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犬猿の騒乱  作者: K_yamada
二.春
44/59

44.

 現場長は、急な明日一日の休暇願いを軽く引き受けてくれたらしかった。ありがたい話である。  一方、夢花ちゃんの誤解は昼休みになるまで解けなかった。

「ううと……分かりました。つまり、多田野さんが変態さんなんですね」

「そうそう。俺は健全だ」

「うぉい! 保身の為に僕を売るなぁ!」

 多田野が、岩へ腰を下ろしつつそう叫んだ。右手には、例の安物パンが剥き身で握られている。

「だってお前、現場長の娘さんにあんな服を着せたりしてるんだろう?」

「う……うぐぬぬ……」

 多田野の手から、パンがこぼれ落ちた。パンは、その柔らかさそのままに、土っぽい地面へ着地する。パンは悲しくも美しい小麦色を、俺達に見せつけた。

「チャイナドレスぐらいなら……チャイナドレスぐらいなら、大丈夫だって思ったんだよぉ! けど、彼女は一回着ただけで僕から逃げ出しちゃって……残ったのは写真だけなんだ……」

 脳内に、涙を誘う切ないメロディが流れ始めた。

「別れて……しまったんですか?」

 非常に深刻な様子で、夢花ちゃんは訊ねた。

「それはまだ……って、僕達そんなヤバい状況じゃないよ! 勝手に改竄させるなよ!」

「ちっ、まだ順調なのか……」

「ええと、ううと、パン、落ちてますよ?」

 多田野はパンに目をやって、すぐに俺の顔を見つめた。

「嫌だからな」

「まだ何も言ってないよっ!」

「……ちょうど、良かったみたいですね」

 少し離れた所からの声に顔を見上げると、桜川が俺達に向かって小さく手を振っていた。

「お弁当、ありますよ。と言っても、お弁当屋さんのお弁当ですが」

「……詩帆ちゃんってあれだよね、天使みたいだよね」

 詩帆ちゃんとは桜川の事である。何となく良くない波長を感じた俺は、多田野の頭を軽くはたいた。

「ごめん、大天使かな」

「そういう問題じゃないんだけど……」

「でも、それは詩帆さんの昼食なんじゃないですか?」

 夢花ちゃんが、的確な突っ込みを入れた。その勢いでぜひ桜川の弁当を死守して欲しい。

「いえ、大丈夫です。実は私、あまりお腹が空いていないんです」

「だよね、だよね! んじゃ早速、いただきます!」

 多田野はそう言って、かの弁当魔を彷彿とさせるような素早さで割り箸を割ると、だし巻き卵を掴んで口へと放り込んだ。

「んぐんぐ……ん、美味しいね、これ」

「喜んで頂けたら、嬉しいです」

 桜川はそう、柔らかい笑みを見せる。少し複雑な思いが俺の心をよぎって、すぐに靄がかって見えなくなった。

「ううと、では武司さん、私達も食べましょう」

「そうだな。いただきます」

 夢花ちゃんに促されて、俺も桜川の作った弁当に、手を伸ばした。




 昼休みを終え、桜川が帰ると、また俺達は三人で協力し合いながら作業へと取り掛かった。工事が、少しずつ進捗しているのが分かる。きっと、その内、この仕事も終わりを迎えるのだろう。何となくそれは、寂しい事のように思えた。

 そうして今日の作業時間を終えた俺は、暗い夜道を一人、家へと帰った。




■ ■


 玄関には、桜川の靴以外に女の子の靴は一足もなかった。どうやら今日は、清花姉達は来ていないらしい。ただ、その代わりに、見慣れない男物の靴が一組、俺のいつも靴を脱ぐ場所を占領していた。

「ただいま」

 言いながら、奥へと入っていくと、すぐ台所から桜川の声と共に、ひどく潤んだ男の声が聞こえてきた。困った。全く状況が読めない。

 台所をそっと覗くと、だが、男の顔には見覚えがあった。

「あ、武司さん。お帰りなさい」

「ああ、ただいま。……そっちは?」

「黒澤という者だ。と言っても、面識がない訳ではないな」

 男はそう、小さく笑みを浮かべた。この黒澤という男は……そう、清水のボーイフレンドだったという男だ。例の基地で、清水に疑われて気絶させられていた、可哀想な男である。

「いや、良いんだ。私は、カリナを半分は裏切っていた。だからあの時、カリナが私を信じなかったのも、当然だし仕方のない事だ」

「……カリナって、清水の事か?」

「彼女は、こちらではそう名乗ったらしいな。そうだ」

 黒澤はそう言うと、視線を俺から桜川へと戻した。

「どうしたら良い。私は、どうして彼女にこの罪を……償えば良いのだ」

 どうやら、清水との間にできた隔たりを解消したいと、桜川に相談しているようだった。大方、清水がここに住んでいると聞いてやって来たのだろう。残念ながら、もう引っ越した後だったが。

「清水さんとまだお話しされていないのなら、まずは話してみたら良いと思います」

「どんな顔を、向けられるものか。償って、許されねば、会えない」

 桜川と黒澤の会話には、俺の入る余地もなかった。立ち聞きするのは趣味が悪い。俺は、部屋に居るから、と桜川に言い残して、自分の部屋へと歩み出した。

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