真、メットーラを訪問する その五
「…大変なことになったね」
「うん…」
気落ちする私に声をかけてくれたのは、アイマスに連れてこられたのであろう、アトリアで安宿を提供する女将のヨールだった。皆が昼食を食べ終わり、仕事のあるものは早々に食堂を後にしている。アビスはアトリアへと。モスクルにデンテは領主館へと。ノアの鐘は執務室に向かい、ファーレンとアイマスは新市街へ。ソティやクルス、アシュレイらもどこかへ出かけていった。
「…きっと大丈夫さ。ほら、背筋を伸ばしな」
「うごっ」
ヨールに背中を叩かれ、たたらを踏む。体格に見合った膂力は、まるでアイマスのそれだ。痛いよ—と、文句の一つでも言ってやろうと振り向いたのだが、ヨールの微笑には、それまでとは違う思いが込められているかのように見えて思わず口を噤む。ヨールは、うんうん—と満足げに頷いた後、腰に手を当てて笑った。
「アトリアであんた達が頑張っている姿さ…私達はちゃんと見ていたよ。有難う」
「…え?」
「私さ…よく分からないんだけどね…アトリアの町を、上から見下ろしていたのさ。ほとんど何も考えられなくて、本当に見ていただけなんだけどさ」
ヨールの言に、リッチーの行使した闇の雲を思い浮かべる。あの時、まるで見えない蓋でもかぶせられているかのように広がった暗雲のおかげで、アトリアの町全体に何かしらの結界が張ってあることを理解したのだ。ヨールの意思—あるいは魂とでも言うべきか—は、それがためにアトリアから出られなかったのかもしれない。結果的に見れば、それで良かったのだが。
「最悪、アビス様がどうとでもしてくれるよ」
そうまとめて快活な笑みを浮かべるヨールの姿に申し訳なくなり、思わず視線を逸らした。アビスならどうとでもなる。その言葉が、まるでお前達では何もできない—と言われているかのようで、居た堪れなくなったのだ。
(そう…だよね。私達じゃ…力不足もいいとこだった)
あの得体の知れない状況は、一朝一夕で作れるものとは思えない。となれば、徐々に日常が侵食されてゆく過程があったはずなのだ。怖かっただろう。不安だっただろう。死を間近に感じた時はどうだっただろうか。痛かったかもしれないし、やり場のない憤りに身を焼かれたかもしれない。その上、今のヨールは不死系魔物だ。壊れた町、失われた人としての時間。何もかもが、もう元には戻らない。何故、もっと早く来てくれなかった—と、文句の一つも言いたいに違いない。
(いや、違う。違うよ…)
ヨールは本当に感謝している。死したはずの己に転がり込んできた幸運に。私が勝手に深読みして、一人で落ち込んでいるだけだ。役立たず—と罵られて、楽になりたいだけなのだ。
(私はアイマスみたいに割り切れないなぁ…)
けれど、彼女は言わない。あの笑みには含むところなどあるはずもなく、ヨールと共に生を取り戻したアトリアの住人とて、皆が同じ心持ちだろう。アイマスの満たされた笑顔が、ノコノコとヨールを迎えに行っても、周囲から何も言われなかったことの証左だ。
《…もうやめなさい、真。あの時、貴女はベストを尽くしていました。それこそ、貴女の頑張りに謝意を述べた、ヨールへの冒涜です》
(うん、ごめん…)
この世界に生きる者達は、やはり強い。少なくとも、今はそういうことにして前だけ向こう。そう思えば、ようやく顔を上げることができた。なるべく表情が硬くならないよう、意識しつつヨールに詫びる。
「…うん、そうだね。あの時は、助けられなくて…ごめん」
「…そういうつもりで言った訳じゃないんだけど…」
「ああ!ご、ごめん!私もそんなつもりじゃなくて…」
慌てて訂正しようとするも、上手い言葉は出てこず、そのまま声すらも出なくなる。そんな私の姿にヨールは苦笑していた。二人でしばし顔を見合わせた後、どちらからともなく笑い合う。気遣ってくれたヨールの優しさのおかげか、今度は滑らかに言葉が口を割って出た。
「ヨールはこの一件が落ち着いたら、どうするの?やっぱり、アトリアに帰るの?」
