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P-194 女の子だ!


 屋形の中からトーレさんが顔を出した。

 出産は長丁場らしいから、お茶を一杯というところだろうか?

 エメルちゃんがいてくれるから安心だな。エメルちゃんもトーレさんがいることでかなり安心しているに違いない。

 俺とエメルちゃんだけでは、甲板でおろおろするだけだったかもしれない。


「もう少し掛かりそうにゃ。でも難産というわけではないから安心するにゃ」

「ありがとうございます。あの光が見えたんで凶兆じゃないかと心配だったんです」


 俺が腕を伸ばした先を見て、トーレさんが片手を口に当てて絶句している。

 それほど驚くことなんだろうか?


「龍神様にゃ……。ナツミ様達の出産時にはその姿を見せたとお祖母ちゃんが言ってたにゃ。海中で脈動する光というのは本当だったにゃ」

「難産を救いに来るとも聞きましたが?」


「それだけではないにゃ。ナツミ様の出産時には、これと同じようにトウハ氏族の桟橋近くまで来たと聞いたことがあるにゃ。

 万が一にも難産な時に備えているに違いないにゃ。難産になったならここにやってくるにゃ」


 龍神が出産の手助けにやってくるってことか?

 神様なんだろうけど……、俗世界にそれほど関心があるということなのかな。


 トーレさんがワインのビンを持ってくると、3つのカップに注いだ。その1つを手に祈りを捧げると、海にワインを注いだ。


「私達も頂くにゃ。明日の朝には生まれるに違いないにゃ」


 俺にワインのカップを渡してくれたけど、トーレさんの目は脈動する海中の光をジッと見つめたままだった。


 ワインを飲み終えると、トーレさんが直ぐに屋形に入っていった。

 今度はエメルちゃんが飛び出してきて、甲板から海面をきょろきょろと見渡している。

 どうやら、目的のものを見つけたようで、両手を胸にして頭を下げてた。

 小さな祈りの声が聞こえてきた。

 やはりネコ族の竜神信仰は特別だな。ご利益も確からしいからニライカナイでは大陸の宗教は入り込めないに違いない。


「本当に来てるにゃ。話には聞いたことがあるけど……。私の時にも来てくれるかにゃ」

「ちゃんと祈ったんだろう? きっと来てくれるさ。それに劉循が姿を現すのは難産の時だと聞いたことがあるよ。そうでないとすぐに帰ってしまうらしい」


「さっきまでは苦しそうだったけど、少し前から笑みを浮かべるようになったにゃ。きっと龍神様が出産の苦しみを代ってくれたに違いないにゃ」


 ネコ族の人達は全て前向きだからなぁ。

 ちょっとした変化も、龍神様のおかげということになるんだろう。

 俺にはそこまでの信心はないけど、エメルちゃんの言う通りなら、感謝しないといけないだろう。

 小さく手を合わせて、感謝の念を送る。


 場にそぐわない赤ちゃんの泣き声が聞こえたのは、薄明に入ってからだった。

 エメルちゃんが飛び出してきて、桶にカマドのお湯を入れている。

 

「無事にうまれた?」

「赤ちゃんもタツミちゃんも元気にゃ。赤ちゃんがトーレさんの顔を蹴飛ばしてたにゃ。きっと元気女の子に育ってくれるにゃ」


 女の子だったんだ……。

 龍神に感謝しようと、脈動する海中の光を探したんだが、何時の間にか姿を消していた。

 とりあえず感謝はしとかないとな。

 海中の光が見えていた場所に向かって、両手を合わせる。

 

「何かすることがあれば言ってくれよ!」

「今のところはだいじょうぶにゃ!」


 桶を持って屋形の中に入っていった。

 いろいろと女性は大変だな。男に生まれてきて良かったと思う。


 安心して一服をしていると、トーレさんが笑みを浮かべて現れた。

 

「一服が終わったら、見てくるにゃ。可愛い子にゃ」

「ありがとうございました。俺とエメルちゃんではどうしようもなかったです」


「無事に生まれてよかったにゃ。でも龍神様が立ち会ってくれたなら、私がいなくても無事に生まれてたにゃ。カヌイのお婆さん達に教えてあげないといけないにゃ」


 カマドのポットからカップにお茶を注いで飲み始めた。

 かなり緊張していたんじゃないかな?

