか。人がいなかったことを祈るばかりである。


『@#/&』

「うわっ!?何か喋りましたよ!?」


 大天使目掛けて駆けていたファーレンだったが、突如として開かれた口に、警戒して足を止める。彼女とはかなりの距離があるのだが、それでも声が聞こえるとは、実に大音声である。由香里はさぞや煩く感じているに違いない。


「聞こえておるわい!いいからとっとと突っ込め!」


 詠唱を終えたクローディアが石突きで床を叩けば、冗談のような巨大な壁が出来上がる。縦にも横にも相当な広さのある壁だ。クローディアの魔術をクシケンスが補佐した結果に他ならない。


「ほれ!これでゴーレム完成じゃ!」


 続けてクローディアが行使したのは死霊術。擬似的な魂魄を生成し、今し方作り出した壁へと埋め込んだのだ。

 巨大な壁は、クローディア配下のゴーレムとして生まれ変わった。


「んじゃま〜、やりますか〜」

「…うん」


 隣のアシュレイの呟きを拾い、デ・エンチャントを乗せた魔力の矢を射る。私の矢はゴーレムが自主的に生み出した穴を通過すると、大天使の胸へ突き刺さった。


(…今、揺れたよ。すっごいね…)


 まるで水面を波紋が走ったかの如く、大天使の胸が震える。同性?であるため、思うところがある訳でもないが、男性陣はさぞかし目のやり場に困るのではなかろうかと思う。見る角度を変えると、色々と見えるだろうし。


《それより、そろそろ向こうも動き出しますよ》


 ラヴァの言を皮切りにした訳でもなかろうが、徐に天使の瞼が開かれてゆく。ついに向こうもやる気になったらしい。微笑みはそのままながら、溢れ出す聖性な魔力の量が、凄まじいことになっている。

 けれど、こちらも大体の準備は完了している。大天使へと飛びかかるべく駆けるファーレンと由香里、エルにアーサーさん。何処へ消えたか知らないが、虎視眈々と大天使の首へ顎を突き立てるべくチャンスを窺うソティ。城壁もかくやと思われるゴーレムを作り出し、その維持に努めるクローディアとクシケンス。大天使の視線を釘付けにするクルスに、後方から魔術による援護を行う私とアシュレイだ。

 アイマスがいないのは心許ないが、簡単にやられてやるつもりなどない。呼吸を整えて、弓を握り直した。


『—との子よ。主に仇なす大罪を悔いなさい』


 それまでは無意味な音の羅列であった大天使のそれは、やがて明瞭な音声に変わる。その言葉を聞いて、畏れよりも苦笑が先に出た。


(主って何さ?エクーニゲル?)

《さあ?碌な者ではないでしょうよ》


 口角を上げながら、次なるデ・エンチャントの支度を終えた頃、ついにファーレン達が大天使の元へと到達する。隙を窺うこともなく飛びかかったファーレンの拳は、巨大なおっぱいを波打たせただけに止まった。


「…柔らかいです!」


 わざわざこちらを振り向き報告してくるファーレンに、クルスの顔が凄いことになっている。黙したまま次弾を装填すると、迷うことなくファーレンに向けてトリガーを引いていた。

 ネームレスは仲が良いのか悪いのか、判断がつかない。空気が読めないのは間違いないだろう。

 

「デ・プロテジョン・アタック」


 次に私がセレクトしたのは、防御力を弱体化させるデ・エンチャントである。矢は遮られることもなく、大天使を捉えた。

 それを認めた前衛陣は早かった。即座に大天使へと襲いかかり、ごっそりと肉を奪ってゆく。腹が破れても血が出ないのは有難い。あの巨体から大量の血液やら体液が噴き出されては、臭いなどというレベルではないだろうからだ。


(想定以上の効果だ!)


