P-077 エメルちゃんがやってきた
雨期が明けたとはいっても、たまに雨が降る。
雨期のように長時間続かないから良いようなものの、2時間ほどは土砂降りだから漁場を目指してカタマランを進めている時には苦労してしまう。
のろのろと進むしかなかったから、漁場に到着したのが夕暮れを過ぎだ。投錨する場所に悩んでしまう。
とりあえず投錨して、翌日位置を確認することになるんだが、余計な手間であることは確かだ。
「ブラドが2匹は突けたにゃ!」
翌朝確認したら、しっかりとサンゴの繁茂する場所だったからなぁ。操船櫓からタツミちゃんの愚痴が聞こえてきた。
サンゴ礁の中に投錨すると、ロープに結んだ石がサンゴに引っ掛かってしまう。
上手く外してから出ないと、カタマランを移動できないのが面倒だ。
早めに引っ掛かりを直しに行ってこよう。
甲板から海中にダイブして、サンゴの間に引っ掛かった石を動かす。近くのテーブルサンゴの上に載せたところで、海面に出た。
「終わったよ! 動かすのは引き上げるまで待ってくれ」
「分かったにゃ!」
カタマランに戻ると、船首に向かい、錨を引き上げる。
3mほどの水深だから、引き上げるのも簡単だ。
引き上げが終わったところで、操船櫓のタツミちゃんに手を振る。
ゆっくりとカタマランが前進を始めた。
「南が良いんじゃないかな。かなり急峻な穴があるよ」
「大きな穴なら夜釣りで挽回できるにゃ」
雨期よりも漁果が少ないなんてことになったら、皆に笑われてしまうからね。
かなり出遅れたが先ずは素潜りからだ。
漁場を見ると、結構移動しているカタマランもあるようだ。
投錨した場所は、運任せだったからなぁ……。
海の色が明確に区分けされているように見えるのは、それだけサンゴの崖が急峻だということだ。
そろそろカタマランを停めるころだろう。船首に向かい投錨の準備をする。
「船を停めたにゃ!」
「投錨するよ!」
この頃は2人の呼吸があってきた感じだ。船の停泊ほど神経を使うものはないだろうな。
漁場では漁果に直結するし、桟橋では他のカタマランを損傷することもあり得るようだ。
さて、始めるか。
だいぶ出遅れてるからね。
船尾の甲板に戻ると、屋形の屋根裏から銛を2本取り出した。
タツミちゃんに手渡すと、すでに水中眼鏡を掛けている。やる気満々だけど怪我だけはしてほしくないな。
「箱は下ろしてあるにゃ。西に向かって漁をするにゃ」
「なら俺は東だね」
素潜り漁は多人数で行う漁ではないから、互いに距離を取って行うことになる。
それだけ銛は危険だということなんだろう。
フィンを足に付けたところで俺の準備が終わる。f
銛を持って飛び込むと、そのままシュノーケリングをしながら様子を探った。
ほとんど90度近い斜度だから、サンゴが穴に向かって突き出すように枝を広げている。
その下を見ると……、いたぞ! かなり大きいな。
一旦、浮上して息を整えながら、銛のゴムを引く。
持ち手の円筒状の竹を加工して簡単なトリガーを付けてみたんだが、今回の漁でその成果が分かりそうだ。
今までは竹の上部を握っていたから案外使いところがあったけど、これならレバーを強く握れば良いだけだ。
親指と人差し指に手のひらを使って筒を保持すれば、残った3本指でレバーを握っても狙いが狂うことはない。
大きなカサゴはヒレが大きいからバッシェかもしれないな。
慎重に狙いを定めて、レバーを握った。
狙い通りにエラの上部に当たったから、最初は暴れていたけど直ぐにおとなしくなる。
カタマランへと泳いで、船尾に下ろしたクーラーボックスの中に入れる。
蓋を開けると、ブラドがすでに入っていた。すでにタツミちゃんが1匹突いていたようだ。
こりゃあ、もっと頑張らないといけないな。
2匹目を求めて再び南に向かって泳ぎだした。
2回の休憩を挟んで、昼過ぎに素潜り漁を終える。
2人で11匹は良い成績だ。ブラドが多いのは、この漁場の特徴かもしれない。夜釣りもブラド中心になるのだろう。
「だいぶ突いたにゃ。新しい銛は使いやすいにゃ」
「大型の魚は無理だろうけどね。中型ぐらいまでなら丁度良いかもしれない。この漁場なら丁度良い感じだ」
「船を大きくしたら遠くにも行けるにゃ。最低でも1日半にゃ」
「魚も大きくなるはずだ。その時にはいつもの銛を使うよ」
大型の銛にこの仕掛けを使うと、握る筒が太くなってしまう。やはりシンプルに漁をするほかはなさそうだけど、1m程度までなら水中銃が使えるんだよね。
1mを超える魚を突くことはめったにないからそれで十分かもしれない。
とはいえ、たまにハリオやフルンネの群れを見ることもある。
銛を交換して突くときもあるけど、せいぜい2匹どまりだ。
良い値段で売れるんだけど、早々あるものではない。
「エメルがやってきたら、この銛が使えるように教えるにゃ。大きな船ならザバンで広範囲に魚を突くことになるにゃ」
「しばらくは3人で漁ができそうだね」
まだタツミちゃんは18歳にもなってないんじゃないか?
