P-264 なかなか操船をさせては貰えないんだよなぁ
カタマランの戻ってくると、エメルちゃんが屋形から顔を出した。
来客かと思ったのかな?
直ぐにお茶の準備をしてくれたけど、急にお腹が大きくなってきたんだよなぁ。
「タツミはマナミを連れて浜に行ったにゃ。子供達が大勢浜で遊んでいるのを見てぐずってたにゃ」
「オラクルに砂浜が出来るのはまだまだ先だろうからなぁ。俺の用事も済んだから、明日にはオラクルに戻るけど、途中で砂を集めないといけないね。それと……」
肩にしがみ付いていた子猫を、エメルちゃんに差し出すと、エメルちゃんが目をまんまるにして受け取って抱きしめた。
「可愛いにゃ。私達の先祖かもしれないにゃ。1度商船で見たことがあるにゃ。貰って来たのかにゃ?」
「ちゃんと母ネコの了解を貰ったよ。一応、長老にも話さないといけないかもしれない。島で育てられないという時には、商船に戻すよ」
「大丈夫。私達と一緒に暮らせるにゃ。子供達の遊び相手になってくれるにゃ」
もう直ぐ自分の子供も生まれるんだけどなぁ。
そんなにネコを可愛がれそうもないだろうけど、マナミは喜ぶんじゃないかな。
オラクルに到着する前日に砂を取れば良いかな? 何時の間にか、漁の帰りに砂を一カゴ運ぶのがシドラ氏族の習わしになってしまった。
数日おきに、10籠近い砂が運ばれてくるんだが、砂浜にする区域が広いこともあって完成にはまだまだ時間が掛りそうだ。
早くて10年というところだろう。場合によってはさらに数年先になりそうだけど、誰もが文句を言う事なく砂を運んでくる。
砂と同時に土を運んでくることもあるんだが、その場合は氏族の筆頭達から指示が来る。何も言われない時は砂を運ぶことになる。
「だいぶ出来たとトーレさんが言ってたにゃ。マナミ達が大きくなったら砂浜で銛の練習ができそうにゃ」
「大きな子供達はすでに砂浜の沖で銛を使ってるんだろう? だけどまだ小魚ばかりだからなぁ」
それでもたまに銛で小魚を突くことが出来るらしい。
そんな少年達は仲間から一目置かれることになるだろうし、親としても嬉しいに違いない。
とは言ってもシドラ氏族はトウハ氏族のように銛の腕を誇るわけではない。
銛でも、釣りでもなんでも良い感じだな。大物を持ってくるか、それと同行した仲間達から抜きんでて漁果を得た者が尊敬の対象になるようだ。
だからと言って銛を下に見るようなこともない。それは氏族の大半がトウハ氏族から移り住んだからだろう。
焚火を囲んだ酒盛で、たまに銛の腕を誇ることもあるからね。
銛の腕を誇る際に良く言われるのは、ハリオを何匹突いたかという事だ。これまでに突いたハリオの数や一度の漁で突いた数、突いたハリオの大きさを話題にして盛り上がるんだよなぁ。
ハリオの次点としてフルンネの漁果を同じように誇ることがあるけど、これは若い連中の酒盛りの中での話だ。
そんな時でも、ハリオを突いたという話が出ると皆が感心して拍手をするぐらいだから、互いの銛の腕を認め合っているという事なんだろう。決してその腕を妬むことはない。次は俺が……、そんな思いで拍手をしているのだろう。
「もうすぐ、雨期になるにゃ。本当ならマーリルを釣りに行けたはずにゃ」
「マーリルは毎年来るらしいから、次の雨季に出掛けようよ。さすがにカルダスさん達が素潜り漁ができなくなるまでには行きたいところだけど、まだまだ現役だからね。『いつ素潜りを止めるんですか?』なんてカルダスさんに言ったなら、甲板から海に投げ込まれそうだ」
「言ったら、絶対にやるにゃ。だけど父さんが楽しみにしてるにゃ」
「だろうね。まだシドラ氏族ではマーリルを釣り上げてはいないらしいからなぁ。何としても、氏族で最初にマーリルを釣り上げた人物になりたいよ」
笑みを浮かべて頷いてくれた。お湯が沸いたようで、俺にお茶を淹れてくれたけど、さすがに長く暮らしてきたからなぁ。今では美味しいお茶を淹れてくれるんだよね。
