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異世界転移したけれど、さっさとお家に帰りたい  作者: 焼酎丸
第5章 アンラ神聖国に蠢く闇
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王都奪還戦 その二

「アイマス、幻術は流石に防げないんでしょ?気をつけてね」

「おう」


 由香里の労いにアイマスは頷き、サッと手で瞼を下ろす。おそらく、面ぽおを下げたのだろうが、幻術の影響により、今の私には、ゴリラが目を瞑っているようにしか見えていなかった。噴飯ものの絵面であった。


「…ププ。ダメで御座います」


 ソティも堪えきれなくなったのか、肩を震わせて笑っている。ゴリラという地球の動物を知らない彼女には、今のアイマスがどのように見えているのだろうか。


『プロテジョン・アタック。プロテジョン・マジック。クイック』

「うし!出る!」


 エンチャントをもらったアイマスが駆け出すや否や、アーサーさんの一部に穴が出来上がる。たちまち、その穴から炎が燃え上がったのは魔人族の女性の仕業であろうが、アイマスは気にせず突っ込んでいった。


「…アイマス」

『大丈夫です。私達は、私達にしかできないことをしましょう』


 ラヴァの言に頷き、既に動き始めているクシケンスへと近付く。彼女は私から見ると、巨大な蛞蝓なのだが、これはどういうイメージの現れなのだろうか。まあ、それは置いておこう。蛞蝓は器用に触覚を動かして、泥に文字を書いていた。


「クシケンス」

「…はい。周囲を漂う魔力から、この幻覚が魔術なのか、魔人族特有の魔眼の効果なのか解析しています。魔術ならば何とかできる自信はありますが、魔眼の効果であった場合は、このまま戦うしかないかと」


 声をかければ、ハキハキとクシケンスは応じる。珍しいな—とソティらと顔を見合わせるも、幻術により誰が誰なのか分からない現状では、眼鏡を外した時と同様の効果が得られているに違いない。


『…私も手伝いましょう』

「では、水を生成してみてください。魔力の反応を調べます」


 私の肩からラヴァと思わしき蝙蝠が飛び立ち、蛞蝓の頭部に留まる。何とも不思議な光景だった。


「…あれで何が分かるので御座いますか?」

「…ごめん、解析は門外漢。私にもさっぱりだよ」


 トントンを肩を叩かれソティ?に尋ねられるが、私にもさっぱりだった。ここはクシケンスの弟子と言っても過言ではない由香里の出番だろう。そんな思いから二人で熱い視線を送るも、由香里も肩を竦めた。


「…多分だけど、魔術により励起された魔素と、魔眼のような魔法に励起された魔素とでは、在り方が違うのよ。魔法陣や錬金陣、法術陣や呪術陣…行使したい術によって、陣の形は変わるでしょ?それと一緒—なんじゃないかしら?」


 分かったような、分からなかったような、微妙な心持ちになる。ん?—と首を傾げソティを見るも、ソティも理解できてはいないらしい。首を振ってみせた。


「おらぁ!」


 猛々しい叫び声に視線を戻せば、アイマスがしきりに剣を振るっているのが目に付いた。見えている訳ではなく、闇雲に振り回しているだけだろう。右に剣を振り抜いては左を。更には背後に向けて斬り上げたりと、狙う方向はてんでバラバラだ。


「がっ!?」


 そんなアイマスの身体が僅かにふらつく。目視できない攻撃は、風の魔術でも受けたに違いない。魔力こそ鎧は遮断するものの、衝撃までは遮断できないようだ。敵はどうやら、それに気がついたものであるらしく、アイマスを消耗させてゆく作戦に切り替えたらしい。


「くっ!痛くも痒くもないぞっ!」


 それでもアイマスは負けじと剣を振る。剣先に魔力を集め、四方八方へとそれを飛ばすのだ。彼女なりに、己に出来ることを為しているのである。


(…何か、私にも出来ることはないかな)


 早々にアイマスがへばることはない。けれど、見えない敵の見えない攻撃を前にしては、身体よりも先に心が折れることだろう。何か彼女の手助けになれることはないか—と考え、ハタと気が付いた。


「…ラヴァ。MAPのしきい値を落として」


 思い立ったのは、幻により窺い知れない敵の居場所を絞り込むことだ。私の要請に、ラヴァは振り返りもせずに応じる。途端に無数の敵性反応がMAP上に浮かび上がり、王都民の数の多さを思い出させてくれた。


(押されてる?)


