3、「薬草に興味はありますか?」
エレノアの母親は、翌日ルシアンが訪ねたころには、快方へ向かっていた。呼吸も昨夜に比べたら落ち着いていたし、呼べば細い声で返事が出来るくらいには回復していた。ルシアンは、また脈を測り、今度は本人に問診し、念のために、あと三日分の薬を渡し、帰りは露店で薬を売り、夕方には家に帰った。
ルシアンが調合した薬も、経口補水液も驚くほどよく効き、何日も続いていた高熱は下がり、エレノアの母親は、食事も取れるようになった。エレノアは、森の家へ飛んできて、元気になった母親の様子を嬉しそうに語り、何度も感謝の言葉を口にした。彼女は玄関先で、嬉しそうに笑った。
「本当にありがとうございます。ルシアンさんのおかげです!」
「いえ。薬が体質にうまく合ったのでしょう。あそこまで早く回復するとは僕も思いませんでしたから……。寝ずに看病したエレノアさんとお父様との努力の賜物だと思いますよ」
「いいえ!!ルシアンさんが作ってくださった薬と、特別なお水のお陰ですよ!!だって、覚悟しろって、お医者様には言われちゃいましたからね!!」
そう笑って、エレノアは持ってきた籠をルシアンに差し出した。中には、焼きたてのパンや卵、数種類のチーズに高級なワイン、牛肉の塊、蜂蜜の瓶が入っていた。
「お礼です。受け取ってください!!」
「お代はもう十分頂戴しましたが……」
「それではこれは、次回のツケで!」
「ああ…、はい。それならいいですけど……でも、こんなに?」
「はい。父も母も、そして、私も……。あなたには深く感謝しているんです」
ルシアンは、少し困ったように笑った。
「それでは、遠慮なくいただきます」
「ふふ。よかった」
エレノアは、庭を見回した。森の中を開墾したルシアンの家の前には、野菜と薬草が分けられて、それぞれの畑で整然と元気よく生えており、裏庭には大きな樫の木が立っている。
「素敵なところですね」
「そうですか?」
「ええ。静かで、落ち着いていて、木漏れ日が綺麗で……。私、こういう場所が好きです」
彼女は、薬草畑の端に咲いている小さな花に目を留めた。
「まあ、可愛い」
しゃがみ込んで、そっと花を眺める。その姿を見て、ルシアンは思った。この娘は、本当に花が好きなのだろう。美しいから愛でるのではなく、そこに咲いているから、大切にする。エレノアは、踏まれそうな場所に咲いている花を避けて歩く。そんな人なのだ、と、考えた。
「エレノアさん」
「はい?」
「薬草に興味はありますか?」
「ええ、勿論!だって、医者が匙を投げたお母さんが回復したんですもの!」
「……よろしければ、今度、薬草のことをお教えしましょうか?」
彼女の顔が輝いた。
「本当ですか?」
「ええ。お母様のためにも、知っておいて損はないでしょう」
「ぜひ!お願いします!」
それから、エレノアは週に一回、森の家を訪れるようになった。薬草の名前を覚え、葉の形を見分け、調合の手伝いをした。時には失敗もした。乾燥させるはずの薬草を湿ったまま保存してしまい、引き出しの中で腐敗し、ルシアンが苦笑いしたこともある。
また、エレノアが作った、まだ試作段階の栄養剤を誤って飲んだルシアンが激しい頭痛と吐き気に襲われ、寝込んだこともある。エレノアが必死で看病してくれたので、ルシアンはまたも苦笑いで許したが、彼女は強く責任を感じたようだった。薬は、毒にもなるのだと。
しかし、そんなことがあっても、彼女は決して薬師の弟子という立場を投げ出さなかった。
「だって、覚えたいんだもの!!私、ルシアンみたいになりたい!!弱い立場にある人を薬で助けたいの!!」
そう言って笑い、片道一時間半を歩き、自分のところまで通ってくる彼女を見て、ルシアンは「この娘、負けず嫌いで、根性もあるなあ」と感じていた。どんなに失敗しても、めげず、挫けず、自分が教える全てを吸収しようとしている、貪欲で人一倍努力家な、その姿に惹かれた。その気持ちは、いつしか尊敬を伴う特別な感情へと変わっていた。ルシアンは、彼女が訪ねてくる日を心待ちにするようになっていた。
彼女が来る日は、家の中が明るくなった。昼の食卓に、エレノアが腕を振るって作ってくれた、二人分の昼食が並ぶ。庭には、楽しそうな笑い声が響く。帰り際には、必ず彼女が振り返って手を振る。
「また来週に来ますね、ルシアンさん!」
「はい!では、お気をつけてお帰り下さいね!」
