P-052 豪雨の中で
豪雨の中での釣りは当たりが取りにくいし、竿を伝ってくる雨水が手に伝わってくるからあまりいい気分にはなれない。
これも生活のためだと思えば少しは気も楽になるのかな?
タツミちゃんもタープの中に入って、竿先が舷側から少し出ているぐらいだから、やはり雨は嫌いなんだろうな。
全く釣れないわけではない。
たまにバヌトスと呼ばれるカサゴの仲間やコブダイのようなブラドが掛る。
大きさは、中型としては小さいけれど30cmは超えているから漁果として計上できそうだ。
お茶を飲みながら、竿を先を上下させていると、突然強い当たりが来た。
グーンという感じの引きは、青物特有のものだ。
ハリオの大物、もしくはシーブル辺りかもしれないな。
ドラグ付きのリール竿だから、ドラグがギーギーと鳴り始めた。ドラグを締めて、道糸の出を抑えながら獲物を引き寄せる。
「大物かにゃ?」
「シーブルだと思うんだ。タモ網を用意してくれ!」
タツミちゃんが急いで仕掛けを巻き上げて、タモ網を手に俺の隣にやってきた。
だんだんと巻き取るのが容易になる。
どうやら、力尽きたようだ。
豪雨に身を乗り出して、タツミちゃんの持つタモ網に魚を誘導すると、「エイ!」と声を上げてタツミちゃんがタモを引き上げた。
甲板でバタバタ騒いでいる魚は、グルリンじゃないか!
2YM(ヤム:60cm)を超える立派な奴だ。
「群れがきてるのかもしれないよ」
「今度は私も釣るにゃ!」
俄然やる気が出てきた。
ブラドの2倍で取引される魚だからね。
1時間ほどの間に、3匹のグルリン、2匹のシーブルを追加したところで,当たりが遠のいてしまった。
再び底物を釣ることになる。
昼は、蒸したバナナとココナッツジュースでお腹を満たす。
島で休んでいるときは昼食はあまり食べることはないのだが、漁をしているときは別だ。
簡単な食事でも、食べたほうが力が出る。
竿先を睨みながら食事をとっていると、突然豪雨が止んで強い日差しが現れた。
みるみる空が晴れていくんだが、今更曳き釣りをすることはないだろう。
やるとするなら、素潜りだろうね。
中途半端な時間だから、銛の練習を兼て潜ってみよう。
屋形の中に入ってサーフパンツにラッシュガードを着ると、向こうから持ってきた銛を屋根裏から引き出した。
「素潜りをするにゃ?」
「銛の練習を兼てだよ。ブラドが釣れたから、かなりいるんじゃないかな」
「明日は帰投するからおかずが増えてもだいじょうぶにゃ」
「あまり期待しないでほしいな」
まだまだ銛の腕が一人前と覇言えないからねぇ。どうしても突き損じが出てしまう。
それを減らす上でも、練習は続けるしかないだろう。
フィンとマスクを着けて海に飛び込む。
水深は深いところでも5mほどだ。
サンゴはあまり発達していないが、ごつごつした岩が砂地から突き出している。
シュノーケリングをしながら、岩に着いた魚を物色する。なるべくなら大きい方が突きやすい。
手ごろな獲物を見つけたところで、息を整えながら銛のゴムを肥立ち手で引いて銛の柄を握る。
銛を突き出すようにして潜ると中型のブラドの頭にめがけて銛を打つ。
銛が手の中を滑っていくと、すぐに強い振動が手に伝わってきた。
先ずは1匹。良い感じに付けたぞ。
銛先は少し胴に寄っているけど、エラより前だからおかずにしないで済む。
浮上してカタマランに泳ぐと、銛先から獲物を外して甲板に投げ込んだ。
手を振ってくれるタツミちゃんを後にして2匹目を狙う。
2時間ほど素潜り漁をしてブラド3匹とバヌトスを1匹手に入れた。おかずになる魚はブラド1匹に抑えたから、自分としては満足できる。
いつもこれぐらいだったら良いんだけどなぁ……。
「今度は延縄を引き上げよう。グルリンの群れが来てたから、1匹ぐらいはグルリンが掛ってるかもしれないよ」
「魚を捌くのはそれからにするにゃ。少しウキが離れてるからカタマランを寄せるにゃ」
だいぶ日が傾いてきたから、引き上げるのは早い方が良いだろう。
タツミちゃんが操船櫓に上がっていくのを見て、急いで船首へ向かう。
動かす前にアンカーを引き上げなければならない。
アンカーを引き上げて、操船櫓に手を振るとカタマランがゆっくりと後進を始めた。
前進よりも舵取りが難しいようだが、器用にやってのけるんだよなぁ。
今度は甲板に急ぐと、ギャフを取り出す。
近づいてきた目印用のウキの下を払うようにしてロープを引っ掛けた。
今日は最初のウキにアンカーを結んでいなかったから、延縄を引き上げるのにカタマランを動かす必要がない。
再び船首に戻るとアンカーを投げ入れる。
この辺りの海底は変化に乏しいから、夜釣りはあまり期待できない。
場所を変えずに、今夜はここで夜釣りをしよう。
タツミちゃんと一緒に、延縄の道糸を引きあげる。
道糸は太いものを使ってはいるんだが、大物が暴れたら指を切る可能性も否定できない。タツミちゃんがグンテをしているのを見て一安心しながらの引き上げだ。
「かなり重そうにゃ!」
「仕掛けが長いからね。少し曳いてる感じだから、何匹か掛かってるみたいだ」
笑みを浮かべたタツミちゃんがタモ網を用意している。
しっかりと腰に棍棒を差し込んでいるけど、大物かどうかはまだわからないぞ。
4本目の枝張りがピンと張っている。
引き上げようとする道糸にも時々強い引きが伝わってきた。
先ずは1匹目だな。何が掛ったんだろう?
