P-014 コウイカとフエフキダイ
「シメノンにゃ!」
トーレさんの大きな声に、皆が一斉に仕掛けを上げて、別の竿を取り出す。仕掛けの先に付いていたのは、餌木だったからコウイカを釣るということなんだろう。
頂いた竿にはすでに餌木が付いている。
竿を交換してリールをくるりと回す。糸巻きから道糸が出るようにしたところで仕掛けを投げた。
ゆっくりと数を5つ数えたところで、硬めの竿をしゃくるようにして糸を巻き取っていく。
何回かしゃくっていると、突然竿先を抑えるような重みが加わった。
思わず笑みを浮かべる。上手く乗ってくれたようだ。
竿をあまり動かさずに同じ速度でリールを巻き、コウイカ舷側の真下に来た時、少し竿をしゃくると墨を吐き出した。そのまま竿を掴んで甲板に落とすと、餌木から外れたコウイカが甲板を動き出す。
「釣りは問題ないみたいにゃ。どんどん釣るにゃ!」
「ええ、次も直ぐですよ!」
コウイカ釣りは、伯父さんのところに来るたびに何度も経験してるからね。次々と釣り上げてはいるんだけど、バゼルさんも器用に手釣りで追い上げてくる。
タツミちゃんも何匹か上げたらしいが、墨を吐かれたらしくポメラニアンみたいになってるぞ。
そんな釣りも、突然終わりを告げる。
全く当たりがなくなったのだ。たぶん群れが去ったということなんだろう。
俺達が道具を片付けている間も、トーレさん達はコウイカを捌いてザルに並べている。すでに2つ目らしいが、まだまだありそうな感じだな。
「ナギサ、手伝ってくれ!」
バゼルさんの手伝いとは、獲物を開いて並べたザルを屋形の屋根に並べるらしい。
一夜干しということになるんだろう。トーレさんが差し出してくれたザルを屋形の屋根に上ったバゼルさんに次々と渡していく。
ようやく終わったところで、タツミちゃんが俺に『クリル』の魔法を掛けてくれた。あちこちに付いたコウイカの墨がきれいになる。
やはり、早いところ『クリル』だけは覚えておかねばなるまい。
「大量だったな。シメノンはブラドよりも高値で売れる。運が良ければ一晩で銀貨を手に入れられるぞ」
「群れに遭遇するのはそれほど多くはないと?」
「そういうことだ。それに、先ほどで分かったと思うが、群れが去るのも早いからな。大勢で釣るのが一般的だ」
トーレさんまで仕掛けを投げていたのはそういうわけだったか。先ずは釣り上げて、その後で捌くという手順になるのだろう。
のんびりとした夜釣りだったけど、こんなハプニングも起きるんだ。
「終わったにゃ! 今夜はこれでおしまいにゃ」
トーレさんの嬉しそうな声に、俺達は甲板に集まって小さなカップでワインを頂く。
カップはココナッツのカップではなく、真鍮製のカップだった。表面に打痕がぐるりと取り巻いているから、槌で打って成型した感じだ。
よくもこんな小さなカップが作られたと感心してしまう。
翌日は、どうにか起きることができたのは、寝ている俺の顔に朝日が当たったからなんだよなぁ。
トーレさんが屋形の窓を開けてくれたようだ。たまたま船が北を向いて停まっていたのが良かったのかもしれない。
眠い目をこすりながら甲板に出ると、一服をしているバゼルさんに挨拶する。タツミちゃんが汲んでくれた海水で顔を洗うと少しはしゃきっとする。
「今日は起きられたにゃ? もう少しで朝食にゃ」
トーレさんが微笑みながら教えてくれた。隣でサディさんが噴出しているから、ネコ族の人達はさらに早起きなのかもしれないな。
「ガリムの突いた数はナギサより2匹少なかったようだ。今日は頑張るぞと先ほど告げていたぞ」
「漁は勝負事ではないような気もしますが、挑まれたならさらに頑張らねばなりませんね」
「その意気だ。食事が済んだら、南の崖に向かう。さらに潮通しが良いから、フルンネも突けるだろう。少し大きいが挑戦すると良い」
頷いてはみたものの、フルンネという魚が分からないな。
少し大きいというからには、60cmを超えているんだろうか? 水中銃のスピアは細いんだよね。先端の外れるスピアを使ってみるか……。
「銛を換えてみます。先端が外れますから柄が細くとも何とかなりそうです」
「フルンネの大型は俺の両腕を超えるからなぁ。俺もフルンネぐらいになるとこっちの銛を使うんだ」
屋根裏から引き出した銛は、俺が使おうとしたスピアと同じように先端が外れるように作られている。
銛先の中ほどにある穴に紐が通され、1mほどの余裕を取って柄の上部に結びつけられていた。
ほとんど同じ考えだと思うな。やはりカイト様達は、あの港町に住んでいた少年達に違いない。
叔父さんの水中銃と一緒にあったスピアの中から、少し先端が大きく見えるスピアを取り出した。
水中銃の丈夫な組紐状の道糸を先端の銛先から30cmほど伸びているワイヤーにスナップで固定する。
これで大物を突いても外れることはない。銛先が魚体内で横向きになるよう銛先のワイヤー位置ができているからね。
「細いようだが、相手は俺の両手ほどもあるんだぞ?」
「このスピアは魚体を突くだけですからね。この組紐は人がぶら下がっても切れないと教えてもらいました」
教えてはくれたけど、本当かどうかはわからないんだよな。最悪スピアの先端だけがなくなるだけだからシャフト部分は手元に残りそうだ。
