P-266 フリーハンドを貰った
「なるほどのう……。ご苦労なことじゃったな。私等も巡礼船についてはナギサの考えに賛同するにゃ。しかし、もう1つの方は困った話にゃ」
お茶を飲みながら、カヌイのお婆さん達に神殿の神官達との話をした。
ジッと耳を傾けて俺の話を聞いてくれたけど、話が終わったところで俺に労いの言葉を掛けてくれた。
「自分達の信じる神を唯一の神として、他の神を認めずそれを貶める。唯一神を信じるなら楽園に招かれ、そうでなければ地獄へと落とされ永遠の苦しみを受けねばならない。
単純な教義ですから、信じる者が増えると予想します。その教義を教える者達誰もが、それが事実であると信じているのですからねぇ。見た者は誰もいないでしょうに……」
「今の暮らしに満足しているなら、そのような教義を信じることは無いと思うにゃ。でも、日々をどうにか飢えずに暮らしている人達には救いの光に見えるかもしれないにゃ」
「今は不幸のどん底でも、唯一神を信じることで、魂は今の暮らしを抜け出せるという事にゃ? 本当にそうなら唯一神の信仰も間違いとは言えぬにゃ。でも、死んだ後のことは誰も分からないにゃ。ネコ族は死して龍神の下で暮らすことになると私達は伝えているにゃ。本当にそうなのかは分からないにゃ。でもそうなるように日々を送っているにゃ」
確かにそうだよなぁ。龍神や眷属である神亀を見ることは多い。死んだ後は龍神の下で銛の腕を競うことになるとバゼルさん達が言っていたが、誰もそんな姿を見た者はいないはずだ。
先ほどカヌイのお婆さんが言ったように、そうなるようにとの希望あるからこそ、俺達は日々を送っているという事になるんだろう。
いや……。案外、俺がオラクルの誕生を幻視したように、長いニライカナイの暮らしの中で龍神の下で銛の腕を競う先祖の姿を見たのかもしれないな。
男性が亡くなれば銛を一緒に、女性が亡くなれば縫い針と糸を一緒に……。葬儀の風習は色々だと昔お祖父さんが言っていたけど、その最初の出来事は案外誰かの幻視が元になっているかもしれない。
「我々は龍神の広い袂で暮らしていますから、そのような宗教を信じることにはならないでしょう。我等の暮らしは、龍神の加護により豊かな漁果を得られるようなものです。でも大陸は異なります。本来平等であるはずの人間を、生まれによって上下関係を構築し、貧富の差は我々の想像を超えています。虐げられた人々の数は裕福に一生を終える人達の数に比べてはるかに多いのです。そんな下層階級の人々に唯一神を信じる一神教が広がれば王国は大いに乱れるでしょう」
「見て見ぬ振りも出来ぬという事にゃ? 困った話にゃ」
「乱れた後に、残った神が問題にゃ。今まで通りの4柱の神であるなら、降り出しに戻るにゃ。そうでないと……」
カヌイのお婆さんが大きく目を見開いた。
「1神教が残れば、聖戦の始まりです。他の神を認めませんし、その教えを広めようと領土拡大を図るでしょう。我等のニラカナイに軍船を進めてくることは間違いありません」
「悪い時代に生まれたにゃ。リーデン・マイネだけで何とか出来るとも思えないにゃ」
相手が1国ならば、防衛は容易だろう。だけど数か国が同時ともなればネコ族の人口が問題になる。それに主食は大陸との貿易に頼っているからなあ。オラクルよりも数倍大きな島があれば俺達だけで米作りもできるんだけどねぇ……。
「神殿の神官には下層民への対応次第では神殿が無くなりかねないことを伝えています。『身分に上下はあるが、神の前では貴賤は無く平等である』ことをしっかりと伝えるようにと……」
「難しい話にゃ。大きく立派な神殿を維持することで、寄付を集めるのも神官の仕事と聞いたことがあるにゃ。寄付が多ければ多いほど神が目を掛けてくださるという話になってしまったのかもしれないにゃ」
さすがに『免罪符』は発行していないと思うけど、維持費は案外神殿に重く圧し掛かっているかもしれないな。
それなら立派な神殿を作らねば良いと思うんだけどねぇ。ニライカナイに神殿があったなら、龍神と神亀はこれほど頻繁に現れないのかもしれない。
ニライカナイそのものが神殿なんだろう。それなら世界一の神殿になりそうだ。
「出来れば大陸にはあまり関与したいとは思いませんが、このまま進めば一神教に染まる恐れもあります。誰がどのような神を崇めるのかは個人の自由。それをとやかく言うつもりは毛頭ありません。ですが、その教義が他の神を貶めるような事態になるであれば、ニライカナイに再び軍船を進めることになるやもしれません」
何故、そっとしておいてくれないのかなぁ。どんな神を信じようとも、それでその人物が幸せを得られるならそれで十分に思えるんだけどねぇ。
神の教えだと言って、それを強要するような教義は、すでに神から見放されているように思えてならない。
「困った話にゃ。とはいえ、我等と大陸の扉を行き来しているのは商会ギルドにゃ。商会ギルドに神殿の神官の席は無いにゃ。でも、我等カヌイの席は2つあるにゃ」
ギルドから圧力を掛けられるという事かな?