その言葉を口にするたび、彼は自分が少しずつ変わっていくのを感じていた。孤独な暮らしに慣れたはずだった。誰かと食事をすることも、誰かの帰りを待つことも、もう自分には縁のないものだと思っていた。けれど、エレノアが現れてから、そんな考えはどこかへ消えてしまった。
彼女が来る。それだけで、明日が楽しみになる。
彼女が笑う。それだけで、今日一日が幸せになる。
もともと体調を崩しやすい体質だったルシアンだったが、そんなルシアンを案じてエレノアが籠に入れて持ってきてくれる肉や卵といった栄養たっぷりのご飯を二人で食べるようになったお陰か、体調も良くなっていた。
昼食を一緒にとっていた、とある日。エレノアが口を開いた。
「ルシアンさんは、将来、家庭を作りたいとか、そういう考えはあるの?」
「うん…そうだね。結婚願望はあるよ。でも、僕の稼ぎには期待できないからね。食べる分には困らないけど、贅沢はさせてあげられないから、二の足を踏んでしまうよ」
「……私と結婚したら、広大な畑も手に入るし、お金の心配もしなくていいわよ…?」
小さな呟きだった。
「…え?今なんて??」
「えっ!?あっ、その…、何でもないから!!気にしないで!!」
エレノアは顔を耳まで赤くして俯いた。
「もしかして、エレノア…」
「何を言うのよ!!そんなわけないでしょう!?」
「いや、僕、まだ何も言ってな…「もうこの話は終わりよ!!ね、それでいいわよね!?」
「え?う、うん…」
「私、今日はもう帰る!!また一週間後にね!!」
エレノアはそう言うなり、昼食のパスタも食べかけで席を立ち、空の籠を持ち、ルシアンの家を出て行ってしまった。
ルシアンは、エレノアの呟きをしっかりと聞いていた。ルシアンはその晩、布団の中で彼女の言葉を反芻し考えた。
まさか、自分にそんな都合のいい話があるだろうか?けれど、あの言葉はどう考えても告白……の、ような……気がする…ようでいて、そうでもない…ような…。
まるで商談のような言葉だったが、告白と受け取ってもいいんだろうか?
いや、しかし、好意から漏れた呟きだと受け取らなければ、僕は一生何もできない。それだけ重い独り言をエレノアは呟いた……。
そして、自分はエレノアに好かれていると結論を出した。でも、自分は?その気持ちに応えられるのか?エレノアを幸せにできるのか?と、彼女の事を考えた。
好きか嫌いかで問われたら、勿論好きだ。大好きだ。でも、自分が恋していいような相手ではない。エレノアは豪農のお金持ちの娘。大して僕は……?貧しい、独り暮らしの変人薬師だよ……!!
ルシアンは、自分には何の魅力もないと思っていた。容姿も普通、身長も普通、高給取りでもない。いや、むしろ貧乏。19歳にして恋愛経験もない。誰かを選ぶ資格はないし、誰かに選ばれるなど、自分には縁のない事だとずっと思っていた。
そして、ルシアンは知らなかったが、実際には、街の人々はルシアンを、腕の良い、頼れる薬師として好ましく思っていた。ただ、その整いすぎた容姿と、どこか慇懃無礼な態度のせいで、気軽に話しかけられる人間が少なかっただけのことだった。
「…よし、エレノア。僕だって男だ。今度は僕が君の気持ちに応える番だ!!振られたって構わない、恥をかいたって構わない!!君がくれた大きな勇気に、僕の精一杯の誠意で答えるんだ!!」と、三日目の夜に決意した。
※
次の日の朝、昨晩、今日の販売用に準備した薬と、今まで貯めたへそくりの中から、金額の半分に当たる中金貨を5枚持った。今後の生活を考えて躊躇はしたが、エレノアには喜んで欲しかった。
薬を売りに街まで出かけた。昼過ぎには店を早々に閉めると、あとは女性向けの装飾品を扱う雑貨屋を見て回った。
「まずは、受け取ってもらえるかどうかは分からないが、贈り物を渡そう。そして言うんだ、『僕と結婚を前提に付き合ってください』と」
そう考えながら露天商とどんな指輪がいいのか相談したら「大きさは?」と、聞かれた。
「…え?何の?」
「何のって…。指の太さだよ。細すぎたら嵌らないし、大きすぎてもぶかぶかで邪魔になるでしょ?…まさか、お兄ちゃん、指輪を買うの初めて?」
「…恥ずかしながら。…不勉強ですみません…」
「へー、そんなに男前なら、随分モテて来たでしょうに…」
「いやいや、お世辞は結構ですよ。耳タコですから!」
ルシアンは、露天商の言葉を一笑に付した。