 いよし—とガッツポーズを作りつつ、最後のデ・エンチャントの支度に取り掛かった。


「お、きた〜」

「ふぇ?何が—」


 アシュレイが何やら呟いたかと思えば、次の瞬間、凄まじい爆発が巻き起こる。アシュレイの魔眼だろう。慌てて大天使に視線を戻すも、爆風に煽られたため腕で顔を覆う。


「ちょ、やるならやるって言ってよ!?」

「え〜!?聞こえな〜い!?何て言った〜!?」


 余波が去った後でアシュレイへ苦言を呈するも、よく聞き取れなかったらしい。手振りでなんでもないことを告げ、大天使へと視線を戻せば、大天使の顔は大きく焼け爛れ、ガクリと巨体がぐらついているではないか。

 勝負あったかと思いきや、大天使の頭上に光り輝く輪が現れると、水で洗い流しでもしたかのように、みるみるうちに傷が修復されてゆく。クルスが落としたはずの腕までも綺麗に復元されており、先のエクーニゲルから嫌になるほど再生を見せつけられた私は、呆れるよりも辟易していた。


「…またこの手の奴なの?」

「そんな簡単な相手じゃないんだよ〜」


 アシュレイはこうなることを知っていたらしく、私ほどの落胆は見られない。その代わり、顔は青白く染まり、眼の下には色濃いクマが浮かんでいるばかりか、呼吸は浅く荒い。魔力枯渇の初期症状だ。

 無理もない。エクーニゲル戦でも魔眼を大盤振る舞いした上に、続く大天使に対しても魔眼を使っているのだ。それも、爆発の規模がエクーニゲルの時とは比べ物にならない。きっと、消費する魔力も増えているに違いない。

 

「アシュレイ…無理してない?」

「お〜う、してるよ〜。多分だけど〜、一発でも魔法、魔術の類が来たら〜、みんな死ぬからね〜」


 こういう時、アシュレイは自分を誤魔化さない。私などは、大丈夫か?—と聞かれれば、問題ないと返しそうな気がするが、アシュレイは辛い時には辛いと言えるのだ。それは数少ない彼女の美点だろう。苦笑しつつ、鞄の中から最も値の張ったマナ・ポーションを手渡して、矢を番えた。


「…そうだね。けどさ、殴られただけでも死ぬんじゃない?」

「あ〜。確かにあの巨体じゃあ〜、殴られても死ねるね〜。トロいマコトは前に出ないように〜」


 アシュレイの軽口に頷いて返しつつ、最後のデ・エンチャントであるデ・プロテジョン・マジックを放つ。

 間違っても私が狙われることがないように—という気遣いなのか、私のデ・エンチャントに合わせて、クルスがロケット弾を撃ち込んだ。


(ラヴァ、デ・クイックいける?)

《も、もう少しだけ休ませてください。消えそう…》


 速度の低下も欲しかったところだが、デ・クイックは私には使えないし、頼みのラヴァは未だにダウン中だそうだ。どうにも、いつもよりも魔力回復が遅いように思われるが、大魔術を行使した影響だろう。

 とりあえず、辛辣な言葉の一つでも言っておくことにした。


(そのまま消えてどうぞ)

《真、言っときますけどね。先の雷は、考え無しだった訳ではないですよ?前衛陣が近付くための隙を作ってあげたんですから!》

(いやいや。みんなビビって足止まってたし)

《嘘ぉっ!?》


 フードの中で意気消沈するラヴァの気配に悪い笑みを浮かべつつ、次に己が為すべき所を思案する。

 改めて意識を戦闘へ向ければ、ファーレン、エルにアーサーさんは大天使にピッタリと張り付いている。ソティの姿が見えないのはともかくとして、由香里はどこに行ったのかと思えば、クローディアの作り出したゴーレムに隠れていた。そこから蔓人間を遠隔操作して、前衛陣に貢献している。


(…ああ、爆発か)


 アシュレイが引き起こしたであろう先の大爆発を思い返せば、無理もないことだった。彼女は極めて火に弱い植物系の魔物なのだから。

 きっと、火の粉が降ってくる前に、大慌てで逃げ込んだに違いない。普段冷静な由香里の慌てる様を思い浮かべると、少しだけ心に余裕ができた。

 だからだろうか。おや?—と、違和感を覚えた。


(…ダメージを与えられていない?)


