45.
「難しいですね。人の心って」
黒澤が帰った後、桜川は俺の部屋までやってきて、黒澤から受けた相談にどう返答すれば良いだろうかと俺に相談した。
「そうだな……」
話は、ある程度理解できた。
黒澤が完全に清水を裏切って敵方についていたか、と言えば、答えは明らかにノーである。そればかりか、彼は実際のところ全くの反戦派、清水の味方側に居た。だから彼があの日、死んだと聞かされていた清水を見つけた時、清水が裏切ったのではないか、と疑ったのだった。そして、彼はまるで彼女の敵であるかのように振舞う事で、その真偽を見極めようとした。清水は清水で、それをただの裏切りだと理解した。
要するに、二人で疑いあった結果、話がこじれているのだった。
「まぁ、二人が話し合わない限り、解決はしないだろうなぁ」
「清水さんにお話しした方が良いでしょうか?」
「いや、それは、黒澤さんが決心するまで待った方が良いかな。俺達ができるのは、多分、黒澤さんを説得するぐらいだと思う」
意図しない沈黙が流れる。あまり清潔な部屋ではないので、桜川のような女の子に長居されると少しずつ恥ずかしくなってくる。耐えられなくなった俺は、口を開いた。
「黒澤さんに協力してあげたらどうだ?」
「そうですね……。はい、そうします」
どうするか決めかねていたらしい桜川は、俺の言葉に大きくそう頷いた。
「武司さんも、協力して下さいますか?」
「え……もち、ろん」
「何だかたどたどしいですよ?」
桜川は、ふふ、と笑って、椅子から立ち上がった。
「いえ、この問題は、私が一人で解決します。武司さんも、色々と忙しいでしょうから」
桜川の笑顔には、有無を言わさぬ主張力があった。俺は何も言わず、首を縦に振った。
「では、急いで晩ご飯の用意をしてきますね」
「……ん、頼む」
桜川はそう言って、そのまま部屋を出て行った。
そうして、部屋には俺一人だけが残された。とりあえず、座り心地の不安定なベッドから、さっき桜川が座っていた椅子へと移る。椅子には当然ながら、桜川の温もりが残っていて、わずかながらにその温もりが、暖かく感じられた。
机へと向かう。考える事は山ほどあったが、さすがに一番に頭に浮かぶのは黒澤と清水の事だった。二人の関係が元々どんなものだったのか知らないから言えるのかもしれないが、今の黒澤の雰囲気と清水との状況を見て、関係を修復するのはいたって簡単なように思える。よく考えれば、清水も黒澤について、様々な事情を既に知ったはずだ。だが、二人は未だに会ってさえいない。二人とも強情で、少し不器用なのだった。
(もしくは、綺麗すぎるのか)
二人の心が。純粋で穢れがないから、逆に即解決の道をとり辛いのかもしれない。
「ふぅ……っ」
俺は大きく伸びをした。それ以上は、桜川に任せたからには、考えても仕方なかった。
(桜川なら、清水が幸せな解決を見つけるだろうし)
清水に幸あるよう、心から祈った。
桜川の手製オムライスを食べ、入浴も済ませると、睡魔がふよふよと頭をよぎり始めた。
「お疲れですね……」
台所で、二人で温かいお茶を飲みながら、俺と桜川は向かい合っていた。
「そう見えるか?」
「はい。……何だかこう、ぐったりされているように思います」
まだ火曜日だ。そんなに疲れているはずがない。俺は、桜川の錯覚を取り除く為に、表情を柔らかく、背筋も少し伸ばした。
「な、元気だろう?」
「お疲れなのを、お隠しになっているように見えます。明日も明後日もお仕事ですし……」
と、桜川は目線を下げて、浮かない表情を見せた。
「ああ、そう言えば、明日は休むんだ。ちょっと、別の所に用事があるから」
「そうなんですか?」
「うん。だから、明日は弁当は要らないからな」
危うく、伝え忘れるところだった。俺は言ってから、お茶を一口すすり飲んだ。
「分かりました。……それは、楽しい所ですか?」
「いや、楽しくはないな。プライベートな用事ではあるけど」
「そうですか……。では、私はまた、お留守番していますね」
そう、桜川はわずかに儚さを含んで笑んだ。
「ああ。ありがとう」
「いえ、私は居候ですから。武司さんに認めて頂けるよう、頑張ります」
桜川も、お茶に手を伸ばす。一体、彼女は何を考えているのだろう。どうして、俺と一緒にここに居るのだろう。全く、分からない。
お茶を一気に飲み干して、俺は立ち上がった。
「ふぁ……そろそろ寝るな。お休み」
「はい、お休みなさい。良い夢を」
手を振る桜川の、読めない仮面を見つめてから、俺は台所を出た。