最初の頃は、苦いお茶を散々飲まされた気がするんだよなぁ。
お茶うけに出してくれた蒸したバナナを頂きながら、エメルちゃんと世間話をしていると、マナミをおぶったタツミちゃんが帰って来た。
マナミは寝ているのかな? そのまま屋形に入って行ったからハンモックに寝かせているんだろう。
直ぐに出てきたタツミちゃんに、エメルちゃんがお茶のカップを渡している。
疲れた表情で小さく頭を下げて受け取ったところを見ると、散々マナミに振り回されてきたみたいだな。
だけど、エメルちゃんがマナミを入れておく籠の中から子猫を抱き上げるのを見て目を輝かせてるんだよなぁ。
「次は私に!」なんて言ってるぐらいだ。
「俺の方は、話が済んだよ。明日には帰れる」
「案外簡単に済んだみたいだけど……。交渉事という事だったのかにゃ?」
「どちらかというと頼まれ毎に、心配事かな。俺には返答できなかったから、長老達に確認して返事をすることにしたよ。シドラ氏族だけではなくてニライカナイの全氏族にも関わるからなぁ。心配事は、俺達にではなく大陸の連中の話だ。とはいえ、変な方向に進んでしまうとニライカナイに影響がないわけではない。これはカヌイのお婆さん達と相談だ」
中々俺達だけで自由に暮らせるという事にはならないんだよなぁ。主食である米を大陸からやってくる商船に頼っている以上、俺達だけで暮らせるわけではない。
トウモロコシや芋、それにカボチャの栽培もしてはいるけど、毎日芋やカボチャではねぇ。飢えることはないだろうけど、ちょっと考えてしまうな。
シドラ氏族で米作りを初めてはいるんだが、ニライカナイの住民全てに食べさせるとなれば精々2日程度だろう。
『昔はバナナの周りに米粒が付いていた……』そんな食事が贅沢に思える暮らしになりかねない。
オラクルの数倍規模の大きさがある島でも見つかれば良いんだけど、今のところはかつてアオイさん達が作った地図にさえ、オラクルを超えるような大きな島は記載されてはいないようだ。
だが、諦めることはないだろう。
ニライカナイの領域はかなりの大きさがあるらしいからなぁ。
ニライカナイの東はアオイさん達がつき止めたようだけど、北と南はまだまだ境界が見えてはいない。
そこに大きな島が無いとは言えないからね。
「次は延縄と曳き釣りになるのかにゃ?」
「晴れ間を縫っての素潜りもしないとね。俺達が作る燻製の売れ行きも良いらしいから、頑張ってたくさん魚を獲らないと」
「大陸の奥まで魚を運ぶと商船の店員が言ってたにゃ。他の氏族の燻製では、痛んでしまうと教えて貰ったにゃ」
エメルちゃんの言葉に大きく頷いた。
それが俺達の狙いでもあるからなぁ。同じ魚であっても付加価値を付けることで、値も上がるし販路も広がる。
商会ギルドとしても嬉しいことだろう。それだけギルドの影響力が広がったんだからなぁ。
「一休みしたら、2人で商船に出掛けてくるといいよ。大きな商船だからね。商船内のお店の棚も1列増えていたよ。それだけ品数が大いに違いない。俺も新しいリールを買って来たんだ」
「行ってみるにゃ。ナギサは欲しい物があるのかにゃ?」
買い忘れたタバコとお土産のワイン、それにボタンを幾つか頼むことにした。
さすがにエメルちゃんはカゴを背負わせることは出来ないけど、品物選びぐらいは出来る筈だからね。
2、3時間なら昼寝から覚めたマナミの子守は出来るだろう。案外、そのまま寝ているかもしれないな。
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翌朝。朝食を終えたところで桟橋から舫綱を解き、錨を上げる。
操船櫓にいるタツミちゃんに片手を振って合図を送ると、直ぐに桟橋からカタマランが離れ始めた。
数m離れたところでバックしていく。
桟橋から十分に離れたところで、その場で旋回すると南西に向かってカタマランが進み始めた。
