P-191 たった60cmの違いだけど
漁場について4日目の朝に、オラクルへと帰島する。
1日の船旅だが、漁果が多かったのだろう。俺達のカタマランは来るときよりも速度が増しているように思える。
昼近くになったところでエメルちゃんと交代して、今度は俺が舵を握ることになった。
小さな子を抱っこして操船する嫁さんもいると聞いたけど、さすがにそれは問題だと思うな。
タツミちゃんが舵を握るときには俺かエメルちゃんが甲板で見ていれば良いことだ。
とはいえ、トーレさんがそんな風に舵を握っているのは容易に想像できてしまう。
バゼルさんに舵を握らせたことはないんじゃないかな?
2時間近く操船をすると、エメルちゃんが露天操船櫓に上がってきた。
食事が出来てると言ってたから、エメルちゃん達はすでに済ませたんだろう。
甲板に下りると、すぐにタツミちゃんが蒸したバナナとココナッツのジュースを渡してくれる。
船を走らせている時は、凝った料理はできないからなぁ。
「結構、速度を上げてるにゃ。このまま進めば日が傾く頃にオラクルに到着できるにゃ」
「荷下ろしは俺も手伝おうと思ってるんだけど……」
「それはダメにゃ。周りの人が手伝ってくれるから問題ないにゃ」
即答だった。
さすがにこんな時には、協力するのが筋だと思ってたんだけどなぁ。
男女の役割分担は、かなり厳密らしい。操船を手伝うぐらいが良いところだということかもしれない。
待てよ……。要するに、他の人達から見られないなら手伝うのは問題ないってことなのかな?
とはいえ、カタマランを真っすぐに走らせるぐらいが良いところだからなぁ。桟橋への横付けをやっている男を未だかつて見たことがない。
だが、できないわけでもないのだろう。
ニライカナイに何隻かあるという軍船への搭乗は男性だけに限るらしい。当然操船も行うことになるだろうから、桟橋への横付けもできるということになるはずだ。
俺も乗る機会があるのだろうか?
1度、確認しておいた方が良いのかもしれないな。
タツミちゃんの言う通りオラクルの桟橋に到着したのは、夕暮れにはまだまだ十分に時間のある時分だった。
カタマランを桟橋に固定していると、獲物を入れた最初のカゴをエメルちゃんが背負っていく。
誇らしげに桟橋を歩いて行ったけど、浜で誰かと話をしているようだ。
やがてやって来たのは、エメルちゃんの実のお母さんだった。
「久しぶりにゃ。元気で暮らしている見たいにゃ。獲物が沢山あると言ってたにゃ?」
「エメルちゃんが頑張ってくれましたからね。まだまだあるんですが、手伝おうと言ったら断られてしまいました」
「手伝おう、なんて言うのはナギサ位にゃ。エメルが戻ってきたら、私が手伝ってあげるにゃ」
身内だからねぇ。嫁に出した方だから、あまり娘とは行き来しないのがしきたりのようだ。
だけど、カルダスさんは良く来てるんだから、一緒に来ればいいと思うんだけど……。
タツミちゃんが屋形から出て、俺達にお茶を出してくれた。
大きなお腹を見て、うんうんと小さく頷いている。
やはり氏族は大きな家族の思えるな。皆が俺達の子供を早く見たがっているように思える。
しばらくして帰ってきたエメルちゃんと一緒に小母さんもカゴを担いでギョキョーへと漁果を運んでくれた。
さて俺もそろそろ燻製小屋へと出かけてみるか。
タツミちゃんに、出掛けてくると伝えると燻製小屋へと向かう。浜を歩いていると、ポンと背中を叩かれた。
振り返るとガリムさんが笑みを浮かべている。
「かなりの漁果だったようだな? 母さんまでも手伝っているということは3カゴということになる」
「延縄でシーブルが結構釣れたんです。素潜りでは良い型のバルタックを突けました」
「シーブルは混じっていたが、カマルの方が多かったな……。やはりハリスの長さの違いってことか。後で教えてくれよ」
笑みを浮かべて頷いてけど、案外簡単な仕掛けなんだよなぁ。道糸に直接浮きを突けるガリムさん達と違って俺の仕掛けは組紐に沿って道糸を張っている。
それだけで獲物に違いは出ないはずだから……、ひょっとして、ガリムさん達はハリスの長さを全て同一にしてるのか?
