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異世界転移したけれど、さっさとお家に帰りたい  作者: 焼酎丸
第5章 アンラ神聖国に蠢く闇
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ブルーツ、王都に乗り込む その二

 轟々と燃える火柱の中から抜け出し、ゴホゴホと咳き込むが、気道には思ったほどのダメージはないらしく、それだけで一息つけた。しかし、衣服はそうはゆかない。私専用として、様々な耐性強化を施された修道服であるにもかかわらず、その裾は僅かに焦げていた。


「ああ、もう!信じられない。自爆とかやめてほしいわ」


 思わず声を荒げ、燃え盛る炎の中に見える人影、エクーニゲルを非難する。エクーニゲルは多少申し訳なさそうな顔で炎の中から現れると、手を払い消火した。炎を越える前に消せばいいのに—とは言わなかった。


「いやいや、今のは驚いたでしょ。あれは何という闘技だね?もしくは武技?電光石火では直進しかできないはずだし、疾風迅雷であれば、移動からスムーズな攻撃には繋げられないはずでしょ?」

「…詫びの一つでもあるかと思ったら…」


 エクーニゲルがすまなそうに顔を歪めていたのは一瞬で、すぐにいつもの調子に戻る。教えてやっても良かったのだが、修道服を汚したことに対して、詫びの一つもないのが気に入らない。やめておくことにした。


「内緒よ。それより…これ、高いんだからね?」

「知ってるでしょ。予算を承認したのは私でしょ。全く、こんなところに着てくる方が悪いでしょ」


 エクーニゲルの言には納得がゆかなかった。この修道服は、国難やらの大事に備えて拵えられたものである。まさに国難であり、人を優に超える化け物であるエクーニゲルを相手取る以上、着るべき時は今であるはずだ。


「じゃあ、いつ着ろって言うの?」

「…さあ?式典?」

「…式典に着るにしては大仰だし、飾り気は0よ?」


 二人で見つめ合ったまま、しばし固まる。その後には、どちらからともなく笑った。


「ねえ、エクーニゲル。教えて。どうしてこんなことをしたの?」


 三度目になる問いかけだが、今度ははぐらかされるとは考えていない。単なる勘にしかすぎないものの、ちゃんと教えてもらえそうな気がしていた。


「…元々、アンラ神聖国という国は、人々の信仰を効率的に集めるため、生み出された国でしょ」

「…そこからなの?」


 ところが、エクーニゲルの語り始めたのは、アンラ神聖国が建国に至った理由だった。これは長くなるな—と、早くも後悔した。


「土壌を肥し、魔素が堪らないよう大地を均一に均し、人が暮らすに不自由しない理想的な環境を作り上げたでしょ」

「…もしかして、この国、貴方が作ったの?」


 冗談かと思って問いかけたが、エクーニゲルは大真面目な顔で頷く。彼が長い時を生きてきたということは知っていたが、そんなことまでやっていたとは思わなかった。感心する傍ら、ならばどうして?—と、更に疑問が強まる。


「なら、なおのことよ。どうしてこんな真似をするの?」

「私は別に、人が好きとか、弱者に優しいとか、そういった感情的な理由で動いている訳ではないでしょ」


 滔々と語るエクーニゲルだが、顔を伏せて眼鏡の位置を正す素振りを見せた。彼が己を誤魔化す時の癖である。今、彼は己を嘘で塗り固めたのだ。


(エクーニゲル…)


 エクーニゲルという男は、真面目な性分である。彼の言葉を聞く限り、アンラ神聖国は実験場、あるいは養殖場のようなものなのかもしれない。

 それであるのに、彼は日頃、誰よりも真面目に大司教としての本分を全うしていたのだ。特に、子供には優しかった。孤児達が飢えることのないよう保護するばかりか、学を与えて世に送り出す仕組みを作り出したのは、若かりし頃の彼に他ならない。

