激突!大司教エクーニゲル その一
「立ち話もあれじゃな。一旦、うちに来ると良い」
「…お、おい。ちょっと…」
さて、感動の再会も終わった後、真っ赤に充血した目を擦りながら自宅に招いてくれたクローディアだったが、モスクルには気になることがあるらしい。チラチラと私達を見ながらクローディアへと耳打ちしている。堂々と内緒話をするとはいい度胸だ。
(ラヴァ、何て言ってる?)
《貴女達は何も知らないから、変なことは言わないように—と、念押ししてますね》
優秀な使い魔であるラヴァは耳もかなり優れている。モスクルもそれを警戒してか、致命的な発言はしていないようだ。もっとも、クシケンスというチートな存在があるため、後で彼女に聞くだけの話なのだが。
「クシケンス、何か知っても、絶対に言うなよ?」
「…え?あ、はい…」
私の考えを見越してか、モスクルはクシケンスへと釘を刺す。ちっ—と舌打ちすれば、由香里に諌められた。
「まあ、今のアンラはこの有様じゃからな。うちに来てもらった方がいい。こんな時まで、機密が〜—とか、言ってられんじゃろ?」
「…そうか。クローディアがそう言うなら…世話になる」
モスクルの言に満足げに頷くクローディアは、徐に魔石を取り出した。先に私達へと見せたものとは違う魔石だった。
「では、行くか—」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
ところが、またしてもモスクルから物言いが入る。クローディアは面倒くさそうに眉を寄せた。
「今度はなんじゃ?」
「ベロー…国王陛下の様子を見てくる。もしかしたら、残っているかもしれん。それに…家族や部下のことも気にかかる。少し時間をくれないか?」
「…モスクルの家は、わしの家から近い。わしも家族のことが気になるでな。お主の家は、わしが見てこよう」
モスクルとデンテの二人は、言うや否やさっさと行ってしまった。残されたクローディアは嘆息すると、杖の石突きで瓦礫の山を叩く。すると、瞬く間に椅子が出来上がったではないか。しかも人数分だ。これには驚いた。
「うお〜!クローディアすげ〜!」
「…やめい。お主に言われると、馬鹿にされている気しかせんわい」
アシュレイが煽てれば、文句とは裏腹に嬉しそうな顔を作るクローディア。二人は並んで椅子に腰を下ろした。
「さ、遠慮はいらん。お主らも座れ。あの二人が戻ってくる前に、アンラで何があったかを語ろう」
クローディアの勧めに従い、私達も腰を下ろす。アイマスもその隣に座ったが、未だに元気がなかったせいか、いい加減に切り替えなさい—と、由香里に背を叩かれていた。
「さて、アンラの呪印について、何か聞いている者はおるか?」
早速とばかりに私達全員へと視線を配りながら尋ねてきたクローディアだったが、誰もが首を振る。全く覚えがないからだ。アンラの呪印とは、一体、何のことだろうか。
「…ま、そうじゃよな。実はの、ここ王都アンラに住う者のほぼ全てが、厄介な呪いに侵されておった」
耳驚いて互いに顔を見合わせる。私達アエテルヌムもまた、王都アンラで暮らしているのだ。ペタペタと己の頬を触り、異常ないことを確認する。そんなことで何が分かる訳もないのだが、不安になったのだ。
「あの…もしかして…私共の肩にある?」
後方から聞こえた声に振り返れば、手を上げて発言していたのはマギステルだ。そういえば、マギステルらは、アトリアで突然苦しみ出した。アシュレイの呪術により症状が見られなくなっていたため、すっかりと忘れていたが、アンラの呪印とは、あれのことだろう。
