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異世界転移したけれど、さっさとお家に帰りたい  作者: 焼酎丸
第5章 アンラ神聖国に蠢く闇
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アビス、アトリアへ向かう

 今や広大な都市となったメットーラから僅かに離れた場所で、我らは農地を営んでいる。とは言っても、実際には既に人の手に大凡のことは委ねてあり、我らが出張ることなど、新たな土地の開墾か、新規に栽培を開始しようとする苗がある場合などに限る。今は乳や卵を産み出す魔物らの世話が、我らの主な役割だ。


「うはは!今日も平和であるな!たんと食うである!」

「…平和なのはメットーラだけだろ、おっさん」

「お姉様っ!」


 我の発言の何が気に入らないのか、ハルワタートは今日も元気に噛み付いてくる。先日などは業腹のあまり、結構強めにデコピンしたものだが、全く堪えてはいないらしい。どれ、もう一発かましておくか。


—ヒイイイイイイン—


 空の上から腹の底へと響くかのような轟音が聞こえてくれば、鳥や牛の魔物達は浮き足立つ。我先にと逃げ出そうとする魔物らを宥めつつ、上空を見上げる。予想通り、やってきたのはクルスの輸送機だった。


「ア、アビス様〜!ヒコーキが!ヒコーキが!」

「ああ、ああ。慌てずとも良いである。突っ込んでなぞこないであるな」


 農夫の一人が慌てて駆け寄ってきたのを落ち着かせる。我の言質を得て安堵したのか、農夫はペコリと一礼し、あっさりと去っていった。


「…おっさんのこと信用し過ぎじゃない?」

「…いや、我の偉容故にであろう?」

「ま、まあ。何にしても、落ち着いてくれてよかったですよ」


 3人で歩き去ってゆく農夫の背を見送りながら、なんとも複雑な心持ちになった。あの農夫は、メットーラの変革を知らない。メットーラという町は、常から摩訶不思議な事象が起こる魔道具に囲まれた大都市なのだ—などと思っているに違いないだろう。ついこの前まで、何もない田舎町だったなどとは露ほどにも思ってはおるまい。


(まあ、あの者に限らず、ちと我らを神聖視し過ぎの部分は、あるやもしれぬであるな)


 メットーラの貧民街に始まり、付近の村々も吸収した農場は、今や別個の都市のように成長していた。ここであれば魔物の脅威からも確実に身を守られ、安全安心に農作業ができるばかりか、取れる作物は絶品ときたものだ。その取りまとめたる我ら3人が神がかって見えるのは、仕方ないことなのかもしれない。実際に神だし。色々と隠しきれないオーラが、漏れ出ているに違いない。


—ドドドドド—


 外壁の向こうで、着陸したであろう輸送機が地を削る音が聞こえる。どれ、クルスらを迎えに行くとしようか。


「確か、黒髪黒目の者がいるのであったな。楽しみである」

「…あいつの同胞と決まった訳じゃないんでしょ?」


 背筋を伸ばしてポキポキと腰を鳴らすと、ハルワタートが不満げに呟いた。何を不機嫌になっているのかと思えば、そういうことか—と、得心いった。


「うはは。そうであるな。もし、怪しい動きがあれば、貴様が警戒しておれば良いである」

「え?あ、うん。そ、そうだね」


 要は、新入りが気に食わないだけなのだろう。きっと、人柄に問題なければ、すぐにでも打ち解けているに違いない。一見すると勝気なハルワタートだが、その内面は極めて繊細で傷付き易い。ならば、教育係的な位置にでも置いておけばよいのだ。よく見える場所に配してやれば、この娘とて変に拗らせることもないだろうから。我の采配には、アムルタートも笑みをこぼしていた。


「で、アンラはもう行かないの?」

「そうであるな…」


 ハルワタートの問いかけには即答せず、ぐるりと農場内を見回す。冬という気候にもかかわらず、農場内は快適な気候に保たれている。薄着で汗を流して働く者達に席を外すと伝えれば、義手を手に付けた男が快活に応じた。元は貧民街の出であろうが、恵まれた生活に角は落ち、元々の人の良さが滲み出るに至っている。その周囲では子供らが走り回り、今は男に苦笑を浮かべさせていた。


(いい物を食えていれば、人はそうそう悪いことを考えない—か)


 いつかオサカの言ったことを思い返して、あるいはそうなのかもしれないな—と考える。かつて、竜の里で人々を保護していた頃にも、食うに困らなければ、人はある程度満たされていたことを思い出した。


