P-056 神亀からの授かり物
甲板に下りて、舷側に寄る。
改めて神亀と呼ばれる存在を眺めた。やはり大きいなぁ……。
周囲の船も俺達の目の前に浮かぶ存在に気が付いたらしい。
離れている仲間の船に向かって、手を振っている姿が見える。
タツミちゃんが真鍮のカップに入れたワインを恭しく掲げて、舷側から海にワインを注いだ。
顔を伏せながらも神亀をもっと良く見ようとしてるから、ちょっと滑稽な姿にも見えるんだが、ネコ族の信仰の対象そのものだからなぁ……。
長らく人目に触れてはいなかったようだけど、俺達の前にその姿を現したとなると、その神意を考えなければなるまい。
突然、俺の脳裏にあたたかな、それでいて懐かしむような思いが伝わってきた。
海面を割るような形で、ウミガメの頭が現れて俺に視線を向ける。
獣の目ではない。
慈しむような眼は、確かに神の眷属を思わせる。
視線に耐えかねて隣にいるタツミちゃんに顔を向けると、甲板にひざまずいて両手を胸の前で握り祈りを捧げていた。
タツミちゃんに会いに来たんだろうか?
アオイさんとナツミさんの子孫とバゼルさんが言ってたことを思い出した。
再び神亀に顔を向けると、先ほどと変わらぬ姿で俺を見ていた。
視線が合ったその時だ。
不思議な世界が俺の脳裏に浮かびあがる。
海面を割っていくつかの島が浮かびあがり、それがどんどん合体していく。
最後に大きな1つの島になり、その島が少しずつみどりに覆われていく……。
島に人が住み着き、穏やかな生活を始めたようだが、その島は氏族の島の数十倍を超えているように思える。
島で一番高い山には雲を突き抜けているようだ。
忽然と脳裏から島の情景が消えてしまった。
だが、今まで見た情景はしっかりと記憶している。
これを俺に見せるのが、神亀の役目だということか?
俺に顔を向けていた神亀が小さく頷くように頭を下げた。
だが、具体的ではないんだよなぁ。それに、俺に見せることで何が変わるのだろう?
再び俺の脳裏に、先ほどとは異なる情景が現れた。
どうやら漁をする俺達のようだ。
操船櫓には、タツミちゃん以外にもう1人の女性がいる。
ネコ耳と尻尾があるからネコ族の女性に間違いない。ブラウンの耳と尻尾は先端が真っ白だ。
甲板で何やら叫んでいるのは俺なんだろう。
だが、甲板がかなり広い。見た感じではバゼルさんの船より大型のカタマランに違いない。
どこに向かってるんだ?
その疑問にこたえるかのように、カタマランの進む方向に現れた島は、先ほど見た大きな島だった。
視点がどんどんカタマランから離れていく、まるで鳥の目で見た視点のようだ。
島に向かって全速力で走るカタマランが夕暮れの赤に染まり始めている。
脳裏に映し出された映像が途切れた。
やはり良くわからないんだよなぁ。まじまじと神亀に視線を向けると、カタマランに近づいてきた。
1mほど前に大きな神亀の頭がある。
神亀という存在を全く知らなければ、冷静に立っていられないだろう。
膝が震えて今にもその場に座り込みそうになっているけど、どうにか持ちこたえている自分を褒めてあげたいくらいだ。
神亀が大きく嘴を開けると、舌をにゅ~と伸ばしてきた。
食べられてしまうのかと一瞬考えたけど、その舌先にあったのは小さな宝玉だった。
緑色のレンズみたいに見えるけど、きっと大切なものに違いない。
宝玉を受け取るとすぐに口を閉じる。
三度目の映像が脳裏に浮かんだ。
カタマランに乗る俺は、首から下げた宝玉を握っている。
小さな島が浮かぶ海域を長い航跡を残して進むカタマラン。
進む先には島などどこにも見当たらない。
俺が視線を宝玉に戻した時だ。不思議な模様が宝玉に浮かび上がる。
【ラウゼ・シュラーゼ(道を示せ)】
言葉とその意味が浮かんだ。
一体何語なんだ? この世界の全く別の地方の言葉なんだろうか。
だが、あの模様はどう見てもコンパスのような矢印があった。この宝玉は俺を目的の地へと導く羅針盤なのかもしれない。
あの島を探すために、わたしてくれたのか?
疑問が浮かぶと同時に脳裏の映像が消えていく。
我に返った時、目にしたのは沈んでいく神亀姿だった。
とんでもないことを託された気がするぞ。
いつまでも祈りを捧げているタツミちゃんの肩を叩くと、俺に顔を向けながら立ち上がった。
「大きな島を見せてくれたにゃ。みんな笑顔で働いてたにゃ……」
「同じものを俺に見せてくれたよ。これを貰ったんだけど……、やはり相談した方が良いだろうね」
神亀から貰った宝玉を見せる。
ちょっと驚いてたけど、ネコ族の人の中にも神亀からの贈り物を受け取った人がいるらしい。
それほど珍しいということではないのかもしれない。
問題は、これの使い方だよなぁ。
やはり、あの島を見つけることになりそうだけど、すぐということではないはずだ。
カタマランは大型だったし、何よりタツミちゃん以外の嫁さんがいたからね。
どう考えても数年以上先であることには間違いないな。
「オォ~イ!」
ガリムさんと友人達がカタマランを走らせてきた。
あの異変を確認しに来たに違いない。
カタマランがゆっくりと舷側に近づくと、バゼルさん達が飛び乗ってきた。
とりあえず甲板を片付けて座る場所を確保すると、タツミちゃんが真鍮のカップでワインを運んでくれた。
「神亀の姿をはっきりと見たのはシドラ氏族で俺達だけなんじゃないか? 海中を進む黒い影じゃなくて、本当の姿だ」
「豊漁間違いなしだな。今夜の夜釣りは期待できるだろうが、しばらくナギサと顔を合わせていたようだが?」
「実は……」
神亀が見せてくれた情景の話をして、贈り物の宝玉を見せた。
「カヌイの婆さん達が押しかけて来るぞ。その後は長老にも話しておいた方が良さそうだ。
ところで、ナギサはここから氏族の島に帰れるか?
