真、メットーラを訪問する その六
「…それって…」
クローディアの手にする腕時計に目が釘付けとなる。こちらの世界には腕時計など存在しない。ならば、あれは私が生まれ育った世界の物に他ならないからだ。
「小坂係長の腕時計ですね?」
隣の由香里が声を発したことで、なるほど—と理解した。あれは男物だ。ならば、小坂の私物に他ならないだろう。
「オサカ…カカリチョウ?」
ところが、クローディアは首を傾げる。え?違うの?—と慌てて由香里に視線を向けるも、由香里は何一つ焦ってなどいない。あれは小坂の物なのだ—と、確信があるらしかった。
「ええと…カカリチョウって…なんじゃ?」
「小坂の役職です。彼は私達の同胞で、私の勤めていた会社の上司に当たります。直属ではありませんが、他部署において係長という役職に服しておりました」
「…ふむ。なるほど」
由香里の説明に、クローディアは得心いったらしい。係長という言葉の意味が分からなかったようだ。無理もない。係長に該当する役職など、こちらの世界にはないのだから。強いて言うなら、騎士団など小隊長などがそれに当たるだろうか。
「まあ、これは複製品じゃがの。ほれ、見てみぃ」
そう言って手渡された腕時計は、由香里が受け取った。
「どう?」
「…彼が付けていた物を模して作ったのですか?」
尋ねるも、由香里は一瞥しただけで腕時計を私に渡してくる。何かおかしなところがあったのか?—と腕時計に視線を落とせば、材質から何から、見知った腕時計とは違った。父親の腕時計は金属物であっため単純な比較はできないが、ベルトは想像していたよりも弾力がある。魔物の皮を鞣して作ったものらしい。デジタル時計のつもりであるようだが、表示は電気ではなく、魔力によるものに違いない。
「…おそらく。と言うのも、どうやら本物は、影も形もなく燃え尽きたらしい。それは、こういう物を作ってくれ—という願いを形にしたものじゃ。本物はわしも見たことがない」
「…そうですか」
クローディアが首を振れば、やや落胆したかに見えた由香里だったが、すぐに表情は引き締まった。確かに、この腕時計は本物ではない。けれど、腕時計が存在する時点で、私達の同胞がここにいることは間違いないだろう。ここがオサカ邸ということも踏まえれば、この部屋の主人は、由香里の探し人である、小坂帯刀本人である可能性が極めて高い。
「これを見せてくれたということは、話す意思がある—と、受け取って良いのですよね?」
「そうじゃな。とはいえ、わしから口を開かねば、どこまで話して良いかも判断つくまい。わしは、この時計の持ち主が、異世界から迷い込んだ—というところまで聞いておる。もしかすると、そやつ以外にも、この世界へとやってきた者がいるかもしれん—ということもな」
徐に語った後、クローディアは椅子を勧めてきた。彼女自身も机から椅子を引っ張ってきて腰を下ろす。由香里に倣い、礼を告げてから手近な椅子に腰を下ろした。
「この腕時計の持ち主は、小坂帯刀…そうですね?」
腰を下ろすや否や、ストレートに尋ねたのは由香里だ。真っ直ぐにクローディアを見据え、はい—以外の返答は認めないとでも言わんばかりの表情を見せていた。
「オサカ・タテワキ…まあ、そうじゃな。彼奴のフルネームは、確かにそんな感じじゃった」
けれども、クローディアは返事を濁す。由香里の目が早くも細まり、これは一触即発の流れか?—とヒヤヒヤしたが、そうはならなかった。
「落ち着け。まず、わしの言い分を聞いてほしい」
「…聞きましょう」
由香里の怒りを感じてか、クローディアが素早く制する。由香里は持ち上げかけていた腰を再び下ろすと、クローディアへ視線を戻した。
(…こわぁ〜)
《ちょっと、何かあれば、貴女が由香里を止めるのですよ?ビビってちゃ困ります》
(いや、無茶言うなよ)
ラヴァの言う通り、由香里がクローディアへと掴みかかりそうな動向を見せた場合、それを止めるのは私の役目なのだろう。けれど、怖い。蚤の心臓は、既にこの場から逃げ出したいと、しきりに訴えかけてきているのだ。何事もないことを祈るくらいしか、今の私にはできない。
