P-022 曳き釣りの獲物は大きい
右舷に張りだした竿が踊り出した。バゼルさんが素早くベンチから腰を上げると、右手で道糸を摘まみ、竿の手元にある棒の紐を外す。
右手の指に沿わせた道糸が途端にするすると伸びていく。
「結構大きいな。ナギサ、そっちの仕掛けを取り込んでくれ!」
「了解です!」
急いで仕掛けを手繰り寄せる。
甲板に道糸を投げ出すようなことはせずに、皿のようなザルに丸くなるように手繰り寄せる。
次に投入する時に絡まらないようにしておかないとね。
仕掛けを引き上げたところで、バゼルさんの様子を眺める。竿を使わずに腕を使って魚と駆け引きをしているようだ。
確か仕掛けは竿の先端のフックに掛けておいたはずなんだが……。
竿先を眺めててすぐに気が付いた。竿尻を見て納得だ。
あの棒は竿を回転させるためにあるようだ。竿を回転させれば竿先のフックから簡単に道糸が外れるようにしてあるみたいだな。
だけど、手を使うんでは魚とのやり取りは経験がいるだろう。
俺が曳き釣りをする場合は、短くて頑丈な竿に大型リールを付けておきたいところだ。
竿の弾力が初心者である俺を助けてくれるに違いない。
「上がって来るぞ!」
「タモでだいじょうぶかにゃ?」
「ギャフの方が良さそうだ!」
操船櫓からサディさんが下りてくると、操船老の横の木組みに差し込んであるカギの付いた棒を取り出した。
「魚のエラ付近にこれを刺し通すにゃ。エイ! て引けば簡単にゃ!」
俺にギャフを渡してくれた。
どんな使い方をするのかはテレビで見たことがあるけど、使ったことなんて1度もない。
とりあえずやってみるか……。逃がしたら謝るしかなさそうだけど。
いつの間にかカタマランの速度が落ちている。舷側に立ってギャフを海中に突っ込んだが、船の進む流れに持っていかれることは無いようだ。
足を踏ん張って、ギャフを両手で支えながらバゼルさんが魚を引き上げるのを待つ。
やがて海中に魚が見えてきた。
魚の背は青黒いはずだから、釣り針を外そうと体を捩っているから、たまに白く見える。まだまだ深そうだが、取り込みは時間の問題かもしれない。
だんだんと紡錘形の姿が見えてくる。かなり大きい、60cmは越えていそうだ。
じっとギャフを構えてその時を待つ。
やがて、魚が海面に口を出したその時! 「エイ!」と大声を上げて魚の鰓付近にギャフのフックを差し込んだ。
バタバタともがく魚を力任せに甲板に引き揚げると、サディさんの棍棒が魚の頭に炸裂する。
途端に魚の動きが止まった。
ちょっと甲板が血に塗れてしまったのは、フックの掛けどころが悪かったのかな?
「中々良いところにギャグを打ち込んだな。次も頼むぞ!」
「結構大きかったですね。次も頼みますよ!」
「任せろ! と言いたいところだが、こればかりは運頼みだからなぁ。そっちの仕掛け流してくれ。次を釣るぞ」
「了解です!」
先ほど引き上げた仕掛けを再度海に流していく。
今度はどっちに食い付くかな?
昼食を取ると、カタマランを回頭して今度は西に向かって曳き釣りをする。
昼食も船を走らせながらだし、途中で魚が食い付いたから食事を中断して取り込むような騒ぎだ。
とはいえ、家族が力を合わせて漁をするのは楽しくもある。俺も一緒に騒いでいるんだから、バゼルさんの家族同様の付き合いができるようになった、ということなんだろうな。
日が傾く前に、朝方仕掛けた延縄を引き上げる。
少し小型だけど、曳き釣りで釣れた獲物であるシーブルが掛かっていた。
「曳き釣りで4匹、延縄で5匹は余り良い漁果ではないな。夜釣りを頑張らねばなるまい」
「出来るかにゃあ。あの雲は雨雲にゃ!」
船尾のベンチに腰を下ろしたバゼルさんがパイプを片手に呟くと、トーレさんが西の空ぬ腕を伸ばして教えてくれた。
真っ黒な雲がこちらに向かってくるのが見える。
今日の日暮れは早いと思っていたのは、あの雲が太陽を早く隠していたからなんだろう。
「俺と渚で釣ることにしよう。もっとも、シメノンが出たら皆で釣るぞ」
「屋根の下なら濡れないにゃ」
トーレさんは否定的だな。ネコだけあって濡れるのが嫌いなのかな。
でも、海中に潜って漁はするんだから、その辺りの境界はかなり個人差があるってことなのかもしれないね。
まあ釣れても数匹なら、明日頑張れば良いぐらいの考えなんだろう。
夕食は、何時降りだすかと気をもみながら甲板で頂く。
停船して料理したからちょっと豪華な夕食に思える。バナナが入ったご飯にもだいぶ慣れてきた感じだ。
俺とタツミちゃんで釣り上げたカマルの切り身がスープに入っている。良い出汁が出るんだよね。
ランプを2つ甲板の上に張った屋根に吊り下げてあるから甲板の周囲はかなり明るい。
夕食が終わると、バゼルさんと俺が舷側から胴付き仕掛けを下ろして夜釣りを始める。
タツミちゃん達はトーレさん達と一緒に、甲板の真ん中でスゴロクを始めた。
50cm四方の薄い箱の中に数枚のスゴロク盤が入っているようだ。数個の駒と3個のサイコロがあるから、女性達が屋形の中で遊んでいるんだよね。
不思議と男性は一緒に遊んでいるのを見たことがない。ネコ族の女性だけの楽しみということになるのだろう。
にゃあ、にゃあと声を出してはしゃいでいるから、ついついそっちに目が言ってしまうのだが……、グイグイと腕に魚信が伝わってきた。
「来ましたよ! 結構生きが良いですね」
「……ちょっと、待ってるにゃ。これを振ったら手伝うにゃ!」
タツミちゃんがサイコロを振って駒を進めている。
直ぐにスゴロク盤の傍から立ち上がって、タモ網を手に俺の脇にやってきた。
「バッシェかにゃ?」
「ちょっと違うな。この引きはバルタックだ」
バルタックという言葉に、後ろの方で物音が聞こえてきた。
「今夜はこれで終わりにゃ。バゼルも頑張るにゃ!」
トーレさんが自分達の釣竿を出して、釣りを始めるようだ。
値の良い魚だからなぁ。トーレさん達も頑張るつもりなんだろう。
案外、曳き釣りよりも釣果があるかもしれないね。とは言っても、曳き釣りの方が獲物が大きいのは確かなんだけど、日中カタマランを進ませても釣果が10匹を超えることは稀らしい。
それなら、一カ所で胴付き仕掛けで五目釣りをしていた方が良いんじゃないかな?
