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孤独の寒さ

 精神の闇を振り払い、再び「星の道」を歩み始めたアオイを待っていたのは、肌を刺すような峻烈な「冷気」だった。

 先ほどまでの暗黒は去り、視界に広がったのは、すべてが透明な氷と水晶で形成された、美しくも残酷な「極光の荒野」だった。


 頭上には、オーロラのような光の帯が幾重にも重なり、紫や緑のカーテンが音もなく揺らめいている。

 しかし、その光には温もりなど微塵もない。

 地面を覆うのは、星の死骸が凍りついたかのような銀色の砂。

 一歩踏み出すごとに、その砂はアオイの体温を貪欲に吸い上げ、彼女の体力を確実に削り取っていった。


「寒い……身体が、石になっていくみたい……」


 アオイは自分の腕を抱きしめ、ガタガタと震えながら歩みを続けた。

 都市で着ていた上着など、この境界の冷気の前では、薄い紙切れも同然だった。

 吐き出す息は瞬時に凍りつき、睫毛には白い霜が降りる。

 これまでの旅の疲れが、鉛のような重みとなって足首に絡みついた。


 この次の試練は、単なる寒さではなかった。

 道を進むにつれ、アオイの感覚から「他者の記憶」が薄れていくという、奇妙な現象が起こり始めたのだ。


 先ほどの試練では、祖母の声が助けになった。

 けれど、この氷の荒野では、思い出そうとしても祖母の顔が霧のように霞んでしまう。

 図書室の古書の感触も、導いてくれた光の粒たちの温かさも、凍りついた脳から滑り落ちていく。

 代わりに胸を占めるのは、「自分は、最初からたった一人きりだったのではないか」という、根源的な孤独感だった。


(誰も……いない。私のことなんて、誰も知らない。私はここで、誰にも気づかれずに凍りついて、星の一部になるんだ……)


 視界の先に、透明な氷の柱が乱立する森が見えた。

 その柱の中には、過去にこの道を辿り、力尽きた者たちの姿が閉じ込められていた。

 彼らは皆、穏やかな、けれど完全に生気を失った表情で、永遠の孤独の中に静止している。

 彼らもまた、最初は希望を抱いていただろう。

 けれど、この「繋がりを奪う寒さ」に、心が凍りついてしまったのだ。


 アオイの足が止まった。

 一歩が、どうしても出ない。

 雪の上に座り込むと、驚くほどの安らぎが彼女を襲った。

 苦しむ必要はない。

 震えるのをやめて、このまま瞳を閉じれば、すべては静かな銀色の夢に変わる。

 都市の喧騒も、届かない星の約束も、すべて忘れて、ただの美しい景色になれる。


「……もう、いいかな……」


 重い瞼を閉じようとしたその時、アオイの指先に、チクリとした痛みが走った。

 それは、ポケットの中に入れていた、祖母の古い手箱の鍵だった。

 寒さで感覚を失っていたはずの指先が、その小さな金属の冷たさに反応した。


 アオイは朦朧とする意識の中で、必死に記憶を手繰り寄せた。

 思い出せないのは、顔ではない。

 思い出せないのは、声ではない。

 彼女が思い出すべきなのは、自分がなぜ「寂しい」と感じるのか、その理由だった。


(私が……寂しいのは……誰かと、星を見たかったから。誰かと……笑いたかったからだ)


 孤独とは、一人のことではない。

 孤独とは、誰かの存在を、その温もりを「知っている」からこそ生まれる痛みだ。

 アオイの目から、一滴の涙がこぼれ落ちた。

 その涙は、氷の大地に触れる前に、小さな真珠のような輝きを放ちながら凍りついた。


 瞬間、アオイの心臓が、ドクンと大きく波打った。

 凍りかけていた血管を、熱い血が再び駆け巡る。


「……私は、一人じゃない!」


 アオイは叫んだ。

 その声は氷の森に反響し、幾千もの水晶の柱を微かに震わせた。

「私が覚えている限り、おばあちゃんは私の中にいる。私が星を想う限り、星は私の中にいる。私たちは、見えない光の糸で、ずっと繋がっているんだ!」


 その強い確信が、アオイの胸の奥で、先ほどの試練よりもさらに深い青色の炎を灯した。

 それは「祈り」という名の熱。

 周囲の冷気が、その熱に触れて蒸発し、アオイの周りだけが、春のひだまりのような穏やかな空気に包まれた。


 氷の柱に閉じ込められていた影たちが、彼女の通過と共に、僅かに光を放ったように見えた。

 彼らが果たせなかった想いさえも、今の自分なら背負っていける。

 アオイは立ち上がり、一歩、また一歩と、銀色の砂を蹴立てて進み始めた。


 荒野の果てに、ようやく「色のついた世界」が見え始めていた。

 それは冷たいオーロラではなく、もっと重厚で、歴史を感じさせる「庭園」の色彩。


 次の試練「孤独と喪失」を乗り越えたアオイの背中は、もはや寒さに震えてはいなかった。

 彼女の魂は、他者との繋がりを「痛み」としてではなく、「消えない熱」として再定義し、真実の星空へとさらに近づいていった。

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