「まあ、そうだね。ただ、あそこは帝国の人間も多く来るだろう?おそらくは、そう長くは住めない—とは言われたよ。メットーラに移住する覚悟だけはしておいてくれ—ってさ」
「…そっか」
アトリアは死の樹海を突っ切りでもしない限り、アルセイドの南北を繋ぐ大動脈に位置する都市だ。当然、人の往来も多くあり、そこが不死系魔物の都市と知れれば、北からの人足はなくなるだろう。それだけならまだしも、帝国がイチャモンをつけてくる可能性とてあるのだ。
(そうだよね…そうなったら、最悪戦争だもんね…)
ヨールは笑ってこそいるが、生まれ育った土地を離れることが辛くない訳はない。またいらんことを聞いたな—と、己の浅はかさに眉を寄せる。口は災いの元とは、よく言ったものだと思う。
「気にしないでよ。仕方ないのさ。むしろ、私達は極めて恵まれてるよ。普通、魔物に襲われたら、そこで終わりだからね」
「…違いない」
ヨールの言う通り、彼女達は幸運だった。ヨール自身も、ある程度は覚悟ができているのだろう。全く、アビスをはじめとしたメットーラの皆には感謝しかない。返しようもない恩のバーゲンセールだ。
「ヨール〜」
「お?飲んだくれが来たね」
ヨールを呼ぶ声に顔を向ければ、アシュレイ、クシケンス、由香里の3人が食堂へと戻ってきていた。アシュレイはヨールと面識があるようだが、クシケンスと由香里についてはそうではない。二人をヨールに紹介することにした。
「ヨール、二人は私達アエテルヌムの一員で、クシケンスと由香里だよ」
「は、はじめ…まして…クシケンス…です」
「はじめまして。由香里と申します」
「ああ、私はヨール。なんだか場違いな食事にお呼ばれしたけど、単なる宿屋の女将だ。よろしくね」
ペコリと頭を下げるクシケンスに、丁寧にお辞儀する由香里。対するヨールは腰に手を当てて胸を張っている。本当にアイマスと気質が似ていると思う。実は姉妹ではなかろうか。
「二人はアエテルヌムの新顔なのかい?アトリアに来たことなかったろう?」
「ええ、まあ…」
「私達二人とも、アエテルヌムに加わって、大体1年半です」
「アエテルヌムに合流して〜、もうすぐ30日〜」
「あんたはいいよ!」
アシュレイの扱いは極めて雑だが、それが二人の距離を物語っていた。ここにもまた、私の知らない知人の顔があったのだ。そうなると、気になることがある。ヨールとアエテルヌムの出会いだ。若い頃のアイマスやソティのことなんかも知っているかもしれない。これは、聞いてみるしかないだろう。
「…ねえ、ヨールとアエテルヌムって、どういう経緯で親しくなったの?」
「え?…あ〜…ちょっとここじゃあ、話し難いかな」
そう言って、ヨールが盗み見るようにチラリと視線を向けたのは、クローディアだった。食堂の上座に座る彼女は、誰かとケイタイで会話している。仕方ないじゃろ!—と、いつになく強い物言いで、苛立たしげにテーブルを指で叩く様を見ていると、井戸端会議同然の私達の存在は、邪魔であろうと思われた。
「…え〜?い〜じゃ〜ん。クローディアも気にしないよ〜」
そんなことを言いつつも、アシュレイは先頭を歩き、さっさと食堂を出てゆく。私達も顔を見合わせながら、アシュレイの後に続いた。
「アシュレイ、どこに行くの?」
「ん〜?これだけ部屋があるんだから〜、適当な部屋を借りて話そうよ〜」
アシュレイの案は、とんでもないものだった。やはり、メキラの貴族が嫌われているのは偏にこの魔人族のせいなのではなかろうか。少なくとも一翼を担っていることは間違いないだろう。
「ははは。大先生は変わらんね。ま、あんまり気分のいい話じゃないよ。そこは事前に承知しておいておくれ」
「おっふ」
この話題ならば差し支えなかろう—という私の思いは、またしても外れたらしい。私の口は災いしか齎さないようだ。
「おっし、ここだ〜!」
「あ、ちょっと!」
