幻覚か、襲撃か
奇跡の女神の神殿を擁する神聖な森は、夜となるとその様相を一変させる。
生命あふれる緑の森は夜の闇に飲みこまれて、まるで異界の住人たちの棲家のようなおぞましさを感じさせる。木々の梢も、地獄で焼かれる亡者の干からびた手に見えた。
森を満たす高濃度のフランメの影響で、空気がいつもよりも重く、どれほど呼吸を繰り返しても酸素がいきわたる気がしない。
すでに嵐は勢いを失い、雨脚もずいぶんと弱まっていた。その代わりに体を膜のように包むフランメが不快感を強めている。
「わざわざ森の入口に馬を置いて徒歩で向かうなど、なぜミラはそのようなことを……」
「ふん、馬に逃げられた、が正解かもしれんぞ。動物にとってもこのフランメは危険だからな。あの娘の匂いが近い」
シュトラールがその嗅覚を頼りにミラのあと追うと、意外と早くにミラは見つかった。
道に迷ったのか、整備されていない獣道をおぼつかない足取りで歩いている。
「ミラ!」
「いや、炎が、炎がこっちにくる!」
エミリアの声が聞こえていないのか、ミラは怯えたように森の奥へとすすんでいく。
すでにフランメ中毒の症状が出ているようだが、よりによって炎の幻覚を見ているというのは、彼女の運命を示唆しているようで寒気がした。
シュトラールがミラの前にまわりこむと同時に、エミリアは飛びおりて、ふらふらと木に寄りかかりながら歩くミラの肩をつかんだ。
「ミラ、落ち着いて、炎なんてどこにもありません。森を出れば症状はなくなりますから」
「いや、触らないでよ!」
「いいから黙ってついてきなさい!」
エミリアが一喝すると、ミラはおどろいて目を丸くする。その瞳に正気の光がもどった。
「あれ、エミリア姉様?」
エミリアはため息をつくと、シュトラールのもとまでミラを強引にひっぱった。
「ミラを乗せてもよろしいですか」
「今回だけだぞ」
シュトラールの了承を得てから、エミリアが先に乗り、聖獣を間近にして顔を強張らせているミラの腕を無理矢理つかんで後ろに乗せる。
「ひぇ!」
「ほら、しっかりまたがって、私の腰に腕をまわしなさい」
「は、はい……」
エミリアに怒鳴られたことがよほど衝撃的だったのか、ミラはめずらしくエミリアに従順だった。
いまのところ軽い幻覚症状だけのようだが、ここにいてはいずれ重症化してしまう。
シュトラールもそれを危惧して、森の入口の方向へ駆け出そうとしたが、その足が止まった。
「なんだ?」
エミリアがシュトラールの視線を追って天を仰ぐと、頭上で目を焼くほどの光が爆発した。
「きゃあ! お姉様!」
ミラが悲鳴をあげて、エミリアの背中にしがみついた。
反射的に目を閉じていたエミリアは、どうにか視界を奪われずにすんだが、覚えのある輝きに全身の神経が張りつめる。それはまちがいなく火属性の魔術だった。
「走るぞ!」
言うが早いか、シュトラールは濡れた大地を蹴って、全速力で駆け出した。




