P-036 案内人はガリムさん
漁から帰った翌日の朝、目が覚めたのは昼少し前だった。
トーレさんが呆れかえって、朝食抜きの宣言を受けたんだけど、少し待てば昼食だから教育的な言葉に違いない。
「ゆっくり寝かせてやれ! と言ってのだが、本当に朝起きるのは遅いのだな」
「はあ……。その辺りは性根の問題があるのかもしれません」
バゼルさんが苦笑いを浮かべながらパイプを咥えている。
手招きされたので、バゼルさんの船に移動して甲板にあぐらをかく。
「長老達が喜んでいたぞ。それで次の行事も盛り上がるだろうとのことだ。5日後に出発することにしたから、次の漁には出ずにここで待っていろ。守り役が詳しい話をしてくれるだろう。もっとも、若い連中が知らせを持って来るかもしれん。まだフルンネすら突くことができないでいる者が多いからな」
「俺に教えることができるとは思えませんが?」
「結果を出してるだろう? お前が突いた時の状況を話してやれ。銛を教えるのは俺にも無理だからな」
それぐらいなら構わないけど、最後はゆっくり近付いて銛を打つだけじゃないのかな。
もっとも、ハリオは違った。
群れを待ち構えて、銛の上を通る獲物の一瞬先を予想して水中銃のトリガーを引いたんだよな。
フルンネとはまるで違う銛の使い方だ。魚の動きに合わせて泳げないから、そんな銛の使い方になってしまったんだが……。
「出発まで銛を研いで準備します。確か、5日程度の航海なんですよね?」
「片道2日で漁が2日、都合6日になる。今回シメノンを釣った漁場の先になるが、漁は素潜り限定になる」
若者がカタマランを手に入れて、妻を娶った祝いとなる行事だからだろう。
漁果を気にせずに、若者の腕を競うということになるらしい。
「引率はガリムに決まった。ナギサより1つ上だが、腕の良い若者だ。あの近辺の漁場なら十分引率ができるだろう。カルダスもようやく手が離れると喜んでいたぞ」
「今回の参加者が、そのまま船団を作ることになるんでしょうか?」
「そう言うことになるな。ガリムのことだから、将来を案じて眠れない夜が続くに違いない」
ちょっと気の毒になってきたけど、それが周囲の人達からの評価ということになるなら、十分に誇れることだと思う。
他の船団と比べて漁果が少ないと評価されても、まだ若いんだから仕方のないことだろう。
漁法は色々とあるんだし、氏族の島の近くには良い漁場がたくさんあるはずだ。
他の船団の動きを見ながら、他の船団の後で漁をするのではなく先を制した漁をすれば良いんじゃないかな。
「ガリムもナギサを評価しているとカルダスが教えてくれたぞ。案外早く、ナギサを訪ねて来るかもしれんな」
「あまり力にはなれない気もしますが、相談を聞くことはできます」
「それで十分だ」
トップは案外孤独だと誰かに聞いたことがある。
陸上部の先輩が言ったのだろうか?
部長の成績が振るわない理由を、尋ねた時だったのかもしれないな。
誰かに吐露できれば良いのだろうが、それができない場合は自分を追い詰めてしまうらしい。
「良い相談役がいないんだよなぁ……」と言葉を繋げたのを思い出した。
解決はできなくとも悩みを共有できる者がいるだけで、精神的に追い詰められることが無くなるらしい。
ガリムさんがそんなことにならなければ問題はないんだろうけど、ネコ族の人達は真面目だからなぁ。自分に与えられた役目をきちんと果たすために努力しているようだ。
適当に役目をこなすということができない種族らしい。
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2日間の休養を終えたバゼルさん達は、俺達に見送られて漁に出掛けて行った。
行事まで残り3日もあるけど、とりあえずすることがない。
曳き釣り用のリール竿を作りながらのんびりとタツミちゃんと過ごすことになりそうだ。
「しばらくだ!」
舷側からの声に、海に目を向ける。
笑みを浮かべたガリムさんがザバンに乗っていた。
「こちらこそ、しばらくです。上がってください!」
「いや、連絡だけだ。今日の夕暮れ時に浜で焚き火を囲む。婚礼の航海の相談だから、必ず来てくれよ。嫁さん達も別の焚き火を囲みながら食事を作るらしい。そっちはエミルに頼んであるから、別に連絡が来るだろう。じゃあ、夕方にまた会おう!」
俺達に手を振ると、直ぐに別の桟橋を目指してザバンを漕いでいった。
なるほど、船団を率いる役目は大変だ。
タツミちゃんが立ち上がって、麦わら帽子を被ると「出掛けて来るにゃ!」と桟橋を歩いて行った。
知らせが来る前に聞きに行くんだろうか?
