P-197 娘の名は『マナミ』
島に戻って3日目の夜。
島中の人が集まって浜辺で焚火を囲む。
焚火を挟んで北側に男達が据わり、南側に女性達が座る。家族単位ではないんだな。バゼルさんの指示で座った席はバゼルさんの左手だった。右手にはザネリさんが座っている。
これから俺達の最初の子供の誕生皆で祝ってくれるのだ。
ココナッツ酒が振る舞われ、次々と料理が運ばれる。そんな中、大きなバルタックの姿焼きがザルに載せられて披露された。
1匹だけかと思ったら、次々と若い嫁さん達が夫の腕を披露するように現れる。
その都度、焚火を囲んだ皆から、どよめきが上がり拍手が鳴った。
「さすがは龍神の祝福を受けた娘子だ。祝いの魚を突きに行った連中にまでそのご利益があるとはなぁ」
「近ごろ珍しい大きさだ。カヌイの婆様も2日続けて東の海に神亀を見たと言っていたぞ。その都度神亀に祈りを捧げたらしいから、あいつらの腕が良いわけではなく、神亀の御利益かもしんねぇなぁ」
自分の子供の腕を認めてあげても良さそうなものだが、いまだに自分達を超えることはないと言いたいのかな?
それでも笑みを浮かべているところを見ると、自分の腕に近づいているぐらいに思っているんだろう。
いつか子供は親と並ぶか、親を超える。
それが出来なければ、社会は衰退してしまうだろう。
俺の最初の子は女の子だけど、タツミちゃん達にいつか並ぶに違いない。
その時、タツミちゃんはどんな思いを浮かべるのだろう……。
「……カヌイの婆様達だ。長老はすでに座ってるんだからなぁ。もう少し早めにくれば良いものを……」
カルダスさんがぶつぶつと文句を言ってるけど、それをお婆さん達の前では言えないんだよなぁ。
いったいどんな弱みを握られているんだろう?
カヌイのお婆さん達が焚火の周りを取り囲んでいる俺達の中を通り過ぎて、長老の前に向かった。
身を屈めて長老に何事かを伝えると、長老の隻近くに用意された席に座り込む。
長老の3人が立ち上がると、女性達が座った中からトーレさんが立ちあがった。抱いているのは俺の娘なんだけどなぁ……。
そのまま長老のところに歩いていくと、3歩ほど離れた場所で長老に頭を下げている。
ちょっとした習わしがあるのかもしれないな。
そんな儀式に慣れた年代の女性の仕事ということになるのかもしれない。
長老の1人が一歩トーレさんに近づくと、抱いている赤ちゃんの頭に軽く手をかざした。
「シドラ氏族のナギサとタツミの子に、『マナミ』と名を授ける!」
さっきまで騒がしかったけど、その瞬間は水を打ったような静けさだった。
『マナミ』という名だけが、はっきりと聞こえたんだよなぁ。
トーレさんに何か話しているけど、その後に起こった歓声で何も聞こえなかった。
育児の注意点辺りかな? それならトーレさんの方がよく知ってる気がするけどね。
トーレさんが女性達の席に戻ると同時に、料理と酒が運ばれてくる。
久しぶりに島を上げての宴会が始まった。
「『マナミ』とはあまり聞かん名だな……」
「母親が『タツミ』だから、似た名にしたんじゃないか? ナギサもそんなに考え込むんじゃねぇぞ。名前なんて、他の連中と区別するだなんだからなぁ」
カルダスさんの話は極論だろうけど、俺にはその意味が分かる。
「あの名には意味があるんです。俺の前の世界で今の名前を書くと……」
砂の上に「愛海」と漢字で描いた。この世界には漢字はない。文字はローマ字のような2つの文字の組み合わせだからなぁ。
「呪術文字のようだが、こんな文字を使っていたのか?」
「言葉に意味を持たせることができますから、ある意味呪術文字何岡もしれません。でも、俺達の世界では一般に使われていましたよ。これでマナミと読むんです。意味は愛する海……、もしくは海を愛する、ということになるんですけど」
「似た話を聞いたことがあるぞ。アオイ様の名は海の青さから、ナツミ様は四季のある国で一番熱い季節の海の事だということだ。たぶんカイト様にもそんな話があるんだろうなぁ……。ナギサは言葉の通りナギサのことだな?」
「そうです。俺の住んでいたところも大きな島でしたから、海にちなんだ名前を持つ者は多かったですよ」
ひょっとして、それが原因なのか?
そうなるとバゼルさんの言う通り、漢字は呪術文字なのかもしれない。仏教の経典は全て感じで書かれているらしいからなぁ……。
「だが、海を愛する者、もしくは海から愛される者という名前は、良い名前だ。多分後者になるに違いない。その成長をまじかで見守ることができるんだから良い時に生まれてきたな」
「まぁ、少し俺達が先に生まれすぎたがな。マナミが誰に嫁ぐか……。少なくとも俺を超えねぇ奴には渡せんな」
カルダスさんが気炎を吐いているけど、それって俺が言う言葉じゃないのか?