 それを思えば、彼はやはり人間が好きなのだろう。


「—最も重要なのは、効率よく信仰を集めることでしょ」

「…アーリマンに?」

「まあ、そうでしょ」


 女神教の主神たるアーリマン。本来であれば、私が仕えるべき者達の頂天に位置する女神だ。神である以上、信仰の量、質は、自身の強さに直結する。まあ、分からない話でもない。

 しかし、そうなると、別の疑問が浮かび上がる。


「…信仰を集めたいなら、人の数が減るような真似は逆効果なんじゃない?蟻の巣も貴方の仕業じゃないの?あれ、結構怒ってるわよ、私」


 やや口調を強めて、エクーニゲルへ問い質す。エクーニゲルは自嘲気味に笑った。


「いやいや、怒ってるのは私の方でしょ。あそこまで育てるのに、どれほどの労力を費やしたと思ってるでしょ。それが…いとも簡単に潰されてしまったでしょ。計算外もいいところでしょ」


 蟻の巣。アンラの南西に巣食った凶暴な蟻達により、付近の村は壊滅し、討伐に向かった冒険者も少なからず犠牲になった事件だ。外で暴れているであろうネームレスらのおかげで、比較的早期に解決を見たが、タイミングが悪ければ、国が傾きかねない大惨事を引き起こすところであったのだ。

 そして、これをエクーニゲルは否定しなかった。そればかりか、蟻達を育てるのには苦労した—などと言って退けたではないか。思わず憤りが顔に出たためか、再び緊迫した空気が辺りに張り詰める。

 けれど、エクーニゲルは肩を竦めて見せ、まだ話を続ける姿勢であることをアピールしてきた。釈然としなかったが、ここは乗っておくことにした。

 

「信仰値というステータス。これをどのように考えているのかね?」

「…信仰値?…そうね…法術の発動の速さ、効力にも影響するかしら」


 仕切り直しとばかりに振られてきたエクーニゲルの問いに、僅かに考えてから応じる。実のところ、私は信仰値が高くない。人並みくらいだ。浄化法術こそ得意だが、法術の代名詞である回復系はからっきしである。

 そのせいもあってか、信仰値のことなど考えたことがなかったりする。私の様子からそこまで見て取れたとは思わないが、エクーニゲルは苦笑していた。


「…ま、半分正解ということにしておくでしょ」

「あら、手厳しいわね。模範解答を教えてもらえるのかしら?」


 私の言に、エクーニゲルはゆっくりと天を仰ぐ。私も釣られて上を見上げれば、そこにあったのは天の門が描かれた巨大な絵画だ。本当に好きね—と、少しばかり呆れた。


「信仰値とは、祈りの強さでしょ。信仰値が高ければ高いほど、その祈りは信仰を捧げる神へと届きやすくなるでしょ」

「…へえ」


 天の門を見上げたまま、徐にエクーニゲルは語る。だからどうした—という言葉は呑み込み、エクーニゲルが再び口を開くのを待った。


「試練はね、人の信仰値を高めるでしょ。それだけじゃない。神に縋りたい状況が出来上がると、人はそれを乗り越えて強くなる。必死に抗い、知恵を絞り、我らが予想だにしない解決策を見出す。けれどね、不思議なことに、それでも彼らは、神のおかげだ—と、信仰厚くなるのでしょ」

「…貴方達が吹聴するからじゃないの?神のおかげでしょ—とかなんとか言って」


 天の門を見つめていたエクーニゲルが、ゆっくりと視線をこちらに向けてきた。私の言がよほど気に障ったのかと思いきや、彼は困ったかのように、くしゃりと顔を歪めて笑う。


「その通りなんだけどね。それこそが私の目論見でしょ。人を成長させ、かつ、信仰値も高めてゆく。そうすれば、信仰を得るアーリマンの強化にも繋がり、種としても強固になる。…一石二鳥でしょ。来るべき時に備えて、万全の状態を作っておきたいんでしょ。そのための試練だった訳でしょ」

「…来るべき時というのは?」


 尋ねつつ、これは、はぐらかされるな—と、なんとなく理解できた。

 読み通り、エクーニゲルは肩を竦めると、君が知る必要はないでしょ—と、素気無く切り捨ててくる。この話題からはこれ以上の情報は得られそうにないため、切り口を変えてみることにした。


