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クレアの過去④

クレアは、初戦のベルディーヤとの戦い以降約一年間、順調に勝ち進み、既に三百連勝を達成していた。

順調と言っても強敵と戦った時は何度か死んだりもした。

その度に、ニンフェケーニヒに助けてもらっているのだから、この成績は、純粋にクレアの武術に比例している訳では無い。

この時既に、クレアは不死身の赤髪と呼ばれていた。観客からの人気も、見た目はまだ幼い少年ながら、巧みな槍術と、打たれ強さから、誰よりも高くなっており、クレアの試合となれば超満員になるのが普通だった。

それは今クレアの傍らにいる茶髪の大男も同じことなのだが。

その男、トルシアンは今、クレアの狭い部屋でぐっすりと眠っている。

元々人1人寝転がるのがギリギリな場所に、こんな大男が寝たのでは、クレアは部屋の隅に縮こまるしかなかった。

…その日の試合も終わったのだから、自分の部屋で寝ればいいものを、トルシアンは毎日毎日欠かさずクレアの部屋に来るのだ。

正直邪魔に感じる時もあるのだが、口に出しでもしたら殺人級の拳が飛んできそうだ。

トルシアンは、今の所932勝中と、この闘技場の中で一番自由に近い奴隷だ。

だが、900勝を超えた辺りからもはやトルシアンが人間と試合で当たる事は無くなった。

当たるのは外界の獣ばかり。

トルシアンに聞いたところ、外界というのは妖精の木の周りの四国の外を指し、そこには多くの獣たちが住んでいるという。

だが、少し楽な事は外界の獣の弱点は全て共通して目だということだ。

クレアが初めて戦ったベルディーヤがそうだったように、ほかの獣たちも、目を突くと内側から弾けるようにして消えてしまう。

その死に方の奇妙さも、全く同じ姿の獣が何匹もいることも、不可解なことばかりだがそれをクレアが考えてもわかるはずもなかった。


「ん…? おぉクレア、なんで俺の部屋にいるんだ?」


そんなことを考えていると、トルシアンが目を覚まして体を起こした。

その歳に比例していない引き締まった体のあちこちに血がにじむのを見て、クレアはやるせない気分になる。

もし、あんな怪我をしているのが俺だったら、死ねばニンフェケーニヒが治してくれるのに…。


「ここは俺の部屋だよ、トルシアン。ちょっと待ってて、包帯もらってくるから」


「なんだ、どこか怪我したのか?」


「あんたがね。」


「あぁ、俺か? 俺は大丈夫だ。こんなの唾でも付けとけば治るだろ。点数は無駄遣いするもんじゃねぇぞ。」


「ダメだよ。ただでさえ年取ってるんだから…」


「あ?」


…あ、やらかした。


そうクレアが思った時には既に遅く、トルシアンの大きな手がクレアの頭を掴んだ。


「誰がよぼよぼジジィだ?」


「そこまで言ってないよ!」


「最近生意気だぞクソガキめ」


「うるさいな、もうガキでもないよ! とにかくここで待ってて!」


「11歳なんて十分ガキだろうが…」


トルシアンの手を振り払って自分の部屋から出たクレアは、そんなトルシアンの言葉を背中に浴びながら、ズンズンと廊下を歩き出した。

すれ違う奴隷たちは、ほとんどの者がクレアのことを珍しそうに見た。

いや、皆が見ているのはクレアの髪だったのだが。

それが何とも居心地が悪くて、クレアは目立たないよう縮こまって早足で歩いていった。

そして、道具の交換所で包帯をもらうとそそくさとそこを後にしようとした。

すると、ある人の名が耳に入って、クレアは少し足を止めた。


「誰かあのトルシアンのクソジジイを殺せる奴はいないのか?」


「無理だろ、あいつの体術は人間技じゃねぇ。」


「なら、あいつの飯に毒蜘蛛でも入れてみるか」


「それは流石にまずいんじゃないか?」


「別に、あのジジイにならいいだろう。奴隷でも無かったのにここに来て、殺しを楽しんでいるような狂人だぞ」


その時、そう話していた男達の目の前で小さな拳が壁を強く叩いた。

ガンっという音とともに、四人の男達は音を出した赤髪の少年を見下ろした。


「…なんだ?お前。」


「何も知らないくせに、トルシアンのことを悪く言うな。」


クレアはさっきのやり取りを聞いて、聞かないふりをして通り過ぎることなどできなかったのだ。

まぁ、こういう事も初めてではないのだが。

何度も耳にしたトルシアンのほかの奴隷からの評価は、奴隷でも無かったのに闘技場に入った変わり者。

戦闘狂。

殺しを楽しんでいる。

といった感じだった。

言われている本人は全く気にしてはいないのだが、クレアは恐ろしく不愉快な気分になる。

なにせトルシアンは自分の恩人なのだから。

薄茶色の目を鋭く細めて、相手の男を睨みつけた。


「はぁ? 面白いガキだなぁ…」


「そ…そいつもしかして、不死身の赤髪じゃないか!?」


クレアに掴みかかろうとした一人の男を、慌てたようにしてもうひとりの男が止めた。

