P-085 幻影で見た島が、左手に見える
翌日。顔を海水で洗いながら周囲の島を眺めてみた。
あの幻影が見せてくれた特徴のある岩山はどこにも見えない。まだまだ遥か先にあるようだな。
気になるのは、西にある雲だ。
あの感じからすると、午後には振ってくるんじゃないかな。
「早起きにゃ! 午後は雨にゃ」
「あの雲ですが、俺も午後に振り出すんじゃないかと……」
「明日は、ゆっくり寝てて良いにゃ」
俺が原因か? どうもトーレさんにはそう思えるらしい。
皆で朝食を食べたところで、アンカーを引き上げた。
操船櫓に手を振ると、エメルちゃんが手を振ってくれる。家形の中を通って船尾の甲板に向かう途中でトリマランが動きだす。
さらに南東に向かって進んでいくに違いない。
さすがに、この辺りに来たことはない。海に浮かぶ島は似ているけど、岩山が多くなっているようにも思える。
突然、トリマランが浮いた。
再び神亀が俺達を運んでくれるようだ。
一気に速度が増して、南東に向かってどんどん進んでいく。
「割って欲しいにゃ!」
エメルちゃんがココナッツを2個抱えてきた。
「良いよ。ちょっと待ってくれ」
座っていたベンチの天井板を開けて鉈を取り出すと、ココナッツを数回叩いて穴を作る。
割るごとにエメルちゃんに渡すと、真鍮のカップ4つを取りだして注いでいる。
2個目を注ぐと、カップに6分目ぐらいになったようだ。1つを俺に渡して、操船櫓に1個ずつ運んでいる。
最後に自分のカップを持ってきて俺の隣に腰を下ろした。
「2人は海図への書き込みかい?」
「トーレさんも来たことが無いみたいにゃ。通り過ぎる島を1個ずつ描いてるにゃ」
帰りが心配だからかもしれない。
幸いにも食料はたっぷりあるし、バナナのある島だってあるぐらいだ。飲料水が尽きたらココナッツを取れば良いから、あんまり心配ないんじゃないかな?
北西に真っ直ぐに進めば、帰れそうだし。シドラ氏族の島に着く前に、漁をしている船に出会いそうな気もするな。
「でも、もう直ぐ下りて来るんじゃないかな? あの雲だからねぇ」
俺の言葉にエメルちゃんが、タープの端から空を眺めている。
朝からどんどん発達して、今ではほとんど上空まで達する状況だ。
それでも周囲が明るく感じるのは、太陽の方向に向かって進んでいるからだろう。
やがて、西から滝が迫ってきた。
豪雨の量が半端じゃないから、白い水柱が雲と海面を結んでいるようにも見える。
今の内にと、タープのたるみ下に、水汲み用の真鍮製の水瓶を置いておく。
トリマランが突然豪雨に包まれた。
こうなると周囲は良く見えなくなってしまうんだけど、神亀の進む速度に変化は無いようだ。
操船櫓から、タツミちゃんとトーレさんが降りてきた。
皆で、タープの下でお茶を頂く。少し暗くなってきたから、ランプを帆桁に吊るしておいた。
「柱の上には必要ないにゃ。神亀が狩船に衝突した話は聞いたことがないにゃ」
「かなりの速度が出てるようですけど、方向は同じですか?」
「南東より少し東にずれてるにゃ。でもそんなに大きくはないにゃ」
トーレさんは完全に神亀頼りになってるな。
現状では都合が良いのかもしれないけど、周囲の島が豪雨で見えないから海図で確認することもできないようだ。
「今日で4日めにゃ。明日で終わりにするのかにゃ?」
「昨日と今日、神亀が俺達を運んでくれています。たぶん明日進めば6日目の航程にまで南東に進んだことになるはずです。俺が幻影で見た光景がそこに無かったなら、次の航海では北北東に向かってみようかと思ってます」
最初から、都合よく見つかることは無いだろう。
自分が納得するまで、探すことになるかもしれない。
とはいえ、むやみやたらに探すのも問題がありそうだ。年に2回、リードル漁が終わってからという当初の考えで十分に思える。
だけど……、不思議な予感がするんだよなぁ。
この航路で合っていると、誰かが俺に語り掛けているような感じが今朝から続いている。
「蒸しバナナを作るにゃ!」
トーレさんの言葉に、2人が腰を上げる。
30分ほど蒸すだけで、青臭さが無くなるし甘みがグンと増すんだよね。黄色いバナナがここには無いんだろうか? アオイバナナばかりなのが不思議に思える。
蒸しバナナを2つ頂いてお腹を満たす。
これで夕食まで持つだろう。相変わらず豪雨は続いているけど、西の方角が少し明るくなっている。
トーレさんの言う通り、夕刻には止むんじゃないかな?