すぐにでも帰って欲しいが、もう直ぐ夕暮れだ。明日の朝早くで良い。帰ったならカヌイの婆さんのところに行くんだぞ」
「ここからだと北東になるんですよね? 途中の島に目印の石積みを見ましたから、それを頼りにすれば帰島できると思います」
「そうしてくれ。俺達の誰かを一緒に着かせたいが、若い連中が多いからな。明日帰ることになったら、獲物が少ないと文句が出そうだ」
だいじょうぶかな?
タツミちゃんに顔を向けると、うんうんと頷いているから自信があるってことかな。
ガリムさん達が帰ったところで夕食を取ることにした。
先ほどの出来事で頭がいっぱいだから、味わって食べることができない。タツミちゃんに申し訳ないな。
食事を終えてお茶を飲んでも、まだ神亀のことで頭が一杯だ。
興奮した頭を冷やそうと、パイプに火を点けた時に、思わず大声を上げてしまった。
「どうかしたのかにゃ?」
「まだ、延縄を引き上げていない!」
今度はタツミちゃんが驚く番だった。ベンチから立ち上がって、小さな甲板を右往左往し始めた。
面倒でも、ランプの明かりで引き上げよう。
甲板を片付けて、ゆっくりと延縄仕掛けを繋いだロープを手繰り寄せる。
かなり重いけど、引きはそれほどでもない。
掛かった魚も、時間が経っているから暴れるのを止めてのかもしれないな。
最初の枝針のハリスがピン! と張っている。手に持つと引きが伝わってくるから、掛ってるようだ。
ハリスの重い手ごたえに、両手を使ってゆっくりと手繰り寄せると、ランプの明かりで海中の獲物が見えてきた。
「結構大きいよ。タモ網を頼む!」
タツミちゃんが水中に差し込んだタモ網の中に最初の獲物を誘導すると、声を上げてタツミちゃんが甲板に引き上げた。
「シーブルにゃ!」
「次もなんか掛かってるみたいだよ」
最後に目印用のウキを引き上げた時には、甲板に出した桶に7匹のシーブルが掛かっていた。
神亀を見た時には不漁が無いと聞いたことがあるけど、確かに大した御利益だと感心してしまう。
明日は朝早くに帰投するから、道具を軽く水で洗って屋根裏に戻しておく。
その間に、タツミちゃんは魚の始末を終えたようだ。
2人で氷を作って、保冷庫に入れておく。
明日になったら、俺が氷を追加するだけで持つんじゃないかな?
「今回はこれで終わりにゃ」
「次の漁もあるんだから、それで挽回できるよ」
タツミちゃんとしてはちょっと不満なのかもしれないな。
それでも、残った上等にワインを出してくれたから、神亀との遭遇は喜ばしいことなんだろう。
翌日。タツミちゃんに体を揺すられて起こされてしまった。
眠い目をこすりながら甲板に出たんだけれど、まだ薄明が始まったばかりのようだ。
海水を桶に汲んで顔を洗って眠気を覚ます。
タツミちゃんが渡してくれた布で顔を拭いていると、箱の上に朝食が並び始めた。
「もう出来てるの?」
「さっきできたにゃ。早く食べて島に向かうにゃ」
起きたばかりだからあまり食欲はないんだけど、蒸したバナナとココナッツジュースだから、簡単に食べられるし、残しても保冷庫に入れておけば食べたいときに食べられそうだ。
粽のようにバナナの葉で包んだバナナを2個頂いて、ジュースを飲み始めた。
「まだ残ってるにゃ!」
「もう少し経ったら、また頂くよ。ずっと船を走らせるんだろう? 景色を見ながら食べるのも良いと思うんだ」
もう1個、ココナッツを割って水筒に入れておく。これも保冷庫に入れておけば冷たいジュースが飲める。
お茶を沸かしているけど、冷めるには時間が掛かるからなぁ。
ジュースを飲み終える頃には、すっかり明るくなった。タツミちゃんが食器をかたづけて操船櫓に上るのを見て、急いで屋根を歩いて船首に甲板へ向かう。
タツミちゃんが操船櫓から顔を出して手を振るのを確かめると、アンカーを引き上げる。
引き上げ終わりの合図をすると、直ぐにカタマランが動き出した。
あちこちにカタマランが停泊しているが、まだ延縄をンがしている船はいないはずだ。
ガリムさんの船に近付いて手を振ると、ガリムさんが甲板から手を振ってくれた。
「さあ、急いで帰ろう!」
「2ノッチ半に速度を上げるにゃ!」
一気にカタマランが速度を速めた。
長い航跡がうしろに伸びている。その先には点々と船団の船が見えた。




