P-021 豪雨の中を南に進む
100m先も見えないような豪雨がやってきても、トーレさん達はカタマランを南に向かって走らせる。
さすがに速度は人が歩くぐらいになっているけど、慣れた海域ならコンパスを使って進むことができるようだ。
船尾から見える後続船は、どうにかカタマランであることが分かるぐらいにぼやけて見える。
衝突を避けて、晴れた時よりは少し距離を取っているようにも思える。
「それにしても凄い雨ですね」
「そうか? ナツミ様は『雨期になると島が沈没してしまうのでは』といつも心配していたらしいが、ナギサも同じなのだな」
竹を編んだゴザのようなものを、操船櫓の後ろから甲板へ屋根のような形で張り出したから、甲板に出ても濡れることは無い。
さすがに甲板にじかに座れないから小さなベンチに腰を下ろして水中銃のスピアを研いでいる。隣ではバゼルさんが銛先を研いでいた。
「雨期の雨は半日以上続くぞ。この屋根の下なら、釣りはできるが、この雨だからなぁ、ザバンの中が水桶になってしまう」
俺のカヌーは浮体だけだから、水桶にはならないけどね。
豪雨に打たれながら、獲物が届けられるのを待つのは辛いに違いない。
晴れたら素潜りで、雨が降っているなら釣りをするのは、この雨を見れば納得できるな。
スピアを研ぎ終えたので屋形屋根裏から釣竿を取り出しすと、今度は釣り針を研ぐことにした。針先が鈍っていたのでは掛かる魚を逃がしてしまう。
「オカズ用の竿だな。昔は自分で竿を取ってきたらしいが、今は商船で手に入る。釣れなくなると釣り針を変える者は多いが、釣り針を研ぐのははじめてみるな」
「銛も釣り針も鋭い方が良いはずです。でも、軽くヤスリを当てるだけですよ」
バゼルさんが笑みを浮かべて頷いてくれた。
それなりに評価してくれたんだろうな。
まだ夕暮れにはなっていないのだろうが、バゼルさんがパイプを置いて、首から下げた笛を咥えた。
鋭い笛の音が、豪雨を押して海上に放たれる。
3回目を吹くと、カタマランの速度が落ちてきたのが分かる。
無理をしないで、この場所に投錨するみたいだ。
「酷い雨にゃ。今日はここまでにゃ」
「無理をする必要はない。元々雨期の漁果は少ないからな」
6人で甲板でお茶を飲んでいると、急に雨がやんで雲間が広がる。
かなり太陽が西に傾いているから、調度良かったんじゃないかな。
オカズ用の竿を見たトーレさんが魚の切り身を渡してくれた。
早速仕掛けを投げ入れると、皆がウキの動きを覗いている。
「釣れるのかにゃ?」
「釣れれば、オカズが増えるにゃ!」
サディさんとトーレさんの会話は、夕食のオカズを釣り上げるようにというプレッシャーなんだよなぁ。
タツミちゃんが棍棒を握っているけど、そんなに大きな獲物が掛かるとは思えないけどねぇ。
急にウキが動いて水面下に消し込むように潜った。
すかさず手首を返すと、強い引きが竿を握った手に伝わってくる。
かなり大きいぞ!
ともすれば竿先が海の中に入ってしまうほどだ。道糸は3号だし、ハリスは2号を使っているから、糸を着られる恐れはそれほどない。
竿の弾力で、引きをいなしながら獲物が疲れるのを待つ。
数分にも思える格闘で、だいぶ引きが弱まってきた。サディさんがタモ網を海面に卸すのを見て、獲物をタモ網へと誘導する。
「入ったにゃ!」
バシャンという音とサディさんの大声が同時に起こる。
甲板に引き揚げられた獲物の頭を、タツミちゃんがポカリと良い音を立てて棍棒で殴りつけたから、甲板でバタバタすることはないようだ。
「ほう、かなり大きなカマルだな。これぐらいの型が纏まれば良いのだが……」
「この辺りで漁をする者がいないからにゃ。これでオカズが1品増えたにゃ」
もう1匹とは言わないようだ。
竿を布で軽くふいて家形の屋根裏に戻しておく。
「カマルは1匹1Dなのだが、燻製にすれば2匹で3Dになる。氏族の島でも釣れるが、小さいからなぁ。雨期ではカマルを専業にする漁師もいるんだぞ」
「獲物が無い時には島への帰投を1日延期して釣るのも良さそうですね」
「ああ、多くの連中がそのやり方をしている。もっとも、延縄の枝張りの長さを短くすれば、結構簡単ではあるんだがな」
延縄は、底物と上物で使い分けているってことかな?