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豪雨が去ると、南国の強い日差しが戻ってきた。
かなり太陽が傾いてきたが、神亀は俺達を背中に乗せたまま、まだ南東に向かっている。
トーレさんとエメルちゃんが操船櫓に上って、周囲の島を見ながら、特徴を海図に書き込んでいるようだ。
「豪雨でも進んでいたから、あまり正確に場所が分からないにゃ。でも、大型船の漁場は過ぎているとトーレさんが教えてくれたにゃ」
「あまり先に進むと迷子になってしまいそうだ。明後日は戻ることにするよ」
夕暮れが近づくと神亀はトリマランを会場に下して去って行った。
北に向かったんだけど、普段はどこで暮らしているんだろう?
神亀が見えなくなるまで手を振っていたトーレさん達は、神亀が消えると今度は夕食作りを始めるようだ。
昨夜作った一夜干しを使うみたいだな。
「この辺りの景色と違うのかにゃ?」
具沢山の炊き込みご飯に、ちょっと絡みのあるスープ。炙ったシメノンは何も突けなくとも塩味が口に広がる。
そんな夕食を頂いている俺に、トーレさんが問い掛けてきた。
「全然違いますね。あの幻影にあった岩を持つような島もないし、島と島の距離がもっと広かったように思えます」
「明日1日進んでみるにゃ。今回は、そこまでにするにゃ?」
「ええ、それで良いと思います。次もありますからね」
昼と同じ話だから、俺が諦めきれないと思っているのかもしれない。
さらに進もうと言えば、進んでくれるだろうけど無理はしない方が良いだろう。
神亀のおかげですでに5日目の距離まで来てると思う。更に1日は俺の我儘なんだけどね。
食べる分の魚は一夜干しになっているから、今夜は皆でワインを飲んでハンモックに入る。
普段より早く寝れば、早く起きられるだろう。
翌日。俺が屋形を出ると3人は朝食作りの最中だった。
トーレさんにジロリと見られたのは、今日も雨にするな! ということなんだろうか?
とりあえず、海水を汲んで顔を洗う。
パイプにタバコを詰めて、邪魔にならないように家形の屋根に上って楽しむことにした。
まだ太陽も上ってこないが、東が橙に染まっている。
もう直ぐ朝日が昇ってくるに違いない。
青から橙、そして緑に変わる島の色に見入っていたけど、やはり幻影で見た海域とは違うな。
さらに先と言うことなんだろう。
「朝食が出来たにゃ!」
「いま下りるからね!」
エメルちゃんの呼ぶ声に応えて、甲板に下りていく。
何時ものようにリゾットに少し酸味のあるスープだ。ココナッツの椀に入ったリゾットに、スープをかけて貰い。スプーンで頂く。
かなり香辛料を使っているから、リゾットも美味しく頂ける。
食後に出てきたのはコーヒーだった。
もっとも、飲むのは俺とトーレさんで砂糖を入れて頂く。タツミちゃん達はお茶なんだよね。やはり苦いのは嫌いなんだろう。
「アンカーを引き上げて欲しいにゃ。そしたら、のんびりしてて良いにゃ」
タツミちゃんに頼まれて、船首でアンカーを引き上げる。
落ちないようにしっかりと巻き取ったところで、操船櫓のタツミちゃん達に手を振る。
甲板に戻った時には、すでにトリマランが動き出していた。
ベンチに置いたカップには、コーヒーが新たに注がれている。トーレさんが注いでくれたんだろう。砂糖を入れて一口飲んでみた。
少し冷め始めているから、直ぐに飲んでしまいそうだな。
周囲の島を眺めながらパイプを楽しむ。コーヒーは飲み終えてしまったから、誰か下りてきたらココナッツを割ってみようか。
今日は雨が降らないようだから、かなり暑くなってきた。
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「ナギサ! 早く上がってくるにゃ」
突然、トーレさんが屋形の上から俺を呼ぶ。
何だろうと思って、家形の止めに上がった時だ。
目の前に、あの幻影が広がっていた……。
ここだ。ここに間違いない。
だけど、1つ違っている。海面に泡が無い。
あの幻影では、泡立つ海面が一つの特徴だった。
正面に盛り上がる島の姿を見たんだが、小島がいくつか見えるだけだ。
たぶんあの島で異変が起こるのだろう。
左手の島には、まるでロウソクのように見える岩がその存在を大きく俺達に見せてくれている。
場所はここだ。
間違いない。
「俺が見た場所はここで間違いありません」
「エメルがここだと言ってたにゃ。ナギサもそう思うならここに違いないにゃ」
うんうんとトーレさんが腕を組んで頷いている。
「でも、泡立つ海ではありませんし、前方に見える島は未だ小さいままです。俺の見た幻影では、あの3つの島が盛り上がって1つの大きな島になりました」
「まだその時ではないってことにゃ。それが分かるだけで安心できるにゃ」
タツミちゃん達は周囲の島の位置関係を確認して、簡単なスケッチまでしている。
この世界にはカメラはないみたいだから、スケッチを残すことにしたのかな。
まだ昼前なんだけど、タツミちゃん達のスケッチが終わったところでトリマランを回頭して北西に進路を取る。
神亀のおかげでだいぶ先に来ているように思える。
帰りは、6日は掛かるんじゃないかな?