それだけ、氏族は家族同然ってことになるんだろうけどね。
とはいえ、まだまだ先の話だからなぁ。
散々飲まされたおかげで、何を食べたか覚えていない。
自分のカタマランにエメルちゃんに連れられて何とか帰りついたけど、俺1人だったら焚火近くで朝を迎えたか、それとも桟橋付近でプカプカと浮かんでいたかmおしれないな。
後者にならなくて良かったよ思う。
翌日は、酷い二日酔いでハンモックから出られそうもない。
食欲もないから、エメルちゃん謹製の怪しい飲み物を貰ってそのまま横になることにした。
近くで赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた。
マナミは朝から元気なようで、思わず顔がほころぶ。
「赤ちゃんは泣くのが仕事にゃ。我慢して欲しいにゃ」
「ああ、気にすることはないよ。マナミは元気だなぁ、と感心してたぐらいだからね。氏族へのお披露目が終わったから一安心だ。後は俺達で元気に育てなくちゃならないな」
タツミちゃん達がどうしているのか見えないけど、多分赤ちゃんを抱いて俺の話に頷いてくれてるんだろう。
珍しくトーレさんが朝早く押しかけてこない。
来たら、「だらしないにゃぁ」とお小言を言われそうだ。
それを考えると、少なくともハンモックから降りておきたいけど、体を起こすだけで眩暈がしてくるんだよなぁ。
「やはり寝てるにゃ……」
声の主は、トーレさんだった。
俺の様子を見るというより、マナミの子育ての手伝いに来てくれたに違いない。
「バゼルが心配してたにゃ。これからも祝いの席はあるんだから適当に飲むにゃ。皆の隙を見計らって砂に飲ませるにゃ」
そういうことか! 注がれるままに飲んでいたからなぁ。
父さんに聞いた結婚式の披露宴での新郎の裏技みたいだ。
律儀に飲む新郎もいるらしいけど、途中でダウンしたらしいからなぁ。
新婚旅行で空港に行く車に仲間達が詰め込んだと言っていたけど、無事に出発できたんだろうか?
そういう意味では、友人を選ぶことが実に大切な事だと父さんが言ってたからなぁ。
友人達に悪気はないんだろうけど、新婦さんには恨まれてるに違いない。
「次の機会にはそうしたいですね。もう少し早く教えて貰うんでした」
「今日、1日寝てれば治るにゃ。バゼルが『あんなに飲むと将来はカルダスのようになるだろう』と言ってたにゃ」
カルダスさんはそんな機会が多かったのかな?
だけど、この苦しみを克服してまで酒を飲みたいとは思わない。やはりほどほどが一番だと思ってしまう。
タツミちゃんに変って、トーレさんが子守を始めた。
タツミちゃんは慣れない育児に疲れたんだろう。軽い寝息を立てている。
まだ生まれたばかりの赤ちゃんなんだけど、トーレさんが歌うように昔話を始めた。
まだ大陸で暮らしていたころの話なんだろう。
だけど……、どこかで聞いたことがあるような話だ。バナナの茎の中から出てきた女の子の話は竹取物語と似ているし、肉団子とカニの話は雀のお宿の話じゃないのか?
昔話のルーツを辿ると、どこか1点に集束しそうだな。
その場所はどこなんだろう?
そんなことを考えていると、何時しか俺の意識がまどろんでくる。
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マナミの泣き声で目が覚めた。
あれほど痛かった頭が、だいぶ収まった感じだな。
エメルちゃんの怪しい薬が効いたのか、それとも二日酔いは寝てれば治るのか。
とりあえずは、ハンモックを降りて寝ている2人を起こさないように屋形を出た。
「だいぶ遅いお目覚めにゃ。もうすぐ夕暮れにゃ」
トーレさんが笑いながらも、ココナッツを割って渡してくれた。
ありがたく頂いて、パイプを取り出した。
トーレさんは、エメルちゃんと一緒に漁具の手入れをしていたみたいだ。
銛や仕掛けの手入れではなく、タモ網や延縄の浮きの網のほつれを直してくれていた。
「お手数をお掛けして申し訳ありません」
「これは女性の仕事にゃ。ちゃんとしておかないと大物を逃がすと母さんが教えてくれたにゃ。男にはそんなことも分からないとも言ってたにゃ」
耳痛い話だ。確かに仕掛けや銛はいろいろと考えたり手入れもしているけど、タモ網や浮きを包んだ網にまで目が行っていなかったなぁ。
長く使える網だと感心したこともあったけど、こうやって女性達が手入れをしてくれていたんだ。
「まだ2人は寝ているの?」
「ぐっすり寝ていたよ。今度はエメルちゃんの番なのかい?」
「そうにゃ! 早く言葉を教えて、泳ぎも覚えさせないといけないにゃ!」
言葉は自然と覚えるだろうし、泳ぎは数年後になるんじゃないかな?
思わずトーレさんと視線を合わせて笑みを浮かべてしまった。
「まだまだ先にゃ。とりあえずは誰かが傍にいるだけで良いにゃ。でも首がしっかりすると動き始めるから大変にゃ」
海上暮らしだからなぁ。バゼルさんがカゴを編んでくれると言っていたのは、子供を入れるベビーサークルのようなものらしい。
ふと目を離したらどこにもいなかった……、なんてことが起きないようにしないといけないだろう。
とは言っても、たまにそんな事故があるらしい。
子を亡くした夫婦には『龍神様が連れて行った』と慰めるらしいが、どんなに子供を大事にしていても、事故というのは起きるらしい。
となればそんな痛ましい事故を如何に防ぐかが重要になる。
子供が入れるような大きなカゴ……、それがネコ族の出した答えのようだ。