俺ハリスの長さを2mにしてはいるんだが、1本おきに長さを60cm程長くしている。
胴付き仕掛けの上針と下針の標準の長さではあるんだが、どうもそれで獲物に差が出たようだ。
延縄は上物狙いではあるんだが、それだとカマルとダツのような魚しかかからないからなぁ。
シーブルはカマルよりも泳層が少し下になるようだ。延縄で掛かったのは全て長いハリスの方だった。
小母さん達に混じって、エメルちゃんも頑張って魚の選別を始めた。島での仕事を一時棚上げして、皆が集まってくる。
7隻だからそれほど多いとも思えないんだが、選別して専用の加護に並べた魚を次々と燻製小屋へと運んで行った。
「ナギサ。……こっちだ!」
燻製小屋から出た俺を呼んだのは、カルダスさんだった。
大声だから、すぐに分かるんだよなぁ。
近くの焚火に集まっているから、すぐに向かうことにした。
離れた場所に座ろうとしたら、横の席を片手でポンポンと叩く。ここに座れってことなんだろうな。
「最初の漁果はまずまずだな。ガリムから大物は多いようだと聞いたんだが?」
「延縄で良い型のシーブルを上げました。雨季ですし、曳き釣りはタツミちゃんが身重ですし……」
「トーレが、『私が行くまで我慢するにゃ!』と言ってたぞ。まぁ、今季の中頃なら間違いは無さそうだ。
俺達は曳き釣りをしようと思うんだが、出掛ける前に延縄を仕掛けようと思っている。ガリムの言うことには、少し変わった仕掛けらしいが?」
そういうことか。
簡素な仕掛けで、ハリスの長さは全て同じってことに違いない。
ハリスの長さを、1本おきに2YM(60cm)ほど長くしていると教えると、ちょっと驚いた表情をしていた。
「それがシーブルを上げた理由ってことか……。ハリスを長くするのも考えんわけではねぇんだが……、根掛かりをすることが多いからなぁ」
「たったの2YMで差が出るってことか!」
たったの2YMと言うけれど、案外遊泳層の幅は小さいように思えるんだよなぁ。素潜りで見ていても、1mもあるかないかだからね。
「まぁ、考えるよりはやってみる方が良いだろうな。仕掛けを作るぐらいの道具は持っているはずだ。俺も1つ作っておくぞ」
これでシーブルの数も増えそうだな。
今回はシメノンには遭遇しなかったのが残念だ。次は遭遇すると良いんだけどねぇ。
船団で得た漁果は、合算して平等に分配される。
今のところはこれで十分だろう。集団での漁果となるから、さぼる人も出るかもしれないと思っていたんだが、ネコ族にはそんなさぼり癖のある人物はいないようだ。
ちょっとのんびりした性格の人もいるんだけど、彼なりに一生懸命漁に取り組んでいる。
この辺りは、かつての先頭集団暮らしの生活によって培われたに違いない。
1人のちょっとしたミスで先頭集団の潰滅に及ぶことが無いようにとのことだろう。
誰に出に平等だし、正直者ばかりだ。
まぁ、長老ともなると少しは腹芸ができるみたいだけどね。
浜で焚火を囲み、獲ってきた獲物を炙って酒を飲む。
これも危険な風習に思えるんだよなぁ、勧められるままに飲んでいると、夕食にはあぶれてしまうし、何と言っても翌日は二日酔いに悩まされてしまう。
ほどほどにして焚火を去ると、カタマランの甲板に座って星空を眺める。
タツミちゃん達が帰ってきたから、一緒にお茶を飲みながら今年の漁を話し合うことにした。
やはり、最大の課題は子育てになるようだ。
「歩けるまでは、屋形の中でカゴに入れて置くにゃ。でも、誰かが付いてないと心配にゃ」
「エメルちゃんと上手く分担して欲しいな。漁のことは考えなくてもだいじょうぶだ。
頑張って獲物を突くよ」
「明日は休んで、明後日から桟橋作りにゃ。私達も一緒にゃ」
「3日桟橋作りをしたら、再び漁に出るんだが、今度はどこに行くんだろうな」
「小さな子供が多いから曳き釣りは無理にゃ。きっと別のサンゴの穴に向かうと思うにゃ」
やはり基本は延縄漁ってことかな?
晴れれば素潜りもできるが、無理をすることはない。サンゴの穴では夜釣りでバヌトスが結構釣れるからなぁ。
「子供が生まれたら、1か月は屋形の中にいないといけないにゃ。退屈に違いないにゃ」
タツミちゃんがため息をついている。
仕方がないことだと思うんだけどなぁ。出産で弱った体をいたわることも大事だし、なんと言っても赤ちゃんのお守は大変だから、退屈なんてしてられないと思うんだけどねぇ……。
落ちたら大変だということで、タツミちゃんは屋形の床の竹で編んだマットの上に布を敷いて寝ている。
エメルちゃんはハンモックから落ちたことは無いらしいが、俺は何度となく落ちているから、タツミちゃんとかなり離れた位置に、ハンモックを移し替えた。
白い布は3巻も用意したし、赤ちゃんを入れるカゴはバゼルさんが持ってきてくれることになっている。
何時生まれても大丈夫だと思うんだけど、今のところそんな感じがしないとタツミちゃんが言ってるんだよなぁ……。
翌日はのんびりと休んでいると、ガリムさん達が友人を連れてやってきた。
カタマランの甲板がガリムさん達の船よりも2倍以上あるからなぁ。
タープの下で、お茶を飲みながら桟橋作りの話が始まる。
「すでに、丸太を使い切ったらしい。明日は丸太運びになりそうだぞ」
浜の南に視線を向けると、浜から2つの桟橋が伸びている。長さは30mほどだな。もう少し伸ばしておいた方が良さそうだ。
だけどシドラ氏族のカタマランは、100隻を超えるほどの数だからなぁ。
桟橋を3つ作るだけでは済みそうにない。
沖に浮桟橋を作ることになるんじゃないかな。




