王都奪還戦 その四
「アシュレイ、来てくれたか」
「このバカタレ〜」
駆けつけるや、笑みを浮かべるアイマスへ向けて長杖を振るう。ガァン—と良い音が鳴り響いたが、アイマスはノーダメージであるらしい。溜飲は下がらなかった。
「な、何するんだ!?」
「すぐに狼煙を上げろ—って言ったろ〜!なんでお前らは人の言うことを聞かない〜!?このバカタレ〜!」
大して痛みもしないであろう頭を兜越しに摩りながら、アイマスは悄気る。長い付き合いであるため、何となく彼女が何を考えていたのかは分かるつもりだ。おそらく、遠慮して出来る限りは己らで何とかしようとしたのだろう。
「…お前の気遣いはいつも裏目に出るんだから〜、変に気を回すな〜」
「…す、すまない…」
今のは気遣ったつもりの言葉だったのだが、余計にアイマスを凹ませてしまったらしい。ここ最近、失敗続きの彼女だ。これ以上、失敗を繰り返されて、さらに落ち込まれてもかなわない。今回は、これで許してやることにした。
「さっさと行く〜」
「あ、ああ…」
王宮や大神殿のある貴族街を指差して、邪魔者を追い払う。アイマスとソティは素直に従ったが、マコトが目を丸くして反論してきた。
「ちょ、ちょっと待って!アシュレイ、一人でやるの?クルスさんは?」
「んん〜?いらね〜。私一人で十分〜」
「ダメだよそんなの!私達も手伝うから!」
マコトは食い下がり、彼女が胸に抱いたアーサーさんもプルプルと震える。由香里とクシケンスの二人は、一歩下がった場所で苦笑していた。
「…マコト、行くぞ。アシュレイの邪魔になる」
「邪魔!?邪魔って…」
アイマスが肩に乗せた手を振り払い、不満げな瞳で私を見つめてくるマコト。そんな目で見つめられても、本当のことだから仕方ない。もっとも、その心遣いは嬉しく思う。
「精神耐性の低い奴は、いるだけで邪魔〜。ま〜、私に任せなって〜。フラミールなんて楽勝だっての〜」
「…信じられない…」
だからこそ、心持ち優しい声音を心掛けたのだが、マコトは死んだ魚のように光のない目で見つめ返してくる。信じられないそうだ。日頃の行いを思い返せば自業自得なのだが、さすがに私を侮り過ぎだろう。
(なら、安心させてあげるしかないか〜)
マコトから視線を外し、フラミールの本体を探す。元々、彼女の戦い方は酷く大人しいが、これほど話し込んでいても魔術の一つも飛んでこないのは、こちらを警戒してのことだろうか。
(お?いたいた〜)
遠目に見える水車小屋に、僅かに魔力の淀みができていた。おそらくは、次なる幻覚を仕込みはじめているのだろう。あれを容易く粉砕してみせれば、マコトも安心するに違いない。双眸に魔力を込めれば、何とか魔眼の届く距離であるらしく、魔力の淀みはたちまちのうちに炎の属性を帯びる。
(…ま、死にはしないでしょ〜)
このまま魔眼を発動させて、フラミールを殺してやしまわないか?—と逡巡するも、腐っても十天だ。問題なかろう。一気に魔眼に魔力を込めれば、爆音と共に水車小屋は砕けた。
「っ!?」
マコト達は慌てて振り返ると、火を上げて燃え盛る水車小屋へ向けて構える。フラミールの仕業とでも思っているのだろう。その真剣な顔が可笑しくなって、思わず笑った。
「あっはっは〜」
「ア、アシュレイ!?アシュレイがやったの!?」
私の大笑に、誰の仕業か気付いてくれたらしい。水車小屋と私との間で視線を往復させながら、マコトは素っ頓狂な声を上げる。何がどうなったのか、分からなかったのだろう。
「…ま〜、そういう訳だからさ〜。ここは私が適任なんだ〜。昨日の会議は聞いてたろ〜?フラミールなら完封できるっていうあれ〜、嘘じゃないから〜」
「…でも…」
なおも訝しげな視線を向けてくるマコトだったが、ユカリが私の心情を慮ってくれたらしく、マコトを強引に担ぎ上げた。有難い。あまり私の魔眼のことは、見せたいものでもないし、話したいものでもない。以前に語った内容も半分は本当だ。そのまま未来予知とでも思っていてくれればいい。
「ちょ、ちょっと!由香里っ!?降ろして!」
もがくマコトも意に介さず、ユカリは苦笑する。その表情には、深慮があった。マコトもそうだが、向こうの世界の住人達は、本当に心根が優しいと思う。
「いつか、ちゃんと聞かせてあげてくださいね?マコトは貴女の弟子ですよ?」
「あはは〜。まあ、そのうちね〜」
私の答えは満足ゆくものだったのか、マコトを担ぎ上げたまま、ユカリはさっさと走り出す。その後ろには、不安げな顔で私を見つめるソティとクシケンスが続く。アイマスだけは、未だにきまり悪そうな顔で突っ立っていた。
「…ほれ、さっさと行け〜。薄鈍〜」
「…あ、うん…その、すまん…」
一言詫びた後には、アイマスもユカリ達の後を追う。その寂しげな背中を見て、流石に言い過ぎたかな—と、頭をかいた。
『アシュレイ様、援護が必要であれば、念話を』
(…へいへ〜い。真面目だね〜)
アエテルヌムが去ったことで、ようやく舞台が整ったと見たのだろう。後方で待機するクルスから念話が届く。チラリと背後を一瞥するが、一面に広がる麦畑のはるか先には、何軒かの家屋と小屋があるばかりだ。クルスがどこにいるのかは分からなかった。
(見えない位置からの狙撃かあ〜。頼むから〜、私のことは撃たんでくれよ〜)
『ふふ。善処するであります』
私の口にした冗談に返ってきた冗談は、少しばかり怖気を感じるものだった。撃たれてはかなわない。さっさとフラミールを捕獲してしまおう。
(じゃあ、本格的にやりますか)
ゆっくりと歩き出し、周囲の魔力の流れを探る。フラミールが魔眼を使おうとすれば、どうやっても周囲の魔素に影響が出る。私はその流れに向けて、己の魔眼を発動させれば良いだけだ。
「はぁ〜ん、今度はそっちか〜」
先に燃え上がった水車小屋ではなく、その隣の納屋に、不審な魔力の淀みを感知する。移動したにしては芸がない。囮だろうと判断した。
(…あれは単なる魔力の淀みだろうね〜。本命は別—っと〜)
俄かに周囲を見回せば、蛞蝓の這った後を思わせる魔力の残滓がどこまでも続いているではないか。これはやられた—と、慌てて背後を振り返った。
—ガキン—
フラミールはすぐ背後にいた。振り下ろされた短剣を長杖で受ける。魔眼を発動させるも、魔力の淀みは見えない。
(本人!?)