「…なんで行かないのさ?」

「む?それは決まっているである。人の世に、悪戯に神が干渉してはならないであるからな」


 既に終わったと考えていたやり取りは、まだ続いていたらしい。怪訝な顔を見せるハルワタートに、語って聞かせることにした。


「良いであるか?我らの力は絶大だ。故に、力の使い方はよく考えねばならぬである」

「…まあ、ね」


 ハルワタートはチラリと農場を振り返ると、確かに—と、理解を示す。この娘は神格を得てから日が浅い。実際には数万年という時を過ごしているらしいが、それらは彼女が神として生きた時間には換算できない。神としての自覚を持つ前に、討たれたからだ。己が如何に異質な存在であるのかを理解できていないのだろう。神というものは、少しばかり特殊な力を持った、人間の親近種程度に考えているに違いない。そうではない—と、自覚を促す意味でも、一度しっかり考えてもらうべきだ。


「例えば、二国間で戦争があったとして、我らが一方の勢力に肩入れしたとすれば、どうなる?」

「…そりゃ、当然肩入れした方が勝っちゃうよね」

「そうであるな。だがもし、ここで勝利を得るのは、他方であることが望ましかったとしたらどうである?それは、正しき行いであるか?」


 ハルワタートは押し黙る。我の言いたいことが理解できたらしい。


「そういうことである。邪神絡みならば、遠慮なく介入するであるが、そうでないならば、それは人の世の営み。例え、思うところはあっても、悪戯に手を貸してはいけないである」

「…この間は許してくれたじゃないか」

「そりゃ、我にも感情があるであるからな。好ましい相手とあれば、助けることは吝かではないのであるな。だからこそ、厄介なのであるな。我らの主観により、人の世はどんどんと捻れてゆく。我らのような者などは、本来、人とは一線を画した場所に住うべきなのである」


 この間—というのは、デンテとかいう老魔術師を助けたことだ。あれはクローディアの要請によるもので、流石に断りきれなかった。クローディア個人には借りもあるし、人として生きる現状では、彼女のことはとても好ましい隣人に思えるからだ。他者を愛しみ、先陣切って己が仕事に取り組む姿勢は、模範的なリーダーだ。そのクローディアが言ったのだ。死なすには惜しい—と。そんな男がどれほどのものか、我も見てみたくなったのである。


「あの呪印は確かに恐ろしいものであったが、神通力の類はなかったのである。紛れもなく、人の手により成された術であるな。それを伝えれば、クローディアも言ったであろう?ならば人の仕事だ。ここから先は、わしらでなんとかする—とな」

「…ああ、うん。…言ってたね」


 次第に声音から力強さが消えてゆくハルワタート。彼女もまた優しい娘だ。言葉遣いの悪さはあるが、それだって、弱い己を奮い立てる鎧に他ならない。少しばかり可哀想に思えて、今日のデコピンは軽めに済ましてやろうか—などと血迷った。


「…あ、あれ?アビス様…クルス様達がおりませんが?」

「うむ?…確かにおらんであるな。これはどうしたことである?」


 農場の外壁を出て輸送機を見れば、既に輸送機からは人が降りきっているらしく、輸送機の後部扉は閉じている。だがしかし、アムルタートが言うように、クルスやファーレンと思わしき者はいなかった。何故かイチローら再生者(レナトゥス)がいる上に、ゾロゾロと、どこかで見た白服の娘達を大量に引き連れている。何が起きているのか分からずに、首を傾げた。


「イチロー、他の者達も。ご苦労様であるな」

「これはアビス様。お出迎え、感謝致します」


 イチローらが慇懃に礼をするのを見て、我のことを上位者と思い違えたのだろう。背後に並ぶ白服の娘達も、全員が首を下げる。壮観だが、やめてほしかった。


「それで…早速なんだけどさ。これはどうしたこと?背後の修道服の子達は何?クルス達は?」

「あ、はい。まずは、取り急ぎ修道士達のことについて、ご説明させてください」


 ハルワタートがイチローを急きたて、イチローは慌てて応じる。それによれば、修道士達はアンラからアトリアへと向かう聖火隊というものであるそうだ。言われてみれば、後方で未だに燃え続ける輿を担ぐ者達がいた。


