P-226 聖戦をしたいのかな?
バタンと大きな音が後ろから聞こえてきた。
振り返ると、マルーアンさん達が跪いて、俺の背に祈りの言葉を捧げている。
大げさだなぁ……。皆が背中の傷を敬うんだが、物心着いたころからあるフル傷跡思うんだけどね。でも、その傷がどうしてできたかについては親父もお袋も教えてくれないんだよなぁ。いつも曖昧な返事で話題をそらしてしまう。
いつまでも徐阪神裸というわけにもいかないので、着古したTシャツを羽織る。
体を後ろに向けて2人の様子を見ると、ホッとした表情で俺に笑みを浮かべると立ち上がって元の席に戻っていく。
「ミラデニア殿もお人が悪い。知っていたなら教えて欲しかった」
「本人があまり望んでいないようですので……。マルーアン殿もそう思いますか?」
言葉使いが元に戻った。状況に応じた言葉をつかえるということらしい。
マルーアンさんが下を向いて小さく頷いた。
ゆっくりと俺に顔を向けてきたんだが、何となく今までと異なる印象だな。まるで俺に媚びるようにも思える。
「ナギサ殿、先ほどの言動をお許しください。神の眷属に連なる人物であるなら、その言動は神の宣託ともいえるでしょう。草原の民はナギサ殿の意思を尊重いたします」
「マルーアン様、どういうことでしょう? 私には訳が分かりませんが」
商会ギルドの男性が慌てて問いかける。
「大陸の4つの神殿……。それぞれに古くからの伝承があります。あまり他言できないのですが、各神殿ともに共通しているものもあるのです。
その1つが神の啓示を受ける者の特徴です。体の一部に宝石を宿すこともあるようですね。私を導いてくれた祭司長はまさしく額にその印を帯びていました。その祭司長最後の言葉が、神を背に負う者の存在でした……」
「となると、風と土の神殿もナギサ殿の言葉に従うということになるのでしょうか?」
恐る恐る男性がミラデニアさんに確認するように問いかけている。
「確実にそうなるでしょうね。4つの神殿に分かれてはいますが、各神殿に祭られている神の存在を私達は否定することはありません。たまたま私は炎の神殿の副祭祀長を務めているだけです。
マルーアン殿との大きな違いは、ニライカナイのナツミ様と親交を持っていたということですね。
夫であるアオイ様は聖痕の保持者。祭司長とナツミ様との語らいの記録は神殿の中で大切に保管されています」
「予言者とも言われていますね」
「ですから、炎の神殿はニライカナイとの親交を絶やすことはしないつもりです。それは我がソリュード王国についてもいえることです」
「水の神殿の言葉はジハール王国も重く受け止めます。ナギサ殿が兵を上げるというなら草原の民が挙って集結するでしょう。ナギサ殿がネコ族の代表と知れば民衆までもが農具を武器に替えて参じること間違いありません」
「ちょっと待ってください。俺は物騒な話をしに来たんではなく、ニライカナイと大陸の国々との調整にやって来たんですからね。それに戦で苦しむのは社会の底辺で暮らす人たちばかりです。戦は遊びではないんですから、軽々しく兵を動かすなどということは無しにしてください」
俺の言葉に商会の男性はほっと胸をなでおろしている。
唖然とした表情のマルーアンさんにミラデニアさんが微笑みかける。
「……ということです。やはりニライカナイの竜神様は戦を望んでいないということでしょう。庇護している我等をいとおしく思うなら無駄な争いごとを望むことはないということでしょうね。我らが敬う荒ぶる神『サラマンディ様』も、今回の件での争いごとは望んでおりません」
「大帝国の中での平和……。少し私情を挟んでしまったようです。私の個人的な戯言とお許しください」
大帝国を構築することで、人民の平和を保障するということか……。ローマ時代のような感じになるのかな?
だが、その範疇に含まれなかった人達は、かなり悲惨な暮らしだったらしい。
最大人数の最大幸福ってことだろう。少数派になった人達は切り捨てられるんだろうな。
ニライカナイではそんなことはないだろう。
氏族の長老が集まってニライカナイの全体を取り仕切っている。長老は氏族の筆頭や次席から選ばれるし、筆頭ならば氏族の漁師を束ねるだけの人望を備えている。
そういう意味では、王国よりも民主的なんだよなぁ。
「ということは、ソリュード王国とジハール王国は俺の考えに賛同いただけると?」
「商会ギルドについても問題はありません。ノルーアン王国については本日の会合の内容を聞かせてほしいと言っておられるのですから強硬に反対することはないでしょう……。問題は、ネダーランド王国です」
「アオイ殿達が現在の約定を定める時にはかなり強硬な姿勢を示したらしいですね。記録では神亀を会議の場に呼び寄せたとあります」
それも凄いな。となると武力で解決しようなんてことになったということか?
