P-010 売れるように突くのは難しい
シドラ氏族の島を発って2日目の夕刻。俺達を乗せたカタマランが速度を落とした。
慎重にサディさんが海域を眺めてトーレさんに微妙な合図を送っている。
「船を停めるにゃ!」
サディさんの大声で、トーレさんが動力を切り、バゼルさんが船首の錨を投げ込んだ。
あちこちに島が見えるけど、一番近い島までは数百mはありそうだ。どんな判断でこの位置を決めたかを船首から戻ってきたバゼルさんに聞いてみた。
「この海域の海底には、東西に大きな谷が走っている。この船はその崖に面して停めてある」
「そうすると、素潜りは崖に沿ってということですか?」
「そんな感じだ。たまにシーブルやグルリンの群れが谷沿いに移動してくる。気が付いたら挑戦してみるんだな」
笑みを浮かべているところを見ると、そうそう突けないということなんだろう。
銛では無理かもしれないが、水中銃を使えば何とかなるかもしれないな。
どんな魚なんだか分からないけど、話を聞く限りにおいては青物に違いない。
夕食を終えると、早めにハンモックに入る。
明日は、朝から素潜りで夕暮れからは根魚釣りだ。
翌日。トーレさん達が朝食を作っている間に、バゼルさんを手伝ってカタマランの船首から、ザバンと呼ばれる小舟と俺の乗っていたカヌーを降ろす。
カヌーのアウトリガーは外しておいたから、海中に飛び込んで組み立てておく。
クーラーボックスに被せておいた布はそのままで良いだろう。日差しが強いから少しは日よけになりそうだ。
「あれがナギサのザバン?」
「そうだよ。カヌーって言うんだ。浮きが付いてるから簡単にはひっくり返らないと思うけど」
「あの布の中身は?」
「保冷庫と似たような箱さ。ザバンの保冷庫よりは大きいと思うんだけどなぁ」
タツミちゃんの質問攻めがしばらく続くから、バゼルさん達が笑みを浮かべている。
バゼルさんのザバンと形は違っているが、同じように使えるはずだ。
「タツミはナギサの船に乗るんだ。【アイレス】はもっているな?」
「【クリル】も持ってるよ」
朝食のスプーンを口に入れたままで答えてる。
お嬢さんというわけではないらしい。
「ナギサはお代わりはいらないのかにゃ? たくさん食べないと、たくさん突けないにゃ」
「これで十分です。素潜りが終わったら、これにスープを掛けて頂きたいんですけど」
「バゼルと一緒にゃ。ちゃんと作ってあげるにゃ」
おやつ代わりになりそうだ。
トーレさんに頭を下げると、うれしそうな表情を見せてくれた。
朝食後は、お茶を飲みながら一休み。
30分ほど休んだところで、バゼルさんが立ち上がった。カタマランの屋根裏から銛を引き出して、水中眼鏡を掛けている。足には厚手の靴下のようなものを履いている。この世界のマリンシューズなるのかな?
俺も銛と水中銃を引き出して、装備を整える。マスクにシュノーケル、マリンシューズ、それにグローブとフィンがいるから面倒だな。左足に小さなナイフも付けておこう。
「準備はできたな? 谷沿いに漁をする。根を詰めずに、休息を取るんだぞ。タツミ、その辺りはお前が面倒を見てやれ」
「分かってるにゃ。パドルはちょっと長いにゃ」
すでに水着姿のタツミちゃんは、俺の返事も聞かずに海に飛び込んでカヌーに泳いでいく。
「トウハ氏族の娘だ。兄弟と一緒に素潜り漁は何度も行っているだろう。ナギサは獲物をタツミに渡すだけで良いぞ」
「それなら、そろそろ始めないといけませんね。とりあえず出会った魚を突いてみます」
銛と水中銃を手に海に飛び込んだ。
先ずは、銛をカヌーに置いとかないとな。ある程度の数を水中銃で捕らえてから、銛を使ってみよう。
「これを預かっといてくれないか!」
「銛を使わないで、どうやって魚を突くにゃ?」
タツミちゃんの素朴な疑問に、腕を上げて水中銃を見せた。
「これを使うんだ。銛よりうまく突くことができる。それじゃあ、獲物を持ってくるね」
カヌーから離れて、シュノーケリングをしながら海底を観察する。
やはり熱帯なんだろうな。サンゴが一面に繁茂している。そのサンゴが崖に向かっている場所はすぐに見つかった。
潮通しが良ければ、大きな魚もいるんじゃないかな?
先ずは、潜ってみるか。
サンゴが繁茂している場所は水深3mほどだが、海底の谷底は8m近くありそうだ。澄んだ海水は遠くまで見通せるけど、さすがに谷の対岸を見ることができない。谷の幅は100m以上はありそうだな。
サンゴの上部には大きな魚がいないようだ。テーブルサンゴの裏を探してみると、すぐにブダイを見つけることができた。
狙いは、サンゴの裏だな。
一旦、浮上して息を整えながら、水中銃のゴムを引いてセーフティを掛ける。一応、スピアには丈夫な組紐が付いているけど、『かなり飛ぶから気を付けろ』と伯父さんが言ってた。
準備ができたところで、海中にダイブして先ほどのサンゴを探す。どれも同じに見えるんだけど、2つ目のサンゴの裏を見ると、大きなカサゴが俺を睨んでいた。
先ずは、これからかな?
