P-007 シドラ氏族の一員に
「そうか! カヌイの婆様達は賛成してくれたんだな?」
トーレさんからカヌイのお婆さん達の話を聞いて、バゼルさんが膝を叩いて喜んでくれた。
「後は長老達になるが、カヌイの婆様達が賛成しているなら何の問題もないだろう。先ずは、夕食だ。食事が済んだところで出かけてこよう」
俺達が出掛けているときに、サディさんが夕食を作ってくれたらしい。
甲板に食器を並べて、大きな鍋に入ったリゾットのようなものを出してくれた。
少し酸味が強い料理なんだけど、この暑さだからねぇ。日が沈んでだいぶ涼しくはなっているけど、腕時計の気温は28度を示している。
食事が終わると、ココナッツジュースをお茶代わりに出してくれた。バゼルさんはココナッツジュースに酒を入れて飲んでいる。
この地方の一般的なお酒の飲み方なんだろうけど、ジュースが少し甘いから親父達は遠慮するだろうな。
「さて、出掛けようか。氏族に加えてもらえたなら、俺の船で暮らせばいい。自分の船を持つのはしばらく掛かりそうだが、5年もすれば手に入るだろう」
甲板から腰を上げたバゼルさんの後に付いて桟橋を歩く。
カタマランが5年で手に入るなら、漁師生活はかなり楽な仕事に思えてしまう。
途中の海で突いた魚は一体どれぐらいの値で売れるのだろう。この世界の魚は高額で取引されているようにも思えないんだけどね。
砂浜をトロッコの木道に沿って歩き、カウンターの付いたログハウスの脇に作られた森に続く道を歩く。
緩やかな上り坂を50mほど歩くと広場に出た。
広場の周囲にいくつかのログハウスが作られており、さらに奥に続く道もあるようだ。
「あの大きなログハウスが長老達が住む建物だ。氏族の話は全てここで行われる」
バゼルさんの後について建物に入ると、大勢の男達が奥に作られた大きな囲炉裏の片側に腰を下ろしていた。
囲炉裏の奥に5人の老人がいるから、彼らが長老になるのだろう。その左手にいる3人ほどの男性がいるんだが、何か役目を持った人達なのかな?
「バゼルではないか。どうした、人間族の少年を連れて?」
長老の1人が、問いかけてくる。
囲炉裏の右手に少し距離を置いてバゼルさんが腰を下ろす。俺のTシャツを引っ張って同じように腰を下ろすように伝えてきたので、バゼルさんの少し後ろに胡坐をかいて座る。
「南東の海域で、漂流しているところを拾った。この世界のことを知らぬようだが、自分の身の回りはどうにかできる。商会に頼んで大陸に送ろうと思っていたが、人間族は排他的だからなぁ。その日の飯も食えぬようになるのは忍びない。
漁を手伝ってもらったが、それなりに銛を使うことができるようだ。この少年、名前はナギサと言うんだが……、この島で暮らすことを許してもらえんだろうか?」
「お願いします!」と最後に俺が頭を下げる。
長老は俺に視線を向けて笑みを浮かべているけれど、長老の前にずらりと並んだ男達は、不審な目で俺を見ているようだ。
「漂流している人間族を我らネコ族の仲間にしたことは過去にも例がある。カイト様にアオイ様達の話は誰もが知っておるし、2人とも長じてはトウハ氏族の長老としてニライカナイの氏族全員の信頼を集めておる。それに、人間族が突然我らの海域に現れたとなれば、龍神様の何らかの導きとも考えられる話じゃ」
前例があるってことか。その2人が多大な貢献をしてくれたことに感謝だな。
「この場に来る前に、トーレに頼んでナギサをカヌイの婆様達に合わせている。ナギサ、服を脱いで背中を長老に見せてやれ」
この傷跡を見せるってことか?
