ドラゴンが現れた場合
周囲には黄金色に輝き収穫間近となった麦畑が広がっている。その真ん中に大きな道が真っ直ぐ伸びている。
その道を颯爽と走り抜けていくものがあった。
「ウマといっても生きている馬ではないのですね」
オレールが運転している馬のような乗り物の後ろに、紫依がちょこんと横座りで乗っている。
「生きている馬もいますが、このウマの方が早いですから。急ぐ時などは、こちらを使用します。ただ、造るためには貴重な材料と長い時間が必要となりますので、数はあまりありません。それに使用するには、魔力が必要ですので使用できる人も限られます」
説明を聞いて紫依が俯く。
「すみません、そんな貴重なものを壊してしまって」
街を出発する時に紫依にも同じウマが用意されていたのだが、紫依が触れたとたん動力部が爆発して使用不可能となってしまったのだ。
「紫依様の魔力にウマが耐えられなかっただけです。紫依様が気になさることではありません」
オレールの慰めにも紫依は俯いたまま体を小さくした。
「私は力のコントロールがうまくできなくて、周りに迷惑をかけることが多いんです。それでも最近はコントロールが出来るようになってきたと思っていたのですが」
「その大きな魔力がこの世界を救うために必要なんです。胸を張って下さい」
その言葉に紫依が顔を上げると、目の前には麦畑が地平線の先まで続いていた。その光景に紫依はなんとなく幼い頃過ごした土地を思い出して微笑んだ。
「この国は農業が盛んなのですか?」
突然の質問にも関わらずオレールは淡々と答えた。
「この国というより、この地域では農業が盛んなのです。ここは、この国の穀倉地帯ですから。南側は砂漠と荒野ばかりですが希少な鉱物がとれますし、西側は海に面していて貿易で栄えています。そして東側は王都があり、この国の中心には東西を結ぶ大河が流れています」
「豊かな国ですね。みなさんも幸せそうでしたし」
紫依は見送りに集まった街の人々を思い出した。
皆、勇者が魔王を封印して、いつもの平和な生活が戻ってくることを疑っていない。それが当然のことであるように笑顔で二人を送り出していた。
オレールが説明を続ける。
「この国は魔王が定期的に復活するため他国が侵略しようとしませんから、基本は平和なのです。この国の王族の中で一番魔力が高い人間と、この国の民族、シャブラ民の中で魔力が高い三人の人間の計四人でないと魔王の封印は出来ません。ですから他国もこの国を傷つけようとはしません。魔王の封印に失敗すれば、そのうち自分の国も魔王の被害に合いますから」
「王族とシャブラ民の方達でないといけないのですか?」
「そう言われています。昔、この国以外の人間が封印をしようとして失敗したと伝えられていますので」
事実かは分かりませんが。と、オレールは心の中で呟いた。
だが、そんなことなど知るはずもない紫依は質問を続ける。
「それでは、どうやって魔力が高い人を見つけているのですか?」
「この国の子どもは十歳になると全員、魔力検査を受けます。そこで魔力が高い者、魔力の潜在能力が高い者が選ばれて王都にある特別学校で生活します。そして、その中でも魔力が高い者、そして純粋なシャブラ民であることが証明された者の両条件を満たした数名が身分に関係なく城で働き魔王の復活に備えるのです」
「そうなんですか」
紫依は返事をしながらも後方にある遠い空に意識を集中していた。
だが前方を見ているオレールはそのことに気づいておらず話を続けた。
「この国は平和ですから戦争を嫌った他国の科学者や技術者が亡命してくることもあります。そのおかげで、この国の魔法技術は他国に比べて高水準なのです」
「それは素晴らしいですね。ところで、お話は変わりますが、あれはどういう生き物なのでしょうか?」
オレールが後ろを振り返る。紫依が指差した先には大きな翼を羽ばたかせながらこちらに向かってきている赤いドラゴンの姿があった。
「ファイヤードラゴン!?住処は山脈の奥のはずなのに、何故こんなところに!」
驚いているオレールに紫依がドラゴンのいる方向とは反対側を指差して言った。
「あちらからも何か来ます」
それは人間ぐらいの大きさはある蜂に似た姿をしたものだった。数匹が集まって真っ直ぐこちらに向かって飛んでくる。
「あんなものは見たことがない!魔王城から現れた魔物か!?」
オレールはウマを止めて上空を見た。このままだと、この真上でドラゴンと巨大な蜂がぶつかり合うことになる。