唐突に立ち止まったアシュレイが掴んだドアノブを捻ると、由香里が慌てて制止に入る。けれど、間に合わなかった。ガチャリと開かれた室内の真ん中には、大きな花が鎮座している。一瞥してだけで、誰に宛てがわれた部屋か知れた。
「…次行ってみよ〜」
「アシュレイ、謝るのが先じゃないかしら?」
「ごめ〜ん」
さしものアシュレイも、本気の由香里は怖いらしい。素直に詫びていた。まあ、目の色が違うからね。比喩じゃなしに。
「んじゃ〜、気を取り直して〜、この部屋だ〜」
「…ここ、なんかドアが立派だよ?アビスさんの部屋じゃないの?」
アシュレイが次に選んだのは、廊下の突き当たりにほど近い部屋だ。ドアの作りがこれまでのものとは違い、嫌な予感を覚える。遠回しに諫めたつもりだったのだが、聞き入れられなかった。
「ほい、ど〜ん!」
先の反省は微塵も感じられない全力でのドアオープンに、由香里も苦笑いするしかない。アシュレイという人間が、よく分かってもらえたと思う。
「うおお〜。すげ〜本の数〜。金持ってんな〜」
「…埃っぽいわね」
「…そ、そう…ですね…掃除の、されていない…感じが…なんとも、懐かしい…です…」
ドアの作りの見事さとは裏腹に、室内は広い訳でもなく、殊更に何かがあった訳でもなかった。ただし、壁は一面が丸々書架となっており、余すところなく本が敷き詰められた上、入りきらなかった本は、床やテーブルの上へと無造作に積み上げられている。
「…魔導書が多いよ?クローディアさんの部屋じゃない?」
『真、それならば、もう少し掃除されていても—あ、彼女は魔人族でしたね』
私の発言に異を唱えようとしたラヴァだったが、魔人族の性を思い出したらしい。そうかもしれませんね—と同意してきた。魔人族は片付けが苦手なのだ。ちなみに、大別すると、完璧主義が過ぎるタイプと、興味の向かないことには微塵も力を注がない、ずぼらなタイプの2種類がある。完璧主義タイプは、片付けたとしても、明日もまた使う—という判断から、出しっ放しとなる。片付ける意味がないと考えてしまうのだろう。それでも、このタイプならば共用スペースなどは綺麗に保ってくれる。後者は殊更に説明する必要を感じないが、アシュレイもクシケンスも後者である。他種族よりも優秀な頭脳、肉体、魔力—と、三拍子揃った優良種族なのだが、その唯一の欠点とは、まさにこれのことだった。
「ふ〜ん。クローディアの部屋か〜。ならいいじゃ〜ん」
「いいじゃん—って、あんたね…はぁ、マコト達も苦労してるね」
私達への同情をヨールが示す側から、今度はクローゼットを開けようとするアシュレイ。流石にそれは本気で止めた。
「…メットーラは広いな…」
「あはは…本当ですよね。わずか1年ちょっとで、ここまで一気に拡大しちゃいまして…本当なら巡回馬車が出ているんですけど、昨日に続いて、今日も見ないですね〜」
私とファーレンの二人は、新市街にある宿ビコスを目指して、旧市街は商業区の街中を歩いていた。昨日は気落ちしていたせいか、疲労を感じられる余裕がなかったが、今日は鎧ではなく平服であるのに、随分と疲れを覚える気がする。身体が鈍ったか?—とも思ったが、よくよく考えてみれば違った。昨晩、遅くまでアトリアの皆と騒いでいたためだろう。
(単に寝不足だな。全く、子供じゃあるまいし)
不死系魔物になったアトリアの住人達は、生前と同じ生活を送ることも可能だが、不死系魔物としての側面もある。例えば、寝なくてもさして疲れない。随分と夜が更けてから、今、何刻だとお考えですか?—と、苺柄の寝巻きに身を包んだマギステルが現れるまで、昨夜の私達は騒いでいたのだ。
「あ、そうだ。アイマスさん、今夜はどうしますか?」
「…え?あ、ああ…そうだな。今夜はオサカ邸に世話になるよ。昨日、騒ぎ過ぎてな。マギステルに怒られたんだ。今夜も真オサカ邸に行ったら、何を言われるか」
私の言に、コロコロと笑うファーレン。耳がピコピコと楽しそうに上下する彼女は、周囲からの呼び声に元気に応じつつも、私とも器用に会話していた。