「アトリアの件も貴方の仕業?」

「いや、あれは別口でしょ」

「あら?そうなの?」


 てっきり、アトリアの件もエクーニゲルのせいだと決めつけていたため、肩透かしを喰らった気になる。じゃあ、あれは一体—と考え込んでいると、エクーニゲルはあっさり教えてくれた。


「あの町にはね、以前から吸血鬼(ヴァンパイア)達が入り込んでいたでしょ。人間に試練を与えるという私の目的にも都合が良いし、ボロが出ないよう、色々と手を貸していたでしょ」

「…貴方ね…」


 頭が痛くなる話だった。それはもう、エクーニゲルの仕業と言い切っても良いのではなかろうか。


「…でも、既にアトリアも落ち着いたらしいわよ?残念だったわね」

「みたいでしょ。ロッドの反応が追えなくなったでしょ。ズ・シャ・クォンまで用意してあげたのに、呆気ない」


 何気なく振った話題だったが、思わぬ名が出てきたことに驚愕した。


「ズ・シャ・クォン!?な、何考えてるの貴方!?神代の怪物じゃないの!そんなの、人の身でどうこうできるはずないじゃない!?国が滅ぶどころの話じゃないわよ!?」


 思わず声を荒げてエクーニゲルを糾弾する。ズ・シャ・クォンなど、地上に出してよいレベルの化け物ではない。話に聞いた限り、この私とて出会せば命はない。いや、あれに勝ちうる人間などいないことだろう。あの怪物の鳴らす鐘の音は、肉体と魂を切り離す。鐘を鳴らされたら、その時点で詰みなのだから。


「いやいや。それがどうこうできたから、彼女達はここにいるんでしょ」


 そんなことを言いながら、エクーニゲルは空中に鏡を作り出すと、不愉快そうに鼻を鳴らしながら、鏡の縁を指で弾く。

 何かと思えば、くるりと向きを変えた鏡に映っていたのは、ソティらアエテルヌムだ。メットーラの者達と共に、石畳を走っている。この映像は貴族街を映したものだろう。


「…彼女達?…え?どういうこと?」


 けれど、アエテルヌムの姿を認めた私の頭は真っ白になっていた。どうしてそこでアエテルヌムが出てくるのか。全く分からなかった。


「おや?知っていた訳ではないのかね?私が教えてもらおうとしたのだけどね…」


 質問を質問で返されたが、お互いの認識に齟齬があるらしい。同時に怪訝な顔を作り、首を傾げた。


(どういうこと?ソティ達が倒したの?ズ・シャ・クォンを?…そんな訳あるはずが…でも…)


 情報が欲しかった。私が知っているのは、盗み聞いた内容だけだ。“アトリアが落ち着いた”“後は時間の問題”。モスクルらの会話の中には、この程度の情報しか出てはこなかったのだ。


(そうよ…そもそも、アトリアに向かったアエテルヌムが、こんな短時間でアンラヘ帰り着けるはずはないわ。だとすると…ネームレス。そっか…アエテルヌムにはネームレスがついていたのよね。そういうことなのね。良かった…)


 ズ・シャ・クォンとソティらアエテルヌムが見えたとするならば、今の彼女らには逆立ちしても勝ち目などない。虚な目で動かなくなったソティを想像してしまい、一気に血の気が引いたものの、すぐにネームレスのことを思い出して安堵の息を吐いた。彼らがどうにかしてくれたのだろう。


(これは…後々ふっかけられるわよ、パパ)


 国難どころか、ネームレスは人類を救った救世主となってしまったようだ。一体、そんな英雄へ見合う対価は如何程のものになるだろうか。ただでさえ国庫はすっからかんなアンラだ。僅かな国宝に加えて、王城を処分しても足りないのではなかろうか—と想像すると、思わず失笑してしまった。


