P-208 約束は神が見ている
「申し訳ありません。ナギサ様がそのような人物であるとは知りませんでした」
アルデールさんが、素直に謝罪してくれた。
ネコ族の聖痕の保持者が誰かは知ってたに違いない。それ以外の人物が会談を希望するとなれば、不審に思うのも無理は無いのだろう。
ここは素直に、笑みを浮かべて頷いておこう。
「俺の妻はネコ族の女性ですから、アキロンさんのように海から妻を娶るようなことはありませんでした。死んで竜神になることはありませんよ。
それにカヌイの御婆さん達によれば、アキロンさんの背にあった聖姿とは少し変わっているそうです。尾の向きが逆とかね。
そんなことから、聖姿に次ぐもの……、として認識されているようです」
「『一目見れば、誰もがそれを竜神であることを知る』……。商会ギルドの理事であるネコ族の老婦人の言葉の通りです。ネコ族の団結は聖痕の保持者だけとは限らないということですね」
「長老達が、聞く耳を持ってくれています。さすがに俺個人で動くのは問題ですからね。筆頭に悩みを話したところ、ナツミさんと炎の神殿の話を聞いたのです」
うんうんと笑みを浮かべてミラデニアさんが頷いている。
やはりナツミさんは、かなり炎の神殿の神官達を重視していたに違いない。将来、このような事態が起きることを予想していたのだろう。
「ナギサ様に会う前に、祭祀長より古い記録を読むように言われました。ナツミ様と炎の神殿は約定を定めた後も何度も交流をしたようです。
ナツミ様なら炎の神殿の神官としても、大成出来たに違いないというのが当時の神殿の考えだったようです。
その最終章に、それまでの内容とは異質の言葉が書かれていました。
数行ずつの文なのですが、私には預言のようにも思えてなりませんでした。
その中に、初めての島に行く3人の神官が驚くというものがありました。
多分、慰安の状況の事なのでしょう。
竜神の印を持つ者の意を汲み、大陸に調和をもたらす……。今回の会談の事をナツミ様は知っていたのでしょう」
「聖痕を持つ者……、とは書かれていなかったと?」
「そうです。それが不思議でなりませんでした。神殿がアキロン様の事を知ったのは、ナツミ様が無くなった後の事です。
ナツミ様は最後までアキロン様の事は秘密にしていたようですね」
アキロンさんのことはあまり知られていないようだ。良い漁師であり、老いては長老になったらしいが、不思議な嫁さんであるナディさんと一緒に島の暮らしを楽しんだ板に違いない。
それは、アオイさんとナツミさんが平和に暮らせるようにと努力した賜物ともいえるだろう。
竜神信仰の最上位ともいえる聖姿を持つ人物が、ニライカナイ全体にかかわることが無く一生を終えたのだから、アオイさん達はかなり苦労したに違いない。
「当時の祭祀長も、ナツミ様を神官として迎えたかったようですね。博識であり、教義の理解は自分に近いとまで言われていたとか。
祭祀長自ら、ナツミ様の住む島を訪ねて何日もお話をしたこともあったとか。
最後に会った時に、祭祀長は引退を決意してそれまでのナツミ様との会話を1冊の書物にまとめたそうです。
最終章は、その時にナツミ様から頂いたメモをそのまま書き残したと書かれていました」
「巷の預言者?」
「炎の神殿の祭祀長が認めた預言者とも言えますね。そのような存在であるなら、神殿に招きたいと願うのも無理はありませんし、アオイ様は3つの王国の前に堂々と現在の約定をまとめたぐらいですから、ナツミ様の思惑はかなり深いというしかありません」
「まるで、神に選ばれた2人に思えますが?」
「2人とも、ナギサ様と同じように我々人間族の姿をしていたそうです。カイト様も同じ姿だということですから、神がネコ族の下に遣わしたと考える方が自然です。
となれば、私達の前にいるナギサ様も同じだと考えるべきでしょう」
3人の視線が俺に向けられる。
単なる漂流者なんだけどね……。ネコ族にお世話になったから、自分でできることを精一杯やっているだけなんだが。
「そんな大そうな存在ではありませんよ。今では立派なネコ族の漁師ですからね。とはいえ、気付いたことについて目を瞑るということはしないように心掛けているだけです」