「じゃあ、一部屋ご用意しますね」
「すまない。助かる」
さて、そんな調子で商業区を通り過ぎた頃、子供達の和気藹々とした声が聞こえてくる。この町は平和なんだな—と和みつつも視線を向ければ、どうやら、そこは公園であるらしい。子供達が丘の周囲をぐるぐると走り回っていた。
「ワン!」
「あ、エル。お勤めご苦労様です!」
ところが、丘が動き、吠えたではないか。これには驚き肩を跳ね上げる。しかも、ファーレンはそれに挨拶を返しているし。
「な、なな…なんだとっ!?」
よくよく見てみれば、それは丘ではなかった。嘘だろ—と思わず呟いてしまうほど、街中には似つかわしくない巨大な魔物が鎮座していたのだ。犬型の魔物であるらしく、長い毛足は白と黒の2色。大きな瞳は間違いなく黄色いが、周囲を囲む子供達が怪我をしないように、見守っているようにすら見受けられる。
「紹介しますね。僕達ネームレスの一員で、従魔のエルです。可愛らしいわんこですよね」
「…え?」
思わず巨大な毛玉を二度見した。可愛らしいか?—と口を割って出そうになったのは、ギリギリのところで呑み込む。
(あ、危なくない…のか?)
子供達はエルの周囲を駆け回るばかりでなく、ついには毛にしがみ付いて登り始める。おいおい—と青ざめるも、エルはそれを嫌がるではなく、むしろ、身体を傾けて傾斜をなだらかにしたり、落ちないように鼻で押し上げてやっている有様だ。
「や、優しい…のか?」
「はい。エルは顔付きも優しいですし、子供達に大人気です。アーサーさん、ヒヨさん、エルの3従魔は、この町のアイドルなんですよ」
「…ヒヨさん…なんてのもいるのか…」
アーサーさんというのは、尋ねるまでもなく例のスライムだろう。では、ヒヨさんとはなんだろうか。名前から察するに、鳥の雛なのだろうか。興味はあったが、アーサーさん、エルと同列に語られた従魔だ。どうにも嫌な予感がする。紹介はまた今度にしてもらい、今は軽く聞き流すに留めた。
「…ちなみに、アーサーさんとヒヨさんは…どこに?」
「ええと…アーサーさんは、昨日から引き続き、農場の警備です。ヒヨさんは…きっと、町の外で魔物を食べてます。食事の時間ですから」
ファーレンらと話していると、己の常識が音を立てて崩れてゆくのを感じる。死者を生き返したりもそうだが、これほどの魔物を手懐けているのは一体なんなのか。あまつさえ、やらせていることは警備に子守だと言う。とんでもない話だと思う。なお、ヒヨさんに関しては聞かなかったことにした。
「…どうしました?」
「…いや、己は実に狭い世界で生きていたのだな—と」
眉間を揉み解し、世界は広いな—と、己を無理やり納得させる。どうせ考えたって分からないのだ。ならば、考えるだけ無駄だ。そういうものだと認識しておこう。
「私もまだまだだな」
「僕もまだまだですよ」
「そうか。なら、お互いに精進あるのみだ」
「はいっ!」
ははは、うふふ—と、二人で笑いながら公園を後にする。ここから先は市民街だ。それを越えれば新市街に出る。目的の宿まで、後半分—といったところか。
「聞いていいのか分かんないのですが…」
「ん?」
二階建ての長屋が左右に垣根を作る市民街。左右の家屋に跨って張られたロープには、これでもかとばかりに洗濯物が干されている。それがどこまでも路上に影を落とすものだから、生活感溢れる景観が一面に広がることになる。どこの町でも、こういう部分は変わらないなぁ—とアンラの市民街を思い出しつつ歩いていれば、隣を歩くファーレンがおずおずと切り出してきたのだ。何事かと顔を向ければ、彼女は僅かに逡巡した様子を見せるも、勢いに任せて続けた。
「その…アイマスさんとヨールさんって姉妹ですか!?」
「ぶっ!」
ファーレンは一体何を言い出すのか?—と面食らったが、よくよく思い返してみれば、私もヨールも女だてらに巨躯を誇る。そこから姉妹であると連想したのだろうか。
(誇る…か。誇れるものでもないんだけどな。女としては)