子供を作るのは、ガリムさんの後で良いだろう。その前に、たっぷりと稼いでおかないといけないようだからね。
夕食を終えると夜釣りが始まる。
たまにタツミちゃんが周囲の海を入念に調べているのはシメノンの群れを確認しているのだろう。
潮流に乗って移動しているようにも思えるんだが、突然に姿を現すから驚くときもあるぐらいだ。
深夜になって、夜釣りを終えるとタツミちゃんが魚を捌き始めた。
屋形の屋根裏からザルを引き出して、丁寧に並べる。
今夜も星空がきれいだから、朝までは降らないだろう。
作業を終えると、【クリル】で体の汚れを落としてハンモックに入る。
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2か月ほど、乾期の漁をしていた時だった。
漁から帰って休養を取っている俺達のところにカルダスさんが、末娘のエメルちゃんを連れたやってきた。
バゼルさんの船で談笑していた時だったから、すぐにココナッツ酒が俺達に渡される。
この風習も、問題があるな。
下戸の人達は苦労してるんじゃないか?
「2回ほど漁に出れば俺達の帰還と重なるだろう。一緒に連れて行ってくれ」
「まだ船も手に入れてませんけど?」
「構うことはねぇ。どうせ、次のリードル漁の前には手に入るんだろうからな。ハンモックと嫁が差し入れをカゴに入れてくれた。食うに困ってはいないだろうが頼んだぞ」
頼んだぞ! と言われても困ってしまうな。
これもネコ族の風習なんだろうか?押しかけ女房が多いらしい。
「エメルにゃ。釣りは得意にゃ!」
「素潜りは私の銛を貸してあげるにゃ。いつも大漁にゃ!」
タツミちゃんがエメルちゃんの手を取ってはしゃいでいる。
トーレさん達はニヤニヤと顔をほころばせているし、バゼルさんは苦笑いでカルダスさんを眺めていた。
「これで全部片付いた感じだな。男達は船を手に入れたんだろう?」
「どうにかだ。急に歳をとった感じだよ。だが、筆頭を譲る気はねぇぞ」
「それで、例の件は?」
「ザネルがギョレンから帰ったところで船団の見直しをすることになっている。ナギサを誰もが欲しがるからなぁ。だが、落としどころはザネル達の船団になるだろう。リードル漁が終わっての編成替えだから、それまではバゼルや俺と一緒に漁をすればいいだろう。
シドラ氏族として、どれぐらい腕を上げたかも見たいところだ」
タツミちゃんはエメルちゃんを連れて俺達の船に行ったようだ。
荷物もあるからね。少なくともハンモックを吊る場所ぐらいは確保しておかないと。
「2番目の船をこれぐらいの船にできるなら、氏族の中でも評判になるだろうな」
「これより大きいそうだ。かつてトウハ氏族の聖痕の保持者であるアオイ様が使っていた船に近いらしい」
「なんだと! あれは2家族が一緒に乗れるほど大きいと聞いたことがあるぞ。ナギサは一体何人の子供を作るつもりだ?」
「子供はまだまだ先ですよ。何度も幻影を見たものですから、その調査もしたいと思ってるんです。ニライカナイの住民の被害を見たことはありませんが、漁に影響が出るようなら問題です」
幻影というよりも正夢なのかもしれない。
それは将来必ず起こることだとタツミちゃんが話してくれた。
俺の幻影も何度か見たと言っていたから、トウハ氏族の両親もシドラ氏族の俺を訪ねることを許したのかもしれないな。
カルダスさんだってそうだ。末娘の見た幻影を、俺が見た幻影と同じと判断したんだろう。
あの話を聞いた者が、他言するとは思えない。
長老達も真剣な表情で聞いていたからね……。
「邪魔にはならんだろう。一通りは仕込んであるぞ」
「お預かりしますけど……」
何となくこのまま、俺達と暮らしそうな雰囲気だ。
でも嫁入り道具は持ってこないから、少し気が楽だ。一緒に漁をすれば、どんな女の子かも分かるだろう。
トーレさん達を、タツミちゃん達も手伝っているから、結構賑やかに料理が進んでいるようだ。
カルダスさんが「後は頼んだぞ!」と言って帰って行ったから、俺とバゼルさんでパイプを咥えながら夕食ができるのをベンチで待っている。
「早く、新しい船が来ると良いな」
「4か月は掛かると言ってましたから……」
「アオイ様の船を参考にしたなら、良い船になるはずだ。もっとも、動かすのがかなり難しかったようだぞ」
大きな船になればなるほど難しいのは分かるつもりだ。その為のスラスターを船の前後に付けたぐらいだからね。
ロクロも付けたから、延縄の引き上げも楽になるだろう。
ん! それなら延縄を長くできるんじゃないか?
少し長めの延縄を作ってみよう。10本針を15本に増やすぐらいなら、それほど大きな変更は必要ないだろう。
延縄用の細いロープと、浮きを手に入れておこう。