「ふむ。お主らはあれか?聖火隊とかいうやつか?女神教の信徒か?」
「は、はい。そうです」
クローディアの問いかけに、不安げな様子で応じるマギステル。彼女の部下達も気が気ではないらしく、しきりに肩を摩っている者もいた。
「なら、間違いないじゃろな。それじゃよ」
「おい、クローディア?だったか。ありゃ一体何だ!?」
横から口を出したリーブリヒを制すると、クローディアは徐に杖の柄へと魔力を込める。何をするかと思えば、大きな瓦礫へと魔法陣を描き始めた。
「お主らの肩にある呪印は、これに相違ないか?」
「…いえ…その…ほとんど見ておりませんので…おそらく、これだとは思うのですが…」
クローディアの描いた魔法陣は、実に複雑なものだった。頂点がいくつあるのかも分からず、制御文字に代わり、魔法陣を制御文字としているかのような構成だ。
(…うーん、思い出せないな。これかと問われれば、そうだった気もする…)
《ですね…私も、よくは見れてませんでしたから》
ラヴァと共に首を捻ってみたが、パッと見ただけの魔法陣など、そうそう簡単に思い起こせるものでもない。記憶の蓋をこじ開ける作業は、早々に諦めた。それよりも、私は術者だ。そこに素晴らしい魔法陣があるのなら、解析したくなる性の持ち主なのだ。最上の玩具を与えられたかのように気持ちを高ぶらせた。
(何だよこれ!めっちゃ凄いじゃん!?どうなってんの!?)
《落ち着きなさい真!すぐにクローディアが説明してくれるはずです!》
繰り返しになるが、私達は術師だ。マギステルらを苦しめる、くそったれな呪印と分かってはいるものの、芸術の域にまで昇華された魔法陣を前にしては、平静でなどいられないのだ。屈強な肉体を誇るノアの鐘のオネエ共を押し退けて、穴が空くほど魔法陣を見つめた。
「ん?お主…弓師…ではないな。魔術師?…いや、違うな。…ほう、珍しい。妖術師か?」
「…え?」
魔法陣を描いていたクローディアだったが、ふと私に気がつくと、そこで視線を止める。かと思えば、まじまじと私のことを見つめてきた。何かあるのか?—と、少し怖気付いたところで先の台詞だ。これには驚いて身を硬らせた。
「ああ、いや、すまぬ。気のせいじゃ。この大陸で妖術師というのは、外聞がよろしくないのじゃったな。これは悪いことを言った。忘れてくれ」
「…い、いえ…」
どう否定したものか—と目を泳がせるも、クローディアの見事なフォローに救われた。もっとも、この場にいる者達は皆、共に死戦を潜り抜けた仲間達だ。今更それが知れたところで、きっと文句の一つもないだろう—と、思う。
(すご…見ただけで分かるの?)
《後で詳しく聞いてみては?》
ラヴァの提案に頷きを返し、なんとなくアシュレイを見る。私の言いたいことは伝わったらしく、微笑みながら頷いてくれた。
「…この大陸では…とは、どういう意味だ?」
「む?ああ、そうじゃな。気になるなら、後で教えてやるわい」
妖術師—とバレたことで慌てた私とは違い、耳聡く聞き逃さなかったのはカームだ。さてさて—と、魔法陣を描く作業に戻ったクローディアであったが、今や私の注意は散漫になっていた。魔法陣も気になるが、それ以上に彼女の言が気にかかる。だってそうだろう。今の発言はまるで、この世界には、ここ以外の大陸があるかのような口ぶりだったのだから。
(そういえば…御伽噺にあったよね?)
