ブルーツ、王都へ潜り込む その一
王都アンラを舞台に、モスクルらの連合軍と、エクーニゲルの操る王都民との戦いが始まった。
何もできないことに、腸が煮えくり返るような思いを抱きつつ、戦いが激化するのを待つ。私の存在が公になれば、もう自由にはできないからだ。
「きた…」
チャンスは思ったよりも早く巡ってくる。天使の群勢が貴族街から飛来してきたのだ。これ幸いと混乱に乗じて、城壁から市街へと下りる。そのまま天使の群れへと突っ込み、姿を晦ました。
「好き放題やってくれているわね」
このアンラ神聖国が、今のような活気ある明るい国になったのは、本当につい最近のことだ。
10数年前、先代の教皇が舵を取っていた頃などは、圧政により国民の生活は決して豊かなものではなく、地方の領主共も腐敗し、やりたい放題の暴政を敷いていた。
それを正したのはベロートと、本件の首謀者であるエクーニゲルだ。先代教皇—つまりは先代の国王—を焚き付け、大規模な異教徒狩りを行ったのだ。
そのメインターゲットは地方領主。二人は巧みに地方領主が異教徒であるという証拠をでっち上げ、異端審問官や騎士団が押し入る大義名分を作り上げていったのである。
(決して褒められたやり方ではないんだけどね)
結果、地方領主は大きくその数を減らし、アトリア領とアメランド領を除けば、アンラ神聖国の全ては直轄領になったのである。
最後の仕上げとして、大粛清を指揮していた先代教皇を狂人と吹聴して蹴り落とし、二人のクーデターは完了した。
この国の政治形態は特殊であるため他国の事情とはまた少し違うが、他国に倣ってベロートの王位継承を表現するならば、彼は王位を簒奪したと言えよう。
(エクーニゲル…もしかすると、彼もこっち側なのかと思っていたのだけど…)
ベロートが実権を握った後、最初に行ったのが国庫の開放。そして他国への借金だった。
驚くべきことに、彼はまず民衆に国の財を分け与え、己らはほぼ無一文、丸裸同然で数年を過ごした。その間も税の緩和や孤児院の保護、騎士団の在り方の改革などに手を尽くしてきた。とにかく彼の政策は民衆寄りであった。
ただでさえ他国に劣っていた武力は、もはやないに等しく、大国とは思えぬほどに非力な国となったが、民は幸福を感じ、日々を笑顔で生きる。そんな国が完成したのだ。
それでも不思議なことに、他国は全く攻め入って来ようともしなかったのは、ベロートが水面下であれこれと動いていた結果なのだろう。
(エクーニゲル…)
蟻の巣に端を発する今日のクーデターまで、この国は安泰だった。皆が幸せだったのだ。私とてそうだ。王妃という立場にありながら、あり得ないほど貧相な暮らしをしていたが—ここは清貧と表するべきだろうか—、彼の作り上げた国が大好きだったのだ。
そして、そんな私たちを支えてくれたエクーニゲルも、またそうなのだ—と、信じていた。彼も必要以上の財を持とうとはしなかったし、服務において手抜かりもなく、確かに彼は今日まで、尊敬される大司教たらんと努めていた。
もっとも、彼の場合は、いささか本狂いのきらいはあったが、それでも共に歩めると考えていた。
「邪魔よ」
群がる天使の群れを一文字に斬り裂き、屋根の上を疾走する。目指すは大神殿だ。エクーニゲルはきっとそこにいる。いつも通り、大聖堂の天井に描かれた天の門の絵画を見上げながら、静かに佇んでいることだろう。
(全く、やってられないわね)
斬っても斬っても、敵は次々に現れる。その全てを相手にしている暇などない。素早く視線を巡らせ、僅かな隙間を認めると、縫うように駆けた。
「ふぅ、やっと抜けたわ」
ようやく天使の群れを通過し一息つく。
