P-004 漁をする人達
翌朝、ペットボトルの残りを水筒に詰め込み、残った水を使ってシェラカップでコーヒーを作る。
スティックタイプのコーヒーだけど、数本用意しといて良かったと思う。海水で顔を洗ったけど、やはり朝はコーヒーに限る。
水が心細くはなったけれど、親父の用意してくれたバッグにペットボトルが2本あったから、明日も何とかなるだろう。
なくなったとしても、島に行ってココナッツを取ればなんとかなるんじゃないかな?
そんなことをしなくとも、その前に人家を見つけられるような気がするんだよね。
焚火に砂を掛けて消したところで、カヌーに向かう。今日の風は少し南東よりだが、西に向かうには問題なさそうだ。
カヌーに乗せた荷物の固定を確認したところで、舳先近くの穴に昨日作った帆柱を差し込むと、帆柱の先端を船尾にロープで結んで倒れるのを防ぐ。
結構きちんと立っているから、帆柱の固定はいらないかもしれないな。
座席位置より少し後ろにパドルを縛り、舵の代わりにした。思惑通りになるかは、帆走してみないとわからないところだ。
アンカー代わりの石を引き上げて舳先に乗せると、砂浜からカヌーを押し出した。
砂浜は膝上ほどの深さが先まで続いているから、カヌーの舳先を西に向ける。
後は風が俺を運んでくれるだろう。
カヌーに乗り込んで三角帆の端に結んだロープを握る。
三角帆が風を受けてはらむと、ゆっくりとカヌーが動き出した。
最初は少し不安だったけど、急造のヨットはそれなりに進んでくれる。
俺がパドルを漕ぐよりもはるかに速いし、何といっても疲れないところが良い。
だんだんと太陽の高度が増すにつれ、日差しが強くなってきた。
ラッシュガードに帽子とサングラス姿なんだけど、じりじりと焼かれる気がするんだよなぁ。
とうとう我慢できずにカヌーを止めて、海に飛び込んだ。
海水温が高い気がするけど、海の上よりは遥かにマシだ。
濡れた姿で再びカヌーを進めると、前よりは楽になった感じがする。気化熱ということなんだろう。乾いたら、また海に飛び込もう。
風任せだけど、コンパスを頼りに進んでいるから、当初の計画通り西に向かって進んでいるはずだ。
パドルを漕がずに済むから疲労は少ないこともあって、周囲の島々を眺めながらの船旅だ。
これが、ツアーだとしたら集客率が高いんじゃないかな?
小さな島々がいくつも点在しているし、波も穏やかでうねりだってほとんどないからねぇ。
それでも、海が大きく広がった場所もいくつかあった。そんな場所では少しうねりがあるんだけど、潮流はそれほどないから、カヌーの帆走には全く問題ない。
それにしても、この群島はどこなんだろう?
昼時の帆柱の影を見ると赤道近くであることは確かなようだし、島を渡る鳥も日本では見かけない極彩色の鳥だった。
それに、ココナッツが実ってるぐらいだ。どう考えても、沖縄より緯度が低いに違いない。
昼食はカヌーの上で食べたけど、夕食は暖かいものにしようと手ごろな島を探していた時だった。
西に傾き始めた太陽で逆光ではあるんだが、遥か北西に動くものを見つけた。
やっと、人に会えるという思いで胸がいっぱいになったけど、距離的にはだいぶ先になるな。2kmは離れているんじゃないか?
上手い具合に、こちらに向かって進んでいるようにも見える。
たぶん観光船だろう。それとも漁船かな?
互いに近づいているから、すぐに俺に向かってくるのが船であることが分かった。
カタマランだけど、低い屋根が付いている。その屋根の上に張り出した小部屋のような場所で操船しているようだ。
現地ツアーの専用船なのかな?
それなりにスピードがありそうだけど、全て木造というのも考えてしまう。
距離がどんどん近くなり、カタマランの船首に立つ人物がはっきりと見えた。その姿に唖然として、帆のロープを持つ手を放してしまったほどだ。
慌てて、ロープを握ったのだが距離は50mにも満たない。このまま逃げても船足の速さは比べ物にならないだろう。
なるようにしかならないか……。
半ばあきらめの心地で、運を天に任せることにした。
「どうした? 人間族が足を踏み入れる場所ではないのだが?」
人間であれば壮年ということになるのだろう。といっても、俺の親父よりは若い感じがする。
だけど、その姿はどう見てもまともな人間には思えないんだよな。
顔は人間だけど、耳が髪の間からピョンと飛び出しているし、俺と似たサーフパンツのようなものを着けているんだけど、長い尻尾が揺れている。
どう見ても先祖がネコだったと思える容姿をしてるんだよなぁ。
でも……。彼の言った言葉は、日本語じゃないのか?
それとも、この場から早く脱出したいという俺の願望がそう聞こえさせたのだろうか?
「いつの間にか、この場所にいたんです。西に向かえば人家に出会うかと、昨日からこの状態です」
「よくも、そんな船で海を渡っていたものだ。帆で進むヨットは俺達も使っているが、近場での漁だけだぞ。これも、何かの縁なんだろう。氏族の島に連れてってやろう。商船が来ればお前の国に送ることもできるはずだ」
やはり日本語だ。どうなってるんだろう?