隣を歩くファーレンを見下ろせば、まるで慈悲を求める小動物のように、目を潤ませながらこちらを見上げていた。全く、その可愛らしさを少し分けてもらいたいものだ。
「違うよ。ヨールとは、友人だ。6年の付き合いがある—と言っても、私は冒険者だからな。たまにアトリアへ行った時などは、ヨールの宿に泊まる程度だ」
「え?あ、そうなんですか?」
拍子抜けしたらしく、ファーレンの顔から緊張の色が抜ける。この、コロコロと変わる表情は、ファーレンの愛らしさという武器だ。思わず撫で回したい衝動に駆られ、手を持ち上げかけた。危ない。
「はぁ…良かった—いやいや、良くはないですけどね!ええと…」
「ははは。心配してくれたんだよな?有難う」
失言を取り繕おうとするファーレンに礼を言えば、いえいえそんな—と、返してきた。照れているらしく、ピコピコと上下する耳は真っ赤に茹で上がっていたりする。森精族というのは、分かりやすい種族なんだな—と思った。
「あ、じゃあ…どういう経緯で仲良くなったんですか?」
「うん?あー…それを聞くか…」
なんと答えて良いか分からなくてなり、言葉を濁した。普段は関わりがないのに、それでいながら仲が良いのだ。しかも、アトリアの町では、声高にヨールを探す姿をファーレンには見られている。姉妹ではないなら、付き合いのきっかけを不思議に思うのも無理はないだろう。
「…も、もしかして、聞いちゃいけないことでしたか?」
「…まあ。おいそれと吹聴していい話ではないな」
私の言に、すみません—と項垂れたファーレンは、そのまま押し黙ってしまう。少しばかり申し訳なさを感じて視線を落とせば、円な瞳が実に悲しげな色を宿している。凄まじい愛くるしさを覚えて、悶絶しそうになった。
(…まあ、ファーレンなら大丈夫かな。話しておくべきか)
彼女にはアトリアの町で手伝ってもらった恩があるし、下手に興味を持たれて、ヨールに同じ質問をされるのもきまりが悪い。ならば、ここで話してしまった方がいいかもしれない。そう思い直し、どこから話したもんかな—と、考え込んだ。
「…6年前、まだ私が冒険者として駆け出しだった頃の話だ」
あまり人に聞かせるような話でもないため、独り言のように小声で呟く。それでも、ファーレンの耳はしっかりと音を捉えているらしく、はい—と相槌を返してきた。
「私の籍はアンラにあったんだが、護衛依頼でアトリアへ渡ったものの、都合悪くアンラヘ帰れる護衛依頼を逃したんだ。それで、結局、20日ばかりアトリアで生活していた。その時だ。ヨールと知り合ったのは—」
生活苦と言っては言い過ぎだが、当時、一人だった私には、パーティ向けの依頼など受けられるはずもない。抵ランクの個人向け依頼を消化するものの、私の満足にこなせる依頼など、魔物の討伐くらいのものだった。そうなると、大した魔物もいない王都アンラを拠点にしている限り蓄えは増えず、いつも生活はカツカツだった。アトリアからアンラに帰るにも、何かしらの護衛依頼を受けねばならないくらいには。
けれども、そう都合よくはいかない。そういった日に限って、アンラ行きの護衛依頼の募集はなく、どうしたものか—と途方に暮れた私の目に留まったのは、子供を見つけてほしい—という依頼だった。報酬は達成時のみの後払い。探してほしいのは10歳を超えた息子と書かれていた。
これはもうダメだな—と、眉を寄せる。10歳を超えた男の子が帰ってこない。これはもう、死んでいるか、あるいは人攫いにでも出会したかの二通りしか考えられなかったからだ。しかも、掲示されてから、既に季節が変わっている。どう考えても手遅れだ。しかし、その時の私には、その依頼に綴られた必死な思いを無視することができなかった。
受注票を手にして向かった先は、歯に衣着せぬ物言いをすれば木賃宿だった。依頼主の名はヨール。夫と二人で宿を切り盛りしている女将であるらしい。遠慮なく扉を開ければ、奥から出てきたのは、私と互角に張り合えるほど見事な体格の大女だ。向こうも私と同じ思いを抱いたらしく、私達はなんとも言えない笑みを交わす。それが、私とヨールの初対面だった。