更に振るわれる短剣は身を屈めて避け、お返しとばかりに杖の石突きで突く。フラミールはこれを半身になって避けたが、靡く袖が僅かに焦げているのを認める。これは間違いなく本人だろう。
「フレイムロード」
「させない〜」
高揚のない声が魔術の発動を告げるも、魔法陣が広がる前に、術式に介入し書き換える。地を這う炎の魔術は、属性をそのままに、爆発の魔術へと置き換わった。
—ドォン—
爆風に晒されて大きく吹き飛ばされながらも、フラミールの姿を探す。フラミールは前に出てくるようなスタイルの戦い方はしない。じわじわと幻覚や傀儡で弱らせ、そのままトドメをさす。本人は一度も姿を見せないばかりか、切り札すらも最後まで温存しておくのがフラミールだ。そんな彼女が仮に姿を見せるとすれば、それは勝負を決めにきた瞬間に他ならない。このまま畳みかけてくるつもりに違いなく、一度仕損じた程度で引き下がるとは思えなかったのだ。
「そこ〜!」
急速に収束してゆく魔素へ向けて、魔眼を発動させる。魔力へと変じかけていた魔素は、再び爆発の魔術へと置き換わる。ドォン—と炎の花が咲いた後には、圧力波が押し寄せてきた。これが並の者ならば勝負あったことだろう。しかし、彼女はそれに当てはまらない。今のは遠隔制御によるものだろう。私の起こす爆発を利用して、更なる粉塵を巻き上げた隙に、フラミールは再び攻勢に出るべく仕掛けてくるに違いない。
(本体はどこ〜?)
アエテルヌムを安心させるためとはいえ、少しばかり余裕を見せ過ぎたらしい。フラミールはすっかりと支度を終え、万全でもって私に挑みかかってきている。対する私は魔術の一つも練り上げておらず、ここは防勢に回らざるを得なかった。まずは一旦凌ぎ切り、仕切り直しにことを運ぶしかない。
「はん〜、ちょうど良いハンデだよ〜!そこっ!」
いくつも作られた魔力の塊を、片っ端から爆発させる。攻撃を目的として置かれた魔術は一つとてなかったかもしれないが、土埃により詳細を窺うことなどできはしない。全て破壊する以外に手はなかった。
—バキン—
足元から音がして、慌ててその場から跳び退く。眼前で鋭利な石槍が突き上がり、鼻先を掠め眼鏡を吹き飛ばした。やってくれる。
(眼鏡は高級品なんだぞ〜。ちくしょ〜め〜)
着地した先でも安心せず、二歩、三歩と後ろに下がる。案の定、更なる石槍が私を串刺しにせんとして、足元から襲いかかってきていた。石槍を回避した後には、即座に身を翻して背後から伸びてきていた腕を掴む。そのまま捻り上げて押し倒せば、それはフラミールではなく、その辺に倒れ伏していたはずの王都民だった。
「なっ!?」
これには驚いた。慌ててその場を離れ、周囲の様子を窺う。幸いなことに追撃はなかった。伏していた魔術を使い切ったものだろう。どうやら凌ぎ切ったらしい。私もいくつかの魔術を練り上げて、待機状態にしておく。ここからが本番だ。
(…セ〜フ)
押し倒されてから立ち上がる様子のない王都民をチラリと見る。ピクピクと痙攣を起こしてはいるが、命に別状はなさそうだった。正当防衛とはいえ、あれで命を奪ってしまっては目覚めが悪い。そのまま起き上がってくるなよ—と、念じておいた。
(あのバカ…毒で動かない身体を無理やり動かさせるなんて…)
王都民達は、アーサーさんの毒でももらったのか、皆が痙攣を起こしている。今し方の男もそうだ。それであるのに、男は襲いかかってきた。フラミールが無理やり動かしたに違いない。厄介だ—と、思わず舌打ちした。
(王都民は爆発させる訳にもいかないしな〜)
先の男の身体にも、僅かながら魔力の淀みは見えている。各関節を覆うようにいくつも配された魔力は、男を動かしていた術に他ならない。どこかに大元の魔法陣があり、自動か手動かは知らないが、遠隔制御しているのだろう。
(これだからフラミールは厄介なんだよな〜)