 すぐに目についたのは、先ほどまで戦線を維持していた市街地での攻防だ。今は味方の後退が目立つようになっている。数の暴力に屈した訳ではないだろう。メットーラ兵では抑えきれない何かがあったに違いない。


(…急がなくちゃ)


 ラヴァはこの状況を理解していたはずだ。けれど、彼は何も言わない。おそらく、皆を悪戯に不安にさせまいとしているのだ。ならば、私も声を上げるべきではない。さっさと状況を打開してから、アイマスの指示を仰げばいい。


(これが幻術空間…)


 幸いなことに、脳内に描かれるMAP魔術の映像には、幻覚が現れていなかった。ただ、上空から俯瞰、あるいは鳥瞰した図であるため、これを視界の頼りとすることは難しい。けれども、私の探し物には役立つだろう。私達を取り巻く幻術は、MAP上では赤い渦となっていた。


(うっわ…何が何やら…でも、いるはずなんだ)


 幻術空間の中に、アイマスの攻撃から逃れるかのように動く紅点を探す。あるいは、まるで台風の如く渦巻く幻術空間の中で、その中心となる台風の目だ。アーサーさんを信じてMAPと格闘することしばし、ついにそれと思わしき赤い点を認めた。


「そこっ!」


 即座に腰の矢筒から矢を引き抜き、番えて弦を引き絞る。間違っても頭部を射抜かないよう、狙いは下げて撃つ。私の射った矢の後には、驚くべきことにソティが続いた。


「ちょっと!事前に言ってよ!」


 アーサーさんがアーチ状の穴を作り、矢とソティを通過させた後には、慌てて由香里が蔓人間を操作する。穴から敵が侵入してこないように、カバーに入ってくれたのだ。


(頭には間違っても当たりませんように!)


 しかし、私は礼を言うでもなく、射った矢の行方のみに気を配っていた。これで頭部を撃ち貫いてしまったら、私はきっと吐く。良心の呵責に耐えられず寝込んでしまうことだろう。


—パキン—


 プラスチックの板でも割れたかのような、何とも軽い音が聞こえた。かと思えば、視界を狂わせていた魔力の渦が立ち所に消え、正常な視界が返ってきたではないか。幻術を打ち破ったのである。私の射った矢は、魔人族の女性の手を貫いていた。


『ナイスです!真!』

「クシケンス!畳み掛けるわよ!」

「…は、はいっ!」


 その姿が捉えられるようになれば、もはやこっちのものだ。鬼を思わせる形相でアイマスとソティが迫り、ラヴァ、由香里、クシケンスの3名に加え、アーサーさんまでもが触手を伸ばす。これは決まった—と、勝利を疑わなかった。強いて言うならば、アイマスとソティがここまでの憤りを叩き付けて、女性を殺しやしないかと、少しばかりヒヤッとしたくらいか。


「…え?」


 しかし、私の思いは裏切られる。前後から同時に繰り出した、アイマスの斬撃と、ソティの刺突が不自然に軌道を変えたのだ。二人は、魔人族の女性ではなく、アーサーさんの触手を打ち払った。駆け出そうとしていた私のみならず、由香里らも足を止める。


「ちょっ!?」


 何してんの!?—と声を荒げようとしたところで、由香里の蔓人間が私の前に立ちはだかる。何の真似か分からなかったが、トス—と軽い音が聞こえたことで理解できた。そのまま仰向けに倒れる蔓人間の頭部には、投げナイフが突き刺さっていたのだ。いつの間にやら、私めがけて投げられていたらしい。


「…え?」

「真!ボケッとしない!」


 眉間に短剣を生やした蔓人間を、青くなりながら見下ろす。由香里の反応が遅ければ、今この場に倒れ伏していたのは己だった。先ほどまで女性の頭部を射抜く恐怖に駆られていた胸中は、目を見開き横たわる私の絵で塗り潰されていた。


「下がって真!クシケンスも!」


 アイマスらから覆い隠すように、更なる蔓人間が私達の前方へと並ぶ。アーサーさんはその内の一体へと取り付いた。


『二人が操られてます!』

「そそそ、そんなっ!」


 ラヴァの言に慌てふためくクシケンスだったが、親の仇でも見るかのような顔付きで、二人はこちらへとゆっくり迫ってきている。少なくとも、正気でないことは疑いようがない。そして、その背後には、手から矢を生やした魔人族の女性が控えている。目は虚にして痛がる素振りもなく、闇雲に突っ込めば、三者は万全をもって私達へと襲いかかることだろう。