チラリと背後を振り返れば、天使は追ってきていなかったが、代わりに見知った顔を認める。女神教の修道服に身を包んだ娘だ。名前はソングロント。お腹を痛めて産んだ、愛おしい我が子である。
「…あら、貴女から会いに来てくれるなんて、嬉しいわ」
「…お久しぶりで御座います、王妃陛下」
ソティは慇懃に礼をすると、ゆっくりと顔を上げる。美しく育ったものだと思う。全体的な顔立ちは私に似ているが、優しげな目元は父であるベロートにそっくりだった。
「元気にしていたかしら?」
「はい…その、国王陛下と第三騎士団の副団長様は?」
他人行儀な話し口なのは、家出の際に唾を吐き捨てていったためだろうか。素直に、父と兄は?—と聞けば良いのに。変なプライドが邪魔をしているらしい。変わらないわね—と、苦笑した。
「無事よ。ここにはいないけれど。あ、ブルーはもうすぐ来るわよ?既に破呪も済んでるわ。パパは…エクーニゲルを仕留めなくては、破呪も解呪も無理そうね」
私の言に安堵したらしく、ソティの肩が僅かに下がる。家族のことを気にしてくれたのは嬉しかったが、母の身を案じてくれないのは寂しかった。なので、子供のように拗ねてみることにした。
「ねぇ、ママのことは気にしてくれないの?」
「面倒くさ…こほん。王妃陛下には呪いも呪術も効かないので御座います。案ずるだけエネルギーの無駄で御座います」
今、最初に何かを言いかけた気がしないでもないが、それはひとまず置いておく。確かにソティの言う通り、私には呪いの類は通じない。
けれど、万が一だってあるのだ。もしかしたら、エクーニゲルの呪印は強力で、私の呪いの坩堝を貫通することもあるかもしれないではないか。それがどうだ。この娘は案じるどころか、エネルギーの無駄だと言って退けた。そこまで言われては面白くない。頬を膨らませて猛抗議する。
「もう!そういう言い方はダメよ!確かに私には呪いも呪術も効かないけれど、娘の心遣いはとても効くのよ!せっかく会えたんだから、優しい言葉の一つくらいは欲しいわ!」
「エクーニゲルの元へ向かうので御座いますか?」
けれども、優しい言葉の一つもないばかりか、ソティは私の発言を無視する。これは抱きつき、頬擦りの刑に処してやろうか—と思わなくもなかったが、顔付きは真剣そのものだ。茶化さずに応じておくことにする。
「そうね。彼に真意を問い質してくるわ。…そのまま退場してもらうつもりよ」
「そうで御座いますか…お供しても?」
よほど同行したいのか、途端に甲斐甲斐しく両の手を合わせて尋ねてくるソティ。これほど現金な娘は市井でも見たことがない。誰に似たのやら。
(これがこの子の処世術なのかしら…要矯正だわ…)
自分が可愛いことを理解した上での、あざとい仕草だった。しかし、残念なことに私には効果がない。上目遣いのお願いなど、同性には通用しないのだから。
「…はぁ」
「お願いで御座います」
瞳を潤ませるソティだったが、いかに可愛い娘の頼みといえど、聞けぬものもある。エクーニゲルと交わされるであろう会話は、ソティに聞かせる訳にはゆかないからだ。
そもそも、彼女はまだ弱い。レベルは相当なものになったと報告を受けているものの、まだまだ荒削りで格上には通用しないとの報告も同時に受けている。私と肩を並べるには、経験不足だろう。
「ダメよ。皆のところに戻りなさい。今の貴女では、足手纏いにしかならないわ」
少しだけ心が痛んだが、事実は事実としてはっきりと伝えておく。ソティが幼少の頃の記憶だが、この子は言葉を誤魔化したり飾ったりすると、勘違いからなのか、隠し事をされたと理解して拗ねているのか、あらぬ方向へ暴走するきらいがあったからだ。三つ子の魂百までという格言もある。きっと、今でもそれは変わっていないことだろう。
