第1話 祝福せよ、命のために
国の安寧など望んではいない。全ては奪いつくすためにあるのだと、人々は手に武器を持ち、知らない者は敵だとする。世界はゆっくりと闇に落ちていた。
教会の屋根の上に何かがいる。地上では殺戮と略奪が続いているのを、それは普通の光景だというような顔で見つめている。人々はそれには気付かない。目の前にある欲望と飢えに興奮している。
屋根の上のそれは足を組むと小さな声で歌い始めた。聞いたことのある者ならわかったはずだ。滅亡の歌だ。誰かがそれを歌う時、世界は崩壊する。そんな逸話のある歌だ。人々には聞こえない、聞こえているのは悲鳴と肉が潰れる音、怒号だけだろう。
歌声が徐々に大きくなろうとも彼らには聞こえない。最後のフレーズに近づく頃には地上で歩いている者などいなかった。
煉瓦造りの橋の下には河が流れている。随分前までは魚も捕れたのに、今ではすっかり汚れ、流れてくるのは死んだ人間と動物ばかりだ。
黒いマントに風を纏わせて、とんと橋の入り口にある小さな街灯の上に飛び乗った。
どこの街も時間になれば食べ物のいい匂いがしてくるはずなのに、この街もまたそれを忘れている。すでに食べ物を作るものがいないのか、それとも篭って外に漏らさないようにしているのか、どちらかだろうか。
両手をふわりとマントから出して陽を浴びる。青緑の皮膚は鱗だらけで陽に当たるたびにキラキラ煌いている。指先についている赤黒い爪は長く、細い指先の金色の太い指輪が鈍く光った。するっと街灯を降りて歩き出す。街の入り口には灰の街とあった。
石と木造の家が並んでいる、看板がかかっているのに一つも開いていない。石畳を歩く足音は一つ、鳴り響いて空へと溶けていく。木製の看板についた小さな小鳥の装飾に目をやって鼻で笑った。小鳥が囀るのであれば良かったのに。
マントを揺らしてくるりと回る、唇に歌を乗せて言葉を紡ぐ。呪いの歌だ。最後のフレーズにたどり着く前に止めることが出来るならば最悪は訪れることはない。靴音でリズムを取りながら歌声は続いている。
ふとどこかのドアが開いた音がした。木造の開いたドアの前に体の大きな女が立っている。エプロン姿で真っ青な顔をしていた。
「その歌を歌うのはやめて」
金きり声に近い訴えに歌声は止まる。が、女の目の前に黒いマントはゆっくりと近づいて彼女の目を覗き込んだ。
「死に行く者。命が欲しいのか?」
白と青の瞳には縦に瞳孔が走っている。長い睫毛が瞬きのたびに揺れるが美しさよりも恐怖が女には早かった。小さく悲鳴を上げて後ずさりをするが、青緑の手で腕を掴まれた。爪がぐっと食い込んでいる。
「死に行く者よ、生きるならば何故世界を呪う?祝福せよ、命のために腹を満たせ」
女は力を振り絞って手を振り払うと、真っ青な顔をしてドアの中に入った。ドアを隔てて、祈りの声が聞こえてくる。青緑の手はすっとドアに触れて指先でトントンと叩くと、踵を返してまた道へと戻る。ゆらりと体を揺らして、歌声が聞こえてきた。絶望の歌だ。絶望の歌は始まれば人は狂い死んでいく。マントが通り過ぎる後ろの家では怒号が聞こえ次第に静かになっていった。