「…重そうであるな」

「はっ!気が付きませんで!直ちに某がっ!」


 少しばかり感想を漏らしただけなのだが、ゴローは慌てて駆けてゆくと、輿を修道士達から奪い取る。なんだろうな、このこそばゆさは—と、首をボリボリかいた。


「それでその…呪印が肩にありまして。アビス様らのお力添えを賜りたく」


 イチローが再び頭を下げれば、皆もそれに倣う。呪印とは、どこかで聞いた話だ。先ほど、悪戯に手を出してはならない—と偉そうに言っただけに、どうしたものかと唸る。ハルワタートとアムルタートの視線を強く感じた。


「おっさん」

「アビス様…」


 蔑むかのような視線に、縋るような視線。ハルワタートは後で拳骨を落とすとして、とりあえず、どのような呪印なのかを見せてもらうことにした。


「どのような呪印なのであるか?まずは見せてみるである」


 だが、修道士らは誰も前に出てこようとはしない。皆で顔を見合わせながら、戸惑っているらしい。なんなのだ一体—と、イチローに視線を向けるも、イチローにも分からないらしい。彼もこの反応には困惑していた。


「おっさん。肩だよ、肩?」

「恥ずかしいのだと思います…」


 ハルワタートとアムルタートの言に、遠慮がちに修道士達は頷く。これには我もイチローも頭を抱えた。


「…どうしろというのである…」

「全くです」


 仕方なく、そのままイチローに語ってもらったところによれば、輸送機の中では散々に苦しめられたらしい。けれども、メキラ王国へと入った頃、容体は安定したそうだ。それ以降は何かしら害もなく、今も平常を保つに差し障りないとのことだ。


「…術の有効範囲を出たであるな」

「ということは、彼女達は、メットーラにいる限りは呪印があっても行動に支障はないということでしょうか?」

 

 顎を摩りながら、己で出した答えに間違いがないかを探る。呪印は発動した。すなわち、呪術が起動したのだ。にもかかわらず、現在は安定している。ならば、それは術理の有効範囲外へと出たことに他ならない。間違いない—と、結論付けた。


「うむ。そうであるな。術者がアンラ神聖国にいる限りは、修道士らに危険はないであろう」

「ああ、それはようございました」


 イチローに代わり声を上げたのはジローだ。同じ修道服を纏う者同士。祈る神は違えど—本当にジローは神に祈っているかも怪しいが—、その身に危険がないことを知って安堵したらしい。和かに微笑み、胸を撫で下ろしていた。


「一国を丸ごと覆うほどの呪術っスか…」

「条件付けさえ行っておけば、それ自体はそう難しいことではありませんわ」

「なら、その条件付けは何だと言うつもりっスか?」

「…それは…分かりませんわ…」

「なら、最悪を想定するっス。条件付けなど行わなくとも、一国くらいは覆い尽くせるほどの力の持ち主—そう考えた方がいいっスよ」


 一方で、我の仮説を基にして、敵の脅威度を見積もろうとしている者達もいた。サブローにシローだ。そのやり取りを見つめつつ、我も考えてみることにする。


(条件付けがあるのは間違いないであるな。でなくては、如何なる呪具を用いたとて、一国を覆えるほどの術など、人の身には不可能である。修道士達に神力の影響は見受けられない。紛れもなく、人の手によるものである…)


 けれど、人の手によるもの—というところまでは分かっても、それ以降はとんと知れない。実際に呪印を見なくては、何も判断がつかなかった。


「…気になるであるな」

「おい、おっさん」

「アビス様…流石に乙女の衣服を剥くのは感心しませんよ?」


 女神姉妹の苦言に、腕組みしたまま深く深く嘆息する。ハルワタートとアムルタートの二人には、一体、我という存在が何に見えるというのか。人の娘なぞに興奮できる訳がない。我は竜なのだから。もっとも、酒が入れば娼館にも行ったりはするため、そういう点ばかりを見られていることも、理由としてあるといえばある。今一度、我の凄さを目の当たりにして見せるべきだろうか。


「ところで、アビス様…彼女らの保護をお願いしてもよろしいですか?」


 イチローが再び頭を下げ、改まった口調で尋ねてくる。てっきり、この娘共はイチローらが面倒を見ると思っていただけに首を傾げた。


「ん?どういうことである?」

「我らは、マイロードの同胞と思わしき者達の元へ向かいます。彼女らはまだ弱く、今のアンラ神聖国に置いておくには、少しばかり不安なのです」


 ふむ—と、顎を撫でた。元々クルスは、イチローらの緊急要請を受けて、メットーラを後にしたのだ。黒髪黒目の者を見つけたこと。その者達が、オサカの同胞で間違いないと思われること。そして、その者達が襲われていること。立つ前のクルスから聞かされたのは、そんなところだった。