《ありましたね…獣人族の暮らす大陸、ケルセイナ。半精族の暮らす大陸、シュセイル。魔人族の暮らす大陸、ナイセイル…でしたか?》
ソティから言語の学習として、読み書きさせられた御伽噺だ。その中では、かつて世界には四つの大陸があったのだ—と、記されていた。
「—という訳で、現状、打つ手なしじゃ」
「…長々と語ってそれなの?♪」
すぐ隣から発せられた野太い声で我に返った。顔を上げれば、クローディアが呪印の説明をしていたらしく、皆はその説明に不満があるらしい。誰しもが渋い顔をクローディアへ向けていた。
「そうは言うがの…ほれ、この複雑怪奇な魔法陣を見てみぃ。何か分かるか?分からんじゃろ?王都の魔術師ギルドに宮廷魔術師まで引っ張り出しても、この数構文しか解読できておらん。時間があれば何とかなるかしれんが、敵がそれを許してくれんかった」
トントン—と、クローディアは魔法陣の一部を杖で叩く。どれどれ—と、解析が終わったらしい魔術式へ私も視線を落としたが、一見しただけでは何が何だか分からなかった。
「できない—では許されないのではないか?」
「ああ、そうだな。気合でやるっきゃねえよ」
「そうは言うけどね、カーム、リーも♪魔術の解析って、並大抵じゃないのよ?♪」
ノアの鐘の皆が魔法陣を前にして語り始める。気合で魔術の解析など、無茶苦茶な話だ。リーダーであるロドリゲスが非礼を詫びるかのように、クローディアへと頭を下げる。クローディアは苦笑していた。
「クローディア様で無理ならば、誰がやっても結果は同じであります」
そんな私達の態度が気に入らないのだろう。これまでの友好的な態度は何処へやら。驚くほどに冷たい視線で、私達アンラ組を睨み付けるクルス。そればかりではない。ゆっくりと手が動き、腰のホルスターからナイフの留め具を外したではないか。ギョッとして皆が口を噤むも、そこはクローディアが抑えた。
「クルス」
「…善意で手伝っていたのを悪様に言われるのは、非常に納得ゆかないのであります」
「事情を知らぬ者もおる。そんなつもりで言った訳ではあるまいよ」
「…しかし…」
クローディアの言う通り、カームもリーブリヒも、感じたことがそのまま口から漏れ出ただけだったに違いない。二人が素直に失言を詫びれば、クルスは矛を収めてくれた。それを認めたクローディアは、苦笑を浮かべつつ続けた。
「…実際、わし一人では、これはどうにもできぬ。いいように手のひらで踊らされていた感じじゃよ。上には上がいると—む?」
話の途中だったが、クローディアは袖の中に手を突っ込むと、着信を知らせるケイタイを取り出す。話が逸れたことで少しばかり安堵する。チラリとクルスを一瞥するも、クルスの表情は既に平常のものへと戻っていた。
「ふむ…イチローからじゃ…」
イチローからじゃ—と告げるクローディアは、マギステルを見ていた。既にある程度の事情は知っているらしく、聞きたいことはあるか?—と、視線で問うているものだろう。
「み、皆の様子を尋ねていただけますか?」
「うむ。聞いてみよう」
ケイタイを耳に当て、早速とばかりに修道士達の様子を尋ねるクローディア。こちらの世界には、冒頭で行う伝統のやり取りである“もしもし”が存在しない。違和感が未だに拭えないが、文化の違いだ。慣れるしかないだろう。
《貴女、本当に下らないことに気を取られますよね?》
(うっさい)
ラヴァと例の如く内心で言い争っていると、イチローとの会話は終わったらしい。クローディアは再びケイタイを袖にしまい、マギステルへ破顔してみせた。