そこまでニライカナイにこだわるのは俺達の漁果を欲しがるというより魔石狙いなんだろうな。
「会議はあまり時間を掛けたくないですね。ミラデニアさんとマルーアンさんに草案をお任せしたいと思います。ニライカナイからの条件は今までお話しした通りです。漁果の仕入れと分配はギルドにお任せしますから、ジハール王国の商船についてもギルドへの参加をお願いしたいと思っています。一応4王国の分配ということになるんでしょうが商会ギルドであれば公平な分配を行えるでしょう」
「承りました。改定の会合は明日の夜でしたね。……それにしても、誰にも利がない改定とは……」
ミラデニアさんが笑みを浮かべて頷いてくれた。
これで条文を任せられるだろう。俺にそんな文才はないからなぁ。
どうにか4者の合意ができたということで、ホッとした表情のギルドの代表者が後ろを振り返って、壁際で待機していた若者に飲み物を頼んでいる。
しばらくして俺達の前に出されたのはコーヒーだった。
かなり濃そうだけど、飲んでみたら頭が横に動いてしまった。かなり苦いな。
「少し、濃かったですかな? 私達はこれを飲んでいるのですが……」
「至って好きな方なんですが、濃いのは苦手でして……、できれば大きなカップにこれを入れてお湯で割って頂けませんか? ついでに砂糖をスプーンで2杯」
初老の男性が笑みを浮かべる。
どれぐらいの濃さが良いかは人様々だからな。女性達が普通に飲めるとしても、客の好みを理解できなかったのは商人として問題があると自覚したのだろう。だけど直ぐに相手の好みを知りえたということは次に課題を残さないということでもある。
失敗をその場で対応できるなら商人として十分にこれからも務まると考えたのかな?
「それは失礼いたしました。すぐに変えさせます。嗜好にはこだわりがありますからなぁ」
「確かコフィと言いましたか、俺はコーヒーと呼んでるんです。大陸ではこの季節でもこのような飲み方が一般的なのですか?」
「熱い季節ですから、のど越しの苦味がたまりませんな。さらに濃いコフィを飲む人達もおりますよ」
ホットコーヒーだけなんだ! もっともニライカナイでも同じなんだけどね。
「面白い飲み方をお教えしましょうか?」
俺の言葉に男性が思わず身を乗り出してくる。
「グラスの中に砕いた氷を入れて、そこにコーヒーを注ぐんです。冷えた苦味も良いと思いますよ」
俺の話が終わった途端後ろに控えていた男性を再び呼び寄せた。2人で話をすると、俺達に席を少し外すと言って出て行った。
作ってみるのかな?
それまではパイプを楽しむか。女性達にパイプを見せると頷いてくれたから、近くにあった煙草盆の熾火で火を点ける。
海上を渡る風が窓から入ってくるぐらいだからパイプの煙は部屋に立ち込めることはない。
「沿岸の3王国と商会ギルド、それにニライカナイ漁獲の分配で約定を交わしたのはネダーランド王国によるニライカナイへの内政干渉に端を発しています。ニライカナイに対して2度の前例がありますから、今回も反対するでしょう。その時にナギサ殿はどのように対応なされるおつもりですか?」
昨夜の内に考えといて正解だった。
「その時は、ネダーランドを除外して新たな約定を作ります。現在の約定の最後の方に、面白い文章を見付けました。
『この約定に関わる修正、あるいは改定を行う際は約定の関係者と協議の上で実施するものとする』
全員一致とは書かれていないんですよ。多数決で現在の約定は廃棄できるんです。相手が約定を盾に現状に固執するようであれば、現在の約定を廃棄します」
「その後に、ネダーランド王国を除外した新たな約定を作るということですか! それもおもしろそうですね。場合によってはジハール王国それに我が王国とノルーアン王国も動く可能性が出てきます。
その時にはジハール王族の手綱をしっかりと握ってくださいな。ナギサ殿の望みは我等諸王国の共栄ですから」
南下恐ろしい話をミラデニアさんが言い始めた。
それって、先ほどの聖戦に近い大戦になりそうに思えるんだけど……。
「ネダーランド王国が万が一にも行動を起こしたなら、私の忠告など耳にはいるかどうか……。王子殿下が率いる精鋭1万の前に僧兵3千が動きだしかねません」
「ちょっと待ってください。そこまでやりますか?」
「ネダーランドは周辺の王国と比べて歴史が浅いのです。戦で現在の王国を打ち立てたという思いがまだまだあるようですから、交渉ではどうしても自分本位が出てしまうようです。現在の約定も聖戦をほのめかしてどうにかまとまったと聞きました。
今度の改定については、さすがに何事もなく……、ということにはならないと思います」
「ネダーランドと我等ニライカナイとの海戦であるなら問題はないでしょうが……」
「結果は見えてますからね。ネダーランド王国の混乱を自ら収められるとも思えません」
そして聖戦が始まるのか……。
「皆さん! どうぞ飲んでください。これはなかなかの品ですよ」
どうなるんだろうと考えていると、嬉しそうな商会ギルドの男性が部下と共に入ってきた。俺達のテーブルに並べられたグラスには氷がたっぷりと入った黒い飲み物が入っている。
さっそくアイスコーヒーを作ったらしい。
直ぐに飲んでみると、切れの良い苦みが口の中に広がる。結構冷えてるな。これなら大陸でも売れるんじゃないか!
「良いアイデアを頂きました。その対価はしっかりと後で届けるつもりです」
笑みを浮かべているけど、先ほどの話の内容は全く知らないんだろうな。
「対価はいりませんが、明日の会議はよろしく進行してください」
「もちろんですとも……。それにしても、このような飲み方があったとは」
感心している男性に、2人の高位神官が笑みを浮かべている。
あえて教えないのかな? 明日が心配になってきた。