 バゼルさんにも例を言わないといけないだろう。俺達が心配でトーレさんをよこしてくれたに違いない。


「名前はカヌイのお婆さん達に任せれば良いにゃ。きっと良い名前を貰えるに違いないにゃ」


 うんうんと自分の事のようにトーレさんが喜んでいる。

 ネコ族のしきたりで、子供の名は長老が考えてカヌイのお婆さん達が選ぶことになっているようだ。

 だけど女の子だからねぇ……。その場合はカヌイのお婆さん達だけで決めることもあるらしい。

 今回はどうなるんだろう?

 年寄に任せておけとバゼルさんが言ってたけど、我が子の名前は両親が決めるという世界から来たからなぁ。ちょっと違和感があるんだよね。


 朝日が昇ってきたところで、ザバンを使ってガリムさんのカタマランに向かうことにした。

 ザバンの操船は男性が行っても誰も文句を言わないのがおかしなところだ。

 長距離を走らせるわけではないということだからだろうか?

 それに、アオイさんの長男のアキロンさんは少年時代からカタマランを操って漁をしていたらしい。

 背に聖姿を持つ男だということで、例外として認知されていたのだろうか?

 面白いことに、アキロンさんの嫁さんのナディさんは操船が下手だったらしい。

 それでは漁に行くのも大変だと思っていたのだが、トーレさんの話では困ることがなかったということだった。

 なんと、神亀がカタマランを甲羅に乗せて運んでくれるとのことだった。


「お婆ちゃんが良く言ってたにゃ。あの夫婦は変わっていたけど、トウハ氏族の誇りにゃ。いつもトウハ氏族が竜神に見守られていると感じることができると言ってたにゃ。

 そして、あれが起こったにゃ。お祖母ちゃんは一部始終を浜で見ていたと言ってたにゃ」


 にわかに空が暗くなって、激しい雨が降ったそうだ。

 トーレさんのお祖母ちゃんがまだ娘だったころの話だから、他の子供達と一緒に浜で遊んでいたんだろう。

 急いで浜にいくつかあるあばら家に駆け込んだらしい。

 その時に、桟橋の一角で不思議な光を見たそうだ。

 

「直ぐに、そのカタマランがアキロン様の船だと分かったそうにゃ。そのカタマランだけぼんやりと光っていたそうにゃ」


 不思議な光景を友人達と眺めていると、淡い光に包まれたナディさんが白い布に包んだ大きなものを抱いて雨の中に出てきたらしい。

 カタマランから桟橋に下りて、そのまま海に向かって歩いて行った。


「お祖母ちゃんはびっくりしたと言ってたにゃ。桟橋の端からそのまま海に飛び降りたにゃ……。その後に見た光景に、子供達の誰もが砂に腰を下ろして両手を合わせたと言ってたにゃ」


 なんと、海に飛び込んだわけではなく、海面に飛び降りたということらしい。

 ナディさんは全く海中に沈むことなく沖に向かって歩いて行ったらしい。

 カタマランが停泊できるなら、水深が1.5mは最低でも必要だろう。

 桟橋の先端ともなれば水深は2mを超えているはずだ。飛び込めば間違いなく沈んでしまう。立ち泳ぎをしたとしても、海面に出るのは頭だけのはずだ。

 子供達が思わず竜神に祈るのも無理はない。

 