「全員、無事じゃよ。それに、面白いことが分かった」
「…面白い…ですか?」
怪訝な顔を見せるマギステルに、クローディアは笑みの度合いを強める。よほどの朗報なのだろうか—と、私も興味をそそられた。
「お主らを蝕む呪印のことじゃ。なんと、メットーラまで離れれば、機能しなくなるらしい」
「「「「「ええっ!?」」」」」
マギステルとその部下達は一様に目を見開く。そんな中、同じ修道士であるソティだけは安堵した様子で胸を撫で下ろしていた。マギステルらの苦しむ姿を見ていられなかったに違いない。
「けれど、油断は禁物じゃぞ?敵がメキラ王国まで来れば、話は別じゃろうからな。もっとも、そんなことをさせるつもりはないが」
クローディアの言に、マギステルらは頷いて返す。呪印は解呪できなくとも、無効化する術があるのであれば一安心だろう。希望が見えてきた気がして、少しだけ気分が上向いた。
「…なあ…敵ってのは誰だ?」
クローディアを睨みつけながら、尋ねたのはリーブリヒだ。別にクローディアに対して思うところがある訳ではなく、自然と目に力がこもってしまったものだろう。クルスが黙っていないのではないか?—と気が気ではいられなかったのだが、ノーカンであるらしい。クルスは静かに話を聞いていた。
「女神教の大司教、エクーニゲルという男じゃな」
「「「「「えっ!?」」」」」
一拍おいてから徐に答えたクローディアであったが、これに驚き声を上げたのは女神教の信徒たる修道士達だ。ノアの鐘は、へぇ—くらいの反応で、私達アエテルヌムに至っては、ソティを除いて、誰それ?—と首を傾げる有様だったりする。国教とは言いながら、強制したりはしない国風は随分と緩いと思う。
「エ、エクーニゲル大司教が!?な、何かの間違いでは?」
「いんや、間違いない。では、その辺りを説明しておこうかの」
そこからしばらくは、クローディアの語るに任せることにした。修道士達も口を挟むことなく、アンラで何が起きたのかを聞いた。
「ぐあああああ!」
「うおおおっ!」
「あああああああ!」
エクーニゲルの持つ短杖が輝いたかと思えば、階下から聞こえてきたのは、咆哮だ。一瞬、魔物でも迷い込んだのか?—と考えたが、これはそうではない。人のものだ。人が吼えているのだ。
「エ、エクーニゲル!お主!何をしたっ!?」
目の前でいやらしい笑みを浮かべる大司教は、短杖をクルクルと回しながら、わしらそっちのけで窓へと向かう。カーテンを開き外の様子を見つめると、彼は満足げに頷いた。
「いや、実に素晴らしい。もうこれほどの民を解放していたんだね。いやいや、人の結束力というものは、時として想像を上回るでしょ」
そんなことを呟きながら、さも嬉しそうに、くつくつと肩を震わせる。こやつは何を言っているのか?—と、わしらは顔を見合わせて困惑した。
「質問に答えろ!エクーニゲル!」
声を張り上げたのはモスクルだ。階下からは獣の如き咆哮が未だに続いており、それが気になるのだろう。顔は強張り、チラチラと視線がドアへ向く。わしだって気になる。けれども、ここを動けはしない。エクーニゲルを逃す訳にはゆかないからだ。
「ああ、ああ…実に素晴らしい光景でしょ。ここから始まるのだね」
「…あやつ、聞いておらんぞ?」
そんなわしらの葛藤になぞ目もくれず、窓から階下を見つめ続けるエクーニゲルに、デンテが渋い顔を作る。わしの眉間にも、次第に皺が寄ってきていた。
「おい、お主」