アエテルヌムを使い、早々にフラミールを見つけ出すことには成功した。この術者は、泥仕合であればあるほど強い。それは、今し方見せたように、動けない者ですら戦力として扱えるからだ。死体だろうがなんだろうが、僅かな魔力で兵に仕上げてしまうのである。そんな奴に、余裕がなくなってから出張られては堪ったものではない。そのため、今回のアンラ攻略戦においては、フラミールの発見、捕獲にかなりの重きを置いていた。
(…あ〜。抜けていたなぁ〜)
しかし、一つの可能性を見落としていたことに気が付き舌打ちする。私のみならず、モスクルらも失念していたに違いない。王都民の存在である。王都民がフラミールの操り人形として、襲いかかってくるであろう可能性を見落としていたのだ。私達が想定していた状況は、ただ漫然とフラミールやブルーツが立ち尽くして私達を待ち受ける図だ。エクーニゲルが如何程の術者か知らないが、彼の操り人形という時点で、フラミールの強みはほとんど消えるものと高をくくっていたのである。それが思考の幅を狭めてしまったらしい。
(そうだよな〜、せっかくの手駒が無数にあるんなら〜、使わない手はないよな〜)
王都民や騎士団がフラミールの操り人形と化す可能性を見落としたのは、私が大言を吐いたせいもあるだろう。仕方ない。実際、一対一なら楽勝なのだから。
『クルス〜、ごめ〜ん。出番〜』
やむなく念話を飛ばす。クルスは事細かに報告することだろう。その時、何がクローディアの中にある私の心象を悪くするか。考えるまでもなく判断能力だ。ならば、あるものは使うくらいは許されるだろう。少なくとも、私はそこにマイナスの評価は下さない。
『承知しました。何をすれば?』
どこにいるかも分からないクルスに念話を飛ばせば、程なくして承諾が返ってくる。簡潔に状況を伝え、もしも王都民達が近付こうものなら、命を奪わないよう配慮しながら、遠慮なく撃ち抜いてもらうことにした。難しい要請にもかかわらず、クルスはこともなげに承知してくる。頼もしい限りだ。
『クルス〜。私の専属にならな〜い?給料いいよ〜?』
『ふふ。有難い申し出でありますが、アシュレイ様の目当ては、私の作り出す武具でありますね?それはダメでありますよ』
『ちぇ〜、バレたか〜』
軽口を交わし合い、最後に練り上げた魔術を手のひらで覆い隠す。私がストックした魔術は四つ。後は無詠唱で放てる簡単な魔術と魔眼。私の武器はこれだけだが、群がってくる王都民さえいなければどうとでもなる。準備はできた。
『んじゃ〜、よろしく〜』
『承知であります。射線上に粉塵を巻き上げぬよう、留意願うであります』
クルスの念押しに頷きを返し、姿の見えぬ同僚を探して歩き出す。柄でもないが、たまには名乗りを上げるのも面白かろうと思われた。
「私は十天が一人〜、天眼のアシュレ〜イ。かかってこいや〜、フラミール〜」
ビョオ—と、魔力的な圧を伴う風が巻き起こるのを、魔眼をもって爆破する。その爆風に紛れて飛んできたのは、ファイアボールだ。これは魔眼で排除するまでもない。身を屈めて躱しつつ、土煙の中へと飛び込み腰だめに杖を振るう。予想通り、フラミールはそこにいた。彼女らしからぬ感情の抜け落ちた表情が、酷く可哀想に思えた。
—ギャリ—
フラミールは短剣で杖の軌道を逸らす。けれど、こちらもそれを見越していたため、杖には力もまともにはこめていない。代わりに、左手を突き出した。
「逃がさない〜」
「…」
ストックさせていた魔術を放ったのは、同時だった。私が放ったのは、ウォーター・ビスカス。極めて粘度の高い水球を生み出す魔術である。対して、フラミールの放ってきた魔術は—
「っ!!」
驚きよりも怒りを感じて目を剥く。まさかのフレイム・ブラストだった。七芒星を用いた火属性の高等魔術である。その効果は、魔法陣を貼り付けた場所を起点として、炎の渦を噴き上げる—という、極めて殺傷力の高いものだ。その魔法陣は、あろうことかフラミールの手のひらに設置されていた。発動すれば私のみならず、フラミールとても火傷では済まない。考えるまでもなく、骨の芯まで焼け爛れ、煤煙を立ち上げることだろう。
(巫山戯んな〜!)