「…何か、合点がいったようでしょ?」

「そうね。けつの毛まで毟られそうで。パパの焦る顔が目に浮かぶわ」


 ふふふ—と声を押し殺して笑う私の正面では、エクーニゲルの魔力が厚みを増す。視線を向けれてみれば、エクーニゲルの表情には憤怒が宿っていた。何かが気にいらなかったらしい。空気が張り詰めたのに従い、自然とこちらの頰も引き締まった。


「じゃあ、教えてもらえるかね?…一体、どうやって彼女らはアトリアを奪還したでしょ?君が言ったように、ズ・シャ・クォンは今の人の身では抗えるはずもない強敵でしょ。それが、どういう訳か既に倒されたらしいでしょ。しかも、アトリアにいたはずの者達が、既にアンラへ集結しているのは…どういった絡繰があるでしょ?」

「あら?その鏡で見ていた訳じゃないの?」


 挑発する意図は一切なく、純粋な疑問だったのだけれど、向こうはそう取ってくれなかったらしい。更にエクーニゲルの纏う魔力が重みを増し、鏡は魔力へと還り霧散した。


「こればかりは…力付くでも聞き出しておかねばならないでしょ。試練とは、英雄が力技で押し通ってよいものではないでしょ。人類全体の力を底上げするためにやっているでしょ。蟻の巣にしろ、アトリアにしろ、私の目論見は尽く潰えたでしょ。同じ轍を踏まないためにも、英雄には御退場願わなくてはならないでしょ」


 ついにエクーニゲルが動き出す。これまでは自ら前に出てこなかった彼が、やる気になってしまったようだ。こうなっては悠長に話していられる雰囲気ではない。応戦する他ないだろう。


「英雄の何がダメなの?」

「人々は英雄を讃え、神に対する信仰を失ってゆくでしょ。それは、我らの目的に反するでしょ。許されることではないでしょ」


 ふぅん—と相槌を打ちながら、大鉈を構える。かつて、夫であり国王でもあるベロートは、蟻の巣の一件に対して自論を展開していた。彼は、蟻の巣を仕掛けたのは、敵が己に仇なせるほどの猛者がいるかどうか調べるためだと読んでいたみたいだが、その読みは間違いであったらしい。ことここに至っては、考えても詮無きことだが。


「さあ、怪我する前に答えるでしょ、ムーシュ」

「その名で呼ばないで、アパオシャー」


 ゆっくりと手で円を描くエクーニゲル。その手の平から吐き出された黒い炎は、彼の周囲に配された。黒は闇属性によるものだ。果たしてあれは、単なる闇属性を付加した魔術なのか。はたまた、呪術による闇属性か。単なる呪術であれば、私には通用しない。けれど、闇属性を付加しただけの魔術、あるいは呪術を付加した魔術ならば無効化はできない。

 意地の悪いエクーニゲルのことだ。あらゆる可能性が考えられる。突っ込むべきかどうか、判断に迷った。


「答える気はない…と?」

「だって、知らないもの」


 これが最後とばかりにエクーニゲルが問いかけてくるも、本当に知らないのだ。答えようがない。もっとも、蟻の巣に関してならば、誰の仕業かは分かっている。ネームレスのリーダーであるオサカだ。あれは英雄というよりは、魔王と評する方が相応しい男だった。この私をもってして、敵対してはいけない—と、青くなったほどだ。

 もし、彼がこの場にいたとすれば、エクーニゲルなど、せせら笑いながら処断されたことだろう。けれど、彼は今、この地にはいないという話だ。行方を晦ましてから、もう一年以上経つらしい。となれば、アトリアの件には無関係であろう。


(恐ろしいことよね…)


 鉈を持つ手が自然と力む。

 ネームレスには、オサカの他にもズ・シャ・クォンを退けられる猛者がいるということに他ならないからだ。あるいは、全員がそのレベルの猛者である可能性も捨てきれない。

 一体、彼らはなんなのか。これまで押し殺してきた疑問が、再び頭を擡げてきた。


「君の表情は、そうは語っていないように見えるでしょ」


 エクーニゲルの声で思考が中断される。いつの間にやら外れていた視線をエクーニゲルへと戻し、ニヤリと笑う。


「…悪いわね。確信めいたものはあるけど、確証がないのよ。それに、例え知っていたとして、貴方に言うと思う?」


 私の言にエクーニゲルが嘆息した。残念そうに首を振り、手を払う。エクーニゲルの周囲に浮いていた黒い炎は、それを合図にして襲いかかってきた。


(躱すしかないわね)


