ティアナとクレア
今まで、扉に潰されて尻もちをついていた赤髪の青年は、ハッとしたように立ち上がって姿勢を正し、両手を後ろへ回した丁重な動作で頭を下げる。
そして、その青年の口から
「お初にお目にかかります。わたくしはカトランガ王国第四将軍クレアと申します。この度、ヴァイゼアス王から直々に、ティアナ様のお側に仕えろとの命を受けて参上いたしました。」
という、堅苦しい言葉の羅列が投げつけられた。
それを言い終えた青年は、少し顔を上げてふわりと笑う。
「……。」
違う…想像してたのと、全然! 違う!!
ティアナはそう思いながら、青年の顔をまじまじと見つめた。
他国の多くの武将が恐れている男であるクレアがこのような優しげな青年だったとは。
もっと厳つく、強面の巨漢を想像していたティアナはなかなか信じることができなかった。
「え…ええと、信じて頂けないようでしたら、こちらの書類を見ていただければわかるかと。」
そう言いながら青年が差し出した紙を見ると、その紙には、確かにこの青年…いや、クレアが言っていたように、第四将軍であるクレアがティアナの側近に着くことについて記されている上に、正式な印が押されていた。
その文書を見てティアナは、やはり、この人物こそ本物の第四将軍なのだと確認した。
「……。」
ティアナはその紙から顔を上げて、クレアの顔を見ながら、まず何をいえばいいのか考える。
なにしろ、人と話すことなど何年ぶりかわからないぐらいなのだ。
そして、ティアナは、まずはじめに反論しておく必要のある言葉を選び出した。
「…将軍であるあなたが、私の従者になるだなんて、そんなこと命令されることは無いはずよ。今まで、そんなことは一度もなかったし、何よりこの男尊女卑の世の中で、地位も名声もあるあなたが私に仕えて得られる利益はないでしょう。」
何日、何年とほとんど声を発していなかったせいか、はじめの方は声が擦れた。
私の声はこんな声だったかしら……。
と、ティアナは不思議な気分になった。
そしてその後のクレアの表情に、ティアナは驚くこととなる。
そのクレアの表情とは、とても嬉しそうな笑顔だったのだ。
自分の言っていることを、真っ向から否定されているにも関わらず、その表情だ。
ティアナは不思議に思うどころではなく、あっけを取られたように口を開ける。
一方で、クレアは満面の笑みをそのままに、
「やはり、あなたは本当に聡明な方のようだ。」
とつぶやくように言い放つ。
その言葉の真意が分からず、ティアナは首を傾げるが、それに構わずにクレアは言葉を続けた。
「確かに、あなたの言っていることは正しい。将軍が誰かの側近になるというのは前例がないことですし、わたくしがあなたに仕えることで得られる地位や名声などは無いに等しいでしょう。けれど、わたくしはあなたに仕えたいと思っています。」
「…それは、なぜ?」
クレアの言葉に、ティアナは短く問う。
「わたくしが望むは聡明で優しい王の器を持つ方に仕えることただ一つ。さらに言えば、この国の極度な男尊女卑の制度、貧富の差、奴隷制度などの不条理なことを正し、苦しむ人々を助けたい。」
ティアナは、クレアが言っていることを聞いて、彼が何を私に対して求めているのかということを大方感じ取った。つまりは…
「私を、この国を変革するための駒として使いたいということね?」
おそらく、悪くいえばこういうことである。
だが、駒となることは、ティアナにとってさほどの問題ではなかった。
自分が駒となることで、多くの者が救われるのならば、こんな自分でも、国を良い方向に変革させられるのならば、駒にでもなろう。
そんな、王族としての下らないプライドをも捨てられる優しさを持ち合わせているのがティアナであり、その部分に魅力を感じとり、惚れ込んだのがクレアであった。
そしてこの時点ですでに、ティアナの心はほぼ決まっていた。
「いえ、あなたを利用しようなどと、そんな非道なことを考えていたわけではありません。そうではなく、わたくしはあなたが歩むべき大道への一歩を踏み出すための道を少し示すだけです。それから先は、あなたが望む方へ進めばいい。私はそれを支えるのみです。」
そう言い直すように言葉を紡ぐクレアに、ティアナは初めて笑いかけた。
「そんな風に取り繕わなくても大丈夫よ、言い方が少し大げさだったかしら。ともかく、私もあなたと同じように、この国の不条理を正したいと思っているわ。けれど、私には何の力もない。実際に、この建物からすら出ることも出来ない。ましてや、王の器など持ち合わせているはずもないのよ」
そう、私には何の力もない。
クレアがどうして私に気をかけてくれたのかはわからない。
けれど…。
ティアナは、クレアの目を見上げる。
ティアナの言葉を聞いて、少しだけクレアの瞳が不安に揺れた。
だが、次のティアナの言葉で、その瞳は大きく見開かれた。
「…でも、こんな何も持たない私のことを、最初の一歩を踏み出すために導いてくれるなら、私はあなたの手を取りたい。」
そう言いながらティアナは持っていた扉を壁に預け、クレアへと手を伸ばした。ティアナは、ただ片手を差し出すという動作だけなのに、未知の世界へと手を伸ばしているような、そんな感覚を覚えた。