(これは…ちょうど良いかもしれんである)


 最近、どうにも我の威厳が薄まっていることは、なんとなく感じていた。以前は悪鬼羅刹の代表格たるオサカが我を上に置いていたことで、自然と傅かれたものだが、最近はそれもない。それ一つが理由でもないだろうが、近頃などはハルワタートの増長が酷く感じる。我の威厳を取り戻すことも含めて、ここらで一つ、我が自ら動いても面白かろう。


「うはは!決めたであるな!我が行くである!」

「は?」

「え?」

「ア、アビス様?そ、それは一体?」


 ハルワタートとアムルタートが目を点にし、イチローらも面食らう。すぐに我に返ったハルワタートが噛み付いてきた。


「おいおっさん!悪戯に人の世に云々—ってのは、どうなったんだよ!?」

「我はこうも言ったであるぞ?我らにも主観がある—とな」


 はああ?—と呆れた顔を作るハルワタートだが、もはや我はすっかり乗り気だ。是が非でも行く。元々、説教などというものは、我が身を棚の上にでも置かねばできないものなのだ。発言と行動の矛盾など、ままあることなのである。


「と、いう訳である。イチローよ、修道士達のことは、貴様らに任せた」

「え?あ…はぁ…分かりました。ロロナ様を通じて、辺境伯へ口添えをお願いしてみます」


 イチローらは最後に一礼すると、修道士らを率いてメットーラの東門へと向かった。イチロー達ならば、ロロナとて無下にはすまい。このまま行かせても良かろう。まあ、十中八九、真・オサカ邸にて逗留してもらうことになるのだろうが。


「ハルワタート、アムルタートよ。行くである。付いてくるであるな」

「今からっ!?」

「わ、私もですか!?」


 背後で何かブチブチと文句を言っているが、気にしない。魔石を用いて亜空間を開くと、さっさと地図を取り出した。そしてもう一つ、竜たる我の勇姿を刻んだ駒だ。これはオサカ自身が何度も作り直した最高傑作ということで、我もなかなかに気に入っている。躍動感に溢れたその姿は、オサカに襲い掛かった時の我を再現したものであるらしい。そう聞かされると、何とも心苦しいが。


「…どうしたんですか?」

「…アトリアがどこか分からないんでしょ?」

 

 駒を取り出したまま動かない我に代わり、ハルワタートが地図の上へと駒を置く。途端に魔力が迸り、我らはアトリアの町へと転移した。


「…我が置きたかったである」

「おっさん、あんまり一人だと転移とかしないからね」

「お姉様っ!」


 ヘラヘラと笑うハルワタートに、拳骨の力は2割まで出そう—と決めた。

 さて、アトリアという都市は平原と山脈を分かつ形で作られた城塞都市だ。元々は北方からの侵攻に備えるための砦であり、急峻な山脈の中で、なだらかで通行に耐え得る箇所を塞いでいたものであったそうだ。時代の流れとともに南北を繋ぐ関所とへ役割を変じ、街道の要所になったらしい。


「それにしても、酷いわね」

「はい。町の外からでも、異様さが伝わってきます」


 城壁を見上げながら、姉妹は眉をひそめる。ハルワタートが言うように、町は負の魔力を相当に溜め込んでいた。それを逃がさないようにしているのか、何らかの結界で町ごと覆われているが、そこまではハルワタートらには見えまい。おそらく、竜眼を持つ我にしか感じ取れていないことだろう。


(これはいかんであるな。早急に、その者達を保護した方が良さそうである)


 外観はもういいだろう。さっさと門を潜るべく歩き出せば、ハルワタートらは慌ててついてきた。


「ま、待ってよおっさん!置いていかれたら、普通に死ぬからねっ!?」

「それは困るであるな…まだ、今日の分の怒りをぶつけていないである」

「アビス様…何卒、ご寛恕ください」


 ねっとりとした魔力の壁を通り過ぎれば、流石にハルワタートらも結界の存在に気がついたらしい。身体に纏わりついた蜘蛛の巣を思わせる気持ち悪さに、必死になって腕やら顔やらを払っている。