「まず、わしらが知る男は、平時はオサカと名乗っておる。この家屋を購入する際、タテワキ・オサカというフルネームを知った。あやつがフルネームを使用した、最初で最後がその時じゃ。お主らの知るオサカと、わしの知るオサカが同一人物とは限らん。それを念頭において、聞いてほしい」
「…はい。続けてください」
まるで面接官を思わせる由香里の物言いに、高等学校の受験を思い返す。しどろもどろに志望動機を語った私だったが、他の面々に比べて、実に稚拙な動機だったと思う。よくもまあ、合格できたものだ—と、今更ながらに感じた。
「あやつは同胞がこちらに来ている可能性を考慮しており、ユカリ・タカダという女性。そして、あるいはもう一人。黒髪黒目の女を仲間に探らせておった」
「はい」
これは私も知っている。再生者の5人の話だ。何故、本人が探さないのかは不明だが、再生者は私達を探して、3年近くも大陸を行ったり来たりしていたらしい。
「何故、オサカ本人が探しに出なかったか。そこに、わしが明言を避ける理由がある」
「…はい」
物々しいクローディアの物言いに、僅かに身を硬くした由香里。そんなに緊張するな—と、クローディアは破顔するが、緊張しているのはクローディアのせいだ。私のジト目に気が付いたクローディアは、笑顔にやや渋みを加えて、続けた。
「実はの、わしらは途轍もない敵と対立する立場にある。その者共は、何人いるかも、どこに潜んでおるかも分からん。ただ、確実に人の世に紛れておることは間違いない。故に、目立つ真似ができぬのじゃ」
「途轍もない敵…」
クローディアの言に脳裏を過ったのは、見たこともない大司教エクーニゲルだった。後ろ姿なのか、正面から見た絵なのかも分からないシルエットだけの彼は、くい—と眼鏡の位置を正す。
「…それ、本来この世界と関わりのない小坂には、何も関係ありませんよね?何故、それが小坂の情報を隠すことに繋がるのですか?」
「…お主…大人しいイメージじゃったが…結構ズバズバくるのぅ…」
私が下らない妄想に耽っている間にも、会話は進んでいた。困り果てたかのように苦笑するクローディアだったが、由香里は追及の手を緩めるつもりはないらしく、厳しい視線をクローディアへと向けている。
「…オサカもまた、わしら同様に、途轍もない敵と戦う者の一人だから—」
「何故?どういう経緯で小坂係長がそんなことになるのですか?」
由香里の剣幕に、クローディアが言い淀む。由香里がここまで苛烈になる様を、私は初めて見た気がする。小坂に恋慕しているのは知っていたし、それ故だろうということは想像つくが、なかなかに強烈だ。私も思い人ができた暁には、こんな風になってしまうのだろうか。
「…オサカが、アビス様に選ばれたからじゃよ」
「では、アビス様とお話させてください」
もはやクローディアと話すことはないとばかりに、由香里は立ち上がる。クローディアも、これでは話になるまい。アトリアへと向かうべく、転移の魔道具を取り出すことだろう。
「座るのじゃ」
しかし、予想とは裏腹に、クローディアはどっしりと構えたままだった。座れ—と彼女は語ったが、その声音はこれまでの優しげなものではなく、威圧的な色を多分に含み、声には出さねど、2度は言わせるな—と続けられたような気さえした。
「…由香里」
『由香里、ここは従いましょう』
「…すみません。冷静さを欠いていたようです」
私とラヴァの説得に、由香里は少しばかり落ち着いたらしい。はぁ—と、大きく嘆息した後、椅子に腰を下ろしてくれた。
「…よい。正直、わしもどこから語ったものか分からなくてな。けれど、誤解しないでほしいのは、あやつをお主らから遠ざけようとする意図はない。これだけは、肝に銘じておいてくれ」
「分かりました」
由香里が頷くのに倣い、私も首肯する。それを見て取ったクローディアは、さて—と仕切り直す。