「ヤバいわね…ソティの早さには対応しきれないし…アイマスの鎧は、私達と相性最悪よ…」


 苦々しく呟く由香里の言に、大いに慌てる。私では、ソティの放つ短剣に反応できないことが先の一幕で知れている。その上、直接的な攻撃魔術では、ダメージを与えることが敵わないアイマスまでも敵に回ったとしたら、私、ラヴァ、クシケンスの3人では太刀打ちできない。手があるとすれば、由香里の腕力に期待するくらいか。


「ののの、狼煙!狼煙…あげましょう!」

「そそそ、それだっ!」


 クシケンスに言われて、狼煙のことを思い出す。慌てて鞄を漁り狼煙を掴み取ると、迷うことなく火を付けた。


「真!」

「ひっ!?」


 由香里の声に視線を向けると、眼前に迫る鈍色の輝きが見て取れた。ソティの鉈に違いない。蔓人間の障壁など一切意に介さず、突っ込んできたらしい。全くもって信じられないが、これがソティだ。


(ヤバい、躱せない)


 萎縮しているのか、脳がパニックを起こしているのか、視線だけは刃先の動きをなぞるものの、身体は微動だにしてくれない。僅かに悲鳴を漏らすことしかできなかった。


「うっ!」


 思わず目を瞑り、衝撃に耐える。しかし、待てど暮らせど、何ら痛みは襲ってこなかった。あれれ?—と、恐る恐る瞼を持ち上げてみれば、ソティは黒いゼリーに絡め取られ、宙ぶらりんになっているではないか。何が起きたのか俄かには分からなかったが、ゼリーの先を追ってゆけば、アーサーさんの仕業であることが知れた。力が抜けた。

 

“ソティは厄介だからね。はい、頭叩いてあげて”


 そんなことが書かれた木板を下げると、代わりに触手で巻かれたソティを突き出してくるアーサーさん。洗脳系の技能や魔術は、何かしらの魔道具でも用いていない限り、軽い衝撃を頭部に与えれば解除できることが多い。けれど、術者がなかなかに侮れないことを思えば、そこそこ強めに叩いておいた方がいいだろう。凄い形相でこちらを睨んでくるソティに、ごめん—と詫びながら、それなりに力を込めて頭を叩いた。


「…この恨みは忘れないので御座います」

「…恩でしょ、バカ」


 しばしの間があった後、ソティの表情は自然なものへと戻る。どうやら、己を取り戻してくれたらしい。アーサーさんに解放されたソティは、落ちていた短剣を拾い上げると、忌々しげに魔人族の女性を睨み付けた。


「あれに近付いてはダメで御座います。全く抵抗できなかったので御座います」

「オーケー。牽制は任せて。アイマスの方をよろしく」


 アイマスもまた、ソティ同様に操られている。今は彼女を抑えようとする由香里に向けて、剣を振るっていた。アイマスもアーサーさんに抑えさせれば良いのでは?—と考えたが、魔力を完全反射する死霊騎士(デュラハン)の鎧を身につけられている現状では、アーサーさんの触手が機能しないのだろう。由香里を守るのも一苦労していた。


“手加減しようとすると、あの武具は滑って掴めないんだ。溶かしていいならなんとかなるけど”


 私の内心を読み取ったかのような木板が掲げられる。やはり考えた通りであった。闇属性の魔力生命体であるスライムのアーサーさんにとって、今のアイマスは鬼門とも呼べる相性の悪さなのだ。当然、溶かしていい訳などあろうはずもないため、こちらでどうにかするしかない。


「行かせない!」


 そんなアイマスの補助でもするつもりなのか、魔人族の女性がゆっくりとアイマスの元に寄ろうとするのを、矢を射って止める。アイマスを殺さずに生け捕ろうとする由香里は、蔓人間をフル活用して、ようやくアイマスと渡り合えている状況だ。いつも情けない姿を晒すことの多いアイマスだが、それは私達を守るべく矢面に立つからであり、その実力はかなりのものである。ソティが増援に向かったとはいえど、邪魔をされては天秤が簡単に傾いてしまいかねない。