「それができない人物が多いのです。特に国政を担う者達にその傾向がみられるので困っています。
話を基に戻しますけど、3王国でナギサ様の危惧に感じた者はいないでしょう。現状に満足するようでは王国に発展はないと思うのですが、どうしても現状の幸せが続けば十分だと考えてしまうようです」
「俺の危惧について、動いてくださるということでよろしいですね?」
「他の神殿と調整をした上で、3王国との調整に入ります。その後に内陸王国との調整という段階を踏まえることになりますから、約定の改定は直ぐに行えるわけではありません。3王国との調整段階で商会ギルドに加わって貰えば、内陸王国との事前調整も可能でしょう。
私の生きた証として後世に残せるよう努力したいとは思いますが、ニライカナイ側として何か付け加えることがありますか?」
「サイカ氏族の住む島が変わったことは御存じですね。それに伴い魔石の採取が増えたことは確かです。前にも言いましたが、およそ1500以上は確実でしょう。
島を替えたことで、サイカ氏族の獲る魚の種類が変わります。小魚から中型種になりますから、箱詰めの小魚が減ることになります。
従来サイカ氏族が暮らしていた島が、ニライカナイの玄関口になるでしょう。各氏族から出している監視船の本拠地として使うことになるはずですから、彼らに小魚漁をして貰えば少しは小魚を出荷できると思います。
とはいえ、これは大陸の沿岸で漁をする漁民にも都合がよろしいかと。我等で採る小魚が減れば、彼らの漁果が上がりますからね。
小魚漁が振るわない場合は、商会ギルドと調整したいと思います。量に応じた船団を各氏族から船を出してもらい従事させることは難しいことではありません」
「北と南の王国は喜びそうですね。そうなると燻製品が多くなるということになりますが、それは内陸の王国が喜びそうです」
調整するにしても、相手を喜ばせるものが欲しいということなんだろう。
だけど、それほど王国が密に結びついているとは思わなかったな。
落としどころを間違えると、本当に戦が始まりそうで怖くなる。
「約定を改正する前の素案まで作っていただければ、ありがたいです。各国の代表者との約定改正を図る際には、サインをするだけ迄にして頂けたらと……。
さすがにただでお願いするのも気が引けます。これを対価として頂けませんか?」
バッグから綺麗な布に包んだ魔石を取り出し、ミラデニアさんの前に差し出した。
「なんでしょう?」
贈り物を前にしたミラデニアさんが笑みを浮かべて包みを開いた。
魔石を見た途端、3人の表情が固まったんだが、水の魔石を見たことが無いとは思えないんだよなぁ。
「上位魔石……。炎の神殿にも上位の水の魔石がありますが……。これは別物と言っても良いでしょう。上位魔石の中の上級を超えています!」
「澄み切った蒼……。ニライカナイの海そのものですね。炎の神殿の火の魔石と対になるにふさわしい品です。これを戴けると?」
「困難な調整をお願いするのですから、通常の魔石を渡すのでは対価にならないでしょう。とはいえ、多分魔石は神殿が所有することになりそうですから、ここまで来て頂いた御三方には、これを納めて頂けたらと」
アルデールさんに片手を出してもらい、ポケットから真珠を取りだし、その手の平に
そっと置いた。
「6個ありますから、2個ずつ分けてください。魔石と比べると見劣りしますが、真珠であれば神官であっても身に着けることができると聞きました」
アルデールさんがミラデニアさんの顔色を窺うように顔を向けると、まるで聖母のような優しい顔を彼女に向けて小さく頷いている。
嬉しそうな顔をして手を引っ込めたから、前から欲しかったのかもしれないな。
「対価が私の仕事を超得るように思えますし、さらに個人的な労いの品を受けるとなっては……」
「お気遣いは無用です。それだけの価値が、御三方にあると思って用意したものですから」
まさか報酬を得られるとは思っていなかったようだ。
ナツミさんも炎の神殿との付き合いで、そこまですることは無かったのかもしれない。
とはいえ、無報酬の仕事と、それなりの対価を受け取った仕事では、後者の方がやる気が起きるんじゃないかな?