「ね?分かってちょうだい」
言い含めようとしたその時、風が凪いだ。ふと誘われて視線を町へ向ければ、夥しい小鬼の群れが天使を呑み込んでいた。何よあれ!?—と驚き、空いた口が塞がらなくなる。敵なのか味方なのかすら分からず、どうすべきか当惑した。
「…………………御座います…」
小鬼に気を取られて、ソティの言を聞き逃してしまったらしい。顔を伏せたままで何か言っていたようだが、最後しか聞き取れなかった。
「え?何?何て言ったのソティ?」
慌てて尋ねると、ソティは顔を上げる。その眉は吊り上げられており、口はへの字を描き、不機嫌であることをありありと語っていた。
「くそったれめで御座います!」
「…ええ…くそったれ—って…」
口汚く罵って満足したのか、踵を返すと、さっさと帰ってゆく我が娘。そっちには小鬼が—と声をかけようとしたが、ソティから見えていないはずはない。分かっていてやっているのだろう。上げかけていた手を下ろした。
「…はぁ」
表面的には慇懃だが、その実、相当に腹黒い—という報告も受けていた。数年に渡りソティと共に過ごした、信頼おける部下からの情報だ。それを信じていない訳ではなかったが、久しぶりの会話で、くそったれはないだろう。一体、誰に似たのだろうか—と、眉間を揉んだ。
「…和解の道は遠いわね」
まあ、考えるまでもなく私に似たのだろう。遠去かる背中を見つめていると、自然と笑みが溢れる。愛おしい娘が自由気ままに過ごしているのは、親としては嬉しいものだ。あの子は少し感性が他者とずれているせいもあるが、王女として過ごしていては、あのように己を開放することもままならなかったに違いない。
異端審問官として活動していることを知った時には、流石に引き戻そうと画策したが、結局逃げられてしまった。
けれど、結果だけ見れば、それで良かったのかもしれない。腹黒を拗らせられては、王女という立場上、面倒なことにしかならなかっただろうから。
それに、直近の報告では、最近は随分と丸くなってきたとも聞いている。まだしばらくは、アエテルヌムの仲間と共に過ごさせても良いだろう。
「じゃあ…そろそろ私も行こうかしら」
小鬼の群れは未だに増え続けているようにも見えるが、どうにも王都の正門側から湧いているように見える。となれば、やはり味方なのだろうか。いや、どちらにしても、この場はモスクルらに任せたい。エクーニゲルとの決着は、余人のいないところで付けたいからだ。
「うん。信じているわよ。モスクル、デンテ」
踵を返すと、緩んだ頬は自然と引き締まった。ここから先は、母ではなく、王妃でもない。十天として—否、パリカーの一人としてエクーニゲルと対峙することになるからだ。この顔は、誰にも見せる訳にはゆかない。ブルーやソティは元より、愛するベロートにも。
「エクーニゲル…いえ、アパオシャー。真意を聞かせてもらうわよ」
屋根を蹴り、家屋から家屋へと飛び移る。三つも邸宅を跨ぐ頃には、既に最高速へ達していた。瞬く間に貴族街が過ぎ去ってゆき、次第に慣れ親しんだ王城が近くなるも、そこで進路を左に取る。目的地は大神殿だ。長い付き合いのアパオシャーは、そこにいると確信があった。
—ストン—
膝を折って着地の衝撃を殺し、徐に立ち上がる。私が降り立ったのは大神殿の中庭だ。一頻り周囲を見渡しても、人っ子一人見当たらない。この辺りには誰も配していないらしい。好都合だが、女神教の総本山たる大神殿とはいえ、いつもの賑わいがないだけでも随分と草臥れて見える。
後ろを振り返れば、大神殿の象徴とも言うべき塔門があった。けれど、塔門はものの見事に崩れていた。
(あら?町は修復されていたんじゃなかったかしら?)