疑問に思いながらも、ラッシュガードを脱いで長老に背中を向けた。
「聖姿!」
「いや、伝えられた聖姿とは少し異なるぞ。尻尾の向きが逆で、前足の位置も異なっておる……」
「それで、婆様達は何と!」
男達が俺の背中を見て口々に話を始めた。
やはりこの傷を聖姿というんだな。単なる事故の傷跡なんだけど、不思議なことに親父達は、どんな事故に遭ったのかを教えてくれなかった。
人には教えたくない事故ってことなのかもしれない。
「聖姿に次ぐ印、と見ているようだ。年代の割に獲物を突くことも、そう思えば合点がいく」
「なら、なおのこと我らの仲間とすべきじゃろう。ネコ族には2人の聖痕の持ち主がおる。それに聖姿に次ぐ印を持った人物が加われば、ますます発展するじゃろう」
「氏族に加えることを許可いただけると?」
「うむ。ナギサをシドラ氏族の一員とする。とはいえ、漁は1人では出来ぬ。妻を娶るまでは、バゼルに任せるぞ。我らの漁をしっかりと教えてほしい」
ほっとした表情で、男達の表情を眺める。
小声で話し込んでいる者やじっと俺を見ている者もいるけど、きつい目で見ている者は1人もいない。
長老が決めたことには、黙って従うということなんだろう。
「漁の腕は、俺も1度見ておきたい。聖姿に次ぐ印のご利益も気になるところだ」
ずらりと並んだ男達の右端から声が上がった。あれは確かカルダスさんだ。
「それも良かろう。ご利益があるかどうかは、あまり期待はできぬな。だが、他力本願では漁果が伸びんぞ」
長老が笑いながらカルダスさんに答えている。
だけど、傷跡にご利益があるなんて信じられないし、そもそも俺の突いた魚は水中銃で捕らえたものだ。
銛を使っての漁は、数えるばかりだからねぇ。
「明後日ではどうだ? カルダスの末っ子と競わせるのもおもしろそうだ」
「年代も同じぐらいか……。銛を研がせておこう」
いつの間にか、部屋の中が賑やかになってきた。
2人の勝負の行方を話し合っているんだろうけど、そもそも勝負になるかどうかも怪しいところだ。
とはいえ、相手の半分ぐらいを目標に頑張ってみよう。
バゼルさんに倣って長老に頭を下げたところで、建物を後にした。
ちょっとほっとした感じだけど、これで俺もシドラ氏族の一員ということなんだろう。実感がまるでないけど、この島で暮らせるならありがたいと思わねばなるまい。
桟橋を歩き、バゼルさんのカタマランに着くと、真っ先にトーレさんが「どうだった?」と聞いてきた。
「ナギサは俺達の氏族の一員だ。船を持つまでは面倒を見ることになるが、子供達が巣立っているから丁度良い」
「良かったにゃ。その内に、良い嫁さんが見つかるにゃ」
トーレさん達は自分のことのように喜んでくれた。
そうなると、漁の成果で恩返しをすることになりそうだ。
「明後日、カルダスと一緒に漁に出る。聖姿に次ぐものとカヌイの婆様達が言った以上、筆頭としても確かめる必要があると思ったんだろう」
「カルダスと比べたら気の毒にゃ」
「末っ子と競わせると言っていたぞ」
バゼルさんの話にトーレさん達が俺に視線を向ける。
しばらく見ていたけど、頷いたところでココナッツを割って渡してくれた。
「まだまだ腕がいまいちにゃ。ナギサの腕を見て驚くにゃ」
「1か月もすれば、リードル漁にゃ。それまでに銛を作ってあげないといけないにゃ」
急にサディさんが話を変えたけど、リードルってどんな魚なんだろう? 俺の持ってきた銛は見てるはずなんだけど、あの大物用の銛ではだめだということか?
「そうだな。ナギサにとっては最初の漁だ。2本作ってやろう。相手の動きはあまりないんだが危険な奴だからな。ナギサの銛では長さが足らん」
「危険な魚?」
俺の言葉に、3人が笑みを浮かべる。どういうことだ?