『続きなさいクシケンス!』

「は、はいっ!」


 私が射った魔力の矢に追随して、ラヴァとクシケンスの作り出した炎が飛ぶ。魔人族の女性は、ゆっくりとこちらに向き直った。


—ゴオッ—


 しかし、私の矢も、ラヴァらの炎もが、まるで女性を慮ったかのように飛散した。なんだよそれは—と歯噛みする間もなく、攻守は逆転する。


『真!』

「ふっ!」


 咄嗟に身を捻り、短剣を振るう。ギャリ—と音を立てて、魔人族の女性が振るう短剣を凌いだ。いつの間にやら背後に回り込まれていたらしい。まるでソティのような早技に、それまで女性が立ち尽くしていた場所をチラリと見れば、そこにも女性は佇んでいるではないか。驚き、目を見開く。魔人族の女性は今、私の目の前と、後方との二ヶ所—否、視線を巡らせれば、私達を取り囲むように何人も佇んでいた。


「え?…なっ!?」

「ぶ、分身!?」

『惑わされてはダメです!これも幻術です!』


 クシケンス、ラヴァらと背中合わせになり、死角を作らないように努める。弓は一旦背中に背負い、短剣と短杖に持ち替えた。MAPを見ても、先ほどとは違い魔力の渦は見えず、敵性反応の真偽も区別がつかない。これにはまいってしまった。


「げ、幻術ったって…どうしろってのさ!」

『考えます!とにかく、凌ぎますよ!』


 私達アエテルヌムは、レベルの高さ故に、魔物や野盗といった、力押しの通じる相手には滅法強い。けれど、その反面、搦め手には弱い傾向がある。それは経験不足故の引き出しの少なさからくるものだ。実戦経験が豊富な者はアイマスとソティの二人であるが、彼女らは術者ではない。故に、レベル差があれば話は別でも、搦め手を十八番とする術者相手には致命的に相性が悪かった。

 

「フレイム・テンペスト!」


 だからと言って、大人しくやられるつもりはない。描くのは八芒星の魔法陣。炎の属性を中央に印し、八つの頂点に置く制御文字は、風の属性文字と強化の制御文字だ。単純ながら範囲が広く、単純故に発動も早い攻撃魔術である。


「補助します!」

『炎の鎧よ!』


 私達を起点として円状に広がる炎の嵐は、クシケンスの錬金陣により増幅され、敵味方関係なく焼き尽くす。熱で由香里らが焼かれないように、ラヴァが耐火魔術を付加した。


—ゴオオオオ—


 荒れ狂う熱風の通過した後には、黒く染まった大地のみが横たわる。倒れ臥す王都民はアーサーさんが守ってくれているが、通常であれば、耐火防御なくしては生き延びることは敵わない。皮膚はおろか肺まで焼け焦げ絶命は必至だ。魔人族の女性とて、もしかすると為す術なく黒焦げになるかもしれない。それでも、事ここに至っては、手加減などできる状況ではなかった。やらなければ、こちらがやられるのだから。


(なんてのは…淡い期待だよね…)


 実際、これで終わるとは思えない。幻術を操る魔人族の女性。まず間違いなく、彼女こそがフラミールその人だろう。となれば、私などよりもはるかに高位の魔術師に他ならない。この程度を防ぐことは造作もないに違いなかった。


「…どうだ?」


 八芒星の詠唱破棄は流石に堪える。ラヴァは炎の鎧を付加していたため、私一人での高位魔術行使だ。荒い息を吐きつつ周囲を見れば、私達を取り囲む女性は、依然として健在だった。一人として欠けることなく、明後日の方向を見つめている。


「だめか…」

『くっ!…魔眼の絡繰さえ分かれば…』


 ラヴァの弱音に喉を鳴らす。あのラヴァですら攻め手に困る相手というのは、彼の顕在化から初めてのことだ。攻撃魔術に特化した私としては、現状では打つ手がない。自嘲気味に口を利くのが精一杯だった。