「…」
「…聞いておるのか?」
「…うん。やはりイレギュラーは良くないでしょ。仕切り直した方が楽しそうだしね」
わしが声をかけても、エクーニゲルは聞いてはいなかったと思われたのだが、不穏なことを呟くと、薄気味悪い笑みをそのままに、こちらへと振り返る。
「じゃあ、御三方は私に挑む資格があるかどうか。ここでテストといこうかね」
こんなことを言い出したのだから、たまったものではなかった。わしらの顔は強張り、身を竦ませる。もっとも、既に賽は投げられたのだ。やるしかない現状、覚悟が決まるのも早かった。
「アクア・ビスカス!」
まず、その気になったのはデンテだ。巷では清流のデンテなどと呼ばれておるらしいが、濁流、あるいは激流の間違いじゃろ?—と、尋ねたくなるような迷いのなさを見せる。本来ならば五芒星の魔術であるアクア・ビスカスも、彼が用いれば六芒星となる。極めて粘性の高い水弾を作り出す魔術だが、粘・円・円・円・変の五つの制御文字に加えて、彼は射を追加していた。
—ガタッ—
アクアビスカスを警戒し、意識を逸らしたエクーニゲルの背後からは、モスクルが必殺の一撃を加えるべく迫っている。これにはエクーニゲルも驚いたらしい。モスクルの素早さもそうだが、モスクルの駆け込んできた位置は、アクアビスカスの射線上だったからだ。エクーニゲルがアクアビスカスを避ければモスクルに直撃する。普通ならばそうするところだろう。
「ほう?面白いでしょ」
「ぐうっ!」
けれど、エクーニゲルは避けなかった。モスクルとデンテがどのような駆け引きを繰り出そうとしたのかは分からない。エクーニゲルが正面から食い破ったからだ。モスクルの突きは短杖で受け切り、かつ、デンテのアクア・ビスカスは、エクーニゲルが手をかざしただけで停止した。
「なんとっ!?」
「わしの術理が…乗っ取られたっ!?」
わしとデンテの驚きは相当なものだった。デンテの眼前に広がる魔法陣が、独りでに制御文字を更新してゆくのだ。デンテがどれほどの魔力を込めようとも、それは変わらなかった。
「デンテ!放棄せよ!」
「くうっ!何故じゃ!?放棄出来んっ!」
デンテが魔力供給を停止しようとしているようだが、それが出来ないのはエクーニゲルの仕業によるものなのだろう。エクーニゲルへと視線を戻すと、彼もまたわしへと顔を向けているところだった。視線が交われば、エクーニゲルの口端が持ち上がる。避けてみるでしょ—とでも言われたような気がして、慌てて杖を打ち鳴らした。
「ウォール!」
わしの足元から石の壁が急速に迫り上がり、ビシャ—と、音を立ててアクア・ビスカスを受け切る。強粘性を誇る液体は、石壁に僅かな亀裂を入れた。
(上手く捌けよ、モスクル)
このままいいようにやらせる訳にもゆくまい。反撃あるのみだ。今なおモスクルはエクーニゲルを果敢に攻め続けているが、そのまま攻撃を仕掛けるしかない。彼ならば回避してくれる—と、信じた。
「ストーン・ランス!」
わしが杖を叩きつけたのは、床ではなく、今し方生み出した石壁だ。石壁は即座に剣山の如く鋭利な先端を作り出すと、石の槍へと姿を変え、アクア・ビスカスを纏ったままでエクーニゲルへと迫る。
「ははっ、同じことでしょ」
「どこ見てやがるっ!」
これで決まるとも思ってはいなかったが、さも当然のように防がれると、やはり腹は立つ。エクーニゲルはこともなげに、片手でわしの術理を乗っ取っていた。
(なんじゃこれはっ!?魔力が…くそっ!どうにもならんっ!)
