第140話 【三十六歳の初告白】
波打ち際から戻った二人は、木陰にあるベンチに座っていた。
英理はラムネの瓶をコロコロと傾けながら、探るような目で凪を見上げた。
「……ねえ、凪くん。前から気になっとったんだけど」
「なんや、改まって」
「うちが東京におる間、凪くん、こっちでどうしとると? ……その、仕事以外のことよ」
凪は不審そうに眉を寄せた。
「どうしとるって普通や。スーパーで半額の惣菜買って酒飲んで。
たまに島の奴らに誘われて釣りに行くくらいや。……他に何があるんや」
「ほんまにそれだけ? だって、凪くん、施設の利用者さんにも人気あるって聞いたし。その、……言い寄られたりとか、せんの?」
凪は少し呆れたように鼻で笑った。
「あるわけないやろ。タエさんらお婆ちゃん連中には、飴ちゃん一粒で拝まれることはあるけどな」
「もう、そういうこと言いよるんやないんよ。……白石さんて言う方とかさ?」
不意に出た名前に、凪は一瞬だけ遠くへ視線を向けた。
「和也から聞いたんと。
凪くん、白石さんて人にこの施設紹介してもらって……ずっと心の支えになってくれた方だって。
だから、聞いてみたくて。白石さんとは、その……どんな関係やったんと?」
「ああ。あの人は恩人やし、一時は一緒に歩こうと思ったこともある。……それは嘘やない」
英理の表情が、微かに陰った。
「白石さんは静かで、温かい人や。
俺がボロボロで自分を見失っとった時、ここを紹介して前を向かせてくれた。
間違いなく俺の支えになってくれた人や」
英理は、膝の上の手をぎゅっと握りしめた。
「そっか。じゃあ今は、どうしとると? ……別れたってこと?」
「まあ、色々あってな。
あいつはもう、自分を一番必要としてくれる奴の隣に戻ったんや……日常にな。
俺も、こうしてお前という帰る場所におる。お互い、自分にとって一番大切な場所を選んだんや」
「……お前こそ、東京で変な虫、ついとらんのやろうな。あのアイドルの時みたいに、またフラフラついて行ったりしとらんか?」
「ひどい! あん時は、うちがバカやっただけよ! もう、あんな偽物の光には騙されん。
うちはね、凪くんのこの不器用で、ちょっとまずい肉じゃがみたいな優しさがないと、もう生きていけんのよ」
(お、俺は『まずい肉じゃが』……)
英理は、凪の作業着の袖をぎゅっと掴んだ。
「……でも、やっぱり不安になるとよ。
うちは一ヶ月に一回しかここに来れんし。
凪くんが、いつかうちの重さに疲れて、もっと『普通の幸せ』ばくれる人のところへ行っちゃうんじゃないかって……」
「アホか」
凪は英理の頭にポンと手を置くと、そのままくしゃくしゃと髪を撫でまわした。
「十七歳の時から、俺の人生の『普通』は、お前を守ることや」
英理は小さく息を呑み、溢れそうになる涙を隠すように顔を伏せた。
♢
しまなみ海道の多々羅大橋を遠くに見上げる防波堤。
英理は波音のなか、まっすぐ凪を見つめて問いかけた。
「……凪くん。私達、付き合っとるんよね? 実家で『そばにおる』と言ってくれた。
……高校のときからもそうだけど、ハッキリしてくれんと、うち、また不安で眠れんくなるよ」
凪は海を見つめたまま、高校の時の不甲斐なさを思い出していた。
「昔、お前に『付き合っとるって思ってもええんかな』って聞かれて、何も答えんかったことがあったやろ。あん時の制服姿のお前が、あまりにも眩しすぎて……返事をする勇気がなかっただけなんや」
「……」
「でも、今はもう逃げへん。
……英理、遅くなったけど、あの坂道におった女子高生のお前に言うつもりで、今、改めて言わせてくれ」
英理がじっと目を合わせる。
「英理……俺と、付き合ってください」
英理の瞳から、大粒の涙がポロポロと溢れ出した。
「……ほんとに、待ったとよ。十八年もその言葉待たせるなんて……遅すぎるばい。
もう私も三十六歳になるとよ……凪くん、言わされてようやくやもん……ほんっと最低よ……」
鼻をすする英理の声が、潮風の中に溶けていく。
「だって凪くん覚えてる? 高校の時、喧嘩して仲直りしたあの『喫茶ひまわり』の時だって……絶対告白してくれるって期待しとったとに。
『これからも、よろしく』なんてごまかすから……私、どんだけ焦れったかったか……」
涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、英理はくしゃっと弾けるように笑った。
「でも、嬉しい。今の言葉が、世界で一番嬉しい……!」