モスクルらの会話を盗み聞いた限りでは、王都は一度、粉々に破壊されたらしいのだ。けれど、いざ突入してみれば、隅から隅まで完全に復元してあった—ということだったはずである。確かに町は綺麗に復元されていた。ならばどうして塔門だけは、破壊されたままであるのか。
(まあ、どうでもいいわね)
考えても仕方ない。開かれたままの正門から堂々と中へ入れば、そこはすぐに吹き抜けの大聖堂だ。カツンカツンと木霊する足音が、まるで小気味良いメロディを奏でているかのように感じられて、思わず聞き入った。
(…大聖堂って…こんなだったかしら?…いえ、違うわね)
常であれば、すぐに目を奪われる荘厳な大聖堂だが、この日には何の畏れも抱かなかった。それもそのはず、私の知る大聖堂とは明らかに違ったのだ。
記憶の中では威容を誇った精緻な細工を刻まれた柱も壁も、つるりとした簡素なものに代わり、多彩な彩を湛えるはずの美しいステンドグラスは、見たこともない模様であるばかりか、色合いは悪く濁って見える。変わらないのは、天井に描かれた天の門だけだった。
「…エクーニゲル…」
「…」
エクーニゲルは予想通り、大聖堂の真ん中に佇んでいた。身動ぎ一つせずに天を見つめる彼の姿は、そこだけ切り取ると聖人にしか見えない。
けれど、そんな彼の背後には、夥しい数の死体が転がっている。そのいずれもが苦悶に顔を歪めていた。何があったのかは知らないが、彼の中で許されない行いをしていた者達なのだろう。
「…綺麗でしょ?」
「…また天の門の話?…ええ、綺麗ね」
「…いえ。内装の話でしょ」
口を開いたかと思えば、いきなりこちらの予想を裏切ってきた。何故、まじまじと絵を見つめていて、内装の話など振ってくるのか。本当に、この男の思考は読めない。
「先代の教皇は馬鹿な男だったでしょ。これほど美しく価値ある大聖堂を悪戯に改修してしまった。ゴミゴミした目の痛くなる飾り付けに模様。下品にも程があるでしょ。何故、シンプルの美が分からないのか。大聖堂には天の門があるだけで良いでしょ」
「…そう…」
かけるべき言葉も見つからず、適当に流した。どうやら、大聖堂は改修前の状態に復元したらしかった。言われてみれば、かつて大聖堂の塔門は、壊れていたのだ—という話を聞いたことがあったかもしれない。
「その人たちは?どうして殺したの?」
内装云々はもう十分だろう。次の話題へ歩を進めることにする。エクーニゲルの背後で高く積まれた死体の山を尋ねれば、エクーニゲルは、ようやくこちらに視線を向けてきた。
「…人は、試練を乗り越える度に、強く美しくなってゆくものでしょ」
はあ?—と声を荒げそうになるのを、ぐっと堪えた。殺した理由を尋ねているのに、ポエムみたいな自論を展開されたのだ。全く意味が分からない。
しかし、どうやら彼の話はまだ終わっていないらしく、何か続きそうではある。黙してエクーニゲルが口を開くのを待つ。
「…だから、死んでもらったでしょ」
「…聞きたいところが見事に抜け落ちているわね…」
相変わらず話の成立しない男ね—と、眉間を揉む。私が知る限り、この男はエクーニゲルと称する前からこうだった。きっと、ずっとこの調子であったに違いない。
「どうして殺したのか聞いているのよ。訳分かんないこと言ってないで、ちゃんと答えて」
「…自らの足で立とうとせず、他者を害することにのみ心血を注ぎ、不平不満は人の倍こぼす。そのくせ、命根性だけは汚く、助かるためなら肉親や兄弟、果てには我が子まで差し出す屑だね。…生きてる価値ないでしょ?」
「要するに、貴方の美学に反しているから殺したの?」
「…端的に言えば、そうなるでしょ」
不毛な議論と言えなくもない問答は、ようやく決着を迎えた。さて、どうしようかな—と視線を落とす。聞きたいことは他にもある。こんなことをしでかした真意を問わねばならないし、ベロートのこともある。けれど、何よりもまず一当てしたかった。
「はぁ…貴方と話すと疲れるわ」
「んふふ、そうかね?…で?やるんでしょ?」
ゆっくりとこちらに向き直りながら、分かってる—とばかりに微笑むエクーニゲルの手元へ視線を向ける。そこには、いつの間に取り出したのか、一冊の本が握られていた。