 違和感の正体は、割とすぐに判明した。大天使に傷らしい傷が見当たらないのだ。せいぜいが、先ほどクルスの撃ち込んだロケット弾の痕、あるいはアーサーさんの行使する魔術の痕くらいである。頭上に輪が浮かび、綺麗さっぱり復元されてからというもの、前衛陣の攻撃に、さしてダメージを受けているようには見受けられなかったのだ。


(手数は変わってない…よね?)


 ファーレンは四方八方から飛びかかり、怒涛の連撃を見舞っている。エルとて大口を開いて肉を断ち切ろうと噛み付いているが、そのどちらもが大した効果を発揮してはいない。先には十分な成果をあげていたはずであるのに、これは一体どうしたことか。まるで、急激に大天使の防御力が高くなったかのように感じられる光景だった。


(…まさか…)


 思い至った可能性は、デ・エンチャントがリセットされたというものだ。先の大天使の復元時、それまでに行使した三種類のデ・エンチャントが解除されていたとしたらどうだろう。

 復元後に放ったデ・エンチャントは、魔力耐性を低下させるデ・プロテジョン・マジックである。ファーレンやエルの攻撃は通らず、アーサーさんの魔術だけは、しっかりと通る説明にならないだろうか。


「…やっぱり、そうなんじゃ…」

「ん〜?何が〜?」


 私の呟きをアシュレイが拾った。

 考えを整理してから告げれば、アシュレイの顔に渋みが広がる。どうやら、私の予想は当を得ていたようだ。


「…デ・プロテジョン・アタック〜…もう一回いける〜?」

「…うん」


 アシュレイの要請を受け、勘を頼りに己の残魔力を算出する。今のペースならば、平時はここから連続で三発はいけたと思う。けれども、緊張のせいか、今はどうにも魔力の回復が遅い。使えてあと二回。それも、二回目では魔力枯渇に陥りそうな気がした。


「…ギリギリいける…はず」

「ちょっと試してみよ〜。それでハッキリするよ〜」


 徐に矢を番え、強く引き絞る。

 しかし、私が弦から指を離そうとした刹那、大天使の目が私を捉えた。


—ドォン—


 ヤバい—と肝を冷やした瞬間、大天使の首から上が派手に爆発する。アシュレイかと思ったが、一瞬ロケット弾のようなものが見えた。クルスであるらしい。

 そのクルスは白い煙を濛々と立ち昇らせながら、魔石を握りしめている。顔色は悪く、苦しげに肩を上下させていた。彼女もまた限界が近く、魔石から魔力を得て回復に努めているのだろう。


(有難う、クルス)


 二度目となるデ・プロテジョン・アタックを施した矢を放つ。的がデカく、避ける素振りすら見せない大天使へと、まるで吸い込まれるかのような軌道を描いて矢は命中する。


「チェストー!」


 するとどうだ。ファーレンの唸りを上げる拳は、それまでの悪戦苦闘が嘘のように肉を穿ち、大天使の羽二重を思わせるに肌に傷を付けるではないか。

 傷を付けた本人は、何が起きたのか理解できていないらしく、しきりに首を傾げているが、それはいいだろう。


「…決まりだね」

「…あの天使の輪っかは〜、状態の変化までリセットするってのか〜」


 チラリと背後を見て、モスクルらの姿がないことを確かめる。無事に逃げ果せたらしい。

 次いで天を仰ぎ、太陽の位置を確かめた。


(日暮れまでは…まだあるなぁ…)


 大天使は一撃が極めて強力な上、厄介な回復能力までも有する。長期戦を決め込むには私たち後衛陣の消耗が激しく、そう長くは保ちそうにない。

 自棄になったのか、口を割って出たのは、乾いた笑いだった。

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