 黒い炎は激しく燃え盛り、色をインクのような黒から、血を思わせる赤へと変じる。あのエクーニゲルの扱う魔術となれば、単なる火でないことは明白。呪術ならば—などと突っ込む算段もあったが、それは危険だ。回避に徹するべきだろう。


「貴方はパパとも上手くやっていってると思っていたわ」

「そう見えていたなら、君は何も理解していないでしょ。彼も私も、己の目的がために、互いを利用していただけでしょ」


 輪の径を変えながら、螺旋を描いて襲いくる炎を大きく横に避け、腰の短剣を二つ投擲する。エクーニゲルの首元めがけて真っ直ぐに飛んだものの、エクーニゲルに触れる直前で、魔力壁に弾かれると勢いをなくした。


「荒魂、曲霊」

「っ!?」


 エクーニゲルが指を打ち鳴らし合図を送れば、やり過ごした炎が大きく弧を描き、こちらへと戻ってくる。

 先に見せた追尾する炎と同じかと思いきや、こちらは数個一まとまりで螺旋を描きながら襲いかかってくるのだ。その中心に飛び込む勇気など持ち合わせてはおらず、断然、こちらの方が始末に悪かった。


「心を入れ替えたと、こちら側へ来たものだと信じかけていたほどよ!」

「ははは。人は見たいものだけしか見ようとはしないでしょ。君もまた、そうだっただけの話でしょ。さて、追加でしょ」

 

 エクーニゲルが片手を大きく回せば、手の平から再び黒い炎が生み出される。これはまずいな—と、歯噛みした。


「エクーニゲル…貴方のことは、嫌いじゃなかったわ」

「それは嬉しいでしょ」


 スキルを用いて一気に加速する。使うのは疾風迅雷だ。先の赤い炎とは比べ物にならないほど、ゆっくりと飛んでくる青い炎の横を通過した。


「疾風怒濤」


 次いで用いたのは疾風怒濤。疾風迅雷と電光石火の性能を兼ね備えた闘技だ。複雑な軌道を描く移動もお手の物で、攻撃に対する姿勢の補助もある優秀なスキルである。疾風迅雷と電光石火の弱点を克服するべく試行錯誤した結果、発現したスキルだ。


「せいっ!」


 エクーニゲルの首元狙って、勢いの乗った横薙ぎを叩き込む。


—ガキン—


 予想通り、これは首を断つには至らない。そればかりか、皮に喰い込むことすら許されなかった。


「終わりかね?…争魂、直霊」

「まだよ」


 横目でこちらを見つめながら、エクーニゲルが指を打ち鳴らす。

 すると、やり過ごした無数の赤の螺旋は、再び収縮する巨大な一つの螺旋に変わると、こちらへと向かってくる。


(くっ、けど!)


 そうそう逃げてばかりいては、追い詰められるだけだ。僅かな隙にも反撃をせねばならない。


「一撃でダメなら、何度も斬りつけるまでだわ」

「…何とも君らしい力技でしょ」


 くるくるとエクーニゲルの周囲を回りながら、己も回転の勢いそのままに、無数の横薙ぎを見舞う。

 エクーニゲルは表情こそ平静を装っていたが、顳顬に光る水滴が浮いたことを見落としはしなかった。


(焦っている。この障壁は無限ではないのね。なら、とにかく打ち込むのみ)


 けれども、黙ってやらせてくれるエクーニゲルでもない。もっとも、彼ではなくとも、首を斬り落とされるのを黙して待つなど、罪人だろうとてあり得ないのだが。


「和魂、曲霊」

「くっ」


 生み出されたばかりの青い炎と、背後から迫る赤い炎が入り混じる。たまらず離れた。


(ああ、もう!なんていやらしい術かしらっ!)


