P-163 カヌイのお婆さんを乗せて
オラクルへ出発する前日の昼過ぎに、2人のカヌイのお婆さんと少し歳下に見えるお婆さんの3人が俺達のカタマランにやってきた。
その後ろに、トーレさんよりはるかに年嵩の小母さんが3人カゴを背負っていたのは、3人の荷物ということになるんだろう。
「世話になるにゃ」
「気にしないでください。同じ氏族なんですから」
俺の言葉に笑みを浮かべているお婆さん達を、タツミちゃん達が屋形の中に案内する。
カゴを背負っていた小母さん達が甲板にカゴを下ろすと、深々と俺に頭を下げる。
「お願いするにゃ。聖姿を背にする男と一緒だということで、残ったカヌイ達が羨ましそうだったにゃ」
「普通の男ですよ。どちらかと言えば漁の下手な男です。残った皆さんによろしくお伝えください」
俺が頭を下げると、何度も頭を下げるからこっちが恐縮してしまうんだよなぁ。
片手を振りながら去っていく小母さん達を見送ると、甲板のカゴをとりあえず屋形の中に運び込むことにした。
小母さんとタツミちゃん達がカゴからハンモックを取り出して、屋形の桁に下げようとしているから急いで手伝う。
背の高さは氏族一番だからなぁ。こういう時には率先してやらないとね。
一段落すると、エメルちゃんが沸かしたお茶を甲板で頂く。
荷物が多いけど、元々が広いから座る場所はいくらでもある。
「あの台船を曳いていくのかにゃ?」
「そうです。このカタマランの魔道機関は他のカタマランと比べて大きいですからね。とはいえ、かなり搭載してますから場合によってはバゼルさんに手伝ってもらうことになってます」
うんうんと頷いて聞いているから、やはり心配だったんだろうな。俺も、あそこまで山積みにするとは思わなかったからね。
まあ、それだけ向こうについてからの作業が楽になると思えば良いんだろうけど。
夕食作りは、小母さんも参加してくれたからタツミちゃん達も嬉しそうだった。トーレさん達とは、また異なる味付けを教えて貰ったんだろう。
日が落ちると、あちこちのカタマランから賑やかな声が聞こえてくる。
桟橋がいつもより明るく見えるのは、それだけ多くのランプが灯されているからに違いない。
今夜は新たな門出を祝う連中が大いに違いない。明日出掛けるカタマランは50隻近いからなぁ。
夕食後は、カヌイのお婆さん達の昔話を聞きながらワインを味わう。
カイトさんにアオイさんとナツミさんの話を聞かせてもらったんだが、伝説の英雄のような扱いになっている。
カイトさんは3mほどのクエのような獲物をしとめたようだし、アオイさんはナツミさんの協力を得て5mを超える大きな魚を船首から銛でし止めたらしい。
話半分とは言うけれど、ネコ族の人達は嘘がつけないんだよなぁ。
本当だとすると、俺も大物を突かないといけなくなってしまいそうだ。
「ナギサの背中の聖姿は龍神様を写したものに違いないにゃ。タツミもエメルもオラクルを知っていたとなれば、ナギサ達の子供が楽しみにゃ」
楽しみにゃ……、というところでタツミちゃん達に微笑むから、2人の顔が、真っ赤になってしまった。
一緒になってだいぶ経つんだけど、いまだに子供は生まれないんだよなぁ。
種族が異なるからかもしれないと思っていたんだが、カイトさんやアオイさんも子供を授かっているし、タツミちゃんはアオイさんの血を引いているとまで言っているぐらいだ。
その内に生まれるんだろう。楽しみに待っていよう。
翌日は、日の出前からタツミちゃん達が忙しく動き回っている。
俺はいつものように起こされるまで寝ていたけど、カヌイのお婆さん達は笑みを浮かべているだけだった。
一緒にやってきた世話係の小母さんに聞いてみると、カイトさんもアオイさんも寝坊することで有名だったらしい。
それこそ叩き起こされて、ハンモックから良く落ちていたそうだ。
ネコ族の人達でハンモックから落ちた人物は、カイトさん達3人だけだったらしい。その中に俺が加わった感じなんだろうな。
「無理しないでも良いにゃ。タツミが叩き起こしてくれるにゃ」
「そのたびに、落ちてしまうんですよ。俺のハンモックの下の敷物はそのためなんです」
「カヌイの2人が朝一番に、お婆さんから聞いた通りだと言ってたにゃ」
カヌイのお婆さんのお婆さんととなると、アオイさん達と一緒の時代を生きた人たちに違いない。
逸話がいろいろと残っているから、2人でネコ族の発展のために努力していたに違いない。
そんな人達と同一視されてしまうのも問題だと思うな。
俺は漁は下手だし、技術もそれほど知ることはない。向こうの世界で見聞きしたものはネコ族の人達より進んだものかもしれないけど、この世界でそれを再現できるだけの力がないのが悔やむところだ。
もう少し親達の行動や、田舎のお爺さんお婆さん達にいろいろと聞いておくべきだったと考えてしまう。
朝食を終えると、すぐに出発の準備が始まる。
台船を曳くことになるから早めに桟橋を離れて台船の引き綱を船尾に結んでいると、沖カタマランが集まりだした。
白い旗を操船櫓に付けているから、同行する連中に違いない。
引き綱を結び終えると、甲板にはだれもいない。
