P-211 近場でも魚は濃いようだ
漁場に到着したのは夕暮れ時だった。
船団を解く合図の笛が鳴ると、カタマランが広い漁場に散っていく。
この辺りは、東西に延びる幾重もの襞状の谷が東西に続いている場所だ。谷の切れ込みは深い場所では2mを超える。大物が潜んでいてもおかしくはない。
エメルちゃんの見立てで、カタマランを停めるとアンカーを下ろす。アンカーが谷に入ったのだろう水深を示す目印は7m近くある。
アンカーが引き上げられない時には、潜ってアンカーの引っ掛かりを緩めることになりそうだ。
俺はいつものように夜釣りの準備を始めると、エメルちゃんが夕食の準備を始める。
タツミちゃんは屋形の中でマナミのお守をしているようだ。
「よし! 夜釣りの準備は終わったぞ」
「夕食はもう少し掛かりそうにゃ。待ってて欲しいにゃ」
そう言いながらも、お茶の入ったカップを渡してくれた。
最初から比べると料理の手際もだいぶ良くなったんじゃないかな。
すっかり日が沈んだ頃、俺達の夕食が始まる。マナミも寝付いたようで、久しぶりに3人が揃っての夕食だ。
とは言っても、タツミちゃんは屋形の扉近くでたまにマナミの様子を見ているようだ。
「今夜も手伝えないにゃ」
済まなそうなタツミちゃんに、俺達は笑みを浮かべて首を振る。
マナミが大きくなるまでは、マナミ中心になるのは仕方がないだろうな。
ネコ族の風習では嫁さんが2人だから、ちょっとした戦力の低下になってしまうが、残った俺達2人が頑張って漁をすればそれほど収入が減ることはない。
ガリムさんやザネリさんのところもそうだろうし、ザネリさんのところはそろそろ2人目が生まれるんじゃないかな。
数年も経ったら、さぞかしにぎやかになるに違いない。
食事が終わるとお茶を1杯ゆっくりと味わう。
飲み終えたところで、いよいよ夜釣りを始める。
まだエメルちゃんは片づけをしているから、俺だけで始めよう。
カマルの切り身を付けた仕掛けを投げ入れ、何度か竿先を上下して魚を誘う。
さて、最初に掛かるのは何だろうな?
屋形の扉近くのベンチに、タツミちゃんが腰を下ろして様子を見てるんだよなぁ。
ちょっと背中に圧力を感じていると、竿がグイグイと引き込まれる。
両手で竿を握り仰け反るようにして合わせると、リールを巻いていく。
ギーギーとドラグが鳴っているから、急いでドラグを締め付けた。
かなり大きいぞ! 片づけを終えたエメルちゃんがタモ網を持って隣にやってきた。
「ブラドかにゃ?」
「引きが違うな。バルタックかもしれないよ。大物だ!」
何回か強い引きがあったが、少しずつ近づいてきた。
慣れたしぐさでエメルちゃんが差し込んだタモ網にゆっくりと魚体を誘導する。
掛け声とともにエメルちゃんが甲板にタモ網を引きあがると、タツミちゃんが棍棒を振り下ろした。
「大きなバルタックにゃ! 明日は期待できるにゃ」
「2YM近くあるにゃ。私も始めるにゃ!」
エメルちゃんも参戦してくれたんだが、それから釣れたのはバルタスばかりだった。
たまたまってことかな?
まぁ、ブラドだって美味しい魚なんだけどね。
「シメノンにゃ!」
タツミちゃんが大声を上げた。
俺達は竿先ばかり見ていたから、接近しているのに気が付かなかったんだろう。急いで仕掛けを巻き上げると、倉庫の扉に立てかけてあったシメノン用の竿を掴む。
エメルちゃんの竿も掴んで、渡してあげた。
シメノンの群れの移動はかなり速いからなぁ。
すぐに仕掛けを投入して、餌木が沈むまで5つ数えた。
後は、シャクリとリールの巻き上げを交互に行うんだが……、シャクリが急に重くなる。乗ったな!