「うわっ!?ぺっ、ぺっ!ああもう、最悪よっ!」

「結界ですね。実に悪意に満ちた結界でした」


 ハルワタートとアムルタートは今し方潜ってきた門に振り返っているが、我はそうではなかった。立ち並ぶ家屋の奥へと視線を送り、ジッと気配を窺う。この町中に漂う凶悪な気配には覚えがある。太鼓の昔にかいだ、旧支配者共の悪臭だった。


「今更、地上に舞い戻ってくるとは…」


 向こうもこちらに気がついたのだろう。ぬぅ—と巨大な黒い影が、家屋を超えて持ち上がる。否、それは影ではない。手だ。巨大で、真っ黒な腕が振り上げられたのだ。


「…な、何…あれ?」

「…あ…ああ…」


 こうなると、背後の二人を連れてきたことは失敗であった。聖火神の中において、武闘派でもなんでもないどころか、権能に特化しただけの、こと戦闘においては最弱の二人だ。別にあの程度の者を相手にしたところで、我が苦戦するとも思えないが、万が一ということもあるのだ。


「アムルタート、生者の気配は追えるであるか?」

「…え、あ!はいっ!…ええっと…」


 我に問われて己を取り戻したアムルタートは、慌てて周囲の気配を探り出す。我は視線を前方へと戻し、旧支配者の腕を見つめた。振り上げられた手には、何か握られているように見受けられたからだ。それは見間違いなどではなかったが、あれは果たして人なのか。否、人ではない。発達した牙に、赤い眼を持つ男のようだ。おそらくは、吸血鬼(ヴァンパイア)だろうと思われた。なら、捨て置いても良いだろう。あれほど牙が発達しているのは、日常的に血を飲んでいた証だ。こんな場所で血を飲んでいた証拠のある吸血鬼(ヴァンパイア)。碌な者でないことは、間違いあるまい。


「…いません。この町には、生きた人間は…一人も…」

「…少し、遅かったであるな…」


 やがて、まるで己が責任であるかのように、申し訳なさそうにアムルタートは首を振る。彼女の言葉は、だいぶ堪えた。町の者達にも申し訳なく思ったが、何よりも、オサカの同胞を救えなかったことと、クルスらを失ってしまったことに、この上ない絶望感を感じていた。身体から自然と力が抜け落ち、目の前が次第に暗くなる。思わず壁に寄りかかり、頭を振った。


「…オサカ…すまぬである…クローディアよ…許しておくれ…」

「…おっさん…」

「…アビス様…」


 さて、この落とし前、どうつけてもらおうか—などと怒りを滾らせていると、上から何かが降ってきた。どしゃり—と音を立てて転がるそれに、ハルワタートとアムルタートの姉妹は肩を跳ね上げる。どうやら、旧支配者に握り潰されていた吸血鬼(ヴァンパイア)であるらしい。手足は不自然に折れ曲がり、胴体も紙切れを思わせるほど細くなっていた。これでは魔石もダメだろう。既に内包する魔力もほとんど感じない。この男は、もう死ぬ。


「あ、う…おのれ、エクー…ニゲル…我ら、を…騙し…」


 こちらには見向きもせず、エクーニゲルとかいう誰かに恨み言を吐きながら、男は灰に変わる。その一部始終を見て、怒りの矛先を向けるべき相手を知った。


「なるほど。この事態を引き起こしたのは、そのエクーニゲルであるか。ここを片付けたら、次は其奴に会いに行くとするであるか」

「ど、同感だわ」

「え?お姉様?え?」


 弱い癖にやたらと勝気なハルワタート。そんな姉に振り回されつつも、結局は共に行動するアムルタート。この姉妹は見ていて飽きない。我は、意外にも二人を好ましく思っているらしい。


「ふはは。そうであるか。ならば、あんなデカブツには、早々に退散してもらうしかないであるな」


 黒く巨大な影が身を起こし、その全容を露わにする。まるで影が寄り添うかのように集まった黒一色の肉体。爛々と赤く輝く双眸。そこだけが別の絵画から切り貼りしたかの如く、妙に鮮明に見える口。実に醜悪極まりない。旧支配者達の一種で、闇の魔力により肉体を形成する怪物、ズ・シャ・クォンだ。


「では、ちと本気を出すである。近付いてはいかんであるぞ?あれが鐘を取り出したら、耳を塞ぐである」

「え、ええ…」

「はい」


 姉妹に警告してから、ズ・シャ・クォン目指して跳ぶ。屋根の上へと降り立ち、そのまま駆けた。


(父上、貴方の食べ残しである)