 赤い炎は私めがけて凄まじい速度で飛来し、避けても急停止したかと思いきや、また猪の如く突っ込んでくる。

 対して、青い炎は法則性なく好き勝手に飛び回っているのだ。その間隙を突くのは、困難を極める。距離を離す他なかった。


「どうしたでしょ?もう来ないでしょ?」

「言われなくたって行くわよ!」


 二種類の炎を躱しつつ、あからさまな挑発に苛立ちエクーニゲルを睨みつければ、エクーニゲルの周囲には、更に緑の炎と黄の炎も浮かんでいるではないか。

 それも、これまで同様に、十数個は浮かんでいる。ふざけるな!—と怒鳴りつけたくなった。


「行くでしょ」


 エクーニゲルの指示により、黄色の炎は大神殿の四方へと散らばりピタリと止まる。かと思えば、全ての炎が一斉に私めがけて突っ込んできた。

 それとは別に、緑の炎はジグザグの軌道を描きつつ、私へ向けて迫ってくる。赤と青の炎も捌かなくてはならない現状、追加の客はこれ以上なく迷惑だった。


「それでも、避けてみせるわ」


 後方から螺旋を描いて突っ込んでくる赤い炎を避け、揺蕩うように不規則な軌道を描く青い炎の隙間を縫う。

 そのすぐ後には赤い炎に負けず劣らない速度で飛来する黄の炎を飛んで躱し、縦横に揺れながら迫り来る緑の炎は、腰の鉈で薙いだ。鉈はデロリと溶け落ちたが、その結果を見届ける前に手放していたため、私に傷はない。


「なっ!?」


 しかし、ここで想定外の事態が起こった。鉈で斬りつけた緑の炎数個が、消えるではなく、その場に停滞していたのである。

 大誤算だった。再び前方からは、螺旋を描く赤い炎が迫っている。黄の炎もまた、私から大きく離れた場所で回遊しており、その動きがピタリと静止した時、恐ろしい速度で突っ込んでくることだろう。


(くっ!どこに逃げ込めばいいのっ!?)


 素早く視線を彷徨わせれば、不規則に動く青い炎が二つ、離れてゆくところだった。あの炎らはそのまま離れてゆくことだろう。そうなれば、あの隙間に逃げ込める。これ幸いと、青い炎目指して駆けた。


「悪魂、直霊」


 ところが、エクーニゲルが指を打ち鳴らしたその時、それまで不規則に揺蕩っていた青い炎の動きが変わる。亀の如き速度での直進に切り替わったのだ。飛び込もうとしていた隙間はなくなり、ギョッとして足を止めた。


「なによそれっ!?」

「…終わりでしょ」


 赤、黄、緑と、三色の炎が四方八方から迫り来る。青い炎に進路は塞がれ、もはや逃げ場はない。迷っている時間などなかった。


呪いの坩堝(カース・メイカー)!!」


 修道士ブルーツとして培った技能ではなく、生まれ持った権能を発動させれば、私の肌や床石のみならず、視界に映り込む全てのものが呪いに侵されてゆく。

 それは、エクーニゲルの放った魔術といえども例外ではない。私に近づくや否や、立ち所に崩れ落ちた。


「なんとまぁ…相変わらず凄いでしょ…」


 けれど、そんな状況下においても、エクーニゲル本人は飄々としたものだった。ボロボロと崩れ去る炎や床石を見つめては、ポリポリと頭をかいたりしている。本当に腹立たしい。

 ちなみに、私の放った呪いは、私自身にも効果は分からない。私の権能である呪いの坩堝(カース・メイカー)は、身に受けた呪いの一切合切を溜め込み、別の何物かに変じてしまう権能だからだ。

 私に言えることは、百年前の時点ですら、自身の手に負えないところまで、呪いが育っていたことくらいだろうか。


「もう、嫌になるわね。私のこれ、一応、権能よ?何で通用しないのよ」

「いやいや、こっちも必死に抗っているでしょ。手を抜いたらやられちゃうでしょ」


 苦笑いして見せるエクーニゲルの足元から、真っ黒いカビのようなものが立ち上がるも、膝の辺りまで登ったところで、パラパラと剥がれ落ちる。エクーニゲルの展開する障壁によるものだろう。