結果から言えば、彼女の息子は見つかった。ただし、最初の予想通り、死体としてだ。共同墓地の奥で、至るところが食い破られていた。眼球や耳、指や臓物、更には生殖器に至るまで。魔物、あるいは怪異。あらゆる可能性が検証されたが、人の手により殺害された後、ネズミにでも食われたのだ—と、衛兵らは結論付けた。ヨールはもとより、それはおかしい—と私も抗議したが、結論が覆ることはなかった。どこの世界に、人の拳くらいはあろうかという歯形を付けるネズミがいるものか。それはもはや魔物だ。けれど、アトリアの町は、共同墓地の調査すらも、まともに行おうとはしなかった。
「—今にして思えば、あの時既に、アトリアの町は不死系魔物共の跋扈を許していたのだろうな。腹立たしい話だが、それは一先ず置いておこう。結局、その依頼にかかりきりで有り金を失った私は、アンラに戻れる目処が付くまで、ヨールの宿を拠点としてアトリアで活動していたんだ。依頼を受けた流れからかな。自然と、ヨールや旦那さんと話すことが多くなって、気付けば、いつも3人で肩を震わせて泣いていたよ」
「…はい、はぃぃ」
話の途中から、ファーレンはずっと涙を拭っていた。森精族はあまり感情が顔には出ないという通説は、どうやら誤りであるらしい。垂れ下がった耳はもとより、顔そのものも実に分かりやすい。
「だからかな。ヨールとは、普通よりかは濃い関係なんだ」
「はい。はぃぃ…」
興味本位でヨールに尋ねられては堪らない—という思いから話したが、ファーレンの様子を見るに、元から杞憂だったらしい。この心優しい森精族は、そんなことをする子ではないだろう。
「泣き過ぎだ。ほら、案内してくれよ」
「お、お任せくださぃぃ」
苦笑しつつ急き立てれば、ファーレンはゴシゴシと乱暴に涙を拭い、ニコリと笑ってみせた。
「うぐ…ごめんね、変なことを聞いたね…うぐ…」
『本当ですよ真。ビス…あまり人のプライベートなことを聞いてはいけませんよ…ビス…』
「…うっ、うっ…」
「…真、とりあえず…泣くか喋るかどっちかにしなさい。ラヴァとクシケンスも」
ヨールの話を聞いた私達は、号泣していた。アイマスと仲良くなったきっかけが、息子を失った事件というのは悲し過ぎるだろう。由香里の手渡してくれたハンカチで涙を拭いながら、ヨールに何度も頭を下げる。
「ははは。マコトは優しい子だね。…有難うよ」
「慰めにもならないけど〜、きっと、今回の一件で、犯人達は自滅したはず〜」
「うん。アビス様も、そうおっしゃってたね。不死系魔物が握り潰されてた—って。はは、この手で恨みを晴らせなかったのは残念だけど、私には戦う力なんてないからね。これで良しとしておくよ」
アシュレイは既に知っていたのだろう。話を聞いても、淡々としたものだった。もしかしたら、ソティも知っているのだろうか。
「さ、話はおしまいだ。私もそろそろ、みんなのところに戻るよ」
「うん。有難うヨール」
改めてヨールに礼を伝え、皆で部屋を出る。特に予定もない私達は、そのままヨールを真オサカ邸へ送り届けるべくリビングへ移動したところで、難しい顔でソファに座り込むクローディアと出会した。
「…お主ら…どこに行っておった?探したぞ」
「お〜、クローディア〜。ヨールの話を聞いてた〜。部屋を一つ借りてたよ〜」
ジト目を向けてくるクローディアに対しても、いつもの調子で受け答えするアシュレイ。そこは普通、先に謝るものではなかろうか。クローディアが怒り出さないかと、少しばかりヒヤヒヤした。
「全く…変わらんのぅ」
「ま〜ね〜」
けれども、クローディアは苦笑するだけで、全く怒る素振りも見せない。アシュレイもまた、クローディアの反応が分かりきっていたのか、悪戯っぽく笑うのみだった。
(二人の関係についても、聞いてみたいよね?)
