第17話 血煙の惨劇と、頭上の異形
――かつて、この地に四人の異世界勇者が召喚された。
江戸の世からやってきた、三人の侍と、一人の女武芸者。
男尊女卑の理不尽に縛られた時代。どれほど剣の腕が立とうと、女というだけで「足手まとい」と蔑まれた。
しかし、女は耐えた。
それが運命であり、絶対であり、必然なのだと自分に言い聞かせ、心を閉ざして従い続けた。
そんなある日、あまりにも残酷な転機が訪れる。
とあるダンジョンで負傷した女を、男たちは容赦なく置き去りにしたのだ。
暗闇の中で死に瀕したその時、彼女の胸に生まれて初めて鮮烈な殺意と憎悪が芽生えた。
『なぜだ……!? なぜ、私より腕の劣る愚か者どもが生き伸び、なぜこの私が死なねばならぬ……!? 許せぬ……許せぬぞ……!!』
冷たい地面を血で染めながら、女は天に向かって絶望の呪詛を吐き捨てた。
『ミカエルよ!! なぜ救ってくれぬ!? 私は勇者なのだろう!? 選ばれし者なのだろう!? 貴様も奴らと同類か!! 我が命を弄び、この狂った地に喚び出したお前を……我は終生許さぬ!! 祟り殺してやるぞえぇぇっ!!』
――天は答えず、神の救済などどこにもなかった。
だが、絶望の深淵で渦巻く凄絶な憎悪と悪意は、闇の奥底に潜む『邪悪なる存在』を呼び寄せてしまう。
冷たい闇の中からヌッと差し出されたのは、異形の影。
女の耳元で、濡れたような不気味な声が甘やかに囁いた。
『――我が下僕となれ。さすれば、絶えぬ呪いと、死せぬ肉体を授けてやろう』
「…………ふふ……あはははっ……!!」
女は血を吐きながら笑った。相手が悪魔であろうと構わなかった。神に裏切られた今、世界を呪えるのならば魂など喜んで差し出す。
『ククク……良かろう! その憎悪、存分に貪り、喰らい尽くすがいい!!』
次の瞬間、女の悲鳴と骨の砕ける凄惨な音が暗闇に響き渡った。
肉は腐ち落ち、むき出しになった肋骨からメリメリと異形の手腕が四本新たに生え出でる。
血を啜り、怨念を喰らい、死すら超越した怪異――。
こうして誕生したのが、六本の骨腕を持つ悪鬼『夜叉蜘蛛』であった。
◇
「夜叉……蜘蛛?」
「なんでここに!?」
『……ドウシタ?』
2人は夜叉蜘蛛の声に戦慄する。
低く……だが、骨の隙間から漏れ出すように響くその冷たい声に。
「ヒッ!?」
「……くっ!!」
『立ッテイルダケカ? カカッテコイ!』
(なんとかセシルだけでも逃がさないと!! 私はどうなっても構いません!! ……ミカエル様、どうか、私にお力をお貸し下さい!! 愛する者を守る為の力を!!)
『貴様、ナゼ、戦イノ最中……目ヲ瞑ル?』
「うっ!?」
『祈ッテイタナ!? 祈ッテイタノダロウ!! 神に!! ミカエルに!!』
夜叉蜘蛛の眼光がさらに赤く灯る。
その瞬間――
「下がってコレットちゃん!! スキル!! 鑑定!!」
(夜叉蜘蛛の弱点を探ってみせる!!)