 権能が魔術レベルと互角であるらしい。泣きたくなる光景だった。


「それにしても…懐かしい姿でしょ、ムーシュ」

「その名は捨てたの。いい加減にしてよね、アパオシャー」


 ふと大鉈の重みを感じなくなり視線を落とせば、大鉈は風化していた。そして、風化したのは大鉈だけではない。足下の床石もまた、まるで砂漠の如く綺麗な砂へと変わり始めている。慌てて呪いの坩堝(カース・メイカー)を解除した。


「あちゃ…」

「ふふふ。君はそそっかしいでしょ。…さて、時間切れだね。仕切り直しでしょ、ブルーツ女王陛下(・・・・・・・・)


 エクーニゲルに笑われたことは納得ゆかないが、それを撤回させるだけの時間は残されていなかった。やってきたのだ。彼女達が。


「うおっ!?回天だ!」

「うわわっ!ここでですかっ!?」


 バタバタと慌ただしく走り込んできたのは、アイマスと自称森精族(エルフ)の娘—確か、ファーレン—だ。視線を向ければ、二人のみならず、その背後に続いた者達もが青い顔でこちらを見ている。ソティだけはニコニコと例の微笑みを浮かべているが、皆の様子を見るに、何も説明はしていないようだ。つまり、彼女らは私が操られているとでも思っているのだろう。


「狼煙!狼煙!…うわっ!?」

「ちょ、何やってるのよマコト!」


 肩に鷲を乗せた黒髪黒目の少女、マコトが狼煙を取り落とし、コロコロと私の足元まで転がってきた。そそっかしいとは、ああいう娘を指す言葉だと思う。手を伸ばして泣き出しそうな顔を作るマコトの姿に、ついつい笑ってしまった。


「落としたわよ。気をつけなさい」


 狼煙を拾い上げ、投げて返す。権能の影響が残っており、風化しやしないかと少しばかりハラハラしたが、杞憂だった。


「…あ、うわっ!?」

「ちょ、マコト!」

「…絶望的に不器用なので御座います」


 ところが、マコトは投げ返した狼煙を掴み損ね、またしても取り落とす。狼煙は彼女の指で弾かれ勢いをつけると、私の傍を通り過ぎ、エクーニゲルの元まで転がる。エクーニゲルは口元を押さえつけて、必死に笑いを噛み殺していた。


「君は…あれかね?…大道芸人という奴でしょ?」

「ち、違います!」


 面白い玩具を見つけた—とばかりに、マコトを揶揄うエクーニゲル。先ほどまでの憤りは、すっかりと影を潜めていた。


「…はあ、役者よね」


 ボソリと呟き、腰の鉈を引き抜く。

 幸いなことに、引き抜いた拍子に鞘は砕けたが、柄が多少傷んだのみで、刃の方にはダメージはない。私の修道服に施された魔力耐性が仕事をしてくれていたらしい。

 鉈はこれで打ち止め。もう片手が空いていたため、アエテルヌムらに向けて伸ばして見せた。


「?」


 皆が首を傾げて怪訝な顔を作る様を、我が娘は本当に楽しそうに眺めている。いい性格をしていると思う。早く寄越せよ—と、内心で舌打ちしておいた。


「鉈、ちょうだい」

「これを使うと良いので御座います」


 ソティが投げて寄越した鉈を掴み、柄の感触を確かめる。私が握るにはやや小さいが、借り物に文句を言うべきではない。二、三度振って慣らしとし、エクーニゲルに向き直った。


「さあ、みんな!エクーニゲルを倒すわよ!」

「えっ!?あ、はいっ!」

「どどど、どういうことですか!?」

「…あ、操られて…いない、のでは?」


 背後から聞こえてくる響めきに、締まらないわ—と、苦笑する。エクーニゲルはまたしても、口元を押さえていた。

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