「わしの知る限りで、あやつのことを最初から話そう。わしの権限では話せぬこともある故、ぼかして話すと矛盾が生じるやもしれぬが…まずは、そこからじゃ」
「はい。お願いします」
改めてクローディアが語ってくれたのは、小坂本人が聞かせたのであろう、彼の軌跡。そして、クローディアと出会ってからの一連の出来事だった。まずは徒歩で一周できるくらいの小さな無人島で目を覚ましてから、聖剣の迷宮に潜り、不死系魔物化したことに始まり、迷宮の奥地でアビスと出会い、共に迷宮を抜け、ナイセイルでクローディアと出会ったこと。ホムンクルスの肉体へ魔石を移し、同時に、クルスを生み出したこと。再び迷宮を抜けて、イチローらと共に、メットーラへやってきたことと続いた。
「—ケイタイの事業が軌道に乗った頃じゃったかな…気が付けば、オサカはわしらを遠ざけるようになっていた。ここに関して、あやつも、アビス様も、はっきりとした理由は説明せんかった。常に一人で行動するようになり、好んで迷宮の奥へと挑むようになっていった」
そして、話は小坂の変化に触れる。クローディアの寂しげな笑みに、小坂の変化は魔物化の弊害ではないか?—と考えてしまい、チラリと由香里を盗み見る。小坂同様に、彼女もまた魔物になっている。もし、小坂の変化が魔物化による弊害であったとしたら、由香里もまた、そうなる可能性がないとは言い切れない。
(…ラヴァ)
《…なんとも言えませんね。今は一先ず、クローディアの話を聞きましょう》
うん—と返し、意識を切り替える。クローディアへと視線を戻せば、小坂の変化についての話は既に終わりであるらしく、彼がここにいない理由が語られていた。
「でしゃ、どうしても、あやつでなくてはならぬ用があっての。わしは迷宮の入り口からオサカへ向けてケイタイで通話を開始した。けれど、オサカはその時、迷宮の罠の真っ只中におったらしい。ケイタイのせいなのじゃろうな。ケイタイが繋がるや否や、オサカの反応は一気に遠のき、先に語った眷属化による恩恵も、わしらには届かぬようになった。今は、何かか細い繋がりがあるな—くらいしか分からぬのだ」
クローディアはそこで一旦話を区切った。それを認めると、ふぅ—と嘆息し、眉間を揉みほぐしはじめる由香里。チラリと見た横顔は、嘆いているようにも見えるし、怒りを湛えているようにも見えた。あるいは、その両方かもしれない。
「…罠については、瞬間移動のようなものかと思うが、詳細は分かっておらぬ。なにせ、見に行こうにも、敵が強過ぎる。とてもではないが、わしらのみでは無理だった…それが、一昨年の夏じゃ」
小坂に関する話は終わりであるらしく、何か聞きたいことはあるか?—と、クローディアは尋ねてくる。しばしの間を置いた後、由香里が顔を上げた。
「まずは、小坂を助けていただいたことに感謝します。有難うございました」
「…ふふ、そうか。誤解は解けたようじゃの」
悪戯っぽく笑うクローディアに、由香里は深く頭を下げる。私も一緒に頭を下げた。
「よい。それだけお主がオサカを大切に思っておるということじゃ。あやつの師として、弟子が慕われているというのは、嬉しいぞ」
そう告げて笑った後、コキコキと首の骨を鳴らすクローディア。その後にはトントンと肩を叩きながら、うー—と、辛そうに顔をしかめる。見間違いか?—と、これまで考えないようにしていたのだが、彼女の目の下には色濃いクマがある。寝不足なのかもしれない。疲れが溜まっているのだろう。そんなクローディアの姿に、由香里が声をかけた。
「…疲れているようですね。お茶でも飲みませんか?真、お願いできる?」
「あ、うん」
クローディアは何も返していないが、由香里の要求に従い、亜空間から取り置いてあったお茶を出す。杯に流し込めば、まるで先ほど淹れたかのような、郁郁たる薬草の香りが室内を包んだ。
「真、ちょっと貸して」
「え?…うん」
何をするのか?—と首を傾げながら渡した杯に、由香里は己の指先から滴を一滴垂らす。特級ポーションの材料にもなる、アルラウネの体液だ。薬草茶は一瞬にして、エナジードリンクへと変じてしまった。