「失礼ですが、商会ギルドの理事席は幾つあるんでしょう?」
「各王国から3つずつ。ニライカナイから2つにゃ。たぶんもう少し増えるはずにゃ水の神を信じる王国からも参入してくるはずにゃ」
現行で11席、それに3つ新たに加わるのかな? 合計14席の中で2席しか持たないニライカナイが反対しても決が執られてしまいそうだな。
だが、その動きを監視することは出来る。
「神殿の意をどれほどまで商会ギルドの理事が汲み取れるかが問題です。でもカヌイの席があるとなれば、商会の動きを知ることは出来そうです」
「商会が一神教に染まるとも思えぬのじゃが?」
「最悪は想定しておくべきでしょう。長老にも追加でお願いすべきかもしれません。2隻目、3隻目のリーデン・マイネの建造を……です」
俺の言葉に、3人が目を見開いた。
やはり俺の持つ危機感と、カヌイのお婆さん達の危機感には大きな隔たりがありそうだな。
「それは、少し待つがよい。もうすぐカヌイの集まりがトウハ氏族の島で開かれる。その場でナギサの危機感を伝えるぞ。それに、そのような事態が起こるなら事前に龍神様のお告げがあるやもしれん」
必ずしもカヌイのお婆さん達に告げられるとは限らないんだよなぁ。
それだから『待て』という事になるんだろう。
「了解しました。場合によっては、個人的に大陸の神官達と話合うことになるやもしれません。先ほど伝えたような危機感を持ってはいますが、それは今すぐ起こることではありませんし、ある程度の事前策を講じることが可能に思えます。『神の前の平等』をどのように普及させるかについて2、3案を示してあります。その具体化を進めることに問題はないでしょうか?」
「ナギサは先が見えるからのう。我等には無理な話じゃ。神官達との話は会談後に概要を知らせてくれれば十分にゃ」
ある程度のフリーハンドは持たせて貰った。
これで会談は可能になる。どんな布教活動を始めるか、気になるんだよね。場合によっては低層で暮らす人々の反感を煽りかねないからなぁ。
帰る前に、エメルちゃんのお腹が大きくなったと話したら、お婆さん達が笑みを浮かべてくるんだよなぁ。
「2人目にゃ。トーレが隣にいるなら安心にゃ。ナギサが気付くほどなら、場合によってはリードル漁の最中に生まれるかもしれないにゃ」
「誰かが付き添った方が良いのかしれんのう。難産であったら龍神様の御加護に頼ることになるやもしれん」
タツミちゃんの時も龍神が来てくれたからなぁ。
案外ここまでカタマランを運んでくれた神亀も、エメルちゃんの様子を見たかったのかもしれないな。
「出産は慶事にゃ。それは我等で考えれば良いにゃ。ナギサはそれまでリードル漁の銛を研いでれば十分にゃ」
「とはいえ、妻の1人ですから、心配です。今のところ元気に過ごしていますからご安心ください」
笑みを浮かべて頷いているカヌイのお婆さん達に頭を下げて、小屋を出る。
だいぶ日が傾いてきたな。早く帰らないと夕日が落ちて仕舞いそうだ。
カタマランに到着するころには日がとっぷりと暮れていた。
少し長話をしてしまったかな?
足元を見ながらカタマランの甲板に足を踏み出すと、子猫を抱いたマナミをトーレさんが抱いてベンチに座っていた。
俺が帰ったのを見て、バゼルさんがカップを差し出す。先ずは飲め! という事なんだろう。
カップを受け取って、甲板に腰を下ろして一口味わう。いつもより濃いんだよなぁ。少しずつ飲んでいよう。
カップ半分ほど飲み終えたところにカルダスさんがやって来た。
改めてカップにココナッツ酒が注がれてしまった。
これは全部飲んだら、明日の二日酔いは間違いなしだ。
「長老のところに行ったらしいな。それが子猫か!」
「トーレが欲しがっているんだが、さすがに直ぐに手に入れられまい。ナギサに、もう2、3匹頼むしかないだろうな」
「俺の嫁さんも欲しがるに違いねぇ。ナギサ頼んだぞ。それで、結局どうなったんだ? 長老は面倒なことになったと言っていたが?」
そんなことから、改めて全員に俺の危惧を話すことになってしまった。
カヌイのお婆さんにも伝えてあると言ったら、バゼルさん達が腕組みしながら頷いてくれた。
「そういう話であれば、長老よりも婆さん達ってことになるだろうな。だが、リーデン・マイネを増やすともなればそう簡単ではないぞ。族長会議に諮るという事はそれもあるのだろが、ニライカナイが1つになりかねん」
今は各氏族が長老の指導の下で生活している。
リーデン・マイネの新たな建造は、俺達の社会構成が変わる可能性があるってことか……。
これはますます、考えねばならなくなりそうだ。