ゆっくりと枝張りのハリスを引き上げる。たまに手にしたハリスが伸びていくけど無理は禁物だ。
再びハリスを引き上げると黒々とした魚体が見えてきた。
「大きいぞ。タモを入れてくれ!」
タツミちゃんが海面に差し込んだタモ網に魚体を誘導すると、勢いよくタツミちゃんがタモ網を引き揚げた。
船尾の板まで引き上げて、甲板に引き摺ると棍棒で頭をポカリ。
良い音が聞こえてきた。
「大きいにゃ!3YM(ヤム:90cm)近くあるにゃ」
「まだまだ掛かってるぞ。次の枝張りにも何か掛かってる」
12本の枝張りに、掛かった魚は4匹だった。全てシーブルだったのはちょっとがっかりだけど、今度の漁はどうにか不漁を免れた感じがするな。
延縄仕掛けを全て引き上げて一息ついた時には、甲板が夕日で染まり始めていた。
ランプに光球を入れて、延縄仕掛けの潮を軽く洗い流しておく。
タツミちゃんは夕食にお準備を始めたから、暇になった俺は館の屋根で周囲の状況を眺めることにした。
近くに2隻停まっているんだが、まだ延縄の引き上げをしているようだ。
延縄は単純な仕掛けではあるけど、枝針の数や間隔、それにハリスの長さが微妙に異なるらしい。
ガリムさんなら仕掛けと結果を確認して、最適な仕掛けを探そうとするかもしれないな。
友人達も一緒になって、酒を飲みながら討論する姿が脳裏に浮かんできた。
日が落ちる前に甲板に戻ると、タツミちゃんが手カゴのような小さな木箱を渡してくれた。
「炭が入ってるにゃ。いつも咥えているけど、たまには火を点けてみるにゃ」
「パイプ用の火種ってこと?」
うんうんと頷いているから、向こうの世界にあった煙草盆というものと似たものかもしれない。
真鍮製の小さな容器には灰の中に火のついた炭がある。バナナの茎を乾燥させたものを使って炭からパイプに火を移すのだろう。
まだ18を過ぎたばかりなんだけどねぇ……。
この世界では、向こうの世界の決め事が正しいとは限らないんだよなぁ。
とりあえず受け取って、パイプから煙を出しておけば良いのかもしれない。
「ありがとう!」
タバコ盆を受け取って、ベンチの端に腰を下ろし、バゼルさんの姿を思い出しながらパイプを使ってみることにした。
パイプに火を点けて吸い込んだ瞬間、思わず咳込んだのはどうしようもない。
こんな代物を、美味そうに楽しむのが大人ということなんだろうか?
バゼルさんは形だけでもと言っていたから、ある種の通過儀礼なのかもしれないけど……。
これは、ちょっと馴染めないな。
とはいっても、氏族の成人男性である印でもあるようだ。
肺に入れない様に注意深く吸い込んで、口先だけで煙を上げることにした。
夕食を頂いて、今度は夜釣りを開始する。
オカズに分類されたブラドの切り身が餌なんだけど、3枚に下ろした切り身は俺達の夕食でもあったんだよなぁ。
餌とオカズが同じ魚のものだということにちょっと戸惑いもあるけど、あまり考えないでおこう。
ぽつりぽつりとブラドが掛る。
数匹のブラドを釣ったところで、今回の漁は全て終了だ。
何となく乾期の漁に比べて獲物が少ないように思えるのは仕方がないのだろう。あの豪雨の中で漁をするのは考えてしまう。
「雨期でもそれなりにゃ。不漁ではないにゃ」
「大漁でもないけど、こんなもので良いのかな?」
「目標は1か月に銀貨3枚になれば中堅にゃ。私達は十分上回れるにゃ」
タツミちゃんに慰められるとは思わなかった。
でも、そんなことをバゼルさんも言ってたから、自分の漁の腕を確認する目安なんだろう。
タツミちゃんと2人でどうにかハードルを超えられそうだけど、本来なら俺1人で超えなければならないのだろう。
それを考えると、まだまだ半人前ということになるんだろうな。
今夜は新月なんだろうか? 漆黒の空は銀をばらまいたような星空が広がっている。
漁は辛いものがあるけど、一段落してのワインは格別だ。
翌日は、日が昇る前に起こされた。
帰投するだけだから、早めに朝食を食べて帰ることにするのだろう。
簡単な朝食を食べていると、まだカマドに鍋が乗っているのに気が付いた。
蒸したバナナを作るのかな?
昼食代わりにちょうど良いんだよね。
「島に帰ったら2日は休みだろう? その後はどこに行くのかな」
「ガリムさんが決めてくれるにゃ。でも長老が教えてくれるはずにゃ」
ガリムさんも、友人達と次の漁場を考えるってことだな。その結果を長老に報告するだろうから、俺達向きの漁場があるときには長老が教えてくれるんだろう。
となると、出発の前日にならないと分からないんじゃないか?
まあ、俺にとってはどの漁場も初めてに近いから、銛と釣竿の手入れをしておけば良いんだろうけどね。
「お茶は出発してから出良いにゃ!」
「そうだね。ココナッツを1つ割っておくよ」
食事が終わると、出発の準備を進める。タツミちゃんが操船櫓に上がって、白い旗を櫓の後ろにある竹筒に差し込んだ。
後は笛の合図を待つだけだ。船首に移動してアンカーを引き上げると、タツミちゃんに手を振る。
ゆっくりとカタマランが船が集まっている海域に進んでいく。
俺達が最後というわけではなさそうだから、船団が出発するまではもう少し間があるようだ。