「え?由香里…それ、大丈夫なの?24時間働け—的な効果にならない?」
『覚醒作用が齎す不眠ですか』
私達の言に、由香里はジト目を送ってくる。私とラヴァは苦笑で誤魔化した。
「二人とも失礼ね。覚醒作用なんてないわよ。疲労時の栄養補給としては、申し分ないでしょ」
どうぞ—と、クローディアに杯を手渡した由香里だったが、クローディアは礼こそ口にしたものの、杯に口を付けようとはしない。やや顔色を青くして、手に持つ杯を見つめるのみである。先の不穏な会話を聞いたのだ。当たり前であった。
「暖まりますよ?」
「う…うむ。うむ…そ、そうじゃな…」
早く飲め—とばかりに声をかける由香里に対して、本気でビビってるクローディア。由香里が爪先から何かを垂らしたことは分かったろうが、それがアルラウネの体液であるとは知る由もないのだ。そんな彼女にとっては、由香里が入れた何かは毒物にしか思えないことだろう。
「ご安心ください。今し方混ぜたのは、アルラウネの体液です。毒物ではありません」
そう告げた由香里は、クローディアに見せつけるように腕輪を指で叩いた後、ゆっくりと持ち上げてゆく。あれは、由香里の姿を偽装するための魔道具だ。マールィ王国はアマウンキット。そこの冒険者ギルドマスターである、ホーリーからの頂き物だ。
「…お、お主…そうか、お主も…」
腕輪を取り払った由香里の姿は、髪こそ黒色のままだが、虹彩は黄色く染まり、肌は青みがかっている。植物系魔物故の色味だ。それを認めたクローディアは、申し訳なさそうに俯いてしまう。由香里が魔物化したことは、この世界の理を知らなかった私達には、仕方ないことである。私は運良く魔物化を免れたが、むしろ、小坂や由香里のケースこそが、私達の事情からすれば一般的だろう。だからこそなのか、気にしていない—とばかりに、由香里は少し戯けた調子で言って退けた。
「…私も、小坂同様に、人ではなくなってしまいまして」
「…うむ。いや、すまぬな。なんとかする。今はまだ無理じゃが、なんとかしてみせる」
何一つクローディアのせいではないのだが、責任を感じているかのような発言は、小坂のことに対する負い目を感じているのかもしれない。そこには触れず、期待しています—とだけ告げると、由香里は再び腕輪をはめる。クローディアも覚悟が決まったらしく、杯を一気に煽った。
「ところで、途轍もない敵とはいかなるものでしょうか?聞かせていただいても?」
「…ふぅ。…ああ、それについては、わしに話せる権限がないのよ。先にも言うたが、アビス様の管轄じゃ。アビス様の許可ない者に、語ることがかなわぬ」
杯を机の上へと置き、尋ねてきた由香里へ返すクローディア。由香里も簡単に引き下がる訳にはゆかないのだろう。先のように、感情的な顔を見せることこそないが、間に髪を容れず告げる。
「ならば、小坂が消えたと思われる場所に向かいたく思います」
けれど、これもまた聞き入れられなかった。クローディアは徐に首を振ると、言い含めるかのような調子で口を開いた。
「ダメじゃ。それは流石に許可できん。あまりにも無謀じゃ。わしらでも無理じゃった。お主らでも無理じゃ」
「しかし、小坂は—」
「あれは桁外れに強い。…強過ぎる。わしらとは次元が違う。同じ尺度で測れんのじゃ」
クローディアの言に即座に反論しようとする由香里を制し、クローディアが首を振る。流石に、これ以上の口答えをするつもりはないらしく、由香里は小さく頷いた。
「あやつならば、そのうち、ひょっこりと帰ってくるような気がするのじゃ。待とう…共に」
「…そうですね」
話がついたらしい。口惜しいのか、由香里の拳は膝の上で握られているが、クローディアが嘘をついたり、小坂を私達から遠ざけようとしている風には見えない。ならば、後は待つしかない。
(小坂さん…私達よりも、ずっとハードだったんだね…)
《そのようですね。それにしても、あの聖剣の迷宮に単独で潜れるとは…デートラヘレですか…》
