P-071 2年以上10年以内
30台後半に思える男性の腕にある不思議な物体を見て驚いている俺に、バゼルさんが、「あれが聖痕だ」と教えてくれた。
それにしても不思議な物体だ。
腕の筋肉の中に、腕時計ほどの物体が埋め込まれているようにみえる。
日焼けした腕に付いているからかなり目立つ存在だ。
「シドラ氏族のナギサは、聖姿を持つと聞いてやってきたんだ。聖姿なら我等を指導してくれる存在に違いない」
「そんなわけだ。減るもんじゃねえだろうから、見せてやるんだな」
カルダスさんの言葉に従って、Tシャツを脱ぐと彼らに背中を向けた。
ガタリ! と何かが転がる音が聞こえてくる。
「すまん。ちょっと驚いただけだ。……確かに聖姿に違いない。だが、かつて聖姿を背中に持ったアキロン様とは少し異なるようだな」
「頭と尾の向きが違うとカヌイの婆様達が言っていた。ナギサ、もう良いぞ」
カルダスさんの言葉に、Tシャツを羽織ると体を反して会話の輪に入ることにした。
レイネイさんが俺を見つめながらココナッツ酒を飲んでいる。
そんなレイネイさんを見て、バゼルさん達は苦笑いの表情だ。
「まだ若いが、そうなると彼の漁果は?」
「言い伝えの通りだ。不漁になったことがねぇ。ナギサが加わった船団の連中でさえ、普段より3割近く漁果を得ているようだ」
「やはり龍神の加護に違いない。俺の場合も同じようなものだが、そうなると聖姿を持つ彼と俺の違いが判らんな」
「はっきりと神亀が姿を現し宝珠を授けられたようだ。バングルにして腕に付けているようだが、その後も神亀と会っている。たまに神亀のご利益でとんでもない漁果を運んでくることがあるぐらいだな」
バゼルさんの話を聞いても、あまり納得していないようだ。
それぐらいなら、自分でも経験を持っているということなんだろう。
「実は……、このような話をしても信じてもらえるかどうか。神亀と会った時に、不思議な情景が頭の中に浮かんだんです……」
大きなカタマランと2人の妻。島がぐんぐんと大きくなり、いくつかの島が合わさって大きな島ができる……。
俺の話を聞いた3人は、じっと俺に視線を向けているだけだ。
表情に変化がないのも困ったものだ。
カルダスさんなら、酒を飲みすぎたんだろうと笑い飛ばすとばかり思っていたのだが。
「お告げというやつか?」
「たぶんそうだと思います。数年前より東方が気になりだしました。その時にシドラ氏族に聖姿を持った若者が現れたと聞いてやってきたのですが……。どうやら、今の話が現実に起きるのかもしれませんね」
「だが、ナギサの嫁は1人だけだ。それにカタマランも若者が最初に手に入れる船だとすれば、かなり先の話にならないか?」
「カルダス。ナギサは上位魔石を獲れるんだぞ。大型のカタマランなど3年も待たずに手にすることができるだろう」
「そうだった! だとすれば次の嫁を探さんといかんな。ナギサが娘たちに声を掛ける姿がどうも想像できんのだ。となれば俺達で見つけてやらねばな」
カルダスさんの言葉にバゼルさんまで頷いているけど、しばらくはタツミちゃんとのんびり漁を楽しみたいところなんだよねぇ。
「少なくとも5年後には、ナギサの嫁と船はその通りになると……。問題はそのあとですな」
「それほど大きな変化になれば、ニライカナイの総漁獲高にまで影響しかねない。場所の特定と影響の度合いを考えねばなるまい」
大陸にある3つの王国の食糧事情にまで影響が及びそうだということなのだろうか?
そんな地殻変動じみたことがニライカナイの中心部で起こるとなれば、漁業は壊滅的な打撃を受けかねない。
「ナギサにも、何時どこで起きるかまでは分らんようだ。だが彼が見た情景の話を聞く限りでは2年先から10年以下と推測できるぞ」
「ほう! どこでそれを見極めたんだ?」
「大きなカタマランというからには、上位魔石を10個以上必要とするだろう。ナギサがリードル漁で得られる上位魔石は3、4個だ。1年に2回の漁だから2年もあれば購入できるだろう。カタマランを発注したところで2人目を見つけてやればいい。だから早くて2年後だな。
10年以内というのは、ナギサの話に子供の姿がなかったからだ。少なくとも30歳前までには子供を何人か持つだろうからな」
「確かに子供の話がありませんでしたね。そしてもう1つ気になることがあります。
我らネコ族がこの海域に暮らすことを龍神様はお許しになっています。ナギサの話には我らが困窮する姿がありませんでした」
「そうだな。困窮するのであればその姿をナギサに見せてくれるだろう。となるとニライカナイ全体の漁に影響することがないと考えれば良いのか?」
「たぶんそれで良いはずだ。とはいえ、かなりの海域で漁をすることが難しくなるやもしれん。今夜にでも長老に耳打ちしておいた方が良いかもしれんな」
「再来年辺りに再度ナギサを訪ねましょう。もう1人の聖痕の保持者にも知らせておきます」
そう言ってレイネイさんは俺達に頭を下げると甲板から降りて行った。
車座のままに見送ったのだが、バゼルさんとカルダスさんは互いの顔を見てため息を吐いている。
「良くわからん話だが、レイネイも危惧しているということは少し問題だな」
「そういう話は長老達に任せておけばいい。だが、10年となると筆頭はまだ俺のままだろう。バゼル、その時は手伝ってくれよ」
「子供達も一人前になっているだろうからな。俺達が漁の中心と並んでも済むはずだ」
さて、余計に分からなくなってきた。
俺の話をそれほどまでに心配することはないんじゃないかな?