わしの魔術が急速に制御を失い失速する。わしは魔法陣を展開しない無詠唱でストーン・ランスを放ったが、それでも術理は奪われた。それだけでも信じられないのに、その上、魔力供給が断てないのだ。ぐるりと向きを変え、鋭利な矛先をこちらへと向けてくるストーン・ランス。それを動かす魔力の8割は、間違いなくわしが出したものだろう。何という巫山戯た話か。
「いやはや…凄いでしょ。これはもう、合格としてあげたいね。けど、君達はイレギュラーな手段で私へと辿り着いたでしょ?合格とするには、もう一押しはほしいでしよ」
わしとデンテの二人は、エクーニゲルから術の制御を取り戻そうとしており、いっぱいいっぱいになっていた。文句の一つも言ってやりたいが、口を開く余裕がない。口惜しいが、その役目はモスクルヘ譲った。
「随分と上から目線だなっ!」
「ん?これは…」
モスクルが手をかざしたのは、エクーニゲル本体よりも、やや外れたところだったように見受けられた。すると、どうしたことか。ストーン・ランスがわしの制御下へと戻り、エクーニゲルへと襲いかかる。いきなりのことだったので、ずいぶんと慌てた。
—バキン—
派手な音を立ててストーン・ランスが砕ける。エクーニゲルに当たったのか?—と思えば、そうではない。エクーニゲルは無傷で己の腕を見つめている。わしとデンテもまた、唖然としてエクーニゲルを見つめていた。
「今、何が起きたのじゃ?」
「…分からぬ。だが、エクーニゲルに当たる直前、ストーン・ランスが砕けたように見えたのぅ。まるで、見えん壁でもあるかのようだ」
デンテの言は、的を射ているように感じられる。わしにも、エクーニゲルへとストーン・ランスが刺さらんとした時、何かにぶち当たって砕けたかのように見えたのだ。
「…ふむ。モスクル君の魔法かね?私の腕が、何かで覆われているでしょ。動かせないね」
エクーニゲルは徐にモスクルへと問いかける。モスクルは短杖と鬩ぎ合う短剣を更に押し込みつつ、エクーニゲルへと応じた。
「ああ、俺の魔法だよ。お前こそ、今のはなんだ?」
「…答えるとでも思っているかね?」
ハハッ—と笑いながらの小馬鹿にしたような物言いに、モスクルの顔が歪む。どうやら、モスクルの魔法のおかげでエクーニゲルは術の妨害ができないらしい。ならば、この機を逃す手はない。わしとモスクルは一気呵成に攻めることにした。
「ストーン・ニードル!」
「アクア・バレット!」
発動の早い初級魔術は連射も利く。狭い室内においては中級、上級よりも、こちらを使うのがセオリーだ。もっとも、中級、上級などを使おうものなら、己も巻き込まれるため、これしか選択肢がないとも言えるが。
「ふんっ!」
「ははは。励むといいでしょ」
わしら二人の魔術がエクーニゲルへ迫る。しかし、どういうつもりなのだろうか。エクーニゲルはこちらに見向きもしない。モスクルの連撃を短杖一本で凌いでいるが、もう片腕は未だに動かせないのか、ブラリと下げられたままだ。何か策があるのか?—と、少しばかり焦りを覚える。例えば、わしらの放った術が既のところで軌道を変え、モスクルに命中するとかだ。
—バキン—
—パシャ—
わしらの術はエクーニゲルに届かなかった。彼の背中を目前にして、やはり見えない壁に阻まれたのだ。悪い予想が的中しなかったことには安堵しつつも、これはいけない—と、気持ちを引き締めた。
(威力を上げればいけるか?それとも、魔術に対するなんらかの防御措置か?どんな絡繰じゃ?)
どうする—と、歯噛みしながら杖を握りしめる。わしとて接近戦の心得はないこともないが、モスクルほどの洗練さはない。今、エクーニゲルへと飛び込んだとて、わしではモスクルの邪魔にしかならないことだろう。
(なら、こうじゃ)
素早く中空に呪印を描き、魔力を込める。それまではわしらのことなど無視していたが、ただならぬ魔力の流れでも察知したのか、エクーニゲルが視線を向けてきた。
「…それは…」
「封縛!」
封縛とは、闇の属性を持つ呪術であり、時の流れそのものを僅かに遅くする。多くの場合、封縛の術は印や符を用いて扱う。対象を空間ではなく個に絞るためだ。呪術の中では、呪いではなく、呪いに属する術である。相当にMPを消費する呪術だ。
(流石にこれは効いたろう?)
今の状況で空間に対して封縛を用いれば、室内全体の動きが僅かながら遅くなる。しかし、その中にあって、わしだけは通常の速度を維持できるのだ。何故か。元々が闇耐性を備える魔人族であることも理由としてなくはないが、もっと大きな恩恵を、わしはもらっているからだ。
(最初はどうかと思ったが…役に立つのぅ。闇の魔石)
そう。オサカが作り出した闇属性の魔石だ。これは、人類種にとって天敵たる闇属性への耐性を得ることができる。それによりわしは封縛に囚われることなく動けていた。
(今じゃ!)