その後に続く言葉はなかった。何やら考え込んでいるらしいラヴァは、放っておくことにする。敵ではなくてよかった。あるいは、もし野生のデートラヘレに出会した時のことでも考えているのだろう。
「さて、そうと決まれば—」
クローディアが口を開いたため、視線を向ける。けれども、うっ—と、嗚咽が聞こえたかと思えば、隣の由香里がボロボロと泣き出したではないか。どうしてよいか分からず慌てていると、由香里は笑おうとしつつ、上擦った声をかけてきた。
「ごめんなさい。大丈夫よ。ただ、ようやく会えると思ってたから。…ちょっとね」
全然、ちょっとではなかった。止めどなく溢れる涙を、由香里はひたすらに拭っている。期待が大きかった分、落胆の度合いもまた大きいのだろう。声をかけることもできず、ただ由香里の背を撫で続けた。
「…本当にすまん。わしが軽率なことをしたばかりに…」
「…最初、ちょっとだけムカッとしました。けど、事故ですよ、そんなの。それよりも、クローディアさんには、小坂を助けていただいた恩を強く感じます。そんなにしょげないでください」
由香里の様子に、さしものクローディアも項垂れるが、由香里はそつなくカバーする。本音を織り混ぜつつも相手を不快にさせないトークテクは、実に由香里らしい。これならば、もう本当に大丈夫なのだろう。
「ふふ、そうか。お主は正直じゃのぅ。そう言ってもらえると、少しは気が楽になるわい」
クローディアも肩の荷が降ろせたかのように、表情を和ませていた。小坂の同胞である私達に、彼の状況を伝えられたことと、彼の状況に対する許しが得られたことで、安堵できたに違いない。もしかすると、先のエナジードリンクの効果もあるかもしれない。
「すみません、話を遮ってしまって。何か言おうとしていませんでしたか?」
さて、改めて由香里が声をかけると、そうであった—と、クローディアは亜空間を開く。中から取り出したのは、いくつかの魔石と、例の転移の魔道具だった。
「この魔石はの、亜空間を開く魔術を刻んだものじゃ。これならば、魔力を込めるだけで亜空間を開ける。二つ重ねれば、擬似転移も可能じゃ」
クローディアはそこで話を区切ると、試すかのような視線を向けてくる。術者である私としては、当然理解している—と胸を張りたかったのだが、どのような原理で転移を可能としたものかは分からなかった。
「ふふ…よいよい。後で教えてやろう。これならば、相応の魔力を放出さえできれば、術者でなくとも亜空間を開くことが叶う。仲間に持たせてやるとよい」
「あ、有難うございます」
『真、なくす前にしまっちゃいましょう』
クローディアから由香里と共に魔石を受け取り、皆の分は亜空間へと入れる。後でアイマスやソティらに渡しておこう。彼女達ならば、問題なく開けるはずだ。
「そしてこの地図じゃが、これは、擬似転移の煩雑な処理を簡略化したものじゃ。これについても、後で説明しよう。これは今、世に三つしかない。そのうちの一つをお主らアエテルヌムに託す。絶対になくすなよ?」
『真、即座にしまいなさい』
「お、おう」
一度、広げてマジマジと見てみたかったのだが、ラヴァからの圧が凄い。これもまた、魔石同様に亜空間へとしまった。
「これから先の細かい話などは、アンラを奪還した後じゃ。それまでは、すまないが—」
「いえ。ここまで良くしていただいたのです。文句など、ありようはずもなく。一旦、私達のことは捨て置いてください」
「う、うんうん」
由香里の言に乗っかり、頷いておく。そうか—と優しく笑った後、クローディアは袖から数枚の金貨を取り出した。
「すまないが、わしはこれから領主館に行く。何故、お前が来ないのか?—と、うるさくてのぅ。今日1日は、これで羽でも伸ばしてくるといい」
「あああ、こんなにもらえません!」
「よい。取っておけ」
ぎょっとして遠慮するも、いいから—と、押し付けられる。まるで、お婆ちゃんの家に行った時のことを思い出して、なんとも言えない心持ちになった。
(…そういえば、クローディアさんってさ…アシュレイと知り合いなんだよね?もしかして、結構年取ってる?)
