P-234 ツミキがあるらしい
バゼルさん率いる中堅の漁師達と漁に出掛けたのは、オラクルに帰島してから4日目の事だった。
出発の前日にガリムさんが帰って来たんだけど、2日程休むと言っていたからなぁ。これ以上のんびりと過ごすのも考えてしまうところだ。
「入り江を出てきたに向かったにゃ。漁場に着くのは明日の昼頃と言ってたにゃ」
「オラクルから北に1日半となると……、何度か行ったことがあるんじゃないかな?」
「たぶん、海底に溝がある場所にゃ。大物がいると思うにゃ」
事前の話では、ブラドと運が良ければフルンネと聞いていたんだが……。
潮通しが良い海底の溝地帯なら、フルンネだけではなくハリオもやってくるんじゃないか?
となると、向こうの世界から持ってきた水中銃ではなく、ドワーフ族の職人に作って貰った水中銃を使った方が良さそうだ。
スピアのシャフトも太いし、シャフトに結んだラインはパラロープを解いたものだからね。
銛もバヌトスを突くには都合が良いし、ケオが潜んでいる場合だってあるだろう。
改めて屋根裏から銛や水中銃を取り出して、手入れをすることにした。一緒に潜ろうなんてことは考えていないだろうが、タツミちゃん達の銛も研ぎ直して軽く油を塗っておく。丁寧に布で銛先を包んで屋根裏に保管しておけば、長期間そのままにしておいても錆びることはない。
銛を研ぎ終えると、一休み。
殿を務めるカタマランを眺めながら、一服を楽しんでいるエメルちゃんがお茶を入れてくれた。
先ほど屋形から出てきてタツミちゃんが操船櫓に上がっていったから、操船を交代したんだろう。
屋形の中を覗いて笑みを浮かべているから、マナミは籠の中でぐっすりと眠っているに違いない。
「良く寝てるにゃ。昼は蒸したバナナにゃ」
「少し多めに作って欲しいな。夜食にもなるんだし」
「今夜は、漁はしないにゃ。でも、ナギサの分を作ってあげるにゃ」
そういえば、今夜は島に寄せて停泊するだけだったな。
オカズ用のカマルが釣れれば良いんだけどね。出来れば数匹釣り上げて、明日の夜釣りの餌も確保しておきたいところだ。
午後は蒸したバナナを食べながら3人の釣り竿とリール、それに仕掛けを確認する。昨日一度確認しているんだが、何度でもやっておくべきだろう。人間だから見落としはどこかにあるはずだ。
ついでにシメノン釣りの竿も見ておくか……。
こっち尾リールはスピニングリールになっている。クルクル回るベールは真鍮の少し太い針金で作ってあるし、糸を撒いてある木製のスプールは手元より前方が少し細くなっている。
よくも再現したものだと感心してしまうが、何と言ってもスピニングリールは遠投が利くからなぁ。
軽く竿を振るだけで、餌木を数十m先に落とすことができる。
とはいえ値段が高いし、少し手入れを忘れるとすぐに錆びがあちこちに出るからそれほど普及はしていないようだ。
バゼルさん達は今でも手釣りだからね。
餌木の針は円周上に十本も付いてるし、しかも2段になっているからなぁ。ドワーフ族の職人が細工仕上げに使うヤスリを譲ってもらったから何とか研いでいる感じだ。
バゼルさん達が使う手作りの餌木は円周上に6本の針だし、1段だけだから通常のヤスリでも問題はないらしい。
だけど、ヤスリの目が結構粗いんだよね。研ぎやすいのは分かるけど針の減りも早いんじゃないかな。
粗々の作業を終えるころには、だいぶ日が傾いてきた。
そろそろ夕暮れが始まりそうだな。
タツミちゃん達は1時間ほどの間隔で操船を交代しているみたいだ。強い日差しが和らいだから、タツミちゃんがマナミをカゴから出して甲板で遊ばせている。
なんにでも興味があるみたいだから、マナミを抱いたタツミちゃんを見て、慌てて甲板に素早く目を走らせる。
さっきまで手入れをしていたから、釣り針でも落ちていたら大変だからなぁ。
帆柱の根元に置いてある浮きを見つけて、抱き着いているのが何とも可愛らしい。
そういえば延縄の目印用の浮きが余ってたな。
操船櫓の下に設けた倉庫から浮きを取り出して、マナミの傍に置いてあげると大喜びで抱き着いている。そのままコロンと転んでしまったが本人は大はしゃぎだ。
「良いおもちゃがあったにゃ」
「予備の浮きだから、このままマナミにあげるよ。でもマナミには少し大きいようだね。延縄を吊るす組紐用の浮きもあったんだけど、ガリムさんにあげてしまったからなぁ」
「商船に行ったときに買えば良いにゃ。それに『ツミキ』があったにゃ。あれなら屋形の中でも遊べるにゃ」
ツミキは積み木なのかもしれないな。たぶんカイトさんかアオイさんが広めたに違ない。漁で暮らす種族だから余分な家具を持たないんだが、子供用は別なのかもね。
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漁場に到着したのは、翌日の昼過ぎだった。