そのままリールを巻くと、舷側に顔を出したところで一呼吸置いた。墨を吐いたところで甲板にごぼう抜きにする。
再び餌木を投げると、数を数えながら釣れたシメノンを桶に入れた。
急いで戻ってシャクリとリール巻きを交互に行う。
30分ほどで群れが去ってしまった。
1時間ほど続くこともあるんだが、今夜の群れは小さいのかもしれない。
2人で8匹だから、ちょっとしたボーナスに思えてしまう。
その後、3匹のブラドを釣り上げたところで竿を畳むことにした。
「マナミの様子を見て欲しい」とタツミちゃんに頼まれたから、扉近くに座って様子を伺うことにした。
手足を動かしているんだが、まだ寝ているようだな。どんな夢を見てるんだろう考えていると自然に笑みが浮かんでくる。
エメルちゃん達が素早く魚を捌き終えたところで、マナミをタツミちゃんに任せて屋根裏から平たいザルを取り出した。
2つで十分みたいだな。ザルに開きを並べるとベンチの上にザルを置く。
一夜干しは屋形の屋根に干すみたいだけど、甲板が広いし獲物もそれほど多くはないからこれで十分だろう。
全てを終えると、3人で星空を見ながらワインを1杯。
今日も無事に過ごせたな。獲物もそれなりに得たことを竜神に感謝しよう。
翌日は、タツミちゃんに起こされた。
久しぶりの漁だからなぁ。早起きだったのが、直ぐに元に戻ってしまったようだ。
海水で顔を洗うと、朝靄がまだ残っている海を眺める。日の出はもう直ぐのようだ。
「今日は、カヌーを使うにゃ。今の内に下ろしておいて欲しいにゃ」
「分かった。それならクーラーボックスを持ち上げるのに、帆桁の先のフックも下ろしておくよ」
大きなクーラーボックスをそのまま甲板に上げるのは一苦労だ。
クーラーボックスにあらかじめロープを巻き付けて釣り上げられるようにしてあるから、滑車の着いたフックで甲板に釣り込む方が楽にできる。
大物を突いた時のためにあるみたいだが、あまり曳釣りをしないからね。使う機会はそれほど多くはない。
カヌーを下ろすと海に飛び込んでアウトリガーを取り付けておく。アウトリガーのブームにパドルを結わえておいたから、どこかに流れていくことはないだろう。
カヌーをカタマランに近づけると、エメルちゃんがクーラーボックスを下ろしてくれた。しっかりとカヌーの枠にはめ込んで両側の取っ手を使ってカヌーに縛っておく。蓋を開けて、『クリル』の魔法で氷を入れておいた。
船尾に下ろしてもらった梯子を使って甲板に上がると、「ご苦労様にゃ」と言いながらタツミちゃんがお茶とタオルを渡してくれた。
タオルで体を軽く拭き取って、お茶を頂く。今日も水中銃で良いだろう。
少し数は減るけど、掃守を使うよりは確実だ。
「ブラドの炊き込みだ!」
笑みを浮かべた俺に、エメルちゃんが嬉しそうにスープの入ったカップを渡してくれた。
魚醤で味付けがされているから、スープを掛けて頂く。
食後はココナッツジュースだ。栄養バランス的にはこれで十分なんだろう。
いつの間にか日が昇っている。
さて近くの船は? と探してみると、南西方向に2隻が停泊している。
東の方角には誰もいないようだから、南東方向に探ってみよう。
「昨夜はバルタックが釣れたけど、今日も付けると良いんだけどね」
「きっと群れているにゃ。ロデニルがいたら教えて欲しいにゃ。潜って捕まえるにゃ」
思わずタツミちゃんと顔を見合わせて笑みを浮かべる。
しばらく食べてなかったからなぁ。焼いたロデニルを魚醤で頂くのは格別だ。
「サンゴよりも岩が目立つからね。結構いるんじゃないかな」
嬉しそうにうんうんと頷いている。
シドラ氏族はロデニルを出荷することはない。ロデニルは生かしたままで商船に運ぶんだが、さすがにシドラの島からでは大陸は遠すぎるようだ。
トウハ氏族の島が東限と考えた方が良さそうだな。オラクルではもっと無理だろう。
まぁ、氏族内で食べる分には他の氏族の風習とも整合が取れるらしい。
一休みしたところで、装備を整えると海に飛び込んだ。
シュノーケリングをしながら、海底に溝を探る。
たまに白く光ったように見えるのは魚が、動いたからだろう。かなりいるようだぞ。
水中銃のゴムを引いてスピアをセットする。スピアに結んだラインを3mほど引き出すと、海底に向かってダイブした。
溝に沿って泳ぐと、直ぐに魚を見付けた。
バヌトスか…それともバッシェだろうか?