《だとしたら、詐欺ですよね》
ではの—と、当たり前のように私達を残して部屋を出てゆくクローディアを見送った後、どうしたものか—と、由香里に助けを求める。手にした金貨は、とてもではないが、財布に収める気になどなれなかった。
「…もう、ご厚意に甘えるほかないわね。なるべくは、自分達の手持ちを使いましょう?」
「そ、そうだね。…ところで、お金貸してください」
私の申し出は、嘆息に加え、デコピンと共に認められた。由香里様々だ。
さて、オサカ邸には誰もいなくなったらしく、家主のいない邸宅は、それまでの騒がしさが嘘のように静まり返っている。このまま無人にしても良いものか?—と困惑したが、玄関の入り口には、何やら見慣れない魔道具が取り付いていた。内部の魔法陣の構造を見るに、防犯用の魔道具であるようだ。誰かしら立ち入れば、瞬時に分かるらしい。どうせならば、侵入されない魔道具を作れば良いのに。
「まあ、これなら大丈夫そうだね。私達も、少し気晴らしに行こうか?」
「…そうね。ちょっとだけ、やけ食いしたい気分だわ」
「おお?由香里にしては珍しいね?」
「当然よ。4年よ?4年。ずっとこの日を待ちわびていたのよ?それなのに、ここに来て更に待てなんて、あんまりだわ」
由香里の言はもっともだろう。彼女はずっと、小坂の情報を探していたのだから。うんうん—と同意しつつ、これまでは避けていた小坂の話題に触れる。なんとなく、今ならば聞いても許される気がしたのだ。
「ねえ、由香里はやっぱり、今でも小坂さんのことが好きなの?」
私は今日まで恋心を抱いたことがない。それこそ、子供の時分には淡い憧れを覚えたことこそあれ、女として成熟しはじめてからは、どういう訳か、そんな感情とはご無沙汰だ。愛読していた少女漫画のように、運命的な出会いなど期待してはいなかったが、人見知りかつ蚤の心臓な私は、男性のいる場に自ら飛び込んだことがない。男性からも言い寄られた経験もなければ、好きというものが如何なるものなのか、よく分からなかった。アイマスやソティ、クシケンスにしても、この手の話題は縁遠く思え、由香里くらいしか話し相手になりそうな者がいなかったため、今の今まで封印してきた恋愛トークである。
「…どうかしら」
てっきり、由香里は即答すると思っていた。大好きだ。この愛は永遠なのだ—と。けれども、由香里は首を傾げる。この反応は予想外であり、耳驚き目を見開いた。
「何?その反応は?」
「え?…いや…なんでもないです」
ジト目を向けられ、きまり悪くなり視線を逸らす。そんな私に苦笑しつつ、由香里は続けた。
「いくらなんでも、時間が経ち過ぎたわ。もちろん、以前は好きだったわよ?今だって、元気にしているのか、気にはなるわ。けど、まだ好きか?—と問われると…難しいわね」
「…でも、さっき…」
先にクローディアの話を聞いていた時、由香里は大泣きしていたのだ。それを指摘して良いものか分からず、言葉を濁す。踏み込み過ぎです—と、ラヴァの小言が聞こえた気がした。
「小坂係長はね…恋心を抱いてもいたけれど、兄のように慕ってもいたの。お兄ちゃんがいれば、こんな感じかな?—って。困った時は頼りになるけれど、普段はどこか抜けていて、愛嬌がある感じ。…顔付きはだいぶ怖いんだけどね」
由香里の発言に、一度だけ見た小坂の姿を思い浮かべる。身長は由香里よりも高く、黒いスーツを着ていた—はずなのだが、あまりにも長い前髪のイメージが強過ぎて、それ以外の記憶は塗り潰されてしまっていた。
「…前髪、長かったイメージしかない」
ボソリと呟いた私の言に、我が意を得たり—とばかりに食い付く由香里。この日1番の笑みを浮かべた。
「そうそう。それで合ってるわ。しかも、前髪の下は、いつも仏頂面だし。初めて見た時は、何この人!?—って思っちゃった」
由香里のカミングアウトに、私も吹き出す。今までは気が引けて、小坂の話題には触れてこなかったが、これほど盛り上がるなら、もっと早くに尋ねればよかった。