シャフトはカーボン製だからこの世界では無理だろうけど、先端部分は何とかなるんじゃないかな。
朝食が終わると、サディさんがカタマランを南に向かって動かし始めた。その間に、マスクやフィンを準備しておく。カヌーはロープに引かれているから、タツミちゃんは手元にカゴを置いてパドルを握っている。カタマランが停まったらすぐに乗り込むつもりのようだ。
10分もせずにカタマランが停まると、バゼルさんがアンカーの石を落とす。今日の漁がいよいよ始まるようだ。カゴに大きな氷を入れてもらったタツミちゃんがロープを引いてカヌーを引き寄せている。
「上手く突くんだぞ!」
バゼルさんが俺の肩を叩いて海に飛び込んだ。
さて、フルンネという魚はどんな奴なんだろう? 疑問を持ちながら海に飛び込む。
海面に浮かんだ俺に下にカヌーが寄ってきた。銛をカヌーのアウトリガーの横木に結びつけて、タツミちゃんに手を振る。
シュノーケリングで崖を探すと、北側よりも緩い斜面が見えてきた。
傾斜はそれほどないんだが、いたるところにサンゴが隆起しているからまるで迷路のように見える。
過去の地殻変動の名残かもしれないな。
サンゴの下を探っていると、近くで動くものが見えた。
危険な奴かも! と視線を移すと、大きなフエフキダイが悠然と泳いでいる。
どう見ても1m近い代物だ。バゼルさんの言っていたフルンネとはあいつのことかもしれないな。
一旦海面に出て、呼吸を整えると水中銃を構えながら、先ほどのフエフキダイを探す。
大きな奴だからすぐに見つけることができた。
ゆっくりと左手を伸ばして水中銃に取り付けたスピアと獲物の距離を縮めていく。
トリガーを引くと同時に水中銃を右手に持ち替え、左手で伸ばしておいた組紐を引く。
とんでもない引きが左手に伝わってきた。
組紐の太さは2mmもないけれど、ポリアミド何とかいう特殊な繊維らしい。切れるより先に水中銃を持ち去るんじゃないかと伯父さんが笑っていたけど、そんな大物はサメぐらいしか思いつかないんだよなぁ。
ともすれば俺を引き込みそうな勢いがだんだんと弱くなってきた。
力づくでサンゴから引き離したところで、海上に浮上する。
シュノーケルから海水を噴き上げながら片手を振ると、すぐにタツミちゃんがカヌーを漕いでやってくる。
「大きいのを突いたよ。ちょっと待ってね」
水中銃をカヌーに乗せて、組紐を引く。
ほとんど抵抗することはないが、あの大きさだからなぁ。組紐が手に食い込みそうになりながらもゆっくりと引き寄せてきた。
「フルンネ! 大きいよ」
「どうにか突けたよ。もう少しだ」
姿を現した魚体を見て「フルンネ」とタツミちゃんが言ったから、フエフキダイはフルンネということになる。
タツミちゃんに手伝ってもらいながら、どうにかカヌーに引き上げるとすぐにカタマランに向かって漕いでいった。
カヌーのクーラーボックスには入らないからなぁ……。
さて、次を突きに向かうか。
午前中の漁が終わりカタマランに戻ってくると、女性達が魚を捌き始める。
簡単に腹開きにしたところで、竹串で形を整えて一夜干しにするらしい。
氏族の島に戻ったら、さらに燻製にして出荷するとのことだ。
「ニライカナイでは一番東の氏族になるからなぁ。トウハ氏族でも半数は燻製で出荷するようだ」
「燻製を作るのも大変でしょうね?」
「漁を止めた老人達が頑張ってくれる。鮮魚よりは少し高値で取引されるようだが、その差額は老人達の取り分ということだ」
漁を止めても、働けるうちは頑張っているみたいだな。体が動かなくなれば、氏族が生活を支えてくれるらしいから福利厚生は日本よりも進んでいるように思える。
「そんな暮らしができるのも、アオイ殿達が大陸の商会ギルドといろいろと調整してくれたおかげだろう。今ではニライカナイの方からも理事を送っているぐらいだからな。
アオイ殿が漁をしているころには、無理な要求をたびたびしてきたらしいが、今ではおとなしいようだ」
御炉より先にこの世界にやってきた人達は、ネコ族のために頑張ってくれたようだ。聖痕の持ち主であれば皆に尊敬されるようだが、蒼さん達の場合はそれだけではないのだろう。
「終わったにゃ! フルンネを2匹突けるなら、中堅以上の実力にゃ」
「俺だって2匹を突いたんだよ!」
「小さいにゃ。ナギサの半分より少し大きいだけにゃ」
そんなことを言うから、ガリムさんが俺に顔を向けるんだよなぁ。
素潜りを終えたところで、バゼルさんの船に状況を見に来たらしい。
「どれぐらいの大きさを揃えたんだ?」
「これぐらいです」
両手で大きさを示すと、ガリムさんがため息を吐いている。
「3YM(ヤム:90cm)ってことか……。俺は2YM(60cm)ぐらいだからなぁ」
「あまり気落ちすることはない。フルンネに近づく技量が無ければ突けんからな。少しずつ大きさと数を上げるようにすれば十分だ」
やはり近づかないとダメってことか。俺の場合は水中銃でごまかしているところもあるんだが、明日も同じような漁をするなら、銛を試してみるか。
この世界に溶け込もうとするなら、やはり銛の腕が必要なようだ。