胸鰭が隠れて見えないんだよなぁ。大きさは2YM(60cm)近くある。まずはあれから突いてみよう。
尾の方向からゆっくりと近づく。左腕を伸ばし目標を頭にして……、トリガーを引いた。
暴れる魚を引き摺るようにして海面を目指す。
シュノーケル内の海水を息を吐いて吹きだし、新鮮な空気を吸いながら、カヌーを探した。
カヌーを見付けて片手を振ると、直ぐに気が付いてこっちに向かってきた。
さて、獲物はどちらだろう?
スピアを引き抜きながら胸鰭を見ると、入しいことにバッシェだった。
これは良い値が付きそうだな。
「先ずはバッシェだ。ロデニルは溝に結構いるようだ。数匹ならそれほど時間もかからないんじゃないかな」
「最後に潜ってみるにゃ。次は何が突けるかにゃ」
あまり期待されても困るんだけどね。
さて、次を突いてこよう。
3匹突いたところで一休み。
冷たいココナッツジュースで喉を潤す。
今のところバッシェが2匹にブラドが1匹だ。この辺りにはバルタックはいないみたいだな。
昨夜も1匹だけだったから、群れで移動しているのかもしれない。
一休みしたところで再び素潜り漁を始める。
昼過ぎまでの成果は、バッシェが3匹ブラドが2匹、それにバルタックが2匹にフルンネが1匹だった。
カヌーをカタマランに着けて、クーラーボックスを滑車で持ち上げていると、エメルちゃんは網を持って飛び込んでいった。
クーラーボックスから獲物を取り出して保冷庫に入れ終わるころに、3匹の大きなロデニルを網に入れたエメルちゃんが甲板に上がってきた。
かなり大きいな。1YMくらいあるんじゃないか?
ロデニルは保冷庫に入れずに、網を紐で縛って甲板から吊り下げている。
調理寸前にシメルのだろう。
素潜り漁を2回行い、夜釣りを3晩行った3日目の朝。バゼルさんがカタマランの屋形の上に乗り、笛を吹いて皆を集め始めた。
既に朝食を終えているから急いでアンカーを引き上げて、皆の集まっている場所に向かう。集まっているカタマランの甲板では、皆が笑みを浮かべて手を振っている。それなりに獲れたということになるのだろう。
まだ漁場としての歴史が浅いからなぁ、それだけ魚も濃いのだろう。
再び鋭い笛の音が海上に響いてくる。
出発の合図だ。操船櫓を見上げる俺に、エメルちゃんが振り向いた。
「出発するにゃ!」
「了解だ。疲れたら言ってくれよ。いつでも代わるから」
オラクルに到着するのは夕暮れ時だろう。
それまでに、漁具の手入れをしないとね。
釣り竿を屋根裏から引き出そうと立ち上がると、タツミちゃんが抱いているマナミと目が合った。
思わず笑みを浮かべて、ほっぺを突いてみると難しそうな表情をしだした。
泣き出されたら困るから、急いでその場を離れる。
俺が抱けるのももう直ぐだろう。そしたらエメルちゃんも少しは楽になるんだろうな。