即座に魔眼を発動し、フレイム・ブラストの魔法陣を書き換えた。ただし、ウォーター・ビスカスの魔法陣もだ。私の魔眼はこういう細かい制御が利かない。目に映った全ての魔力は、爆発を引き起こすにたる量があれば、片っ端から描きえられてしまうのである。
結果、超至近距離での爆発を喰らうことになる。こういった事態は常に想定される状況であるため、備えは万全であり、私には大したダメージもないことだろうが、決して面白いことではない。不快感に顔を引きつらせながら、魔力の壁を作り出した。
—ドゴォン—
ウォーター・ビスカスは五芒星であるのに対して、向こうのフレイム・ブラストは七芒星である。そうなれば、当然、魔法陣へと込められる魔力は向こうの方が大きく、それは爆発の規模にも影響する。吹き飛んだとんがり帽子を拾い上げ、粉塵を風で流すだけの時間を与えても、フラミールは上体を起こしたばかりだった。
(忌々しいな〜)
フラミールを見た限りでは、身体強化を施して爆発を乗り切ったらしい。腕を痛めたようで、右腕の動きがぎこちない。むしろ、その程度で済んだことは幸運以外の何者でもないのだが、もう一つの見落としがあったことに気が付いてしまい、苛立ちから歯噛みした。
(クローディアに出会えたことで〜、ちょっと浮かれてたのかな〜)
こちらはフラミールを捕獲するつもりであるのに対して、向こうはこちらを全力で殺しに来ている。それも、己が命すら顧みず。当然だ。自意識がないのにセーブするはずがない。そんな簡単なことすら見落としていた。
『アシュレイ様…』
『…は〜、大丈夫だよ〜。信じろって〜』
自分で言っていて吹き出しそうになる。己の発言の何と心許ないことか。例えば、この場にいたのがアイマスだとすれば、私は先の台詞など微塵も信じないことだろう。きっと、どこかでこの状況を観察するクルスもまた、同じことを考えているに違いない。
(論より証拠だね〜)
ならば証明する他あるまい。完封こそ逃したが、ここから先はワンサイドゲームであり、もはやフラミールの見せ場などないのだと。
(とはいえ〜、迂闊に近付けんしな〜。となれば、これだな〜)
ストックしていた魔術を二つ放棄して、新たに組み直す。敵は己の損害など目もくれずに攻撃魔術を放ってくるのだ。ならば近寄らないのが最善策だが、それでは試合に勝って勝負に負けたようなものだ。クルスの報告を聞いたクローディアは、渋い顔を作ることだろう。そんなのは許せない。
ならば、やってやろうではないか。魔術は片っ端から魔眼で粉砕し、かつ、文句を言わせない接近戦にて仕留める—否、仕留めては不味いので、動きを止めるのだ。
(…何で接近戦〜?)
接近戦で制さなくては負けた気がして、どうしたことか?—と考え込む。理由はすぐに分かった。最初にフラミールが接近戦を仕掛けてきたからだ。やられたらやり返せの精神である。
(アイマスのこと笑えね〜)
さて、ニヤニヤしている内に、魔術のストックは終了した。フラミールの方も準備が終わったらしく、相変わらずの無表情でゆっくりとこちらに向かってくる。あまりにも隙だらけの仕草に、何かあるな—と即座に視線を巡らせれば、黒焦げた麦畑の至る所に魔力の淀みが発生している。ここに来て、初めてフラミールに違和感を覚えた。
(…なんだ〜?いつの間にこんな…私でもこんな真似はできないぞ〜)
魔力の淀みは、少しずつ円を広げるかのように拡散してゆく。これは放置できるはずもなく、即座に全て爆破した。魔力の淀みそのものは非常に小さく、大した爆発にはならない。パンパン—と、至る所で小さな土塊が跳ねたのみに終わった。
(…七芒星…違うな〜…三方陣と四方陣の組み合わせか〜…アースクエイクだね〜)
破壊痕は、ちょうど魔法陣を描くのに適した配置になっており、その特徴的な配置は、土魔術のアースクエイクを用いようとしているものと考えられる。土属性を示す属性文字を基点とした四方陣には、集積と振動の制御文字を印し、それを強化する三方陣を配するものだ。
(…でも〜、やらせないけどね〜)
私の魔眼を利用して魔法陣の種を仕掛けたことは見事だが、向こうが動くまで待ってやる義理もない。即座に駆け出し、正面から杖を振るった。
「インパクト!」
フラミールのはるかに手前で振り下ろした杖は、大地に衝撃を走らせフラミールの足を止める。ちょこまかと動かれてはかなわないからだ。読み通り、何の対策もしていなかったフラミールは振動に足を取られ姿勢を崩した。
余談だが、この魔術は無属性の魔力波を対象に叩き付けるだけの簡単なもので、私クラスにもなれば、無詠唱で即座に繰り出せる。殊更にストックしておく必要もないため、実践的な魔術と言えよう。その分、魔力の出力に威力は依存するため、相手の姿勢を崩すほどの威力を求めるのは、極めてMP消費が大きくなったりする。だがしかし、リターンを考えれば、はるかにプラスであろう。
「バインド!」
私自身も振動により片膝をついているが、フラミールに手を伸ばして魔術を発動させることくらいはできる。四方陣による土魔術のバインドは、敵の足元を土で覆う魔術である。私はこれを四方陣ではなく、六芒星に変えて、より強固に土を固める運用を好む。ストックさせていた魔術の一つだ。両の手を大地につけていたフラミールは、その手足を瞬く間に土へ覆われ、身動きが取れなくなった。
(これで終わってくれれば〜、楽なんだけどなぁ〜)
己の甘えた思考に苦笑しつつ、フラミールめがけて駆ける。敵は仮にも十天の一人だ。手足を封じた程度で終わる相手ではなく、この状況をも覆してくるものと思われる。それでも、こちらは対術者に関しては無類の強さを誇る魔眼を持つのだ。負ける道理など微塵もない。
「っ!」
フラミールの手足に魔力が収束してゆくのを捉えた。これは予想外であり、大いに慌てる。何をするつもりなのか、全く知れなかったからだ。ただただ魔力を集めただけでは、当然、魔術など発動しない。出来ることといえば、魔力を爆発させて逃れることくらいだろうか。
(けど—)
それをやれば、フラミールの手足はズタボロになることだろう。立つことはおろか、自意識が仮にあったとするならば、痛みにより、まともな思考は維持できないに違いない。私達術者にとって、それはもはや戦闘の放棄に他ならない。
(あ〜、も〜!誰だよ楽勝なんて言ったのは〜!?)