「…やっぱり…十天…なんだろうね…いやになるよ。ちょっと強過ぎじゃない?」

「フ、フラミール…さん…です、かね?」

『ええ…これほどいいようにあしらわれては、もはや間違いないでしょう。そうでなくては、自信を喪失してしまいます』


 ラヴァも私と同意見であるらしい。全く、本当に嫌になる。今年は厄年に違いない。どうしてこうも、洒落にならない相手と連戦させられるのか。


「痛っ!?」

「クシケンス!?」


 突如、クシケンスが足を押さえて蹲る。何が起きたのか!?—と理解するよりも早く、私も同じ痛みを味わうことになる。


—ゴリ—


 己の足元から、何かを削ったかのような音が聞こえ、思わず視線を落とす。そこには、大地から持ち上がり、私の足を貫通する石の小槍が赤い輝きを放っていた。


「ああっ!」

『真!?』


 私もクシケンス同様に蹲り、痛みに歯を食いしばる。なんとか足を引き抜こうとするも、槍には返しが付いており、力引き抜くことがかなわない。ならば、魔術を—と考えたが、それもダメだった。詠唱できないのだ。痛みのせいもあろうが、多くはパニックに陥っていたためだ。考えがまとまらず、どうする?どうすればいい?—と、自問する以外の言葉が浮かんでこなかったのである。


『幻術です!落ち着きなさい!貴女達には傷一つありません!立ちなさい!』


 ラヴァの言を聞いても、足の痛みは引かない。それどころか、次第に痛みが増してゆく気さえした。幻術だろうがなんだろうが、痛いものは痛いのだ。


(来るっ!フラミールが来るっ!…ぐぅぅ…痛っ)


 それでも、何とかして立ち上がろうと足掻く。ここでやられる訳にはゆかない。元の世界に帰るのだ。両親と妹に、成長した己の姿を見てもらうのだ。涙を流しながら笑う両親と、大きくなった妹。そんな三人に囲まれる絵を想像して、勇気を振り絞ると、痛みに備えて歯を食いしばった。


「うううあああ!」


 両手で足を掴み、力の限り引っ張る。痛い。とにかく痛い。あまりの痛みに涙が溢れ、口からはぶくぶくと泡が溢れている。それでも、抜け出さなくてはならない。早く立ち上がり、フラミールを止めるのだ。


『…ダメだね』


 そんな私の覚悟を根っこからへし折ったのは、フラミールではなく、底冷えする声音の念話だった。ラヴァのものではない。彼は、間違ってもこんな声を出さない。


(…ア、アーサー…さん?)


 怖かった。MAPの中で、グリムもかくやと思われる赤い円が、アーサーさんを中心として広がってゆく。まるで己の背後にいるのは、優しい葛饅頭とは全く別の生き物のように感じられて、振り返ることができず、足を押さえたまま唇を震わせた。濃厚な闇の魔力が辺りに満ちてゆき、気が付けば、足を貫いていた小槍も消えている。アーサーさんの魔力が幻術を打ち払ったのだろう。


『彼女は…ちょっと手強過ぎるね。可哀想だけど、拘束は無理そうだ。ここで討つしかない』


 次いで聞こえた声に、慌てて振り返る。いつも温和な葛饅頭は、日頃の余裕が嘘のように消えていた。愛くるしいゼリーのようなフォルムから感じられるのは、それまでの頼もしさではない。絶対的な死だ。彼もまた超常の域に籍を置く魔物なのだ—と、その時初めて認識した。


『…どうにもなりませんか?』

『うん、ちょっと無理かな。皆には悪いけれど、彼女は僕がやるよ』


 そう告げたアーサーさんは、徐に動き出す。倒れ臥す王都民を触手で後方へと並べたかと思えば、唐突に魔法陣を展開した。


『…ごめんね』


 描かれた魔法陣は反転四方陣。土属性の属性文字を基点としており、強化・集積・硬化・変形の制御文字が刻まれている。


「コラプス…」


 土を集める集積、固める硬化、形を整える変形、そしてそれらの制御を一段階高める強化。このうち、集積、硬化、変形は反転制御を行うことにより、その性質を変化させる。分散、軟化、変質だ。コラプスとは、大地を毒性の沼地へと変じる魔術であった。


「何してる!離れろ!」


 背後から首根っこを引っ張られて振り返れば、私のことを引きずっているのはアイマスだった。どうやら正気に戻ったらしい。その横には、ぐったりするクシケンスを抱えた由香里に加え、頬を腫らしたソティが、難しい顔で佇んでいる。視線の先にあるのは、アーサーさんだろうか。


「ア、アイマス…」

「ボサッとしてるな!何かヤバいぞ!アレ!」

 

 アイマスに引き起こされ、そのまま引っ張られる。うわ—と足を縺れさせながらも、何とか走った。


(コラプス…コラプスって…アンラはどうなるの?)


