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後悔の記憶

 フェルゼンがエーデルシュタインに侵攻し、アインホルン城に火が放たれた。

 エミリアは、激しく燃えさかる白亜の城の中で呆然と立っていた。

 場所はディリゲントの部屋である。

 城内でもっとも堅牢なつくりであった場所だが、天井が崩れて、すでに火の手があがっている。

 寝室のベッドは瓦礫に押しつぶされ、その隙間から天へ助けを求めるように炭となった手がのびていた。


「お父様……」


 エミリアはかすれた声で、久しぶりに父を呼んだ。

 もう助けを求める声さえ聞こえない。

 跡形もなくなったベッドの前で、ミラがうずくまって泣いていた。

 エミリアがミラに近づくと、彼女はばっと顔をあげて、エミリアの腕をつかんだ。

 ミラは煤だらけになった顔をくしゃりとゆがめて、エミリアを責めたてた。


「エミリア姉様のせいよ! どうしてお母様とお父様を守ってくれなかったのよ! お姉様はわたくしとちがって戦姫なのでしょう! 女神様の力をもっているくせに、どうしてこんなことになっているのよ!」

「ごめんなさい」

「お姉様が死ねばよかったのよ!」

「ごめんなさい、ミラ」


 腕にすがりついて慟哭するミラに、エミリアは謝罪を繰り返すしかなかった。

 フェルゼンの侵攻を食い止められなかったのは事実であり、言い訳をするつもりは毛頭ない。

 このときミラは、ヴェルメではなく別の国に嫁いでいたが、戦況悪化にともなってエーデルシュタインに避難していた。


「わたくしの力でやれることなんて限られておりますのに」


 いたるところに火がまわっているが、この部屋だけ綺麗に消火されているのは、ミラの魔術のおかげだろう。

 彼女なりに両親を救おうとした努力が見えて、エミリアは心苦しくなる。

 それでも、エミリアは立ち止まってはいられない。

 じくじくと傷を負った心が血を流しつづけようと、人々を助けることがエミリアの使命であり、戦う理由だった。


「ミラ、あなただけでも守ります。早く城の外へ!」


 エミリアは、悄然として首を垂れているミラの腕を引いて立ちあがらせる。

 ミラの瞳から光が失われて、エミリアに対しても無抵抗な人形のようだった。


「ミラ、お願いだから走って!」

「もう、何の意味もないの……」


 エミリアはミラを引きずるようにして走るが、背後からは津波のように炎が迫りつつあった。

 城にもどってくる直前まで前線で戦いつづけていたエミリアは、すでに大量のフランメを消費している。そのため、通路を魔術で消火しようにも限界があった。

 そのとき、踏みこんだ足の下で、みしみしと亀裂の入る音がした。

 とっさにミラを引き寄せようとしたが、エミリアの手の中には抜け殻のように白い手袋だけが残されている。

 ばきり、と何かが割れる音が響いて、地面が激しく揺れた。


「お姉様」


 後ろを振り返ると、ミラの体が宙に放り出されていた。まるでこの瞬間だけ時間が停止してしまったかのように、彼女の表情からその指先の繊細な動きまではっきりと見える。

 ミラの足元には地獄の口が大きく開いていて、その深淵から生贄を求めるように無数の炎の手が揺らめいている。

 自分の身に何が起きているのか理解できていないのか、ミラはいとけない目でエミリアを見つめている。

 停止していた時間は無情にも時を刻んで、ミラの華奢な身体は炎の中へと飲みこまれていった。


「ミラーーーー!」


 エミリアは穴の中に飛びこみながら、ありったけのフランメを放出し、荒れ狂う波で地獄の業火を押し流した。

 フランメの大量消費で意識が遠のきそうになりながら、エミリアは熱をもった煙をかき分けてすすむ。

 そして、焼け焦げた瓦礫の山に埋もれるようにして、かろうじて人の形を保ったそれを認めたとき、エミリアは膝から崩れ落ちた。


「ミラ……あぁ、そんな……」


 このような姿の人間は何度も見てきた。戦場では威力の高い魔術主体となるため、原形をとどめていればまだましという認識すらある。

 しかし、自分の妹の変わり果てた姿を見たエミリアは、全身の震えが止まらなかった。

 ウェーブのかかった柔らかそうな金髪も、その美貌も、すべて火に焼かれて苦しむミラの凄惨な姿に、悲憤の涙がこぼれた。戦姫と呼ばれていながら、なぜ目の前の妹すら助けられないのだろうか。


「お、お姉さ……」

「ミラ!」

「いや……こわい……死ぬの、こわいの……」


 ミラにはまだ意識があった。のどが焼けたのか、ひどくかすれた声だった。

 良くも悪くも心に素直だったミラ。彼女から散々嫌がらせを受けてきたエミリアは、いまでもすべてを許したわけではないが、それでも死んでほしいなどと願ったことは一度もない。


「ミラ、しっかり!」

「女神さ、ま……そこに、いらっしゃった、のね」


 ミラは最期にエミリアを見て微笑んだ気がした。

 エミリアの姿を見て、奇跡の女神が迎えにきたと思ったのかもしれない。


「きっと、女神様が慈悲を与えてくださった」


 エミリアはそう自分に言い聞かせて、ミラに祈りを捧げた。

 聖戦時代の、エミリアの深い後悔の記憶だった。


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