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最愛の恋人を奪われたドルイドは、悪魔を召喚する  作者: 昨日綴
第一章 悪魔を呼んだ青年

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1、いでよ、ベルフェゴール!

「我の願いを聞き届けたまえ、いでよ、ベルフェゴール……!!」


 青年が杖をかざした瞬間、丘の上に描かれた巨大な魔法陣が、赤黒い光を放った。


 風が吹き荒れる。


 草木がざわめき、地面に刻まれた魔法陣の古代文字が一つ、また一つと輝き始めた。


 青年の黒い外套がバサバサと風にはためく。


 その顔は、まだ若い。二十歳を少し過ぎた頃だろうか。頬はこけ、目の下には濃い隈が刻まれている。伸び放題の髭に、黒髪は乱れ、唇は乾ききっていた。


 けれど、杖を握る手だけは、少しも震えていなかった。


「……来い」


 青年は、もう一度つぶやいた。


「来るんだ、ベルフェゴール。僕には、もうあなたしかいない」


 魔法陣の中央で、空間が歪んだ。


 闇が裂ける。


 そこから、何か巨大なものが現れようとしていた。

 

並の魔術師なら、この光景を目にしただけで恐怖に震え、立っていることさえできなかっただろう。10人以上の魔術師を集め、何冊もの古代魔導書を解読し、何年もの歳月をかけても成功する保証はない。それほど困難な儀式なのだ。


 だが、青年は成し遂げた。


 祖先から受け継いだ一冊のグリモア。それだけを頼りに、失われた知識を一つずつ掘り起こし、何度も失敗しながら、ついに悪魔の召喚に成功したのである。


 そして。


「お前、まさか…天才ってやつか!?」


 闇の向こうから、驚嘆の声が聞こえた。


 風によって闇が晴れる。


 魔法陣の真ん中。そこにいたのは――牛の頭だった。魔法陣から体がゆっくりとせり上がってきた。


立派な角を生やした牛頭の悪魔は、大きな体を便器に預け、両手にタブロイド紙を持っていた。まるで、用を足している最中に突然呼び出されたかのような姿だった。


鍛え抜かれた巨体に、赤い瞳。そこには、人間など一瞬で消し飛ばせそうな魔力が宿っていた。


「たった一人で、私を呼び出した人間は、後にも先にもただ一人だけだと思っていたが…、二人目に出会うとはなぁ…!!長生きはしてみるものだなあ~…。はぁ~、あんた凄いなあ!!周りからよく天才って呼ばれてなかった?」


悪魔はそう、感心したように言った。


「……あの」

「ん?」

「あなたが、ベルフェゴール殿ですか?」

「イエス!ジーザス!!……なんてな!!」


 悪魔は自分のくだらない言葉に笑いながら、機嫌よく新聞を畳んだ。


その一面記事の見出しには「アマイモン様、パンデモニウムでの喫煙禁止を提案!!愛煙家の悪魔と激突必至!?」と、古代語で書かれていた。


 ベルフェゴールは、青年の足元に描かれた魔法陣を見下ろした。


 それから、しばらく黙っていた。


「…私はな、もっとこう…十人以上で力を合わせて、三日三晩眠らずの儀式の途中で誰かが間違えて大爆発……みたいになるんだろうなって思っていたんだけどなぁ……。しかし、驚いたな。古代語の呪文をあそこまで短縮するとは。普通なら、何年かけても成功するか分からんぞ。あんた、本当に天才じゃないのか?」

「恐縮ですが、僕は天才ではありません。ただ、人並み以上の恨みと憎しみが僕を動かす原動力となっただけです」

「お前…。正直で怖いやつだな!…久々だ。お前みたいな優秀な奴も、この私を呼び出した人間も…!!自分からは地上に何度も出向いているが、呪文で強制的に呼び出されたのは三百年ぶりくらいだよ!!」


 悪魔は豪快に笑った。その笑い声を聞きながら、青年は静かに杖を下ろした。彼にとって、目の前の悪魔がどんな姿をしていようと、どうでもよかった。牛だろうが、犬だろうが、あるいは便器に座って新聞を読んでいようが、どうでもよかった。


 必要なのは、力だ。愛する人を奪った者たちに報いを受けさせる力。そして、できることなら――彼女を取り戻す力。


「名前は?」

「…契約の際にお伝えいたします。今は、ルシアンとだけ」


ベルフェゴールは牛の姿で人のようにゲラゲラと笑った。


「そうか、姓名を教えると、有利に進む契約も進まなくなる。悪魔との取引を良く分かっているな!!さすがは天才だ!!」

「……ベルフェゴール殿」

「んん?」

「契約に際しての事ですが」


 青年は、顔を上げた。


 その灰色の瞳を見た瞬間、悪魔の笑みがわずかに消えた。そこには、若者らしい希望も、未来への期待もなかった。ただ、底なしの絶望と、凍りつくような憎しみだけがあった。


「僕の願いを、聞いていただきたい」


 ベルフェゴールは便器に座ったまま、まるで人間のように足を組み替えた。片手に持ったタブロイドを宙に放ると、土の上に落ちる前に、炎がそれを消し去った。


「…契約かあ」

「そうです。僕の魂と引き換えの契約です」

「……普段なら、適当に騙して私に有利な契約にするんだが……。私も正直に言えば、お前はかなり欲しい人材だからなぁ…。可能な限り、誠実に対応することにする。何が望みだ?話してみろ」