そうなると、2つの仕掛けを作っておくことになる。およそ半年近く雨期が続くらしいから、その間にいろんな仕掛けを作らなくてはならないようだ。
「これが、延縄の仕掛けだ。俺は上物しか狙わない。1本おきに枝張りの長さを変えているのが分かるか?」
「上物と中層ですか……。中層を泳ぐのは?」
「シーブルにグルリンだ。この延縄を2本流す。長い延縄をアオイ様は使っていたらしいが、仕掛けを使って引きあげたそうだ」
たぶんロクロのような物を作ったんだろうな。
向こうの世界の知識を色々と試したに違いない。俺もそんな知識が欲しいが、都会暮らしの高校生にできることは限られているんだよなぁ……。
綺麗な夕焼けを見ながらの夕食が始まった。
先ほど釣り上げたカマルは身を解されてご飯の中に入っていた。3枚に下ろされた骨の方はスープに入っている。
オカズが増えたというよりも主食がデラックスになった感じだな。
「バゼルはオカズ釣りをしないから、しばらくぶりにゃ」
「リード達がいた頃は、賑やかな食事だったにゃ」
オカズ釣りは子供達の仕事ということなんだろうね。
それを俺に求めるということは、トーレさん達には俺が手のかかる子供に思えているのかもしれない。
実際、タツミちゃんは姪御さんだからね。子供の指導は家族や親族が行うという風習なんだろう。
その上に、氏族としての指導もあるようだ。
漁師を育てるのは氏族と種族の両者で行わているみたいだからね。
バゼルさんの息子さん2人は、長男は若手の漁師を指導しているみたいだし、次男は他の氏族の若者と一緒に母船と共に遠洋で漁をしているぐらいだ。
「雨期でもシメノン漁は行うんですか?」
「もちろんだ。もっともあまり数が取れないのは仕方がないところだがな。月に銀貨3枚を目標に漁をするんだぞ。そうすれば魔石を取り崩さなくとも暮らしていけるからな」
「リードル漁の間に、魔石1個は出ていくにゃ。船の修理を考えると、手元に金貨1枚を残しておけば安心にゃ」
無理をしてカタマランを手に入れずに、その後の暮らしを考えて手に入れるということになるのかな?
カタマランを手にするのはリードル漁を1つ終えてからとバゼルさんも言っていたぐらいだ。
漁師暮らしには不意の出費もあるだろうし、常に漁果に恵まれるとも限らないということになるんだろう。
何とかカタマランを手に入れられるだけのお金はあるみたいだけど、やはり次のリードル漁を終えてからということが良く分かる。
食事が終わると、ココナッツ酒をチビチビ飲みながら、シメノンの群れを待つことになった。
竿は2本準備してあるからタツミちゃんも待ち遠しそうに海面を眺めているんだけど、向こうにだって都合があるのかもしれない。10時頃まで待っても群れは姿を見せなかった。
「さて、そろそろ寝るか。明日は忙しいぞ。タツミも、ちゃんとナギサを起こしてくれ」
「分かったにゃ。私と一緒に起きるにゃ」
バゼルさんにうんうんと頷きながらタツミちゃんが答えているから、サディさんが口に手を当てて笑い始めた。
相変わらず朝には弱いからなぁ。でも起こしてくれるなら安心だ。この頃はハンモックから落ちないようになってきたし、結構早起きにはなった気がするんだけどねぇ。
結局は、いつものようにタツミちゃんに体を揺すられて起こされてしまった。
情けない話だけど、甲板に出て海水で顔を洗えば少しは、目が冴えてくる。でも、まだ日の出前なんだよなぁ。東の空が薄明りで星が消えているから、薄明という時刻なんだろう。
甲板ではランプの明かりの下で、バゼルさんが延縄の釣り針に餌を付けている。
十数本の釣り針だから、延縄の延長は30m程になるのだろう。もっと長いと思っていたのだが、サンゴが繁茂した場所だからだろうか?