「紫依様はここでお待ち下さい。私はあの巨大な蜂を片付けてきます。蜂がいなくなればドラゴンも住処に帰るでしょう」
ウマから降りて走り出そうとしたオレールのマントを紫依が引っ張る。思いのほか強い力にオレールは体のバランスを崩して転びそうになった。
「何ですか!?」
どうにか転倒を免れたオレールに紫依が淡々と話す。
「今は動かないほうがいいですよ。巻き添えになります」
紫依が真っ直ぐドラゴンの方を見る。つられてオレールも視線をそちらに向けると、ちょうどドラゴンが大口を開けて火の玉を吐き出そうとしているところだった。
「やめろ!そんなことをしたら畑が燃える!」
オレールの叫び声を無視してドラゴンは火の玉を巨大な蜂に向かって飛ばした。
火の玉は巨大な蜂たちに命中して消し炭となった。ただ、その燃えかすが火の粉となって畑に降り注いでいく。収穫間近の乾燥した麦畑では、この小さな火でさえも大火事に変える可能性がある。そして何よりも麦が収穫できなくなる。
オレールは間に合うかわからないが呪文を詠唱した。
「水の精霊よ、我が呼び声に応え……うっ……」
呪文の途中で立っていられないほどの強風が起こった。
思わず詠唱を止めたオレールが見たものは、強風が竜巻のように火の粉を巻き上げて火を消した光景だった。
「何が起きたのだ……」
状況を把握しようとしているオレールの横を紫依が歩いていく。
オレールが慌てて紫依が歩いていく方向を見ると、その先にはドラゴンがおり空中からこちらを見ていた。
「危ない!近づくな!」
敬語を忘れて叫ぶオレールに紫依は振り返ることなく静かに言った。
「大丈夫です。敵意を消して下さい」
「ですが……」
心配するオレールを無視して紫依はドラゴンに話しかけた。
「先ほどの風は火から麦を守るためにしたことです。あなたの縄張りを荒らすつもりはありません。このまま私たちが、この道を行くことを許して頂けませんか?」
紫依の言葉に空中からこちらを見下ろしていたドラゴンが動いた。
プライドが高く、決して地面には降りないというドラゴンが紫依の前に降りたのだ。しかも、そのまま頭を下げて口を開いた。
「我が思慮が足りず、失礼した」
普通ならありえないドラゴンの言動にオレールは新緑の瞳を丸くする。だが紫依は平然としたまま軽く頭を下げた。
「いいえ。こちらこそ驚かせてしまい、すみませんでした」
紫依が顔を上げて長い黒髪を風になびかせながら微笑む。人形のように可愛らしく整った容姿でドラゴンの前に堂々と立つ姿は、紫依をより一層人間離れした存在のように感じさせる。
オレールがその光景を呆然と眺めていると、ドラゴンが紫依に話しかけてきた。
「小さき姫よ、名を交換させては頂けないか?」
名を交換するということはドラゴンを使役できるようになるということだ。それは歴史上、数える程しか例のないことだった。
だが、紫依はゆっくりと首を横に振った。
「私はこの世界の人間ではありません。ただの通りすがりです。いずれは去っていくのに、あなたの大切な名を聞くわけにはいきません」
「なるほど。このたび召喚されたのは小さき姫だったか。だが、再び同じ魂を持つ姫と出会えたことは幸運」
そう言うとドラゴンは自分の足からウロコを一枚剥がして紫依の前に差し出した。
「この世界にいる間だけでも手伝わして下され。我の力が必要な時は、このウロコを持って願えば、すぐに駆けつけよう」
「ですが……」
戸惑う紫依にドラゴンが顔を近づける。
「小さき姫は覚えておらぬだろうが、我はその魂に借りがある。小さき姫が生まれる前の魂に。その借りを返させてはくれぬか?」
ドラゴンの熱意に紫依は少し困ったようにウロコを受け取った。
「わかりました。その時はよろしくお願いします」
「では、再び会える日を楽しみにしておるぞ、小さき姫」
ドラゴンは翼を大きく動かして大空へと飛び立っていった。
「では、行きましょうか」
何事もなかったように紫依がオレールに話しかける。だが不覚にもオレールはすぐに反応できなかった。
「オレールさん?」
人形のような顔が首を傾げて覗き込んでくる。大きな深紅の瞳に見つめられてオレールは慌てて顔を反らした。
「なんでもありません。早く行きましょう。日が暮れる前に次の町につかないといけませんから」
オレールは早足でウマに向かって歩いていく。その後ろを紫依が駆け足で追いかけた。
「待って下さい」
紫依の声に麦畑の麦たちが礼を言うように風に揺れて頭を垂らしていた。