2匹目のブラドを甲板に引き揚げた時だ。
滝のような豪雨が襲ってきた。
甲板の屋根の下に移動しての釣りだから、トーレさんは竿を屋形の屋根裏へ戻して、俺達の観戦をするようだ。
だけど、中々釣れないんだよね。
「今夜はこの辺で終わりにするか……。明日の漁果に期待だな」
「10匹に届きませんでしたね」
「それでも、銅貨20枚を超えているだろう。雨期の漁はこんな感じだから、カタマランを手に入れて、革袋に何もないという状態にはするんじゃないぞ」
1か月の食費が銀貨3枚程度なら、5枚と考えておけば十分だ。カタマランの修理代込みで大銀貨1枚というところじゃないかな。
その辺りの家計についてはトーレさん達がタツミちゃんに教えてくれるだろうし、俺も銀貨を何枚か持っていれば安心できる。
『クリル』で体と衣服の汚れを落としたところで、ハンモックに寝転んだ。
おもちゃのドラムを叩くような雨音だけど、疲れが俺を眠りに誘ってくれる。
翌日はからりとした青空が広がっていた。
何とか起こされる前に起きたんだけど、タツミちゃんの機嫌が悪いんだよな。
俺を起こすのを楽しんでるのかもしれないけど、ちゃんと起きたんだから褒めて欲しいところだ。
甲板に出て海水で顔を洗っていると、トーレさん達が朝食を甲板に並べ始めた。
俺より1時間以上先に起きてるってことなんだろう。
見習わねばならないけど、こればっかりはどうしようもない。
朝食を終えると、直ぐに延縄を流す。
今日も1日、漁をして過ごさねばならない。
その日の夕暮れ。
バゼルさんが他の船にザバンで出掛け、漁果の確認をしている。
小さいけれど船団を率いる者であることも確かだ。他の船の漁果が芳しくなければ漁の手段を変えようというのだろう。
「こんなものだと思うけどにゃ。1日引いても、何も掛からない時もあったにゃ」
「曳き釣りは案外難しいと聞いたことがあります。釣れる魚は大きいんですけどね」
「延縄を仕掛けて、近くの穴で釣りをする船もあるにゃ。明日はそうなるかもしれないにゃ」
今日の曳き釣りの釣果は、途中で大雨に会ってしまったから6匹だったからなぁ。回遊魚狙いだから、群れに会わないと途端に釣果が減ってしまう。
その点、サンゴ礁に中に点在する大穴で夜釣りをすると、型はそれほど大きくはないが数が出る。
釣り人も多いからね。雨さえ降らなければ、一晩で20匹ほどが釣れる。
「晴れてたら、素潜りもできるにゃ。でも場所を変えることになりそうにゃ」
「この辺りの海底は余りサンゴが繁茂していないにゃ」
そう言うことか。狙う魚と漁の方法で漁場を変えるのだろう。
夕暮れを眺めながらの夕食が始まると、バゼルさんが他の船の様子を教えてくれた。
どうやら、他の船は俺達よりも漁果が少ないようだ。
「1日で数匹も上げていない。延縄で数を少しは伸ばしたようだが、明日の曳き釣りは取りやめることにした。朝方に南に移動してサンゴの穴を狙う」
「何時も釣れるとは限らないにゃ。でもサンゴの穴なら雨でも少しは数が伸ばせるにゃ」
「そう言うことだ。今夜は雨もなさそうだから、夜釣りも期待できそうだ」
とはいえ、潮周りの良い場所だからね。ブラドやバヌトスは余り釣れないかもしれないな。
となると、回遊魚狙いもあり得るんじゃないかな? 胴付き仕掛けの内、2本バリの間隔が1.5m程もある仕掛けを試してみるか。
底物狙と中層を一度に狙えそうだ。
「場合によってはシメノンも来るかもしれん。準備だけはしとくんだぞ」
「シメノン用の仕掛けを付けて準備しておきます。竿はタツミちゃんに預けて手釣りでやってみるつもりです」
俺に顔を向けて笑みを浮かべながら頷いてくれた。
前もっての準備が整っていれば、それだけ数を上げられる。シメノン釣りは1時間も続かない短期間の釣りだから尚更だ。