それはそれで良いことなんだろうけど、相手からしたら自分の船で待っていて欲しいんじゃないかな?
今夜か……。
ココナッツ酒を飲みながら、航海の概要を教えてくれるんだろうな。
今まではバゼルさんに従って後を付いて行った感じだが、これからは船団の一員としての行動になるのだろう。
あまりバゼルさんとは一緒の漁ができないかもしれないけど、リードル漁は一緒だとトーレさんが力説してくれたからね。
シドラ氏族の中では、バゼルさんの家族の一員として認識されているみたいだ。
嬉しそうな顔をしながらタツミちゃんが帰ってきた。
直ぐに昼食の準備を始めながら、今夜の集まりについて詳しく教えてくれた。
どうやら、夕食の準備を今回参加する嫁さん達で行うらしい。
当然タツミちゃんも参加するとのことだけど、最年少ということだった。2つほど上だと言っていたから、俺と同じ年代になるのだろう。
「皆で銅貨10枚ずつ持ち寄って夕食の準備をするにゃ。日が傾き始めたら私達は準備を始めないといけないにゃ」
「俺は、夕暮れ時で良いのかな?」
「ガリムさんの友達が焚き火の準備をしているにゃ。友達も大変にゃ」
幼いころからの友人達なんだろう。ガリムさんの出世を一緒になって祝ってくれているに違いない。
「手伝いに向かわせると言ったら、断られたにゃ。夕暮れが始まってからでも、だいじょうぶにゃ」
「ありがとう。それにしても人数が多いんじゃないかな?」
「ギョキョーが大鍋を貸してくれたにゃ。ココナッツのお椀は、最後は焚き火で燃やせるにゃ」
確かに木の実だからねぇ。
そうなると、今夜は遅くまで飲むということになるんだろうな。
出発に前日でないのは、皆が二日酔いになるってことなんじゃないか?
昼食の団子スープを頂きながら、南の海に目を向ける。
どんな漁になるんだろう?
不漁は嫌だけど、人並みには獲物を持ち帰りたいところだ。
午後は時間つぶしに、真鍮製の船具を油を付けた布で磨き上げることにした。
真鍮以外にも滑車や蝶番があちこちにあるから、それらにも油を差しておく。
大事に使えば、次にこの船を使う人だって大事にしてくれるだろう。
「先に行くにゃ!」
「ああ、よろしく頼むよ。あまり前に出ずに皆の言う事を聞いていれば良いんじゃないかな」
「それ位、分かってるにゃ。他のお嫁さん達は皆シドラ氏族の出にゃ」
タツミちゃんはトウハ氏族出身ということだからだろう。ある意味俺と同じく新参者だ。シドラ氏族の風習はトーレさん達が教えたんだろうけど、教えきれるものでもないだろう。
年が下であることを上手く利用すれば、皆から可愛がってもらえるんじゃないかな。
日差しが強いから麦わら帽子を被って、俺に手を振りながら桟橋を歩いて行った。
浜に目を向けると、同じように麦わら帽子をかぶった一団が見える。
何か、男達に指示しているようにも見えるんだけど、あれがガリムさんの友人の嫁さん達なんだろうか?
