P-016 リードル漁に出掛けよう
バゼルさんと数回の漁をこなしたところで、初めてのリードル漁に参加することになった。
バゼルさんの持つリードル漁専用の銛よりも、俺の使う銛は大きんだよなぁ……。
改めて銛を取り出して銛先を研ぎ直し軽く油を引いておく。
「銛の手入れをしっかりとするのは感心できる。近頃の若者は自分の銛を大切に扱わない者も多いからな」
「自分の生活を支えてくれるんですからね。この銛に宿る神を敬うには銛を研いであげるのが一番かと……」
何気ない俺の一言に、同じように銛先をヤスリで研いでいたバゼルさんの動きが止まったようだ。
さっきまで聞こえていたヤスリの音が止まっている。
ふと、バゼルさんに顔を向けると、ジッと俺を見ているバゼルさんがいた。
「この銛に神が宿ると?」
「俺の板地方の考え方ですから、あまり気にしないでください。物には全て神が宿ると爺様に教えられたんです。ですからどんなものでも大切に使えと、ましてや自分の生活を支える者であるなら尚更だと」
しばらく考え込んでいるようだったが、俺から視線を外して再び作業を繰り返した。
「その考え方は理解できなくもないが、あまり他人には話さぬ方が良いだろうな。我等シドラ氏族をはじめとしてネコ族は龍神様を信仰している。
龍神様を頂点とした神の体系が出来ているのだ。その中にはナギサが言った言葉は無いように思える」
唯一神ではないようだけど、信仰対象が限定されているということなんだろうか?
向こうの世界ではないことは確かだし、魔法だってあるんだからね。俺にも覚えられたぐらいだから郷に入っては郷に従えの言葉を実践することになりそうだ。
「以後、気を付けます」
「ああ、それで良い。だが、そんな信仰があるから物を大事にするのだな。若者達にも聞かせたい話だ」
日本人の宗教感覚だからねぇ。ましてや俺には、信心なんて気持ちはどこにもないはずだ。だけど爺様達の話を聞いていたから、いつの間にかその考え方に染まっていたんだろうな。
「どれ、これぐらいで良いだろう。銛先は何度も焚き火で炙るからなぁ。どうしても先端が鈍ってしまう」
鉄は熱してゆっくりと冷ませばどうしても柔らかくなってしまう。
それなら急冷して硬度を上げれば良いと思うんだけど、リードルから魔石を取り出す手順を変えるのは問題があるということに違いない。
たった3日間の漁らしいんだけど、その間は銛を研がないんだろうか?
「1日の漁を終えて、カタマランに戻ったら銛先を再度研ぎ直すのだ。鋭い穂先でないとリードルを深く突けないからな。ナギサもそうするんだぞ」
「そうします。銛は常に手入れですね」
満足そうな表情で頷いてくれた。
作業が終わったところで、ココナッツ酒をトーレさん達と一緒に甲板で頂き、ハンモックに入る。
明日は明後日の出航に備えての準備らしいけど、俺は全て終わっているように思える。
夜釣り用の仕掛け作りでもしながら過ごそうかな……。
翌日は、トーレさんから水くみを依頼されてしまった。
出漁前の俺の役目だから、水場を何度か往復して船倉の水瓶を満杯にする。ついでに、水くみ用の水瓶2つにも水を満たして、甲板にロープで括っておいた。
これだけでも2日分はあるんじゃないかな。
「たっぷり汲んだにゃ。これなら十分にゃ」
トーレさん達はタツミちゃんを連れて、停泊している商船に買い出しに向かうようだ。
全員がカゴを背負っているけど、どれだけ買い込むつもりなんだろう。
甲板で夜釣りに使う胴付き仕掛けを作って1日を過ごす。
すでにカヌーには銛を保持する仕掛けを取り付けてある。太い流木の先端がカヌーから少し飛び出しているけど、あれなら獲物を海水に着けることなく運んでこられるはずだ。
銛の柄の末端は、紐を巻き付けた竹筒の中に入れて安定を保つ。しっかりとカヌーの荷物固定用のフックに結び付けてあるから、これで十分だろう。
余計な荷物を全てカタマランに移してあるから、ゴムバンドでパドルが固定されているだけだ。
リードル漁を行う島はかなり大きいらしいが、途中で焚き木を積み込むと言っていた。
3日間燃やし続けるんだから、かなりの焚き木の量になるんだろうな。
そんな焚き木取りの為に、カタマランには手斧が用意されているようだ。
たまに甲板に大量の焚き木を積んでくるカタマランを見掛けるが、島で燻製を作っているからだろうね。
それにカタマランでの煮炊きは炭を使っているようだ。炭焼き小屋も島の奥の方に作られているに違いない。
夕食は何時もより大勢だ。
トーレさんの長男と次男夫婦が子供を連れてやってきた。
長男はリードで、その嫁さんはマイシャと教えてくれた。リードさんの膝で俺をジッと見ている女の子は4歳ぐらいかな? 名前はファンナというらしい。
しばらくファンナちゃんとにらめっこをしていたら、タツミちゃんがヒョイと抱き上げて家形の中に連れて行ってしまった。
次男はザネルで嫁さんの方はタニアという名前だ。まだ子供はないらしい。
バゼルさんに似て精悍な顔つきとたくましい体をしている。
嫁さん達は、肩まで亜麻色の髪を伸ばしている。トーレさん達もそうだから、ネコ族の女性の髪形なんだろうな。
いずれも美人だし、スレンダーな肢体を簡単なワンピースで包んでいる。
そういえば、シドラ氏族の女性は皆がワンピース姿だ。
極彩色ではないけれど、淡い色合いの生地は島の光景に溶け込んでいる感じがする。
バゼルさんの息子さん達とは初めての顔合わせだから、船での暮らしや漁の仕方などで話が進む。
バゼルさんは、息子さん達の話を聞きながらのんびりとココナッツ酒を飲んでいた。
「親父が仕込んでくれるなら、それなりの腕にはなるんじゃないか? だが、最後は素質があるかないかだな」
「タツミから、銛の狙いがいまいちと聞いたぞ。経験を積み重ねるしかないな。よく狙おうなんて考えて、近付き過ぎれば逃げてしまうからなぁ」
リードさん達のありがたい忠告を頷きながら聞いている。
一人前の漁師に育った子供息子さん達に、バゼルさんは笑みを浮かべている。
長男は、腕の立つ者達を率いての漁らしい。次男は他の氏族と船団を組んで漁をしているとのことだった。
俺もその内にバゼルさん以外の連中と漁をすることになるんだろうか?
