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強制帰国

 フェルゼンからもどったキルシュは、鼻歌でも歌いそうなほど上機嫌に書類に目をとおすアシェルを見て、くすりと笑った。


「ご機嫌ですわね。毎日死んだような顔をしておりましたのに」


 アシェルは書類から目線をあげて、口の端に笑みを浮かべた。


「良いことがあったからな。じつは……」

「あぁ、結構です。ヴォルフから聞きましたから」

「自慢くらいさせろ」


 アシェルは不服そうに眉根を寄せたが、よほど機嫌が良いのか、次の瞬間には穏やかに微笑んでいる。

 キルシュは机に積みあげられた書類の山を一時でも忘れたくて、あえて会話をつづけることにした。


「どうしてわたくしがいないときに限って、そんな楽しそうな話になっているのかしら。わたくしだってエミリア様と踊ってみたいのに」

「これが終わったら誘ってみるといい」


 キルシュは机の前にあるソファーに座ると、皿の上のチョコレートクッキーをひとつ手にとって、思い出したようにアシェルに視線を向けた。


「そういえばあなた、自分の騎士に嫉妬したそうじゃないですか。しかもエミリア様のカップケーキを先に食べた騎士たちを全員裁判にかけるとか」


 扉の前で警護している騎士たちが、ぎくりと体を揺らした。

 アシェルは眉間に深いしわを刻んで、書類をグシャリとにぎりしめた。

 怒っているようにも見えるが、ただの照れ隠しであることくらい、キルシュにはお見通しであった。


「冗談に決まっているだろう。ヴォルフめ、まったく余計なことを……」

「ふふ、口止めしなかったからですわね」

「口止めしたとしても、ヴォルフがお前に隠しごとなんてできるはずがない」

「わたくしに話しても大丈夫だとヴォルフが判断しているのですよ。あなたが本気で隠しとおしたいと願うなら、あの忠騎士は墓まで持っていくでしょう」


 アシェルは同意するように口の端をあげた。

 自分が拾った騎士に対する信頼は誰よりも厚いのだ。


「しかし、その件はあの日の唯一の汚点だ。エミリアに見苦しいところを見せてしまった」

「わたくしはそう思いませんけど。むしろ、エミリア様はうれしかったのではないでしょうか」

「そんなわけがないだろう」


 アシェルは書類を置いて椅子から立ちあがると、キルシュの向かいのソファーに座って同じクッキーに手をのばした。


「あんな情けない姿を見せたというのに、エミリアはよく俺を見限らなかったものだ」


 キルシュは哀れむようにアシェルを見た。


「まぁぁ……察しの良いあなたが、エミリア様のことになるとポンコツになるのはなぜなのです?」

「おい、誰がポンコツだ」

「逆の立場になったときのことを考えてごらんなさい。エミリア様が嫉妬していたとして、それを情けないなどと切り捨てるおつもりですか?」

「切り捨てるものか、それは不安にさせた俺の責任だ」

「とか言いつつ、ちょっとうれしいとか思ったでしょう」


 アシェルは照れたようにこくりとうなずいて、クッキーを一口で食べた。

 昔から失われることのない素直さは、彼の美徳である。


「つまり、エミリアもそう思った、と言いたいのだろう」

「そのとおりです」

「とはいえ、無様な姿は見せたくはない。俺だってエミリアには格好良いと思われたいからな」

「まったく、わかっておりませんわね。多少情けなくとも、あなたなら愛嬌として受けとられますよ」

「そうだろうか、俺の弱みなど見せてよいものか?」


 アシェルは真剣な顔をして、頭を悩ませている。

 恋に悩む片割れは本当に可愛い。キルシュは微笑ましく思いながらも、その美貌に厳しい色を浮かべた。


「アシェル」


 キルシュのまとう空気が変化したことに気づき、アシェルは姿勢を正した。


「フェルゼンにもどりなさい」


 その意図を察して、アシェルの顔に怒りに似た感情がにじむ。

 それでも、キルシュは折れるつもりはなかった。


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