モスクルはおろか、エクーニゲルの動きまでもが、わしでも視認し得るレベルまで減衰している。読み通りだった。
(もらうぞ、エクーニゲル)
次いで、エクーニゲルへと駆ける。長杖を持ち上げれば、エクーニゲルは苦々しい顔でモスクルを弾き退け、わしへと向き直ろうとしていた。流石に封縛の印が有効な現状においては、わしの方がいくらか早い。
「モスクル!これを使え!」
だが、エクーニゲルを殴ると見せたのはフェイントだ。わしの目的は別にある。モスクルのポケットへと闇の魔石をねじ込んだ。
(お、おお…)
刹那、まるで水中にでも落とされたかのように、身体の自由が利かなくなる、それに対して、闇耐性を得たモスクルの動きに精彩が戻った。目にも止まらぬ連撃をエクーニゲルへと叩き込んだモスクルは、トドメとばかりに身体全体を捻り、円運動を直線へと変えた強烈な突きを繰り出す。あれはおそらく武技だろう。封縛に捕われた今のわしでは、モスクルの動きが早過ぎて、ほとんど何をしているのか分からなかった。
—バキャ—
封縛の印が消え失せ、時の流れが正常に戻る。エクーニゲルは壁の本棚へと激突していた。モスクルは目を丸くしつつもステップを踏んでおり、デンテもまた、目を見開いてわしを見ていた。
「…クローディア…今のは…なんだ?」
「はぁ…はぁ…封縛を…知らんのか?」
随分と間の抜けた声で問われたため、視線をデンテへ向ける。デンテは封縛を知らなかったらしく、印が消えた後も、封縛が継続していると錯覚しそうなほどに動かない。その理由を考えて、ああ、なるほど—と、思うことはあった。
「…そうじゃな。大抵の人間族は、おそらく今の呪術は行使できん。呪具でもあれば別じゃがの。知らんでも、無理はない」
「…なるほどのう。闇属性の術という訳か」
わしの一言だけで、即座に封縛が闇属性の呪術であると見抜いたデンテ。流石じゃ。わしは頷きを返し、エクーニゲルへと視線を戻した。
さて、デンテの賢しさは置いておくとして、問題なのはエクーニゲルだ。彼は今、壁に設えた本棚を破壊し、そこに身を預けていた。微動だにしないのが酷く不気味だ。項垂れた表情は前髪に隠れてしまい窺い知ることができず、起きているのか気絶しているのかも定かではない。
「…手応えはどうじゃった?」
「…ああ…何と言ったらいいだろうな…例える言葉が見つからない。とにかく、一撃も奴に当たっていないことは間違いない。…すまん」
モスクルの回答は、実に力の抜けるものだった。問いかけたわしのみならず、デンテも辟易した顔を作る。チャンスを活かせなかった—ということに対して責めるつもりなどなく、エクーニゲルのしぶとさ。いや、得体の知れなさに嫌気がさしたのだ。
「…おかしいでしょ」
バサバサ—と己を埋め尽くすほどの蔵書を退けながら、ついにエクーニゲルが起き上がる。あーあー—などと呟きながら、眼鏡の位置を正して振り返ると、壊れた本棚を惜しむ余裕すら見せていた。
「…何がおかしいというのだ?」
「…これ、据付の本棚なのですよね。高いのに…勿体ないでしょ」
尋ねたデンテの顔が渋みを増した。きっと、わしの顔もだ。何なのだろう。この、言葉は通じているはずなのに、会話が成立しない感じは。まるで異邦人とでも会話しているような気分だ。本物の異邦人たるオサカの方が、まだ話が通る—と言っては、オサカに失礼か。
「さて、クローディア君。君はどうして、封縛が使えるのかね?」
「…ん?何故って…使えるから使えるのじゃ。何故もクソもあるま—聞くのじゃ!お主が尋ねてきたんじゃろっ!?」