 桟橋1つ分ほど沖に歩いたところで、ナディさんが島を振り返ったそうだ。

 そのころには異変を聞いて、浜にたくさんの住人が集まってきたらしい。

 皆声を出すこともなく、海の上に立つナディさんを見つめていたとお婆さんは話してくれたそうだ。


「ナディ様が島に顔を向けていると、だんだんナディさんを包む光が強くなったと言ってたにゃ。

 そしたら、今までに見たことが無いような光が入り江に広がったにゃ。

 皆が目を瞑ったのは仕方がないことにゃ。

 でも、恐る恐る目を開けたら……、さっきまでナディさんが立っていた海面に2柱の竜神様がナディ様と同じように島を見ていたと言ってたにゃ」


 ナディさんは竜神だったということか……。その夫であるアオイさんの息子は生まれながらに背中に聖姿を持っていたらしい。

 竜神の伴侶となるべく生まれたということなんだろうな。

 2人に子はなく、アキロンさんはネコ族と同じ容姿をしていたらしい。そして同じように老いたということだが、ナディさんはいつも娘時代と変わらない容姿を持っていたとも教えてくれた。


「ナギサは聖姿を持つけど、嫁はアキロン様のように自分で連れてくることはなかったにゃ。死んでも竜神様にはなれないと思うにゃ」

「タツミちゃんやエメルちゃんと一緒に、サンゴの海で眠りますよ。ところで、娘に俺のようなアザは無かったですよね?」


「残念なことに無かったにゃ……。聖印ぐらいはあるかと思ってたにゃ」

「普通が一番です。同じ年頃の子供達と一緒に遊んで、大きくなったらタツミちゃんのような嫁さんになってくれれば十分ですよ」


 とはいえ、タツミちゃんは美人だからねぇ。きっと若い男達が将来群がるんじゃないかな。


「タツミちゃんの子ですから、将来は美人確定ですね」

「ナギサの娘でもあるにゃ……。ナギサに似たら、私が嫁の口を探すことになりそうにゃ」


 なんか、残念な言われようだけど娘は父親に似ると聞いたことがあるんだよなぁ。俺の妹も、母さんではなく父さん似だからねぇ……。

 ちょっと不安になってきたぞ。


「冗談にゃ。ナギサに似れば凛々しい娘になるはずにゃ。早くガリムに伝えて島に戻るにゃ」


 ポンと背中を押されて、やるべきことを思い出した。

 とはいえ、どちらに似るのかなぁ? 凛々しいというのは女の子に対して誉め言葉なんだろうか? 考えれば考えるほど心配になってしまう。


 ポンプジェットのザバンだから、結構速度も出る。

 漁場に散ったカタマランから薄い煙が見えるのはカマドを使って朝食作りを始めているのだろう。

 黄色の旗が下がっているカタマランを見付けると、ザバンの方向を変えて速度を速める。

 俺のザバンに気が付いたのだろう。ガリムさんが甲板に立ってこちらを見ている。


「どうした! 何かあったのか?」

「生まれました! 女の子です。すぐにオラクルに帰ります」


「なんだと! ……そうか、女の子か。タツミも問題ないんだろう?」

「大丈夫です。トーレさんが一緒でしたから助かりました。俺とエメルちゃんでは何もできなかったかと……」


「もう少し先だと思ってたんだが、無事なら何も問題はない。だが、確かに島には戻った方が良いだろうな。他の連中には俺から伝えておくよ。おめでとう。これでナギサも立派なシドラ氏族の父親だぞ」


 急いで戻る俺に向かって、いつまでもガリムさんが手を振ってくれる。

 甲板に人数が増えたから、ガリムさんの嫁さんも話を聞いて出てきたんだろう。


 カタマランに戻ると、エメルちゃんの操船でザバンを屋形の下に収納する。

 面倒なのは出し入れだけだからなぁ。

 他の連中は呆れた表情で見てるんだけど、子が無くても走るザバンを欲しがる嫁さんは多いようだ。


「終わったかにゃ? 朝食を食べたら出発にゃ。エメル、タツミに朝食を運んでほしいにゃ」


 まだ甲板に出ることはないようだ。

 出産後3日は屋形の中にいるというのが習わしらしい。その後、少しずつ活動を再開することになるようだが、操船までにはしばらく掛かりそうだな。


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