船の上では何もせずに漁に専念するだけなんだけど、島に戻ると嫁さん達に頭が上がらないのはどこの世界も同じみたいだ。
とりあえず、もう少しで磨き終えるから頑張ろう。
どうにか終わると、船尾のベンチに座りパイプを咥える。
ニッキに似た香りが心地良い。
とは言っても、男なら自分の船を持って酒を飲みタバコを吹かすというのは、どんなものなんだろう?
いつの間にかネコ族の慣習になったらしいんだけど、それを是正しないところが面白いところだ。
タバコに火を点けずに持っていれば良いとか、酒が飲めなくともカップには酒を入れておくという対策まで考えているんだよねぇ。
やがて夕暮れが始まる。
水平線から、太陽1個分上になるころを見計らって、ベンチから腰を上げた。
すでに砂浜では大きな焚き火が作られている。
目標が明確だから、場所を間違えることは無さそうだ。
「やっと来たな! ナギサが来たから、残りは1人だな」
「もっと早く来るべきだったんですか?」
「いや、ナギサの時間で丁度良い。こいつらは待ってられなかったんだ」
ガリムさんが焚き火を囲む連中に笑みを浮かべながら視線を移す。新たに船を手に入れたのは4人の筈だが、少し多いんじゃないか? 10人を超えている。
「婚礼の航海は年に1回だ。雨期に船を手に入れた連中もナギサ達と同行することになる。それと俺の友人達だな。漁によっては同行してもらうことになるから顔見せを兼ねてるんだ」
「素潜りだけなら、ガリムで十分なんだがなぁ……」
友人の一言に頭をかいているところを見ると、それぞれ得意な漁法があるということなんだろう。
そんな友人を持っているということだけで、ガリムさんを尊敬してしまうな。
「オッ! 最後の1人がやってきたな。これで全員が揃った。先ずは、前祝といこう。エミル、準備をしてくれ!」
近くで別の焚き火を囲んでいる女性達に声を掛けると、3人の女性が俺達にカップを配り、ココナッツ酒を注いでくれた。
初めて見る女性達だけど、ガリムさんの嫁さんに、友人達の嫁さんなんだろうな。
「全員、手に持ったか? それじゃあ全員立ってくれ。龍神様に豊漁を祈願して……、乾杯!」
俺達が立ったところで、2つのカップを持ったガリムさんが、龍神に祈願したところで、1つのカップの酒を砂に撒いた。俺達は最後の乾杯の合図でカップをあおる。
ふと、隣の焚き火をみると女性達もガリムさんの言葉に合わせて乾杯しているようだ。
「さて、後は食べて飲むだけだ。料理は追々出てくるだろうから、先ずは改めて酒を注いでくれ」
大きなポットが回ってきた。
あまり飲むと明日に響くから、半分ほど注いだところで隣に回しておく。
「明日と明後日は十分に体を休めてくれ。3日後の太陽の出を合図に島を出発する。
先頭は俺になる。赤の吹き流しを付けるから、遠くからでも分かるはずだ。殿は、友人のベネルトに努めて貰う。白い吹き流しを付けて貰う。
今回の参加者は7組だ。順番は特に指定しないが、ベネルトの指示に従ってくれ。
何か問題が起こったら、赤い旗を振りながら笛を3回吹いて欲しい。
間隔が空いて、俺達に笛の音が聞こえないかもしれない。笛が聞こえたら、白い旗を振って笛を2回だ」
「紅白の旗は、自分で用意するんですか?」
「長老が用意してくれた。この航海が終わってもそのまま使ってくれ。笛の合図は他の船団も同じだからな」
焚き火を囲む中から、質問が飛んできた。
予想された質問なのかもしれないな。きちんと答えてくれた。
旗と笛を組み合わせて状況を伝達するのか。無線もスマホも無いから、そんな方法を考えたのかもしれないな。