クレアというより、この赤髪は、闘技場の客だけでなく内部にも知れ渡っているようだ。


「なんだそりゃ、関係ねぇよ。ガキはガキらしく隅で縮こまってればいいんだよ!」


そういうが早いか、最初の言葉を発した男はクレアの胸ぐらをつかんで持ち上げ、頬を殴った。

殴った方の男はニヤリと笑っているが、殴られた当の本人はけろりとしていた。


「…それで終わり? おじさん、大したことないね。」


そう言うと、クレアは男のみぞおちを膝で蹴りあげた。

男はうめき声を上げて、腹を抑えてうずくまった。

クレアは胸ぐらから手を離され、地面に着地すると、冷たい目で男を見下ろした。


「一人じゃ何も出来ないクズのくせに、集まってせこいこと考えてんなよ。」


そう言い捨てると、クレアは男達に背を向けた。

そして、背中に感じる殺気に満足した。

今、トルシアンはあちこち怪我をしているし、俺と違って一度死んだら生き返れない。

ならば、トルシアンの敵からの殺気は全部俺に集めてしまえばいい。

俺は殺されても死なないのだから。

クレアはそんな風に考えながら、包帯を手に部屋へと戻った。


「…トルシアン、何やってんの」


帰った瞬間に見た茶髪の男の行動に、クレアはため息をついた。


「何って、筋力強化だ。暇だったからな。クレアもやった方がいいぞ、まだまだひょろっちいからな、お前は…っておい、なんで包帯取りに行って頬腫らして帰ってくるんだ」


「なんでもないよ。それより、怪我が開くからあんまり動かないでよ」


「また下らない俺の陰口聞いて吹っかけたのかお前は」


「……。」


「別になんと言われようと俺は気にしない。お前も気にする必要はない…」


「だって、悔しいじゃないか。トルシアンは戦闘狂でも、殺しを楽しんでもいないのに…みんな知りもしないくせにそんなことばかり言う」


「実際、そんな風に言われても仕方ないぐらい多くの人を殺してきたからなぁ。それに、奴らが言っている事は本当だ。」


「え?」


「俺は、元奴隷ではないということだ。」


「…だとしても、トルシアンは人を殺したくてここに来たわけじゃないだろ。そんなこと、わかってるよ。」


いつになく勢いのないトルシアンの言葉にクレアはトルシアンの腕に包帯を巻きながら首をかしげた。


「…どうしたの、トルシアン。何からしくないよ。」


「…なぁ、クレア。お前にしか頼めない、大事な頼みがあるんだが」


そう切り出すトルシアンを見て、これまたらしくないと思う。

トルシアンがクレアに頼みごとをしたことなど、ほとんど無かったのだ。

何故だか小さく不安を感じながら、


「なに?」


と聞き返した。


「クレア。もし俺と試合で当たったなら、俺を殺してくれ。」


「……。」


トルシアンの言ったことに、クレアは一瞬言葉を失った。そして、すぐさまきっぱりと答える。


「嫌だよ」


「即答かよ。頼むよ」


「なんで俺がトルシアンを殺さなきゃならないんだ。絶対に嫌だ。大体、もうすぐトルシアンは外に出られるじゃないか。それに、元々奴隷じゃ無かったのなら、家族もいるんじゃないの?」


「さぁ…妻は随分前に死んだし、息子は俺が自ら手の届かない所に送ってしまったからな。今何をしているのか、生きているのかさえわからん」


「…手の届かない所?」


「王都だ。息子を王都に送る金を作るために、俺はここに来た。少しでもまだ小さかった息子が奴隷狩りに合う可能性を減らすためにな。今となっては、それがいい選択だったかわからないが。」


「……。」


「こんな老いぼれには、外に出てもやることは無い。そしてどうせ死ぬなら、自分が認めたやつに殺されてぇじゃないか。」


「…嫌だ。」


「俺が柄でもねぇ話したのに、まだ言うか…! このガキ…」


トルシアンがそう言葉を言いかけた瞬間、クレアはまだ小さい手でトルシアンの胸ぐらを掴んだ。


「…外に出てやることがないなら、待っててよ。俺が、すぐ後を追って外に出てやる。ここまで勝手に世話焼いたんだから、途中で放り出すなんて無しだよ。トルシアンがもっと年取って、寿命で死んだら、その時はちゃんと俺が弔うから…こんなところで死ぬなんて言うな」


「……」


クレアの必死の訴えかける言葉を、トルシアンは驚いたように聞いていたが、ひとつ、大きなため息をつくと、クレアの頭をわしゃわしゃと撫でた。

それはもう、クレアの頭がもげるのではないかというぐらいに。


「面倒なガキを持ったもんだな。止めだ止め。この上このクソガキに泣かれでもしたらたまったもんじゃねぇ。」


そんなトルシアンの言葉を聞きながら、クレアは顔を俯かせて唇を強く噛んでいた。

不死身だのなんだの言われていても、まだ十一歳の少年は、己の弱さを明るい赤髪に隠した。

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