【名前】夜叉蜘蛛(元・異世界勇者)
【種族】怨霊スケルトン
【レベル】???(上限突破)
【称号】『神仏を呪いし者』『六刀の修羅』
【スキル】《六刀怨念 Lv.MAX》《狂戦士の狂気》
【状態】狂乱・殺意
「っ……な、なにこれ……!?」
表示されたあり得ない数値の桁違いさと、不穏すぎる称号に、セシルは思わず息を呑んだ。
『……クダラヌ!』
夜叉蜘蛛が吐き捨てた瞬間、その影がかき消えた。
「……え?」
視界から消えたのではない。人間の動体視力で捉えられないほどの神速――文字通り、空間を跳躍したのだ。
死の気配を本能で察知したコレットは、叫ぶ間もなくセシルを左へと思い切り突き飛ばした。
「……あ」
床を転がるセシル。
「コ、コレットちゃん!?」
振り向いたセシルの瞳に映ったのは、あまりにも残酷な光景だった。
音もなくすれ違った六本の骨腕が、冷酷な弧を描く。コレットの身体がふわりと宙を舞い、鮮烈な血飛沫を引いて背後の壁へと激突した。
「があっ……げほっ……!」
崩れ落ちるコレットから、赤い液体が冷たい床をみるみるうちに染め上げていく。
「うそ……嘘でしょ……コレットちゃん……っ!?」
頭が真っ白になり、セシルは自分の足で立つことも忘れて這いずるように彼女の元へとすがりついた。
「いや……いやぁぁぁぁ!! コレットちゃん!! コレットちゃん!! コレットちゃぁぁぁぁん!!」
真っ二つに裂かれたコレットの胴体からは、すでに命の灯火が消え失せていた。
それでもセシルは現実を受け入れられず、血みどろになったコレットの上半身を必死に抱きしめる。
「目を覚ましてぇ……!! コレット……ちゃん……っ!!」
『…………』
夜叉蜘蛛は、冷たい眼光で一瞬だけセシルを見つめた。
だが――すぐに興味を失ったように視線を外すと、少し離れた床に転がっているコレットの下半身を、6本の骨腕の1本で無造作に掴み上げた。
『メキメキッ……ゴチャッ……バリバリッ……!』
ただの肉塊となった脚を顎で噛み砕く、生々しい音がホールに響く。
下半身を平らげた夜叉蜘蛛の赤く光る眼が、次はセシル――そして彼女が抱きかかえるコレットの上半身へと向けられた。
「あっ……やめて……嫌ぁぁぁっ!!」
すがるセシルの手から乱暴に引き剥がされたコレットの残骸が、ズルズルと冷たい床を滑っていく。
夜叉蜘蛛はそれを目の前まで吊り上げると、顎をカタカタと鳴らして残りの上半身すらも貪り食い始めた。
『ゴチャッ……バリバリッ……!』
「ああぁぁぁ……っ!!」
愛する幼馴染が文字通り目の前で跡形もなく喰らわれていく惨劇を目の当たりにし、セシルの精神はついに限界を迎えた――。
「お、お願い……頭だけは……頭だけは残して……」
血の海に膝をつき、壊れた人形のように虚ろな瞳で懇願するセシル。
だが、その儚い願いすら冷酷に踏みにじるように、夜叉蜘蛛は残されたコレットの頭部へと巨大な白骨の顎を開いた。
『グルルルルルル……ッ!』
まさに噛み砕こうとした、その瞬間――。
『シュルルルルルゥゥ~~!!』
湿り気のある不気味な咆哮と、空間を削り取るような凄絶な殺気が、ダンスホール全体を圧した。
『ン……? ナンダ……!?』
夜叉蜘蛛の鬼火のような瞳が途限なく揺らぐ。
一瞬遅れて本能的な危機感を察知した夜叉蜘蛛は、掴んでいた頭部を無造作に投げ捨てると、腰に差した六本の刀を一斉に引き抜いた。
シャキィィンッ――!
暗闇の中で六刃の鋼がギラリと閃き、異形の殺陣が構えられる。
『……上カ!?』
夜叉蜘蛛が鋭く天井へと視線を跳ね上げる。
そこには、ダンジョンの天井にガチリと爪を立て、見下ろしている『何か』が蠢いていた。
――獣の肉体。そして、蛇の頭部。
強靭で毛むくじゃらの狼男のような胴体に、首から上だけがヌタリと蠢く大蛇の生首。
噛み合わないはずのふたつの凶暴性が一つに縫い合わされたような、おぞましい異形の怪物。
(毛むくじゃらの体に……頭が、蛇……!? なんなの……あんな生物、見たことない……!)
セシルは息を呑み、血の気の引いた顔でその怪物を見上げる。
夜叉蜘蛛が放つ『怨霊の殺気』とは異なる、野性臭と毒々しさを孕んだ異次元の圧力が、ダンスホール全体を支配していった。
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