後はタツミちゃんに任せておけば大丈夫だろう。来る時にはそうでもなかったんだけど、なんか急にエメルちゃんのお腹が大きくなった気がするんだよなぁ。
操船はナツミちゃんだけになりそうだから、俺にも操船をする機会があるかもしれない。1時間程度なら舵を握らせて貰えそうだな。
笑みを浮かべながら、屋形の中を通って後部甲板に向かう。
タープを半分ほど張ってあるから、エメルちゃんがマナミと一緒に日陰に置かれたベンチに座っていた。
船尾にある道具箱兼用のベンチに座り、パイプに火を点ける。
ここなら煙は全て後方に流れるからね。安心して一服できる。
「お腹の中で動いてるにゃ。元気に育ってるにゃ」
「案外早く生まれそうだね。トーレさんの見立てでは、雨期に入ってからだと言っていたんだけどねぇ」
早産でも困るけど、お腹の中で元気に動いているなら安心できそうだな。
オラクルに戻ったなら、直ぐにトーレさんに再度エメルちゃんを見て貰おう。向こうだって気にしているだろうから、着いたらすぐに乗り込んできそうだ。
カタマランを停めて昼食を取っていると、突然カタマランが海面を離れた。そのままぐんぐんと速度を上げて南東に向かって進んでいく。
どうやら神亀が俺達を運んでくれているみたいだな。せっかく操船できるかと思っていたんだが、神亀から見ても俺の操船は今一ということなんだろう。
「だいぶ速度が出てるにゃ。これなら7日の航海が3日で終わるにゃ!」
「急ぐ理由は無いと思うんだけど……」
マナミをあやしながら2人が話をしている。
子猫も焼き魚を頂いて嬉しそうに食べている。
そんな子猫を撫でようとマナミが手を伸ばしているんだが、ぎりぎりで手が届かないんだよなぁ。
昼食を取っている間も、神亀は俺達を運んでくれている。操船を少し代わってやろうと言う感じに思えるな。
夕暮れが近付いた頃に、再びカタマランは海面に戻る。
さすがに夜の航海をタツミちゃん1人で行わせるわけにはいかないから、錨を下ろしてここで今夜は休むことにした。
2人が夕食を作り始めたから、俺は屋形の天井から釣竿を出して夜釣りを始めることにした。
操船櫓の上と帆桁のように後方に張り出した横木にランタンを取り付ける。これで結構明るいんだよなぁ。シャインの魔法で作った光球ではあるんだが、ランタンの下なら本も読めるぐらいだ。
マナミと子猫を籠に入れて俺の傍におき、釣り糸に仕掛けを取り付ける。
マナミの傍では危ないから少し離れて取り付けていると、エメルちゃんが餌の塩漬けにした切り身を小さなザルに入れて、俺の手元に置いてくれた。
「釣れるかにゃ? この辺りは漁場ではないにゃ」
「漁果を持たないでオラクルに変えるのもねぇ……。一晩やれば、数匹は釣れるんじゃないかな。そしたらオカズになるし、沢山連れたらギョキョーに持っていける」
念の為にシメノン用の竿も準備してある。結構汐通しが良いようだし、案外沢山連れるように思えるんだよなぁ。
準備が出来たところで、仕掛けを投入する。
スルスルと道糸が延びて行く。道糸が緩んだところでリールを2度程回して、竿先を煽るようにして辺りを待った。
直ぐにグイグイという強い引きが伝わってきた。
結構大きいんじゃないか?
竿のしなりを見たんだろう。タツミちゃんがタモ網を持ってやってきた。
底物特有の引きなんだが……。
「ヨイショ!」と声を出してタツミちゃんがタモを甲板に引き上げた。
エメルちゃんが放った棍棒を受け取ったタツミちゃんが、獲物の頭を叩いておとなしくさせた。
慣れた動きなんだよなぁ。いつもながら感心してしまう。
獲物の顎を持って、マナミ達に見せてるんだよなぁ。マナミも嬉しそうに手を叩いている。さて、次の獲物は何だろう?
タツミちゃんの話では、バッシェという底物らしい。バヌトスの2倍の値が付く美味しい魚だ。
漁場ではないということだけど、ニライカナイの海は何処も魚影が濃いということなんだろう。