 アイマスの言う通りだ。彼女の読み通り、コラプスは危険な代物である。程度によっては有毒ガスまで発生させ、辺り一面は草木の生えない不毛な湿地帯へと変わり果てる。その結果、負の魔素に引き寄せられ、数年も待たずして、不死系魔物(アンデッド)の跋扈する瘴気に満ちた土地を生み出す魔術だった。


「ヤバいなんてもんじゃない…あれじゃ、アンラがっ!」

「お、おいっ!?」


 何とかしてアーサーさんを思い留まらせなくては—と、アイマスの腕を振り切り、アーサーさんの元へと駆ける。アンラは第二の故郷だ。それが毒の沼地になるなど耐えられるものではない。それに何より、ここまでずっと優しく私達を守ってくれたアーサーさんに、そんな真似はしてほしくなかった。


『真!?』

「真っ!」


 ラヴァと由香里の制止も無視して、アーサーさんを抱きしめる。やめさせるのだ。なんとしても。


「待って。お願い…何とか、何とかするから」

『そうは言うけどね、君達では力不足だ。何とかできるとは思えない。僕も…彼女とは相性が悪いし、手を拱いていられるほどの猶予もない』

「…それでも、何とかする…お願い」


 ギュ—と強く抱きしめて懇願する。アーサーさんは何も返してこない。ただただ私に抱かれていた。背後からガチャガチャと喧しい足音が迫ってくる。アイマスだろう。私を引き戻しにきたのだろうか。けど、その時はアーサーさんも連れてゆく。この手を離しなどしない。離してなるものか。


「うらあっ!」


 けれど、私の想像通りにはならなかった。アイマスは私達の横を通過すると、そのまま飛び出して剣を振るう。その後には、僅かな熱気が頬をかすめた。フラミールが炎でも飛ばしてきていたらしい。アーサーさんのせいで、すっかりとフラミールの存在を失念していた。


(世話かけてごめん、アイマス)


 アイマスには申し訳ないが、アーサーさんのやろうとしていることに比べれば、フラミールの存在など些事でしかない。今はこのとんでもスライムを止める方が先決だ。力一杯アーサーさんを抱きしめて、思いの丈を伝える。もう負けない—と。ややあって、アーサーさんがプルリと震えた。


『…分かったよ。僕の負けだ。もう少し、一緒に足掻こうか』

「アーサーさん!」


 アーサーさんから噴き出す闇の魔力が消えた。喜色を浮かべて目を開けば、反転四方陣から反転七芒星陣へと姿を変えようとしていた魔法陣は、ゆっくりと魔素へと還ってゆくところだった。それを認めて、コラプスよりも更にヤバい何かが出ようとしていたのだ—と、初めて知った。本当に危なかった。とんでもないスライムもいたものである。


「…勝算はあるの?」

「近付けないのは痛いので御座います」


 困り果てたようでいて、それでいて安堵の色を浮かべた由香里とソティがやってくる。アーサーさんを抱いたまま振り返れば、二人は結構ボロボロであることに気が付いた。アイマスに手酷くやられたらしい。


「由香里、お疲れ様。ソティもボロボロじゃん。珍しいね?」

「そうなので御座います。アイマスときたら、本気で殴ってきたので御座います。頭がもげるかと思ったので御座いますよ?これは、お説教待ったなしで御座います」

「わ、悪かったよ…」


 私達の前で剣を構えるアイマスは、振り向きもせずに詫びてくる。アトリアから良いところのない彼女だが、そろそろ挽回してほしいところだ—などと上から目線で語るつもりもないが、こんな事態になったのは、彼女が狼煙を渋ったせいでもある。励ましの言葉には、皮肉っぽいニュアンスを込めておこう。


「なら、期待してるよ。アイマス」

「任せろ—と言いたいところだが…あれはどうすればいい?死霊騎士(デュラハン)の鎧でも防げんぞ?」


 肩越しにこちらを一瞥すると、早くも弱音を吐くアイマス。確かにそうだ。死霊騎士(デュラハン)の鎧は万能だが、それを装備するアイマスは万能でも無敵でもない。魔力を反射する鎧を着ていてなお、幻術にかかったり、洗脳されたりしているのだから。けれど、そのアイマスのおかげで、何となくだが、フラミールの攻撃の正体は掴めた気がした。