水中銃を持つ左手を伸ばしながら慎重にカサゴとの距離を詰める。
3mほどの距離なら十分だと伯父さんが教えてくれたけど、近づくほどに命中率は上がるはずだ。
2mほどに近づいたところで、スピアに結んだラインをリールから引き出した。セーフティを外して、水中銃に付けられた簡易照準器を使って狙いをつける。狙う場所は、エラより少し頭寄り。頭骨があるから貫通すればスピアが外れることはない。
さらに近づいて、1.5mほどの距離でトリガーを引いた。
スピアが貫通したカサゴがサンゴの奥で暴れたけど、すぐにおとなしくなった。
笑みを浮かべながら海面に浮上する。
周囲を見渡すと、俺を見ているタツミちゃんがいた。右手を伸ばして振ると、器用にパドルを操って俺に向かってカヌーを漕いでくる。
「先ずは、これだ!」
「バッシェにゃ! バヌトスよりも高く売れるにゃ」
スピアから外したカサゴを手渡すと、形を見て喜んでいる。カサゴと違うのかな? 後でバゼルさんに聞いてみよう。
「次を突いてくるよ!」
タツミちゃんに手を振って、カヌーから離れる。
サンゴの裏手に魚が潜むことが分かっているから、水中銃のゴムを引いておく。この海域で潜っているのは俺以外にはバゼルさんだけだ。ザバンと呼ばれる船は近くになかったからセーフティは掛けずに海中にダイブした。
サンゴの裏を探ると、すぐに次の獲物が見つかる。今度はブダイだな。最初に見つけた奴かな?
3匹目をタツミちゃんに届けたところで小休止を取ることにした。
アウトリガーの雨季に腰を下ろすと、クーラーボックスから竹筒に入れたお茶を渡してくれた。
「バゼルさんはどのあたりで漁をしてるのかな?」
「バゼルさんは西もっと西で突いてるにゃ。さっきサディさんが、遠くで手を振ってくれたにゃ」
この辺りには俺一人ということだな。
次は銛を試してみるか。あまり使ったことはないけど、30cmほどのカレイを突いたことはあるんだよね。
カヌーの銛と水中銃を交換して、きちんと結わえておく。場合によってはこれが頼りだからなぁ。
15分ほど休憩を取ったところで、再び漁を始める。
今度は2mを超える銛だ。ちょっと勝手が違うけど、やることにそれほどの差があるとは思えない。
サンゴの奥で俺を睨んでいるブダイを見つけると、銛のゴムを引いて左手で握る。
腕を伸ばしてゆっくりと獲物との距離を縮めていく。
水中銃は、飛距離があるんだけど銛はせいぜい2mには満たないだろう。できれば1m以内にまで近づきたいんだが……。
目分量で距離を測って左手を緩める。銛が勢いよく手の中を滑り出してブダイに突き刺さったんだが、命中した場所は腹の少し上だった。
暴れるから周囲に血が流れていくのが分かる。無理やり引き出して海面に向かった。
「当たり所が悪いにゃ」
「次は上手くやるよ」
タツミちゃんのクレームも理解できる。素潜りは遊びではなく仕事なのだ。売れる魚を売れる状態で突かなければならない。次はもう少し頭の方を狙ってみよう。
昼過ぎまで銛で魚を突く。最初よりは少しマシになったかもしれないが、まだまだ突く場所が一定しないんだよなぁ。
練習を繰り返せば狙った場所に当たるんだろうけど、その域に達するまでにはしばらく時間が掛りそうだ。
カヌーがカタマランに寄ったところで、甲板にわたりカヌーの舳先に結んだロープを舷側に結びつけた。
カヌーの船尾のロープは結ばずに、カヌーの横をもってタツミちゃんが下りる補助をしてあげる。
「たくさん取れたにゃ!」
「いろんなのがいるにゃ。これは夕食にゃ!」
タツミちゃんが、クーラーボックスの中に入れたカゴを甲板に下ろして、トーレさんに披露している。
夕食用というのは、腹を突いた奴だった。やはり突く場所を選ぶことになるんだな。
「7匹は中堅の腕だが、突く場所が安定してないな」
「銛を使い続けるだけです。経験である程度は治せると思っています」
俺の答えに笑みを浮かべると、バゼルさんは隣に座るように片手でベンチをトントンと叩いた。
俺が座ると、トーレさん達にパイプを向けて話を始める。
「突いた魚はすぐに開いて干すんだ。銛の傷跡を小さくするように俺達の銛は返しが小さい。ナギサの銛の返しは大きいから、目に余るものを夕食のおかずにするようだな」
「返しを小さくしなければなりませんね。でもそうすると大型を突くのが難しくなりますよ?」
「銛を換えることになるな。俺もこの銛以外に大型用を持っているし、トーレ達もこの銛より少し小さめの銛を持っているぞ」
俺の銛先はチタンだったんじゃないか? 叩いて返しの開きを小さくできないと困ってしまうな。
「微妙な加工は島にやってくる商船のドワーフがしてくれるはずだ。今回の漁が終われば、それぐらいの加工賃は出せると思うぞ」
「なら、頑張らないといけませんね。午後は底釣りですね」
バゼルさんが頷くことで答えてくれた。
目の前に、昼食の皿を持ったサディさんが現れたので、俺達は船尾のベンチから腰を上げて甲板に胡坐をかく。
簡単な食事だけど、米が主体の料理だから俺の味覚にも合うんだよな。少し香辛料が強い気もするけど、夏の暑さが続く日々の食欲増進を兼ねているんだろう。