「魚ではなく。貝の一種だ。ココナツの実よりも2周りほど大きいぞ。もっと大きくなって3倍近いリードルもいるのだが……。ナギサなら突けるかもしれんな」
バゼルさんの話からすると、イモガイの一種らしい。あれは危険だから近寄るなと伯父さんが教えてくれたけど、親父の実家のある港町の周辺にはいないらしい。
だけど、この海にはいるってことだな。
「危険ではあるが、昔からの漁をするなら素潜りができる男なら容易な漁だ。リードルは魔石を持つ。なるべく模様の濃いものを突けばかなりの確率で魔石を手に入れられるんだ」
「低位の魔石なら銀貨5枚で売れるにゃ。中位なら銀貨30枚以上になるにゃ。魔石を売って船を買うにゃ」
そういうことか。魚の値段があまり高くなくとも、船を手に入れられる理由がようやく分かったぞ。
「明日はのんびり過ごすんだな。明後日は朝早くに出かけるぞ」
心配事が少し減ったから、ゆっくり眠れるに違いない。
4人で屋形に入り、ハンモックに横になる。少し揺れるのは船の上だからだろうけど、心地良い揺れだ。
いつの間にか目が閉じていく。
翌朝。俺が目を覚ますと屋形の中には誰もいなかった。寝坊したか? と慌てて体を起こしたから、ハンモックがくるりと回って床に落ちてしまった。
打った背中をこすりながら甲板に出ると、3人が笑っている。落ちた音が聞こえたのかな?
「大丈夫か? 落ちた話はあまり聞かんが打ちどころが悪ければ漁が出来なくなるぞ。少し高さを低くしてやろう」
「はあ、慌てて起きたのが原因です。皆さん、朝が早いんですね?」
「太陽が出る前に起きるのが普通だが、寝坊するやつも多いことは確かだ。起きなければいけないときには起こすから、ゆっくりと寝てるがいい。さて、朝食にするか」
俺が起きるまで朝食を待っていてくれたようだ。
明日は早起きしなければと、思いながら朝食を頂く。
蒸かした米のご飯に少し塩味の強いスープを掛けて頂く。米の甘さでちょうどいいんだけど、バナナが入っているのに驚いてしまった。
この地方では、バナナも主食ということになるんだろうな。
「明日は漁に出掛けるが、素潜りと釣りになる。素潜りは、腕の長さを目安にすれば問題ない。釣り竿も持っているようだが、底釣りができるのか?」
「どちらかというと、銛よりも釣りの方が慣れています。魚にもよりますけど、一昨日突いた魚程度なら釣りあげられると思います」
「場合によっては、シメノンを釣ることもある。これがシメノン釣りの餌木だ」
バゼルさんが座っていた船尾のベンチを開けて取り出したものは、コウイカ用の餌木だった。
餌木と言っていたから、まさかと思っていたけどね。渡してくれた餌木を見ると針の数が少し少ないが2段になった針を着けている。腹に銅貨を挟んで接着剤で固定しているようだ。手作りのようだが凝った餌木だな。
「これなら、何個か俺も持っています」
「釣ったことがあるなら、釣り竿を1本手に入れてこよう。昔は自分達で作ったのだが、ドワーフの職人なら俺達よりうまく作ってくれるからな」
ひょいと立ち上がると、桟橋を歩いて行った。
コウイカ釣りなら遠投したほうが良いんだが、俺の持ち込んだリールは胴付きだからな。スピニングリールと違って遠投には向いてない。
「水場を教えるにゃ。漁の前にはカタマランの水ガメを一杯にするにゃ」
「俺の仕事ということですね。喜んでお供します」
サディさんと水ガメを手に桟橋を歩く。
水場はトーレさんにも教えてもらったけど、汲み方に作法があるかもしれないし、順番をどんな形で待つかわからないからね。
大きな木をくり貫いたパイプから3本の竹の樋が突き出ている場所が水場だった。俺の家の水道より少し少ない感じの水が樋から流れ落ちている。流れ出た水は、近くの小さな石で囲った池に導かれているけど、池からあふれた水は砂浜に消えていくみたいだな。
「サディにゃ。隣の男の子は?」
「この間の漁で保護したにゃ。私らで面倒を見ることになったにゃ」
サディさんが先客のおばさんに挨拶したところで、流れ出ている水の下に水ガメを置いた。水ガメは真鍮製の容器で上部の片側に持ち手が付いている。上部が朝顔のように開いているから、樋の下に置くだけで回りに水が飛び散ることも無い。容量は10ℓ程度に思える。
2つの水ガメが満杯になったところで、俺が両手に1個ずつ手に持ってカタマランに運ぶ。
サディさんが屋形の中のスノコを開いて、船底にある水ガメに水を足したが、「もう1度運んでくるにゃ!」と言われてしまった。
それほど重労働でもないからね。2個の水ガメをもって再び水場へと向かった。