「フラミー—」

「目を、見ては…いけま、せん…」


 私が言おうとした言葉は、目を覚ましたクシケンスに奪われた。ぬお!?このヤロー!—と頬を膨らませながらも、クシケンスの発言を補足する。


「彼女の魔眼は、目を合わせることで発動するんだと思う。視線を合わせることで魔力パスを繋げる魔眼…それが彼女の魔眼の正体じゃないかな?」

「ケ、ケイタイと…同じ、原理…です。そこには…魔力耐性なんて、関係…ない、でしょう」


 私の説明だけでは首を傾げていたアイマスだが、クシケンスの更なる補足には理解の色を示した。おかしいな。そんなに分かりにくかったろうか。


「…私は先ほど目を合わせておりませんが、それでも操られたので御座いますよ?」


 不思議そうに首を傾げるソティには、由香里が応じた。


「それこそ幻術でしょ?目に見えている光景が全てではないってことね」


 由香里と視線が交わったので、頷いておく。その整理で合っている気がする。しかし、そうなると、かなり厳しい戦いだ。今、目の前に見えているフラミールは本物であるとは限らないばかりか、目を合わせないようにしても、どこに本物の目があるのか知れたものではない。もしかすると、何もないと思っている場所に、彼女の目はあるかもしれない。つまり、対抗する手段などないに等しい。


「でも、やるしかないじゃん」

「そうね。真がやるって言っちゃったしね」


 けれど、私達は誰も悲愴感を漂わせていたりなどしない。期待しているよ—と、アーサーさんも応援してくれた。


「うし。なら、第2ラウンドだな!」

「アイマスはもう、前に出ないでほしいので御座います」

「わ、悪かったってば…」


 アイマスが小さくなって詫び、皆で笑う。いまいち締まらないが、これが私達だ。いつものアエテルヌムなのだ。


「やるぞ」

「当然で御座います」

「うん」

「お返しはしなきゃね」

「…はは…」


 もう、不思議と負ける気はしなかった。全員で頷き合った後は、フラミールに向き直る。フラミールは相も変わらず沢山おり、めいめいが明後日の方向に視線を彷徨わせていたが、私達の意識が己に向いたのを感じ取ったのか、ゆっくりと顔をこちらへ向けてきた。


「ソティ、同時に前には出るな。私が前に出ている時は下がれ。私が操られたら、即座に殴ってくれ」

「お安い御用で御座います。その代わり、私が操られた時は、お願いするので御座いますよ?」


 古株の前衛二人には、私達にはない信頼がある。まるで男同士の友情を思わせる関係は、少しだけ羨ましく感じた。


「まずは私が出る」


 そう告げて、ズンズンと歩き出したアイマス。援護するべく弦に指をかけるも、彼女が剣を振り上げるよりも早く、フラミールの一人が頭を跳ね上げた。かと思えば、そのまま霧散するではないか。


「…え?」

「うん?」


 何が起きたのか分からず、目を丸くしてフラミールを見る。二人、三人—と、次々にフラミールは消えてゆく。それが銃撃であると理解できたのは、ラヴァに教えられてのことだった。


『クルス…アシュレイも…』


 後方を見つめながら呟くラヴァに倣い、私も振り返る。目を凝らせば、確かに豆粒サイズの何かが、家屋の屋根を飛び移りながら、こちらに向かってきているような気がした。


—チュイン—


 ボケッとクルスら?を見ていたのだが、そんな私の頰のすぐそばを、音を立てて何かが通過してゆく。銃弾だろう。おおお—と、笑い出す膝を抑えることができなかった。わざとだろ、今の。間違いなくクルスの仕業だ。


「ははっ、来てくれたか!…うし!もう少しだけ耐えるぞ!」


 心強い増援に、アイマスが盾を打ち鳴らす。魔物でもないフラミールに挑発が効くものかと思ったが、フラミールはアイマスへと向き直った。もっとも、向き直った先から眉間を撃ち抜かれ、消えてゆくのだが。


「何とかなったわね」

「…う、うん」


 由香里に手を差し伸べられ、笑う膝で無理やり立ち上がる。いつの間にか、へたり込んでいたらしい。先の頰を掠めた銃撃のせいもあるかもしれないが、強力な味方が参じてくれた安堵のせいもあるだろう。これまでは押さえ込んでいた恐怖が、今になって一気に吹き出してきたのだ。ガタガタと歯の根を合わせることがかなわず、由香里に苦笑された。

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