しかしだ。だからといって、魔眼により介入する訳にもゆかない。私の魔眼は、魔力の変化を感知し、それを爆発の魔術へと書き換えるものだ。爆発の威力は書き換えた魔力量に依存する。もし、今ここで魔眼を使えば、逃げ場のないフラミールは四肢を失い絶命することだろう。
「…〜んが〜!本っ当に腹立たし〜いっ!」
迷った末に、バインドは解除した。脳裏を過ったのは、私以上に気怠げなフラミールの笑顔。姉御—と、私を慕ってくるフラミールとは、日頃の付き合いこそないものの、時折ある十天の会合で顔を合わせた時などは、酒を飲み交わしたりする仲である。そんな妹分の手足を吹き飛ばす恐れがある以上、四肢の拘束は解かざるを得なかったのだ。
「ストーンランス」
「そうかよ〜!」
けれど、思いもよらない方法でフラミールは反撃してきた。土に付いた手足を持ち上げようとしないばかりか、そのまま己の手足を四方陣に見立て、ストーンランスを発動させたのだ。ザスザスと土を掘り起こし、フラミールを起点とした扇状の槍衾が出来上がる。私は既に離脱していたが、せっかく詰めた距離が再び開いたことには、忌々しさに舌打ちが出るというものだ。
『…アシュレイ様』
(…もうちょっと落ち着けよ〜)
私もそれなりに苛立っているが、後ろで見ている方はそれ以上にやきもきしているらしく、クルスから嘆息混じりの念話が届く。こちらを急かす意図で話しかけてきたのだ。
《戦場は、ここだけではないのであります》
(しゃ〜ないだろ〜。魔人族なんだから〜。けど〜、分かったよ〜)
種族を言い訳にされては、何も言えないだろう。我ながら酷いものだと思う。
これも余談だが、魔人族という種族は、クローディアのような、ごく一部の例外を除けば、途轍もなくマイペースな種族だ。それこそ多種族から見れば、なんとかしろ—と、怒りを覚えるほどに足並みを合わせようとはしない。結果、魔人族の多くは一人で引きこもれる職や、魔人族だけで形成された生活を選ぶ。他種族に合わせようとすると疲れるし、それでもやはり合わせられないからだ。人の輪に加わっても、己が辛い思いをするだけなのである。魔人族に関するハウツー本でも、世に出てくれないものか—と、嘆息するばかりだ。
「じゃあまず、土属性から縛らせてもらおうかな〜」
私が紡ぎ出したのは縛鎖と呼ばれる鎖だ。魔術における魔力の構築を妨害する呪術であり、私がストックしていた術の一つがこれである。当たるも八卦、当たらぬも八卦の使い難い呪術だが、この縛鎖は、その術の性質上、敵の魔力を知れば知るほどに精度が上がる。今日だけでも、既にフラミールの土魔術は2度も見た。グリムのように縛れないほどの膨大な魔力量でもなければ、失敗することもないだろう。
呪術陣が私を起点として広がり出せば、フラミールの目が見開かれる。魔眼が妖しく光り輝き、彼女お得意の幻覚を用いようとしているに違いない。幻覚耐性を高めた私にはそうそう通用はしないし、そうでなくとも、やらせないが。
「はいど〜ん」
フラミールの周囲で歪み出した魔力の淀みを、魔眼の力により炎の魔術へと書き換える。フラミールは即座に横に跳び退き、爆破から逃れた。
「ストーンバレット」
フラミールは咄嗟の状況下において、土魔術を多用する癖があるらしい。発生が早く、防御にも攻撃にも活用できる石塊は確かに便利だ。けれど、便利であるが故に、それ一辺倒になってはならないと私は考える。私のように、この大陸にはない呪術を用いる者とているのだから。
「…?」
「あっはっは〜。無駄無駄〜」
発動しない術に、フラミールは己の手を見つめる。大地より伸び、彼女の腕に巻き付いた鎖が、彼女の土魔術の構築を妨げているのだ。フラミールも鎖の存在に気が付いたらしく、力付くで引き千切ろうとしていた。
「いくらなんでも、そりゃ無理だろ〜」
アイマスならばともかく、私やフラミールのような魔術師に、力付くで振り解ける縛鎖ではない。ちなみに、魔力的なアプローチを仕掛けたとしても、結果は変わらないだろう。
「それじゃ〜、そろそろ本気でいかせてもらうかね〜」
新たに縛鎖を練りながら、フラミールへと駆ける。フラミールはここまで、炎、土、風の魔術を使用してきた。そのうち、炎の魔術は既に陣を展開する瞬間を目撃している。もう1回、最悪でも2回見れば、縛鎖により封じることができるだろう。
(注意すべきは魔眼のみ〜。あれを近くでやられたら〜、彼女の目を潰してしまいかねない〜)
フラミールの魔眼は、周囲の魔素へと働きかけ、幻覚を施したい対象へのパスを繋ぐというものだ。あまりにも彼女の近くで私の魔眼を発動させた場合、彼女の眼そのものを爆破してしまう可能性がある。それを防ぐ上で、彼女の懐へと入ったならば、即座に拘束する他ない。土属性に加え、炎の属性をも封じてしまえば、攻撃に特化した属性はなくなる。水や風、光や闇属性ならば、反撃を受けたとしても、すぐにはどうなることもないだろう。
「ミスト」
「うげっ!?水も使えんの〜!?」