「そうね。少しばかり暴れたいわ。…最近、大人しくし過ぎていたから」
背負った大鉈の柄を肩越しに握り、一気に上へと引く。留め具が外れ、大鉈の重みが肩ではなく腕に感じられるようになった。
「お手柔らかに頼むでしょ。何と言っても、今の私は人と同程度の力しか出せないからね」
「ふふ。これだけのことをしておいて、よく言ったものだわ」
腕をゆっくりと下ろし、大鉈を眼前へと持ってくる。エクーニゲルは既に準備が整っているらしく、手を広げれば、握られていた本は独りでにページが捲れていった。
「行くわよ」
言い終える前に、床を蹴って加速する。己の声を追い抜くかの勢いでエクーニゲルへと突っ込み、勢いそのままに振り下ろした大鉈は、大神殿の床石を大きく陥没させた。
「ふむ…ヒヤリとしたでしょ」
エクーニゲルは大鉈の僅かに左、私の正面に立っている。焦りを感じさせる台詞とは裏腹に、彼は未だに優しげな微笑みを浮かべていた。躱したのではない。私の大鉈の軌道が逸らされたと見るべきだろう。
「ふっ!」
腕力に物を言わせ、大鉈を横に薙ぐ。しかし、これもエクーニゲルの頭上を掠める結果に終わる。屈んで躱されたのではない。私の鉈が、斜面を滑るかのように、軌道を逸らされていた。
「そろそろ、絡繰がバレてしまうかね」
先ほどまでよりも低いトーンの声に、危険な色を見て背後へと回り込む。エクーニゲルは己の正面—先ほどまで私がいた場所—へと向けて、右手を上げようとしているところだった。
「これならどうっ!」
回転の勢いを利用して身体を捻り、再び横薙ぎを叩き込む。先ほどまでの様子見ではなく、かなりの力を込めた一撃だ。踏み込んだ床石は砕けて沈み込み、食いしばる歯はギリギリと音を立てている。
—バチィ—
今度は滑らなかった。しかし、エクーニゲルを仕留められた訳でもない。大鉈の刃は、エクーニゲルの持ち上げられた右腕の下に潜り込み、脇を食い破ろうとしたところで止まっていた。その刃の辺りに、薄らとだが膜のようなものが認められる。魔力による壁だった。
「…おやおや?」
今し方こちらに気が付いたかのように振り返ると、脇の大鉈へと視線を落として笑うエクーニゲル。ちっ—と舌打ちしつつ距離を取った。
「相変わらず早いでしょ。全く目で追えないね」
ゆっくりと振り返りながら、私の素早さを褒めるエクーニゲルだが、わざわざ言葉を返してやる気にはならなかった。
私の視線は、慌ただしくエクーニゲルの全身を駆け巡っていたからだ。白い手袋、手にした本、靴の先から眼鏡に至るまで。しかし、どれもこれも魔道具ではない。ならば服の下にでも隠しているのだろうか。いや、この男はそんな姑息なことはしないだろう。あれは魔術だ。魔法陣すら展開しない、完全無詠唱による防御魔術を行使しているのだ。
「…それ、何なの?何かの魔術かしら?」
「…君も話を聞かないよね。人のこと言えないでしょ」
あろうことかエクーニゲルに言われると、かなりのショックを受けた。目眩を感じて大鉈に体重を預ける。思わず、素直に詫びてしまった。
「…ごめんなさい。先の発言なら、聞いてなかったわ」
「…そんなに私は酷く思われていたんだね。ちょっと泣きそうでしょ」
私の言に肩を竦めるエクーニゲルの顔は、本当に悲しげだった。ちょっとばかり悪いことをしたな—という思いが押し寄せると、少しばかり熱も引く。少しペースを落として、会話に興じてみる気になった。
「ねえ、エクーニゲル」
即座に横を通過して、通り抜け際に大鉈を振るう。
「何かね?」
それまでとは打って変わり、エクーニゲルは大鉈を屈んで避けたばかりか、電光石火により加速した私のすぐ背後を追随してきた。
「あら?何が目で追えない—よ。性格悪いわ」
エクーニゲルが持ち上げた手の平から、無数の炎が生まれ、襲いかかってくる。防御魔術と同様に、完全無詠唱の魔術だった。床石を踏み砕き、空へ逃げるも、炎の玉は弧を描いて軌道を変えると、なおも私の身を焼こうと迫る。
(これは厄介ねえ)