こちらに背中を向けたまま、エクーニゲルは尋ねてきた。かと思えば、わしの言葉の途中で本棚に手を伸ばすと、一冊の本を手に取る。イラッとしたし、僅かに警戒もしたが、本は魔術書や呪具の類ではなさそうだ。何の変哲もない。普通の本であるらしい。パンパンと本の埃を払ったエクーニゲルは、それをこちらに投げて寄越した。けれど、それを手に取る者などいない。法術陣を彷彿とさせる、幾何学模様があしらわれた教会式装丁の本は、ドサリと音を立てて床に落ちる。エクーニゲルの眉がピクリと動いた。
「…本は大事にしなさいね。知識の泉でしょ」
「…いや、罠を警戒するじゃろが…そもそも、投げねば良いじゃろが」
本当にこの男はよく分からない。敵であることには間違いはなく、階下では今も慌ただしいことになっているらしい。急いでこやつを仕留め、外の様子を確かめなくてはならない。だが、エクーニゲルの行動は読めず、いまいち踏み込むに踏み込めないでいた。まるで、時間稼ぎが目的なのではなかろうか?—と思えるほどに、彼からは敵意のようなものを感じられなかったのだ。それがどうにも、わしらのペースを乱す。目的が正に時間稼ぎだったのならば、大したものだ—と、称賛せざるを得ないだろう。
「…ひ、拾うぞ?」
「大丈夫か?クローディア?」
「何かあれば、骨は拾ってやるわい」
チラチラとエクーニゲルに視線を向けつつ、おっかなびっくり本を拾い上げる。ずっしりと重たいそれは、実に高価そうであり、平常ならば嬉々として開いたことだろう。
「その本の3章1節を見てみるといいでしょ」
エクーニゲルの言に従い、3章1節を探す。パラパラとページを捲れば、目当ての項はすぐに見つかった。
「…失伝した魔術…」
そこに綴られていたのは、アルセイド大陸において、かつて存在は確認されていたものの、今では再現不可能とされていた術理であった。その中には、確かに封縛という呪術も記されていた。
「そうでしょ。封縛もその一つ。しかし、君は何故か使えるね。これは一体、どうしたことでしょ?」
顔を上げれば、エクーニゲルはわしに尋ねていた訳ではないらしい。手を広げて、どこか遠くを見つめたまま、己の世界に浸っているらしい。
(答える義理もないんじゃがな…)
どうしたも何も、ナイセイルの魔人族で、ある程度の力ある者達ならば、このくらいは当たり前にやれる。アルセイドで失伝したからと言って、ナイセイルでもそうだとは限らない。それだけの話だ。それ以前に、エクーニゲルには言ってやりたいことがあった。
「普通に、それを口にすればよかろうよ。わざわざ勿体ぶって、本など捲らせおってからに」
渋い顔で告げてやれば、何故か向こうも渋い顔を作る。大悪党であるはずなのに、どうにも憎めない奴であった。
「クローディア、もういいだろ?さっさとエクーニゲルを倒すぞ」
再び短剣を握り直し、やる気を漲らせるモスクル。どうやって倒すかが問題であるのだが、否やはない。わしも杖をしっかりと握り込む。デンテもまた声にこそ出さなかったが、既に詠唱を終えて、待機に入っているようであった。
「…まあ、いいでしょ。合格としておきましょ」
「…は?」
しかし、いざ飛びかかろうと身構えた頃、エクーニゲルは一方的に終わりを告げてくる。短杖はいつの間にか羽ペンに変わっており、わしらの前を当たり前のように横切ると、ガチャリとドアを開いて出て行った。あまりにも自然な動きであったため、見送ったわしらもわしらだが、今まで敵対していた相手の目の前を無警戒で素通りできる神経は、凄いの一言であろう。