「ありがとうございます」


青年は、薄く笑った。


 そして、彼は言った。


「この丘の下にある街を、そこで生きる人間ごと、全て焼き払ってください」


青年は、星空の下、柔らかいオレンジ色の灯が複数集まっている街を指さした。ベルフェゴールは、便器から立ち上がると、牛の姿でありながら、器用に後ろ足二本で崖の手前まで歩み寄った。しかし、街を目にしたとたん、ぴたりと動きが止まった。


「……え?あそこ?……結構デカい街じゃない?」

「さあ、どうでしょうか。私はあの街しか知らないので答えようがないのですが…。あそこを一つ、焼き払ってほしいのです」


風が吹いた。


 遠くに見える街並みには、家々の煙突からは夕食の支度をする煙が上がり、教会の鐘が時刻を告げている。平和な街だった。少なくとも、遠目には。


 ベルフェゴールは、街をじっと見つめ、それから青年に視線を戻した。


「……いや、ちょっと待て。あの街に、なんかすんごい恨みと憎しみがあることだけは分かったんだけどさ……」


 彼は蹄で頭を掻いた。


「あんたの個人的な憎悪とは無関係な連中もいるんだろ?全員焼き殺しちゃったら、なんていうか……お前の人格、疑われるんじゃね?それってやばくね?…少なくとも私の中では、あんた『頭おかしい』に格下げだよ…。私がいくら悪魔でも、部下にアタオカは要らねえよ…。あんたとの契約、考え直したくなってきた」


 青年は自嘲した。


「僕の頭がおかしい、ですか。…結構です。その通りかもしれませんし。でも、僕はどう思われようと正直今更もうどうでもいいんです。無実の者が水死させられる姿や、火あぶりにされる姿を見て平気な人間など、そいつらこそ頭がおかしい、この世には必要ない人間だと思いませんか?そんな人間の種など残したら、後々この世がもっと乱れる原因となると考えられませんか?」

「…考えないな。まあ、これは私の意見だが。人間とは多面的な生き物だ。愛する者がいながら浮気する奴もいれば、一生添い遂げる者もいる。善人と悪人、そんな簡単な二つの箱に分けられる生き物じゃない。……まあ、地上に降りて結婚は墓場だと結論を出したのは私だが、だからこそ、この目で見て聞いた経験だ。人間は簡単な勧善懲悪じゃ測れないぞ?多くを助けるために、わざと憎まれ役を買って出る奴もいるしなあ…。私は未だに人間という生き物が良く分からんよ」

「……あなたはきっと正しいのでしょうね。多分、仰る通りです。僕を助けるために、私の恋人は憎まれ役を買って出て、焼き殺された…。しかし、エレノアと、そのご両親だけが…僕にとってのあの街の善意であり、守りたい象徴だった……」


 その名を口にしたときだけ、青年の声がわずかに揺れた。彼は街を見下ろした。


 「お願いします、ベルフェゴール殿。僕から彼女を奪った者たちも、彼女を見殺しにした者たちも、そして、彼女が助けを求めたときに目を背けた者たちも、全て、灰にしてください……。私は、神の名を借りて人を殺す者たちに絶望したのです」

「…いや、お前、頼むから落ち着け。…例えば彼女を復活…させることはできないだろうなあ…。お前は賢いから知っているだろうから騙さずに言うが、私は人間の魂を専門的に扱う権限を持っている悪魔だ。それほどの良い娘ならば、きっと、もうどこかに転生しているだろう…。これは例えだが…莫大な財産とか、絶対的な権力とか…そういう願いはないのか?私はこういう事を叶える方が得意だぞ?お前の元恋人みたいな、めちゃくちゃイイ女との出会い?とかも。それに、火を扱うのが得意な悪魔なら私より適任が他にいるしなあ…。なんで私を呼び出したの?」


 ルシアンはしばらく考えてから口を開いた。


 「あなたより強い悪魔なら、沢山いた。でも僕は、あなたに興味を持ったからです。僕はもう、自分の命さえどうでもいい。ただ一人の美しく純粋な少女を奪ったこの残酷な世界と、異端審問官どもが、只々許せない。それから…」


「それから?」

「僕はあなたに僅かな光を見出しています」

「……ルシアン君」


 ベルフェゴールは、青年の名を呼んだ。


「お前、本当にそれでいいのか?」

「ええ」

「後悔するかもしれないぞ」

「もう、後悔する気持ちなど残っていません。僕の魂はあなたに縛られ、一生地獄の雑用として使われるでしょう。でも、それでもいい」


 ベルフェゴールは、深く息を吐いた。


「……そうか」


 悪魔は立ち上がった。その巨体が、丘の上に大きな影を落とす。


「じゃあ、まずは話を聞かせてもらおうか。お前が、どうしてここまでアタオカになる程に壊れちまったのかを、な?」


 ルシアンは、遠い街を見つめたまま答えた。


「……話せば、長くなりますよ」

「構わないとも。私は、お前のような希少な人材の話はいつも興味深く聞くぞ?」


 ベルフェゴールは、便器をどこかへ片づけると、ルシアンの隣に、腰を下ろした。今回も、牛の姿でありながら、人間のように前足を組み、後ろ足で胡坐をかいた。その姿が面白かった。ルシアンの口角が少し上がり、そして下がった。恋人を思い出したからだった。


「ほら、話してみろよ!」


 ベルフェゴールに再度うながされ、ルシアンは目を閉じた。そして、ゆっくりと語り始めた。


「……彼女の名前は、エレノアといいます」


 その声は、今にも消えてしまいそうなほど優しかった。


「私が、この世でただ一人、尊敬し、愛し、結婚する予定だった女性です」


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