5.まかいのくらし
――それから数日が経った魔界で。
話しが合い、すっかり仲良しになったアリステニア王女ケイトリンと魔王城の侍女リリーは、ランチを済ませると、手を繋いでお庭を散歩していました。小さい頃、すぐにどこかへ行ってしまうケイトリンを心配して、ライアンがいつも手を繋いでいたからか、ケイトリンは友達認定するとすぐ手を繋ぎたがる癖があるのです。
「さっきのポトフすごくおいしかったなぁ。」
「はい。魔王様が朝から食材を調達しに人間界へ赴き、心を込めて仕込んでいましたから。」
「朝から・・・へへ」
よほどおいしかったのか、うれしそうに笑うケイトリンの横顔を見て、リリーもくすりと笑います。
「どうか、おいしかったと直接伝えてさしあげてくださいませ。姫様がお喜びだったとわかれば、次の食事は一段と豪華になりましょう。」
「うーーん。そうね、そうしてみる!レシピ教えてもらえないかなぁ。」
「魔王様は普段、“苦々覇道”というものでレシピを調べておいでだそうですよ。」
「“苦々覇道”?」
「・・・と、私には聞こえたのですが、どのようなものかまでは・・・」
「クック〇ッドだ。嘘を教えるでない嘘を。」
突然低い声が響くとリリーはすぐに傅き、二人の目の前に突然雷が落ちました。土煙の中から現れたのは、魔王です。
「リリー、下がるが良い。俺は姫と散歩がしたい。」
「かしこまりました。」
リリーは一羽の烏に姿を変えると、ケイトリンの部屋がある塔の窓へと飛び去っていきました。
取り残されたケイトリンは、少しの気まずさを感じながら、さっきリリーに言われた通りのことを魔王に伝えることにしました。
「お昼ごはん、ごちそうさまでした。とってもおいしかったわ!」
「そ、そうか。夜は何が食べたい?何でも申してみよ。」
少し照れている魔王は、リクエストに答えてくれる気があるようです。
「なんでも?あなた、何でも作れるの?」
「・・・クックパッ〇に載っているものならな。」
「若いのにしっかりしているのね!」
「若い?俺がか?」
「ええ、そう見えるわ。お兄様より少し上かしら・・・」
屈託なく笑うケイトリンに、魔王はにやりと意地悪く笑いました。
「俺は257歳ぞ。」
「え!!」
「リリーは何歳だと思う?」
「・・・私と同じくらいだから、16・・・か、17くらい?」
「あれは192歳。お前より遥かに長く生きておるよ。」
「信じられない・・・!」
随分歳上のお姉さんに、馴れ馴れしく手を繋いでしまったものだと、ケイトリンは少し恥ずかしくなりました。
「魔族とはそういうものよ。人間より遥かに長く生きられる。簡単に姿を変えることも、空を飛ぶこともできる。」
魔王は木になっている小さな林檎を一つ手に取ると、ケイトリンに差し出しました。
「どうだ?魔族になりたくなってきただろう?」
林檎は、とてもみずみずしく美味しそうに見えます。ケイトリンは、受け取ろうと手を伸ばし、あと少しで林檎に触れるというところで我に返りました。
「だめよ、ほしくない。」
「そうかい。」
ケイトリンが受け取らなかった林檎を引っ込めると、魔王はこれみよがしに美味しそうにひとかじりしました。
「あなただって、ある日人間にさせられちゃったらどう思う?私たち人間は魔族と違って、空も飛べないし体力もない。早く歳をとるし、やがてハゲるわ。」
「お前と同じ種族になるのは嫌ではないしむしろ本望だが、急だと戸惑うな。ハゲはいやだ。」
「そうよ、戸惑うでしょ?それに、大切な人達や仲のいい人たちと同じように生きて死ねないことは、きっと辛いわ。」
「そう・・・だな」
ケイトリンの言葉に、魔王は寂しそうに相槌を打ちました。二人の間に沈黙が流れます。
空気を変えるように魔王は話を切り出しました。
「少し街を見に行かぬか?魔族の暮らしを見るのも、退屈しのぎにはなるだろう。」
「街があるの?行きたい!」
「あるとも。しかしそうだな、人間の娘がいるとわかると、民たちはお前を取って食うかもしれん。」
「え・・・」
喜んだのも束の間、恐ろしい話に青ざめたケイトリンに、魔王は少し考えるとこんな提案をしました。
「お前に魔族の名を授けよう。たった今からお前は、民の前では魔族の娘“ジュナ”だ。俺の生き別れていたはとこということにしよう。」
「わかったわ。」
ケイトリンはひとつ大事なことを聞き忘れていたことに気づきました。
「あなたの名前はなんなの?」
「俺の名か?全て名乗り終わるまでに15分かかる。ヴィンスでいい。」
魔族の娘ジュナのふりをしたケイトリンと、そのはとこのふりをしたヴィンスは連れ立って、街へ遊びに行きました。
魔界の人々は、同胞には親切で、人間界と変わらない市井のくらしがそこにありました。
ヴィンスや街の人々と一日遊び尽くしたケイトリンは、魔界も悪くないな、と思いました。ヴィンスやリリーとの暮らしも、当初思っていたよりもずっと楽しいものです。自分が魔界に留まることで、魔族が人間界を荒らすのを止めてくれるのであれば、それも悪くないと思えてきます。
日が暮れた帰り道、そんなことを考えながら、ケイトリンは自然とヴィンスと手を繋いでいました。
二人はとっくに良い友達になれたからです。
「魔王様!!どちらへいらっしゃったのですか!」
城へ着くと、黒い鎧を纏った騎士が慌てた様子で駆け寄ってきました。
「姫と街を見に行っておった。慌ててどうした、アルドリッジ?」
アルドリッジと呼ばれた黒い騎士は傅くと、きびきびと報告します。
「アリステニア王国より、王女救出の命を受けた勇者一行が魔界へ向かっています!人数は4名。勇者と、魔法使いの娘。城仕えの賢者と白い騎士です。人間界に住む魔族の被害は甚大、死者多数!何か対策を打たなくては・・・!」
父上と母上がわたしを助けるために人を寄越してくれた!それに、白い騎士ということは、兄上がこちらへ向かっている・・・。
ケイトリンは懐かしさに胸が熱くなると同時に、先程まで楽しく笑いあっていた魔界の人々や、リリーや、ヴィンスに良くないことが起こるのではないかと胸の奥が痛くなりました。
――わたしが、なんとかしなければ。