とはいえ、これは良いめぐりあわせに違いない。日本があるかどうか少し不安になってきたけど、彼の誘いに甘えてしまおう。
カヌーの帆をたたみ、荷物の固定をもう一度確認する。
パドルを固定したロープを解いて、荷物の固定バンドに差し込んだ。
カタマランの船尾から伸ばしてくれたロープにカヌーの船首を結びつけたところで、カタマランの船尾にある甲板に乗せてもらった。
「ヨットの扱いは難しい。少年達が操船を学ぶには良いのだがな。先ずは一杯だ。我らのしきたりみたいなものだから、遠慮はいらんぞ」
「商会以外の人間は初めてにゃ。明日の昼には島に着くにゃ」
ココナッツのカップに入ったものは何なんだろう?
目の前の男性が美味しそうに飲んでいたから、思わずカップの中身をごくりと飲み込んだ。
ゴホン、ゴホン……。
これって、お酒じゃないか!
少し甘みがあるのは、ココナッツジュースで割ってあるからなんだろうけど、かなりきつい酒だ。
「慌てて飲むからだ。ゆっくり飲んだほうが良いぞ。それより、あのヨットに銛があったが、銛を使えるのか?」
「実は……」
どうやら友好的な種族らしい。となれば、一応の経緯を話しておいたほうが良いだろう。
商船には俺と同じような人間がいるようだけど、果たしてどんな扱いを受けるかわからないからね。
「ほう、そんな風習があるのか……。トーレ、あの話に似ていると思わないか?」
「似てるというよりも、そのものにゃ。商船に向かう前に、長老に合わせたほうが良いにゃ」
彼らの種族にも、少年達に銛を使わせる風習があるのだろうか?
そんな疑問を持っていると、男性が自分達の暮らしについて話してくれた。
最初に話しかけてくれた男性はバゼルというらしい。ココナッツのカップを渡してくれたおばさんは、トーレと言って最初の妻だと教えてくれた。
どうやら一夫多妻らしく、操舵室で舵を握っているもう1人の妻がいるらしい。そちらはサディと教えてくれた。
どうやらこの世界は俺の住んでいた世界とは異なるらしい。
いろんな種族が、それぞれの土地で暮らしているということだ。俺を拾ってくれたバゼルさん達は、ネコ族という種族になるらしい。
「古くは大陸で覇を競ったらしいが、今ではご覧の通りだ。俺達の種族を全部合わせても1万人を少し出るぐらいだろう。ここ200年ほどで人口が倍になったと長老が言ってたな」
「暮らしは漁業になるんですか……。このカタマランで漁をするなら、素潜りと釣りになるんでしょうけど」
良くわかったな? という表情をしたバゼルさんが、屋形の屋根裏から銛を取り出して見せてくれた。
「海の幸が豊富だからな。ネコ族はいくつかの氏族を持つのだが、俺達の氏族は50年ほど前に新たにできた『シドラ』という氏族になる。もっとも氏族の半数以上は『トウハ』氏族なんだが、今ではそれをとやかく言うものはいなくなってきたな」
種族の人口が増えたから、新たに村を作ったということかな? その村に各氏族から大勢が移住してきたということに違いない。
「先ほど、商船と言ってましたが?」
「商船は俺達の生活に必要なものを運んでくる。それを買うための代金を漁で稼ぐことになるわけだが、魚の種類や大きさで価格は決まっているし、商船の品物の値段もそれほど変わらんな。急に売値を上げれば、次の商船で買うことになることを知っているのだろう」
話をよく聞いてみると、商船は王国ごとに数を制限されているらしい。
その制限がどんな理由なのかはわからないけど、少なくとも競争原理は働くようだ。
「ところで、身寄りはあるのか?」
「どうやら、この世界に迷い込んでしまったようです。この世界に親類がいるとは思えません」
「漁が出来るなら、俺達の島で暮らすこともできるぞ。もっとも、長老が許可してくれればの話だが」
「許可してくれるにゃ。カイト様やアオイ様、それにナツミ様だって見た目は人間族だったにゃ」
「だが、あれは……。そうだな。もう一つ、教えておこう。この世界、いやこの海域に迷い込んだのは、お前が初めてではない。
皆、ネコ族のために働いてくれたことに感謝している。この船の構造も彼らが教えてくれたものだからな」
ヨットを知っていたということは、かつてはヨットで漁をしていたのかな?
このカタマランの動力は不明だけど、少なくともエンジンではないようだ。スクリューを使っているのだろう。時速8ノット(約15km)ほどの速度で西を向かって進んでいる。
それに、トーレさんが言った言葉も気になる。
カイト、アオイ、ナツミと言ったら、親父や伯父さん達が話してくれた行方不明者の名前じゃないのか?
俺も彼らと同じ場所に迷い込んだ、ということになるんだろうか?
「この銛を使って漁をする。昼食前は海に潜り、夕食後は夜釣りをするんだ」
銛は親父が用意してくれた銛よりも少し短い気がするな。柄の末端にゴムが結ばれているから、銛の使い方は同じということになるんだろう。
少し気になるのは、銛先の返しが小さいことだ。
上手く突き刺しても、外れてしまいそうに思える。
夜釣りの仕掛けは、胴付き仕掛けそのものだ。横に2本の枝針が出ている。錘は小石を木綿糸で結んでいる。サンゴに引っ掛かっても、海底に残るのは小石と木綿糸だけなら海を汚すことにはならないだろう。
俺も、錘は小石だからね。そんな使い方は釣りをする者達の常識なのかもしれないな。
「今夜も夜釣りなんですか?」
「いや、漁を終えて帰る途中なんだ。トーレがおかしなものがこっちに進んでいると言うので、方向を変えてお前を拾ったというところだな」
帰投途中だったのか。余計な面倒を掛けてしまったらしい。
改めて、助けて貰ったお礼を言った。