神亀が見せてくれた幻影のような情景は、必ず起きるとも限らない。俺の白昼夢ということもあり得るように思えるし、俺に2人目の嫁さんが来るというのもねぇ……。
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何度かガリムさん達とともに漁に出掛けていると、豪雨に会う機会が増えてきた。
再び雨期が廻ってきたのだろう。今度は延縄の季節だから素潜りよりは容易に思えるんだよね。
だけど、その前にリードル漁がある。
「頑張れよ。ニライカナイで獲れる上位魔石の半分はナギサがもたらしているんだからな」
「目標は3個以上にしてるんですが、さらに大型のリードルを突いた方が良いんでしょうか?」
「今のままで十分だ。あまり数を出すと大陸の王国が余計なことを考えるかもしれん。商会の連中にしても、シドラ氏族の誰が上位魔石を手にしているかわからんからな。ギョキョーが一括してセリに出すとは、ナツミ様もよく考えてくれたものだ」
ギョキョーのシステムを構築したのは、アオイさんと一緒に向こうの世界からやってきたナツミさんらしい。
確かあの町の大きな工場主のお嬢さんだったらしいけど、小さいころから流通についての蘊蓄を持っていたのかもしれないな。
「次のカタマランは何時作るにゃ?」
「まだまだですよ。大きいのを頼もうと思ってますし、改造するとそれなりに高くなりそうですからね」
改造と聞いて、バゼルさんとトーレさんの目が輝く。
どんな船にするつもりなのか興味深々の表情だ。トーレさんは俺達にココナッツ酒のカップを渡しに来たんだろうけど、隣で中腰のまま俺に顔を向けてるんだよなぁ……。
「まだまだこれとこれ! という具合には行きませんが、帆柱と帆桁は同じように設けるつもりです。大物の引き上げがだいぶ楽ですからね。帆は張りませんが何となく形も気に入ってるんです。それと操船櫓を少し甲板側に広げて、その下に竿とタモ網などを置こうかと考えているぐらいですかね。
タツミちゃんは魚を捌く台を何とかしたいような感じでしたけど」
俺の話を聞いて、バゼルさんが少しずつ笑みを深めている。
パイプに火を点けようとすることには、小さな笑い声まで出てくる始末だ。
トーレさんの方は、両手で口を押さえて笑い声をあげるのを必死でこらえているようだ。涙目になるぐらいなら、思い切り笑った方が良いんじゃないかな?
「ワハハ……。トーレ、聞いたか?」
「聞いたにゃ。おかしくてちょっと席を外すにゃ」
トーレさんが屋形の中に入って扉を閉めた途端に、大きな笑い声が聞こえてきた。
笑いながら声がするのはサディさんに教えているのかな?
直ぐに2人の笑い声が重なって聞こえてきた。
「そんなにおかしな船になるとは思えないんですが?」
「悪い、悪い。おかしくて笑ったというよりは、ナギサが作ろうとしている船がかつてのアオイ様が作った船と似ているということだ。
商船の掲げる旗の中で、青い横線が入った船をたまに見かけるはずだ。その商船のドワーフがアオイ様のカタマランを作った。
かなり変わった船だったそうだ。外観はナギサが言ったような形だが、カタマランではなくトリマランと言っていたな。真ん中にもう1つ船があると聞いたことがある。
海面を浮かんで走るともいわれているが、その船を使って氏族間を行き来していたようだな」
「船を作る前に1度相談してみます。職人であれば当時の図面が残っているかもしれませんからね」
「その方が良いかもしれん。今のニライカナイを作ってくれたアオイ様の船だ。いろいろと考えたに違いない」
これは良いことを聞いたかもしれない。
だけど、似ているからって笑うことはないと思うんだけど。
それだけ俺がアオイさん達に似て見えるのだろうか?
バゼルさんにアオイさんが作った当時の船の値段を聞いてみたら、同じ規模のカタマランの5割増し以上の値段だった。
これはかなり頑張らないといけないんじゃないか?
目標ができたのは良いことだけど、かなり先になりそうな気もするんだよなぁ……。