《貴女…ヨールの件で何も学んでませんね!?》
ラヴァが小言を口にしようとしていたが、分かってる—と、黙らせた。私とて、先の一件で少しは学んだのだ。悪戯にプライベートなことを聞いてはならない。今のは興味本位な思いを口にしたのみであり、本当に尋ねるつもりなどない。いつか、本人達が語ってくれるまで、じっと待つつもりだ。
「まあいい、マコトとユカリに話がある。二人を借りたいのじゃが、今、よいか?」
「え?私達?」
てっきり、アシュレイに用事かと思っていたのだが、クローディアが指名してきたのは、まさかの私と由香里であった。何の用か?—と訝しむも、すぐに思い至る。小坂絡みの話だろう。
「いいよ〜」
「すまんの。アシュレイ、お主との話は今夜にでも」
何故かアシュレイが許可を出せば、ついてこい—とばかりにクローディアは歩き出す。ヨールに別れの挨拶をした後、クローディアの後を追った。
「ええと…どこに行くんですか?」
「何、ちょっと見せたい物があっての。話はそれからじゃ」
それっきりクローディアは口を噤んだので、私達も何を言わず、黙ってクローディアの後ろを歩いた。やがて、辿り着いたのは、先ほどまでヨールの話を聞いていた部屋だった。なんとなくきまり悪くなり、由香里と共に顔を見合わせる。
「ここじゃ」
「あ、はい」
ノックもなくドアを開けると、室内に入り、さっそく机の棚を漁り始めるクローディア。私達も室内へ入り、ドアを閉めた。
「おっかしいのぅ…ここにあったと思ったんじゃが…」
「何を探してるんですか?お手伝いしましょうか?」
「ああ、よい。気にするな。わしの部屋ではないからの。わしらとて小言は避けられぬのに、客人に触らせたとあっては、怒られるわい」
由香里が声をかけるも、クローディアは声だけで断りを告げてくる。仕方なく、由香里と共に黙して待つ。やがて、上から3段目の棚を開いたところで、クローディアの動きは止まった。
「おお、あったわい」
ようやく探し物は見つかったらしいが、クローディアは、すぐにこちらへ向き直らなかった。これは、確か…こっちじゃったか—などと呟きながら、今まで漁っていた棚を含めて、綺麗に物の配置を修正している。
「…何をしているんですか?」
「触るとな、何故かバレるんじゃよ。誰か、私の部屋を漁りました?—とな。異常なまでに細かい奴なんじゃ」
この部屋の主人は、よほど几帳面な性格なのだろうか。これは危ないかもしれない—と、慌てて記憶を穿り返す。
(やっば。さっきさ、変なところ触ってないよね?)
《ど、どうでしょうか。アシュレイが話の最中、何をしていたかによりますね…》
ヨールの話を聞いていた時、私達はまさにここを使用していたのだ。しかも、クローゼットを開けようとしていた奴もいる。もしかすると、他にも何かしでかした可能性とてあった。言うべきか、言わぬべきか—と葛藤している間に、クローディアの棚整理は終わったらしい。ようやくこちらに向き直ると、黒く長細い何かを掲げて見せてきた。
「これに心当たりはあるか?」
クローディアが手にしていたのは、男性用と思わしき腕時計だった。