しかし、ここに来てフラミールは水属性の魔術を行使した。可能性としては考慮していたが、よりにもよって水属性を追い込まれた状態から使ってくるなどとは、露ほどにも思っておらず面食らう。魔眼を割り込ませるチャンスも逸してしまった。
「んだよ〜!も〜!」
フラミールの展開した魔法陣から広がったのは、深い霧だ。攻撃用の魔術ではないため軽視されがちだが、視界や匂いの拡散も防ぐ霧は、逃走を図る場合に頼りになる魔術である。
「だ〜、くそったれ〜!」
すぐに辺りは霧に包まれ、フラミールの姿も消えた。逃げようとしているのだろうか。それは不味い。逃す訳にはゆかないのだ。フラミールを早々に回収することが、アンラ攻略の鍵なのだから。ここで逃げられれば、クローディアらメットーラの者達の負担は、大きく増す可能性がある。焦りが額に汗となって現れた。
(クルス〜、そっちからフラミールは見える〜?)
『…いえ。そこいら一体は、霧で何も見えないのであります。霧が出てからこっち、フラミールが霧から出てきた様子はないのであります』
クルスからの報告に、ホッと胸を撫で下ろす。フラミールは逃げてはいない。どうやら、私の魔眼対策として、霧を放ってきたものらしい。そうなると、彼女が次に打つ手は想像に難しくない。彼女の土魔術は封じてあるし、あのデンテならばともかく、この状況から有効打となり得る水属性魔術はない。風魔術も霧が飛んでしまうため、除外していいだろう。そうなると炎だが、これはおそらく使ってこない。霧が出ている状況での炎魔術の行使は、程度によっては爆発の危険性があるからだ。しかも、私を巻き込めるかは微妙なところであり、自爆したのみで終わる可能性が高い。そういう訳で、消去法で考えるなら、十中八九、倒れている王都民を動かせて襲わせてくることだろう。
(クルス〜、霧からフラミールが出てきたら教えて〜)
『承知であります。霧からフラミールが飛び出すようなことがあれば、報告するであります』
クルスと念話を終えた後には、緩みきった顔を叩いて気合を入れる。ここが正念場だ。霧で互いの状況が窺えない今、上手くすれば一気にフラミールを無力化できるチャンスであった。
(きたっ!)
僅かな足音で誰かの接近を感知して、素早く前方へと転がる。ザカッ—と良い音を立てて土を穿ったのは、王都民の振り下ろした鍬であった。危ない。
「悪いね〜。余裕はあるけど時間がないから〜、少しばかりの怪我は許してね〜」
言いながら杖を捻れば、カチッと音が鳴り、杖の中程から石突きにかけてスルリと外れた。中から姿を現したのは細い刺突剣だ。細身の剣身には不釣り合いに大きなフラーが設けてあり、中にはびっしりと術式が刻まれている。魔力武器ならぬ、呪具武器である。
「見直したぜフラミール〜。私にこいつを使わせるなんざ〜、大したもんだ〜」
『…いいから、早く捕まえてほしいのであります』
剣を構えて格好つければ、クルスの突っ込みが飛んできた。どういう訳か、私の声が聞こえているらしい。年甲斐もなく頬を熱くしながら、咳払いで誤魔化す。クルスの要望通り、さっさと決めるべく王都民へと飛びかかった。
—ガキン—
刺突剣ながら、普通の片手剣であるかの如く振り回す。王都民は剣術に覚えがあるかのような動きを見せて、器用にも鍬で私の剣を捉えたが、それこそ読み通りの動きだ。思わずニヤけた。
「ほい。一丁上がり〜」
私の剣を受け止めた男は、呪術により鍬を持ち上げるどころか、己の重量すら支えられなくなり大地に倒れ伏す。四肢の動きを封じたのだ。
これは脱力という呪術である。最低限、生命維持に必要な機能を除き、その他の筋肉は軒並み赤子レベルにまで衰えさせるという術だ。これが決まれば、動くことはおろか、満足に口を開くこともできなくなる。習得した時は、脱力?—と、術名と効果の乖離に疑問を抱いたものだが、それは置いておこう。
ところで、フラミールの魔眼は呪術に類するものであろうが、私の剣には脱力の他にも、呪術を上書きする効果も付加されている。これにより王都民はフラミールに呪術で操られていたにもかかわらず、私の呪術が効いたのだ。フラミールを無力化するためには必要な仕込みであり、王都民に意識があるならば、さぞかし辛い状況であろうが、今しばらくは辛抱していてもらおう。
(フラミールの狙いは、王都民による波状攻撃とは違うかな〜。それだと少し弱いもんな〜。もっと別の狙いがあるよね〜)
どんどんと濃くなってゆく霧は、やがて肌に水滴を貼り付けるほどに密度を増していた。フラミールが追加で霧を作り続けているのだろう。その狙いが何かは分からないが、霧を利用した攻撃を狙っているに違いない。こちらが勝負を仕掛けるのもその時となる。
—ザッ—
今度は二人の王都民が、素手のままで襲いかかってくる。難なく打ち据えて、先の男同様に転がしておいた。これで三人。万全を期すならば、もう一人、いや、二人は欲しいところだ。
(フラミールの様子は〜?)