水底には、北東から南西に走る幾筋もの深い谷が伸びている。
谷の全長は数kmにも及ぶかもしれないな。バゼルさんの笛の合図で船団が解かれ、何隻ものカタマランが思い思いの場所にアンカーを下ろしている。
タツミちゃんは南西に向かって船を進めていたんだが、どうやらこれは! という場所を見つけたようだ。
カタマランを減速させて、俺に顔を向けて声を上げた。
「ザバンを引き出すにゃ。上手くロープを繋いで欲しいにゃ」
「了解だ。ゆっくりやってくれよ!」
ガクンと、小さな振動が伝わった。船尾を覗いているとザバンがゆっくりと顔を出す。
ざばんの船体に撒いてあるロープを取り上げて船尾に巻き付けると、今度はザバンの船首に繋がれてある浮きの付いたロープのフックを外す。
片手を上げると、雨季が付いたロープがスルスルと船体の下に消えて行った。
「終わったよ! 船尾に繋いだからね」
「次はアンカーにゃ。船首に移動して欲しいにゃ」
甲板要員だからなぁ。船長の指示でやることがいろいろあるんだよね。
どうにかアンカーを投げ込んだところで船尾の甲板に移動する。
エメルちゃんがマナミを抱っこしながら、俺の動きを見ているんだけどマナミがゆうことを聞く年頃にならない限り手伝いは頼めそうもないな。
「終わったのかにゃ?」
「これで、すぐに釣りができそうだ。さすがに、今日の素潜りは無理だろうね。水深はおよそ20YM(6m)というところだ。溝が重なっているから、溝に沿っての素潜りになりそうだ」
「フルンネが回遊してくると良いにゃ」
「ハリオだって来るかもしれないよ」
大物を期待して笑みを浮かべていると、タツミちゃんが操船櫓から降りてきた。
マナミをエメルちゃんから受け取って、帆柱に括りつけたカゴの中にヒョイ! と入れている。
手を伸ばして助けを求めているみたいに見える。どれ、近くに行ってあやしてあげるか……。
「早めに夕食を作るにゃ。それだけ早く釣りが始められるにゃ」
「夜釣りでも大物が掛かりそうだな。それなら、ザバンを船尾ではなく舷側に移動しておくか」
「後で私がやっておくにゃ。これだけ潮通しが良いと仕掛けに迷うにゃ」
とりあえずは、胴付き仕掛けで良いだろう。
中域を回遊するフルンネを狙えるよう、胴付き仕掛けの2本の針の間隔が身長ほどもある仕掛けを使ってみるか。
重りから下針までの間隔も60cm程ある仕掛けだから、あまりバヌトスは掛からないだろうがブラドなら十分に狙ええる仕掛けだ。
初日だからねぇ。先ずは様子を見てみよう。
リゾットのようなご飯とスープが夕食だった、これなら夜食はリゾットスープになりそうだな。
食事が終わると、ココナッツジュースを頂く。
まだ夕焼けも始まっていないから、これから夜釣りの準備を整えても十分に間に合うだろう。
一服を終えたところで、3人の釣竿を引き出して仕掛けを取り付ける。
シメノンがやってくるかもしれないから、シメノン用の竿も邪魔にならない場所に用意して起きた。フルンネが掛かった時に備えて、タモ網だけでなくギャフまで用意しておいた。
タツミちゃんが大きなザルを甲板に置いたけど、あのカゴに獲物を入れるってことだろうな。直径1mほどもあるけど、何時用意していたんだろう。
お茶を頂きながら西の海に沈んでいく夕日を眺める。
穏やかな海は小さなうねりがあるだけだ。西に向かって赤い街道が伸びていたが、やがてその街道も消えていく。
さぁ、世刷りの始まりだ。
すでにランタンは灯してあるから、俺とエメルちゃんが餌を付けた仕掛けを海に投げ込む。
底を取ったところで、竿先をゆっくりと上下させる……。
グイグイと強い引きが竿先に伝わった。仰け反るようにして竿を上げて大合わせを行う。さらに引きが続いているから、しっかりと針掛かりしたようだ。
かなり大きそうだが、この引きはバルタックかな? ちょっと笑みがこぼれてしまう。
すぐ横にタツミちゃんがタモ網を持って現れた。マナミは籠の中ってことだな。カゴに枠にしっかりと掴まって俺達の様子を見ているのだろう。
娘の前で恥はかきたくないものだ。
竿の弾力を利用して手元に引き寄せると、タツミちゃんがタモ網を海中に入れて網を獲物の向かって広げてくれた。
網の中に引き入れると同時にタツミちゃんが甲板にタモ網を引き揚げる。
バタバタと甲板を打っているのは50cmを優に超えたバルタックそのものだ。
タツミちゃんが棍棒の一撃を与えるとすぐにおとなしくなって、保冷庫に入れられたが、相変わらず容赦がないな。
仕掛けに餌を付け直していると、今度はエメルちゃんが立ち上がって魚と格闘を始めたようだ。
今夜はかなり釣れそうだぞ。
明日の素潜りが楽しみになって来た。