 今は亡き父の仕事を引き継いだ気がして、少しだけ嬉しく思った。この化け物に感謝する、唯一の点であろう。


「どれ、オサカのスキルは…ふむ、未だに使えんであるな。全く、どこをほっつき歩いているであるか」


 魔力武器生成が使えれば簡単なのだが、オサカが近くにいない今は使えない。亜空間から死霊騎士(デュラハン)の武器を取り出しても同じことなのだが、どうにも面倒だ。それに、我クラスにもなれば、殴った方が早かったりする。素手で触りたくもないが、嫌になったらドラゴンブレスで消し飛ばせば良い。どうせ、もはやこの地に生者はないのだから。


『@#/&_』

「相変わらず、何を言っているやら分からぬであるな」


 ズ・シャ・クォンが雄叫びを上げれば、口の中から涎塗れの鐘が現れる。彼唯一の攻撃手段があれだ。あの鐘の音には、(のろ)いの特性があり、鐘の音を聞いた者達を立ち所に自害させるのである。ハルワタート達にも効きはしないだろうが、耳を塞がせたのは、いわば保険だ。念のため背後を見れば、言付けを守り、ちゃんと耳を塞いでいた。


—ガラァンゴロォン—


 鐘が揺れ出せば、途端にけたたましい音色が響き渡る。ビリビリと身体を何かが駆け巡るも、我には微塵も通じない。屋根を駆ける勢いそのままに跳躍し、まずは挨拶—とばかりに、余裕をこいて胡座をかいた膝に拳を打ち込んだ。


『@#/&_』


 膝は風船のように破裂し、辺りには闇の魔素が充満する。このままでは肉体を再形成されることは想像に難しくない。さっさと終わらせてしまおう。


「おう、そうであるか。効いたであるか。じゃあ、これはおまけである」


 霧散した膝から体内めがけて、光の波動を放射する。ズ・シャ・クォンは闇の魔力により肉体を形成する怪物だ。反属性である光には滅法弱い。


『@#/&_』

「ふはは、喜んでもらえたようで何よりであるな」


 ズ・シャ・クォンの下半身が、我の魔力に耐えきれず霧散すれば、巨体はたちまち傾き、家屋を次々に押しつぶしながら転倒した。辺りは砂埃やら何やらで灰色に染まり、一歩先をも見通せなくなる。もっとも、そんなものは竜眼を持つ我には関係ないのであるが。


「ほら、急いで立ち上がるである。貴様の本体が、剥き出しになっているであるぞ?」

 

 屋敷を二つ三つ下に敷く鐘をポンポンと叩きながら、黒い影に笑いかける。頭部がぐるりとこちらを向き、赤い眼にはいくらかの怒りが見て取れた。本人としては慌てて振り向いたつもりなのかもしれないが、巨大なだけあり、動作は実に緩慢だ。


「さぁて…こいつが硬いらしいであるな…」


 父上に言わせれば、この鐘がなかなか噛み切れなかったそうな。とにかく硬いのだとかなんとか。今の我は、果たして全盛期の何割程度の力が出せるであろうか—と苦笑しつつ、徐に拳を握る。個人的には、既に父を超えたと思っている。天国の父を安堵させるべく、ここは頼もしい姿を見せておきたい。


「ふぅん!」


 大きくふりかぶり、全力の拳を叩き込む。不思議と音は鳴らなかった。だがしかし、先にけたたましく鳴り響いた時よりも、よほど不快な魔力波が周囲に拡散する。ズ・シャ・クォンの防衛機能か何かだろうか。


『……………』


 こちらへと向けて伸ばしていた巨大な腕が停止した。先端から魔力の塊へと変わり、そのまま魔素へと還る。身体も、顔も崩れてなくなれば、ふぅ—と、安堵の息を吐いた。ズ・シャ・クォンは倒れたのだ。


「うむ。父上よ。後は、この我に任せて眠るであるな」


 誰ともなしに呟き、今し方、殴りつけた鐘を見る。鐘もまた、肉体同様に崩れ去るところだった。ただし、こちらはまるで腐敗してゆくかのように崩れてゆく。下部から汚泥のように黒ずんだ液体に変わり、ポコポコと気泡を破裂させる様は、あまりにも気持ち悪く、二、三歩退がった。


「うえ。やっぱり、こいつら不快である」

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