『変化なしであります。未だに霧の中からは出てきておりません。…ところで、霧が濃くなっているようですが、問題はないのでありますか?』
(う〜ん…何か狙ってるとは思う〜。けどさ、仕掛けてきた時が最大のチャンスなんだよね〜。もう少し見てて〜)
『承知したであります』
クルスが一体どこから見ているのかは知らないが、霧の中から出てきてはいないと断言する。全てを見通せている訳もないと思うのだが、彼女は私の想像すら及ばない技術を持っている。そういった道具により多角的に監視することが可能なのかもしれない。
「ほい、もう一丁〜」
新たに姿を見せた王都民を斬りつけ、呪術で侵す。これくらい準備できれば間違いないだろう。
(いやいや〜、霧が本当に濃くなってきたね〜…霧…霧か〜…)
ふと、霧を用いて敵を仕留めようと考えてみたところ、火属性の正作用を用いた爆発か、あるいは、同じく火属性の反作用を用いた凍結が思い浮かぶ。
(この霧の濃さで爆発はないかな〜。必要になる魔力量が多過ぎるし〜。…凍結かな〜)
ぐるりと周囲を見回して、フラミールの気配を探る。もうそろそろ向こうの時間稼ぎも終わった頃合いだ。仕掛けてくるに違いない。こちらの準備も万端だ。
『フラミールが霧から出たであります!』
(っしゃ〜!ナイス〜!)
即座にストックしていた呪術を展開する。私を起点とした大型の呪術陣が広がり、足元に転がる王都民が淡く暗い光に包まれた。この呪術は、双対と呼ばれるものだ。呪術的なパスで結ばれた両者の、術的効果を入れ替えるというものである。事前に呪術的なパスを繋いでおかねば成立しない呪術だが、フラミールには縛鎖があり、王都民は脱力がある。両者は私という術師を介して、相互にパスを繋いでいるのだ。術は成った。
(ほい、勝った〜)
王都民らの腕には、薄らと土属性を封じる縛鎖が浮かび上がり、その代わりに脱力は消えた。ノロノロと起き上がろうとしたところを、申し訳ないがまた剣の腹でペチペチと叩いておく。フラミールの支配が消え、アーサーさんの拘束も弱まってきているようだが、エクーニゲルの支配からも解放されたのかは不明であるからだ。もう少しだけ寝ておいてもらうことにした。
『…霧が…アシュレイ様…何を?』
(ふっふ〜ん。企業秘密さ〜)
ゆっくりと霧が薄れてゆき、やがて、倒れ伏したフラミールの姿を捉えられるまでになれば、私は悠々とフラミールの元まで向かい、魔石を取り出す。後は、この馬鹿に向けて破呪を用いるのみだ。けれど、その前に一つ、確認しておきたいことがあった。
「…で〜、あんたは誰〜?」
「…いやいや。まいったでしょ。いつから気付いていたのかね?」
ポンポンと魔石を手のひらで弄びながら、視線だけをこちらに向けるフラミールへ尋ねる。その口が紡いだのは、フラミールよりも数段ねちっこく、いやらしい口調だった。
「ん〜?いつだろうね〜?なんとなく、おかしいな〜?—とは思ってたよ〜。操られて自意識なんてないはずなのに〜、動きが的確過ぎるんだもん〜。となれば〜、手動で操っていると考えるのは〜、自然〜」
「ははっ、これは一本取られたでしょ。それにしても、見事な手際だったでしょ。今回は君の勝ちでしょ」
満足げに笑みを浮かべた後には、再びフラミールの顔からは表情が抜け落ちる。制御を手放したのだろう。危険がなくなったことを認めてから、倒れ伏した王都民とフラミールとを交互に見て舌打ちした。
「…気に入らね〜」
どこの誰の仕業かは知らないが、遠隔でフラミールを操っていた技は、呪術に他ならない。それであるのに、私の双対が効かなかった。フラミールを操る者の術は王都民へと移動せず、フラミールに残り続けたのだ。これは、私の術が及ばないようなプロテクトをかけていたということに他ならず、私の術ではプロテクトを破るに至らなかった証左である。
そればかりか、脱力の効き目も弱く、精々が睨みを利かせてくる程度と考えていた問いかけにも、ヘラヘラと返してきたほどだ。
まだある。あっさりと勝ちを譲ったことにも納得がゆかない。まるで抵抗しようとすれば手があるかのような物言いは、歯の奥に食べカスが詰まったかのような不快感を覚えた。
(…すげ〜イライラする〜)
苛立ちをぶつけるかのように、うつ伏せのフラミールを仰向けにひっくり返すと、胸に魔石を押し当て、乱暴に魔力を流した。
「うわばばばばば!?」
「さっさと正気に戻るでしょ〜」
押し付けた魔石はアビスのものだ。貫通性に優れ、どのような障壁をも打ち破るといわれるそれは、破呪にはもってこいの代物だった。今回、フラミールとブルーツには、なんとしてもアンラ側の戦力として動いてもらわねばならず、主だった者達にはアビスの魔石が持たされている。先のいけ好かないねっとりとした口調を真似たのは、なんとなくだ。