追尾性能を持たせた魔術というものは、今日まで、夢のまた夢—と言われてきた。簡単なものは存在する。対象の魔力を追跡して、自動で若干の軌道を修正するものだ。けれど、これはそんなレベルの魔術ではない。運動方向を逆転させ、向きを変えて私を追尾してくるのだ。エクーニゲルという男は、魔術という一点においてなら天才と言えよう。
「何故、こんなことをしたのか。その真意を教えて。誤魔化さずに」
大鉈を振るい、柱を足場に跳び歩き、無数にも思える炎の玉の追撃を振り切る。エクーニゲルもまた私の後を追いかけてきていたが、炎の玉が全てなくなるまでは、手を出すつもりはないようだった。
「貴女は、この世界をどう思われているでしょ?」
「…?」
支柱に取り付き、最後の一つを跳んで躱す。炎の玉は支柱にぶち当たると、焦げ跡を残して消えた。そのまま空中で身を翻し、エクーニゲルの頭上から斬りかかる。今度のエクーニゲルは、躱すではなく受けるつもりであるらしい。手のひらをこちらに向けると、不適に笑う。上等よ—と、最高速からの一撃をお見舞いした。
「貴女は、この世界の真実を知らないでしょ」
先ほどよりも勢いの乗った一撃は、もう間もなくエクーニゲルの手を喰い破るといったところで勢いが削がれていた。まだ一歩、足りないらしい。そのまま空中で大鉈をくるりと回転させ、身を捻りながらの横薙ぎへと繋ぐ。予想通り、エクーニゲルの展開する魔力障壁に阻まれ、反動で隙を晒すことなくエクーニゲルから距離を取ることに成功した。
「何よ、勿体ぶって」
着地と同時に床を蹴る。ガキン—と、後方で床石が鋭利な何かを生やしたのが分かった。
「私たちは知っているでしょ。そして、それに抗うべく、活動しているでしょ。これは、その一環でしょ」
肝心なところをぼかすのは、意地悪なのか、はたまた親切のつもりなのか。ふぅん—と適当に相槌を打ちながら、大鉈を横薙ぎに振るう。これもやはり、手のひらをかざされると、傷の一つも付けることなく止められた。
「…攻撃と防御を、同時には行使できないわね?」
手首を捻り大鉈を横に倒し、大鉈の腹に肩から体当たりする。ぬっ—と僅かに力んだエクーニゲルへ向け、空いた左手で右腰の鉈を抜き放ち薙ぐ。読み通りならば、これは通ると考えていたのだが、この一撃は彼が手にしていた本によって防がれる。パキン—と甲高い音を立てて、鉈は根元から折れた。
「ふむ…おしい。正解まであと一歩でしょ」
折れた鉈をエクーニゲルへと投げ付け、宙返りで距離を取る。エクーニゲルは持ち上げていた手をそのまま私にかざすと、再び炎の玉を撃ち出した。
(あと一歩?これはきっと、見当外れだったわね)
着地と同時に床石を蹴る。即座に加速すれば、炎の玉が眼前へと迫る。けれど、問題はない。腰を落として床石を滑り、炎の玉の下を通過する。炎の玉は、私の背後で床石に吸い込まれていった。
「はは…とんでもないでしょ」
呆れ声の中には、僅かな焦りと喜色が混ざっているように感じた。
「ふっ!」
体勢を立て直しつつ、電光石火で正面から仕掛けるも、これは防がれる。想定内だ。
「させないでしょ!」
即座に疾風迅雷で背後に回り込み、身体強化を施して大鉈を横薙ぎに振るう。しかし、これは本が防いでいた。エクーニゲルは方向転換の真っ最中であり、その手には既に炎が形を成している。
「いいえ。そろそろもらうわ」
電光石火は神速の一撃を放つスキルだ。直進しかできないため、私から言わせれば、距離を詰めるのにしか使えない技である。そして、疾風迅雷は電光石火と違い攻撃に対する補助はない代わりに、ある程度の方向転換を行える神速の移動スキルだ。通常、スピード勝負の軽戦士といえども、この二つしか有さない。けれど、私には三つ目のスキルがあったりする。
「疾風怒濤」
エクーニゲルの手が上がり始めた時、既に私はエクーニゲルの背後へと回り終えていた。完全にこちらを見失ったであろうエクーニゲルだが、その顔は肩越しに振り向きつつある。私の動きが捉えられていた訳ではあるまい。おそらくは、ここにも何かしらの魔術が忍ばせてあるのだろう。
(けど、遅い!)
大鉈を全力で振り下ろす。エクーニゲルの瞳が私の姿を捉え、驚愕に彩られる。私の大鉈が振り下ろされるのと、エクーニゲルの両腕から火柱が上がったのは同時だった。