それができるように、バゼルさんが俺を指導してくれるんだろうけど……。
夕食は人数が多いので、男性達は甲板で取る。女性達は家形の中での食事らしいけど、久しぶりに孫を見たのか、トーレさん達の楽しそうな声が聞こえてくる。
「へえ~、ナギサというのか。タツミがやってきたんでは、諦めるんだな。まあ、悪い子ではないから、2人でのんびり漁をすればいい」
「それにしても【聖姿】とはなぁ……。ナギサが船団を率いるのは案外早いんじゃないか?」
バゼルさんの息子さん達は、人当たりの良さそうな人で良かった。
特にザネルさんはバゼルさんの末っ子だからだろうか。弟が増えた感じに思えるのだろう。一番嬉しそうな表情をしている。
翌朝。いつものようにタツミちゃんに起こされて甲板に出て見ると、沖合にカタマランが集まっているのが見えた。
もう出掛けるんだろうか?
俺の朝食を準備してくれるタツミちゃん以外は甲板にいないんだよなぁ……。
「皆は?」
「トーレさん達は操船櫓に上がってるにゃ。もう直ぐ出航だと言ってたにゃ」
手伝いが出来なかったか……。昨夜は早くに寝たんだけどなぁ。
「何かしないといけなかったのかな?」
「特に言ってなかったにゃ。でも朝は早く起きるにゃ」
ご飯をスープに入れてかき込むように頂く。
そんな時に、笛の音が聞こえてきた。
「第2陣の出発にゃ。バゼルさんは第3陣を率いるにゃ。リードさん達も一緒にゃ」
参加する船が多いからいくつかの船団を作っているということなんだろう。
バゼルさんはそんな集団の筆頭になるのか。道理で漁が上手いはずだ。
食後のお茶を飲んでいると、屋形の屋根から笛の音が聞こえてきた。鋭く2回の音が聞こえると、カタマランがゆっくりと桟橋を離れていく。
どうやら第3陣の出航らしい。
ゆっくりと沖に向かって進むと、沖合に停泊していたカタマランが次々と後ろに並び始める。
「これでとりあえずの役目は終わりだな。明日の朝は焚き木を集めねばならん。その時は手伝ってくれよ」
「了解です。手斧がカタマランに積んである意味がようやく分かりましたよ」
船尾のベンチに腰を下ろしたバゼルさんがパイプを使い始めた。
船尾のベンチは、道具入れを兼ねている。舷側に1個ずつ付いてるんだが、真ん中にはベンチが無い。
大物を取り込む際に、船尾の擁壁の一部が取り外せるようにちょっとした工夫がしてある。
バゼルさんの話では、この状態で夜も進むらしい。
カタマランに乗った家族の数が多いには問題はないだろうが、2人では苦労するんじゃないかな。
「単調な航海だから、居眠りをする連中もいなくはない。周囲がそんな船を注意して見てくれている」
「事故はないんですか?」
「シドラ氏族が出来てから、一度もないぞ。皆、それぞれ注意しているのだろう。確かに2人で漁をする若者には辛いところがあるな」
これも風習ということになるんだろう。
俺がカタマランを持った時に、皆の迷惑にならずに航海ができるのだろうか?
早ければ、来年にはカタマランが手に入る。
色々と学ばねばならないことばかりだな……。
昼食は蒸かしたバナナとお茶になる。
船が動いているから、凝ったものは作れないのだろう。
カタマランは揺れが少ないと言っても、航行中に火を使うのは極力減らしたいに違いない。
夕食はリゾットスープのような1皿ものだ。
動かないからお腹も空かないんだけど、サディさんがココナッツのお椀にたっぷりと入れてくれた。
俺達が食事をとっている間は、トーレさんが操船櫓で舵を握っているらしい。
男女2人の場合は、男も舵を握るらしいが、2人目の嫁さんを貰ってからは嫁さん達に操船は任せるとのことだ。
「今回はタツミにも操船を任せるようだ。リードル漁の漁場を覚えて貰わないとな」
「女性も覚えることは多いんですね」
「そこは役割分担ということになるんだろうが、2人の時には手伝わねばならんぞ。とは言っても、男の操船は前に進むだけだがな」
舵は握っても、のんびりした操船だけらしい。サンゴの繁茂した区域はやらせてもらえないそうだ。
だけど、少しは操船してみたい気がするな。
自分の船を想い通りに動かせたら、さぞかし気分が良いに違いない。