神に仕える神官とは言え、人間であることに変わりはない。
それにニライカナイとの接点を持つということがあるなら、魔石の採取が続く限り両者の関係は続けられるに違いない。
ニライカナイに火の神を信じる人間は全くいないんだけどね。竜神は水の神でもあるんだから、その対極である火の神を祭る神殿との付き合いも案外面白いかもしれない。
「これで俺の話は終わりになりますが、御三方に質問はありませんか?」
俺の問いに、3人が顔を見合わせる。
俺からの依頼は、ミラデニアさんが責任を持って遂行してくれるだろう。
調整結果を俺は待つだけで良い。
「炎の神殿の神官の中でも、火の神の御姿を拝んだ者は片手で数えられるでしょう。ネコ族の人々が信じる竜神様を見ることができたカヌイの数は両手の数を超えるともいわれています。今でもそうなのでしょうか?」
「竜神を見たことがある人の数がどれほどいるのかは、俺にもわかりません。俺個人であれば何度か目撃しています。それと巨大なウミガメである神亀なら、新たに暮らすことになった島であるなら一月に数回は見ることができます」
「神の眷属である神亀ですね。ナディ様は、その背に乗って漁をしたことがあるとか……」
「俺達の乗ったカタマランを、甲羅に乗せて運んでくれたこともあります。竜神があまり姿を現さないのは、神亀を通して俺達の暮らしを見ているからだと言われているぐらいです」
「もし、今回の約定をナギサ様の望む形で改定出来たら……、神亀を1度見せて頂けませんか? 炎の神の真逆に位置する水の神の眷属であれば、1度目にしたいと思っているのです」
難しい依頼だなぁ。オラクルはニライカナイの秘密にしておきたい。
だけど、5つの王国の利害を上手く調整しなければ、約定の改定は無理に違いない。
パイプに火を点けてしばらく考えていると、背中の傷跡が疼き始めた。
痛いわけではなく、動いているような感じだ。
ひょっとして……。
神亀に貰った宝玉をバックから取り出す。
瓔珞に加工したんだが、素潜りで把邪魔になるからいつもバンダナに包んでいたんだが……。
「明滅する宝石ですか? 魔道具の一種?」
「これは神亀に貰った宝玉なんです……。普段は、普通の宝玉なんですが……。何かの印かもしれません。甲板に出てみませんか?」
客船としても使うためだろうか、船尾に甲板が作られていた。ベンチとテーブルが置かれているから、ニライカナイの航海を楽しめたに違いない。
宝玉の明暗が、方向によって少し変化する。
一番明るく光る方向に俺達が体を向けた時だった。
突然海が盛り上がり、巨大な甲羅が姿を現した。
その姿を見た途端に、3人の神官が甲板に跪き小さな声で祈りを捧げる。
「まさしく神亀、神の眷属ですわ! 戯れに見たいと言った事を恥じ入るばかりです」
「私達の話を聞いていたのでしょうか?」
「神亀から授かった宝玉……。その言い伝えも祭祀長が残してくれた文書に書かれておりました。『宝玉を通して世界を見る』との記述は、宝玉の保持者が見たり聞いたりしたことを竜神に伝えるための法具なのかもしれません」
ミラデニアさんもこれで満足してくれたに違いない。
信じる神は違えども、神の下で日々暮らしているんだから。
桟橋や、浜に大勢の人々が現れた。砂浜に膝をつき祈る姿を見ると、自分の信仰心の無さに恥じ入るばかりだ。
「それでは、よろしくお頼みします。氏族の異なる島に長く逗留するのも問題ですから、仲間の暮らす島に戻ります」
「しかと、拝承いしました。神亀が私達の会話を聞いていたのであれば、敬う神の違いはありますが神との契約に近いものです。神殿に帰って祭祀長に報告した後、王国との折衝を始めましょう。
早ければ、次の雨季……、遅くとも次の乾季には素案をお持ちいたします。途中経過は、シドラ氏族のナギサ様充てに商会ギルドに託します」
「ありがとうございます。それではこれで……」
3人の神官に頭を下げると、甲板から船内に入ることにした。
3人とも、まだ神亀をジッと見つめている。
神の存在を自分の目で確認できるというのが、信じられないのかもしれない。
大陸の住民と神との関りは、ニライカナイよりも薄いのかもしれないな。