「引き上げる時には手伝って欲しいが、とりあえず見ていれば良い。そこにあるウキにこれを繋いで下ろすんだ」
ウキはバスケットボールぐらいの大きさだ。
持ってみると、かなり軽いのに驚いた。どうやら、竹かごに布を張って樹脂を表面に塗ってあるようだ。
2mほどの竹竿が突き出て、先端に赤と白のリボンが結ばれている。目印ということなんだろうな。
広い海だから、どこに仕掛けを下ろしているか見つけるのに苦労しそうだ。
「良し、準備はできた。軽く朝食を取って漁を始めるぞ」
「他の船も一緒ですよね?」
「笛の合図で漁を始める。俺が2回吹いて、準備が終わっていなければ、長い笛の音が聞こえるはずだ」
「少し片づけるにゃ! 朝食を持って来るにゃ」
バゼルさんが甲板の端の方に、漁具を移動すると、サディさんが大鍋を甲板の真ん中に置いた。
簡単な朝食と言ってたのは、団子スープのようだ。スープの中に米粉の団子と魚肉の団子が入っている。
入っている野菜は少し苦みのある野菜だけど、色どりとしては悪くないし、繊維質とビタミンを得る手段なのかもしれない。
「昼食用にバナナを蒸してあるにゃ。夕食は獲物次第にゃ」
「頑張れると良いんですが……」
「昨日ぐらいのカマルで良いにゃ」
サディさんの言葉に、バゼルさんが苦笑いをしている。
あれほど大きなカマルはそれほど釣れないということかな?
朝食が終わると、トーレさんが急いで片付けを終えて操船櫓に上っていく。サディさんとタツミちゃんは家形の屋根の上だ。
バゼルさんの指示で、船首のアンカーを引き上げて、タツミちゃんに片手を上げると、少し遅れてバゼルさんが吹く笛の音が海上に響いていく。
「トーレ、出発だ。微速だぞ!」
「分かってるにゃ。最後のウキを投げたら速度を上げるにゃ」
目印のウキには小振りの石がアンカーとして付けられている。
ウキを投げ入れると、ザルの中に巻いてある仕掛けが次々と海の中に踊るように消えていく。
全ての枝張りが海中に消えたところで、最後のウキをバゼルさんが投げ入れた。
「仕掛けの投入はこれで終わりだ。後は引き釣りをして東に進み、昼に反転して戻ってくる」
「今度は曳き釣りの方ですか。手伝うことは?」
「舷側の釣竿の先にカギが付いてるだろう? あれにこの道糸を引っかけて仕掛けを下ろす。道糸の長さは60mはあるが、途中に目印が付いているだろう。それを海面近くに置くようにしてくれればいい。左を頼むぞ!」
指示されるままに左の釣竿に向かう。
曳き釣り用の竿は竹を割って束ねた丈夫な竿だ。2mほどの長さで普段は船首方向に折りたたんでいるが、横に動かせば舷側から張り出すことができる。
先に付いているカギと言うとこれだな。フックのような構造だ。
道糸を通して舷側に張り出して仕掛けを投げ込む。
餌釣りではなく、ルアー釣りのようだ。魚の形をしたプラグと羽を釣り針に縛り付けたような疑似餌の2種類が潜航板の先についていた。
目印まで道糸を伸ばして竿の手元に着いた棒に2回巻き付け、その上を軽く紐で巻いて結んでおく。
蝶結びだから、直ぐに解けるはずだ。
バゼルさんが俺の作業を確認して、船尾に腰を下ろしてパイプを取り出す。
向こう合わせの釣りになるから、長く待つことになるのかな……。