上を見上げたら、露天操船櫓から甲板を見ているエメルちゃんと視線が合った。
「準備できたぞ!」
「分かったにゃ。ゆっくり船団に近づくにゃ」
カタマランが動き出すと、引き綱がピンと張りゆっくりと動き出した。
重そうだからなぁ。太い引き綱だけど途中でちぎれたら大変だ。よく見ておかないといけないだろう。
もっとも、殿を仰せつかったガリムさんとザネリさんが台船の左右で状況を見てくれることにはなっている。
船団の速度はいつもより遅いと聞いているから、万が一途中で引き綱が切れたりしたら、急いで先頭を行くバゼルさんに知らせて船団を一時停止させるのだろう。
鋭い笛の音が2度、入り江に鳴り響く。
先頭を進むカタマランの操船櫓には赤い旗がはためいている。バゼルさんの船に違いない。その後に次々とカタマランが1列になって南西に移動を始めた。
「ナギサ! 台船を落とすなよ」
隣に寄せてきたカタマランの甲板からガリムさんが手を振っている。
「だいじょうぶだとは思ってますが、ちゃんと見といてくださいよ!」
互いに手を振ると、ガリムさんのカタマランがぐるりと回頭して、俺達の後ろに下がっていく。
心配してくれたんだな。ありがたく思わないといけないだろう。
ところで、カヌイのお婆さん達の姿がどこにもないんだが……。
屋形の中位いるのかと思って、覗いてみても姿がない。
まさか桟橋に置いてきたんじゃないかと、後ろを振り返った時だった。
「忘れ物かにゃ?」
世話係のおばさんが声を掛けてくる。上の方からだよなぁ?
操船櫓を見上げると、下の操船櫓から小母さんが顔を出していた。
3人とも操船櫓ってことか?
驚くよりも呆れてしまう。
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豪雨に遇うことも無く、船団は順調にオラクルに向かって南東に進んでいる。
夕食時に、タツミちゃん達が「船足が遅い」と愚痴を零していたから、カヌイのお婆さん達が慰めてくれた。
だが、遅いことは確かだ。
船団を一回りして、各船に異常がないことを確認していたザネリさんが、「このままでは8日掛かってしまう」と嘆いていたぐらいだからなぁ。
「やはり台船に積みすたにゃ。半分ぐらい近くの島に置き去りにした方が良いかもしれないにゃ」
「出発して今日で5日目だろう? 半分は越えてるんだから、もう直ぐだよ。今度は長く住めるんじゃないかな。リードル漁を終えても、帰らずに済みそうだ」
「漁を始めるにゃ? でも開墾もしないといけないにゃ」
「半々にするみたいだよ。そうしないと、島の保冷庫が直ぐに一杯になってしまいそうだ」
それを案じて、保冷庫をもう1つ作れるだけの材料を台船に積んだらしい。
漁をしない連中の仕事は保冷庫作りになりそうだ。
さらに石作の桟橋だってまだまだ建設途中だからなぁ。どうにか暮らせるまでにはなったけど、楽な暮らしはまだまだ先になるんじゃないかな。
シドラ氏族の島を出て8日目の昼下がり、前方にロウソク岩が見えてきた。
奇岩だから良い目印になるんだよなぁ。
操船櫓のカヌイのお婆さん達も、目を細めて見ているに違いない。
長い入り江を奥に進むと、オラクルの浜が見えてくる。
桟橋が見えたところで、笛が鳴り船団の足が止まった。
使える桟橋は4つだけど、その内の1つは竹製だ。
先ずは長老とカヌイのお婆さん達を下ろすということで、台船の引き綱を解いて何時もの桟橋に向かう。
その後は、ザネリさん達が年代順に桟橋を割り振っているようだ。
若手は、桟橋から離れた場所に停泊してザバンを使うことになりそうだが、もう1つの台船を使えば荷物の移動に問題は無いだろう。
「ようやく着いたにゃ。それにしても大きな島にゃ」
「波がほとんどないにゃ。老後を船で暮らすにも良さそうな場所にゃ」
カヌイのお婆さん達が、身軽な動きで操船櫓から降りてきた。
「まだまだ、色々と作らねばなりません。これからもご教授して頂きたいところです」
「ナギサに任せておくなら、安心できるにゃ。どちらかと言えば長老を上手く使って欲しいにゃ」
苦笑いで答えながら、甲板から他のカタマランの到着する様子を眺める。
このままだと、荷揚げは明日になりそうだ。
先ずは無事な到着を祝うということになるんじゃないかな。
「さて、私らは浜に出掛けて来るにゃ。もう1番止まらせて欲しいにゃ。明日には作って貰った小屋に引っ越すにゃ」
「急ぐことは無いと思います。荷物もあるでしょうから」
「私等は、カゴ1つだけにゃ。日々の祈りをするだけにゃ」
そう言って2人のお婆さんが桟橋を歩いて行った。
その後を、世話係の小母さんが小さなカゴを持って歩いて行く。
新たな島で暮らすために、浜で祈りを捧げるのかもしれないな。
あまり信心の無い若い世代の不作法を、龍神様に対して許しを請うのかもしれない。
ゆっくりと歩いて行く3人の後ろ姿に後光が差して見えるのは、日が傾いてきただけではないかもしれない。
カヌイのお婆さん達は、まぎれもないネコ族のシャーマンそのものだと改めて感じてしまうほどの光景だった。