「でも、びっくりだよ。恋ってさ、電撃で撃たれたかのように、一眼見たその瞬間に落ちるものだと思ってた。違うんだ?」
「ふふ、私の場合は違ったわね。小坂係長を好きになったと気が付いた時は、ちょっと自分でも驚いたわ。なんで?—って、しばらくは分からなかったもの。あ、でもね、真、一目惚れはダメよ?ちゃんと時間をかけて、信用できると判断した人じゃなきゃ、好きになってはダメ」
何気なく口にした言葉に、由香里からダメ出しされる。すぐには言われたことが理解できず、どういうことか?—と尋ねた。
「好きになったから信じられるんじゃないの?」
「それ、内面をちゃんと見てないじゃない。失敗する典型よ?しっかりと相手を見て、誠実な人と一緒に行動しなさい。自然と好きになれるから」
これは金言だ—と、ラヴァと共に由香里へ羨望の眼差しを注ぐ。恋愛経験値の乏しい私には、彼女の一言一言が突き刺さる。寝耳に水、青天の霹靂と言っては過言かもしれないが、それだけ驚いた。
「由香里は凄い」
「やめてよ。まるで私が経験豊富な女みたいじゃない」
そうは言いつつも、由香里の浮かべる優しげな笑みに、思わず気が緩んだのかもしれない。気が付けば、またしても余計なことを口走っていた。
「じゃあ、小坂さんも誠実な人だったんだ?」
少しの間が空いた後、由香里の表情が僅かに曇る。ラヴァに嘴で突かれて、地雷を踏んだのだ—と、気が付いた。慌てて詫びれば、由香里は苦笑しつつ、徐に語った。
「…まあ、そうかな?…うん。誠実で不器用で、優しい人だったわ」
「…ごめん」
「謝らないの。元気付けようとしてくれてるんでしょ?」
悪戯っぽく笑いながら、私の背を叩く由香里。結構な衝撃に、たたらを踏んだ。痛い。
「あんまり思い出させないでよ。既に発酵した恋心よ?今更燃え上がらせても拗れるだけよ」
その言葉に違和感を感じて、肩越しに由香里を見た。由香里は笑っている。確かに笑っているし、先には小坂への思いは消えたかのような言もこぼしてはいたが、どうしてか、先の一言には不思議な含蓄が感じられた。私も笑みを返したが、喉に刺さった魚の小骨のように、由香里の一言が頭から離れない。果たして、ちゃんと笑えていただろうか。
「心配させてごめんね?…私だって、あんなに泣くと思ってなかったのよ?…もう平気だから」
「…うん。そっか…」
それからは互いに踏み込んだ話題も出さず、延々と坂を下る。私には、由香里の心情を窺い知ることはできないが、今は黙っていた方が良かろうと感じられた。
《貴女は人の顔色を窺うくせに、それを活かせないですよね。いつものことですけど》
(…うん。今、結構凹んでる)
林道を抜けた先には、貴族街と思わしき見事な邸宅が軒を連ねており、そのいずれもが、前庭ではなく、踏み均された広い広場を持っていた。何度も足を振り下ろしたかのように、至るところが窪んだ広場は、メットーラという町が、かつては単なる田舎町ではなかったことを雄弁に物語っているかのように見受けられた。
「…アンラとは違うね…あれ、兵士さん達が踏み均した後だよね?」
門兵のいない邸宅を門前から覗き込みながら呟けば、ひょいと由香里も中を覗くと首肯する。
「…そうね。この辺りは魔物が強いそうだから。それに、昔は開拓地だったそうよ?貴族も多くの私兵を出してたのかも。未開の大森林を少しずつ攻略して、エクメーネを拡大していったんでしょうね」
「エ、エクメーネ?」
何やら聞き慣れない単語が出てきたが、簡単に言えば、人の定住する領域を指す言葉であるそうだ。それ以外の領域をアクメーネと言うらしい。一つ賢くなった気がして、アイマスあたりにドヤろうと考えた。
「言っておくけど、地球の言葉だからね。こっちで通じるとは思わないで」
「…なんだ」
『…残念です』
私の肩から聞こえてきた呟きに、由香里と共に視線を向ける。ラヴァさんよ、君は誰にドヤろうとしたのかね?
だいぶ長いこと真編が続いています。
ちょっと長くなりすぎなので、校正が終わったらまとめて投稿します。
そのうち…きっと…。