「…あわわわわ…あれ?…姉御?どうしたの?」
「煩え馬鹿〜。手間かけさせやがって〜。さっさと立て〜」
やがて破呪は成り、フラミールは正気を取り戻した。私の呪術までをもアビスの魔石は破壊したらしく、よろけながらもフラミールは立ち上がる。チッ—と舌打ちして不機嫌をアピールしながら、フラミールへ手を貸した。
「ええっとぉ?…なんだかよく分からないけど、手間をかけたらしいねえ。ごめんねえ、姉御」
「許さん〜」
横目で睨みつければ、フラミールはようやく慌てだす。俄かに周囲を見回しはじめた。
「ええっ!?そんな殺生な。何を怒っているんだい?…それ以前に、どういう状況なのかねえ、これは?」
フラミールの表情からは、すっかりと戯けた色が消えていた。やがて、倒れ伏していた王都民に気がつくと、俄かに顔をしかめる。
「アシュレイの姉御。申し訳ないんだけどねぇ、あそこまで私を連れて行ってはくれんかねぇ?」
「…めんど〜い」
「頼むよ姉御〜」
立ち上がるには立ち上がったフラミールだが、歩けはしないらしい。仕方なく連れてゆくことにした。ずりずりと這うかのようなフラミールの足取りは、ただでさえ煮え立っている苛立ちを増幅するものだったが、グッと耐えた。大人だからではない。クルスの目があるからだ。クルスに感謝しろ、フラミール。
「どこまで覚えてる〜?最後の記憶は〜?」
「…ええと…ギルドの受付をしていたかねぇ?…あ、なんか失敗があったらしくて、がっつり叱られていたかねぇ」
時間は有限だ。特に非常時の今は。少しでも短縮するべく、フラミールの記憶を尋ねる。けれども、空目を作るフラミールからの返答は、意味不明なものだった。
「はぁ〜?ギルドの受付〜?なんで〜?」
「私ね〜、普段はアンラ冒険者ギルドの受付嬢として大活躍してるんだよねぇ。ふふふ、美猫獣人受付嬢チッコとは仮の姿。その正体は、十天が一人、幻惑のフラミール—ってねぇ」
「…チッコ〜?どこかで聞いたなぁ〜」
どうやら、フラミールは日頃、随分と下らない真似をして過ごしているようだ。長命な魔人族とはいえ、これは時間を無為に過ごし過ぎではなかろうか。思わずジト目を向けようとして、思い出した。
(あ〜、なんか言ってたなぁ〜。そういえば〜)
チッコという名に覚えがあったのは、マコトがブチブチと文句をこぼしていたからであったことを思い出したのだ。本当にチッコは使えねー—と、誰ともなしに呟いていたのが記憶の底から呼び起こされたのである。どうやら、フラミールは魔術には長けていても、実務ではからっきしらしい。
「…これ、姉御の術かねぇ?」
ようやく王都民の元へと辿り着くや否や、苦しげに呻くでもなく、なんとかしようと足掻くでもない男達を見つめながら、フラミールが尋ねてくる。魔術的な痕跡は表からは窺えないだろうにもかかわらず、即座に看破してみせたのはさすがの一言だ。
「まあね〜。お前を正気に戻すため〜。苦労させられたよ〜…楽勝だったけど〜」
「…どっち?」
私の強がりに軽く笑ってみせた後には、王都民に視線を戻すフラミール。私は先の問いをもう一度尋ねることにした。
「本当に〜、何も覚えてない〜?」
「…悪いねぇ。姉御が何を言っているのか、さっぱりと分からないよ。…それ以前に、今、何が起きてるのかも見当がつかないしねぇ。ここ、アンラだよねぇ?姉御、国家転覆でも企ててるのかい?」
どうやら、本当に何も分からないらしい。国家転覆とはなかなかに面白い冗談だが、それを本当に成し遂げようとしている奴がいるから笑えない。しかし、1からそれを語って聞かせるのも面倒だ。説明はモスクルに投げよう。話を聞く限りでは、彼の部下であるようだし。
(クルス〜)
『何でありますか?』
(撤収〜)
クルスに撤収を告げれば、承知であります—と、返ってきた。遠くに見える家屋の屋根で、チカチカと何かが光っている。どうやら、クルスはあそこにいたらしい。よくもまあ、あんな場所から状況が窺えたものだと思う。
「んじゃ、行くぞ〜」
「行くって…どこへ行くのかねぇ?」
「アンラ攻略本部だよ〜」
「…え?やっぱり…国家転覆?私は人質かねぇ?」
フラミールの言に、はぁ—と、大きく嘆息する。どうせ牛歩の如く、のたのたとしか歩けないのだ。ならば、移動の合間にゆっくり語って聞かせても良かろう。お前如きでは、人質の価値などないということを。
「どこから話したもんかなぁ〜」
勿体ぶって語り始めたが、自身の気怠げな声音には、少しばかりの喜色が混じっているのを自覚した。




