P-001 親父の故郷の風習
「準備は良いのか?」
「1週間だよね? 適当に服と下着を詰めてあるからだいじょうぶだって。 船を貸して貰えるし、素潜りも出来るんでしょう? 伯父さんに船釣りも教えて貰ったからね。毎日がお刺身っていうのも考えてしまうんだよなぁ」
毎年、夏には親父の実家のある古い港町に家族で帰るのが、俺の家のしきたりみたいなものになっている。
あまり開発の手が届いてない町だけど、寂れているわけではない。大きな缶詰工場があるし、魚市場は活気がある。
伯父さんは漁師というわけではないんだけど、漁協には顔が利くようだ。大漁だった時には市場に直接獲物を運んでいるんだよなぁ。
「だが美味いだろう? 都会ではちょっと味わえない魚も出てくるからな。準備が出来てるなら問題ないが、これも持って行くと良い。素潜りの装備一式だ。銛は、穂先が1本物だぞ。大物を期待してるからな」
俺の部屋の扉を開けて話しかけてくる親父は、部屋には入ろうともしない。
ヨイショ! と言いながら扉の陰から運び入れたのは、大きなクーラーボックスと、長い布袋だ。
布袋には銛が入っているんだろうけど、クーラーボックスには何が入ってるんだろう?
60cmほどの魚を獲っても、曲げずに入れられそうなクーラーボックスだ。底に車輪が付いてるし、引くためのキャリーハンドルも付いている。持って歩くことは出来ないけど、船に積み込むなら問題なさそうだな。
スマホゲームにも飽きたところだから、中身を見てみるか!
クーラーボックスの蓋を開けると、ビニールの封を切って無い物ばかりだ。
マスクにシュノーケル、マリンブーツにフィンは定番と言うことなんだろう。足のサイズはお袋から聞いたのかな?
後は、細々したものばかりだ。ヤスリにハサミ。軍手が2双とマリン手袋、どっちを使えと?
小さなダイバーナイフまで出てきた。これでサメを戦えなんて言うんじゃないだろうな?
サーフパンツのオニューはありがたい。Tシャツタイプのラッシュガードはいるのかな? 布製の大きな帽子の方が実用的だと思うけどねぇ……。
厚手のビニルシートにペットボトルに入った水が2本? この感じで行くと……。
やっぱり出てきた。『サバイバル入門!』と書かれた小さな本がタックルボックスの下にあった。
遭難すると思ってるんだろうか?
ビスケット風の非常食と本を見比べながら独り言をつぶやいた。
親父の実家の港町は大きな湾の中にある。小さな島がいくつも点在してるから、波がほとんどない穏やかな海だったはずだ。
港近くの喫茶店で、隣のテーブルに座った高校のヨットクラブの連中が、「風が無い!」と嘆いていたくらいだからね。
だが伯父さんの話しでは、海に出た若者が何人か行方不明になっているらしい。
「俺に素潜りを教えてくれた海人という男が、行方知れずになったのは高校2年の時だった。2年後に俺より2つ下の男も行方不明だ。同じ日に、工場の娘さんも居なくなったということだから、港が見える場所で魚を獲るんだぞ」
脅かしかと思ったけど、親父も同じことを言ったんだよなぁ。
都市ではないけど、都市伝説というわけではないようだ。
「工場の娘さんの時は、ヨットが転覆したそうだ。一緒に乗っていた娘さん達は助かったんだが、工場の娘さんとヨットはいくら探しても見つからなかった」
3人程が乗れるヨットが消えるなんてことがあるんだろうか?
湾内の水深は数mで、少し沖にでれば水底が良く見える。それにヨットは沈まないことで有名だったんじゃないかな?
「事故はどこにである。注意することが一番なんだが……。俺の町の少年の通過儀礼だ。形だけでも経験させてやりたい」
親父が伯父さんに頼んでいたのを思い出してきた。
確か、17歳を迎えた少年が、1人で海に漕ぎ出して魚を数匹獲って来るだけの風習だと聞いた。帰った晩に家族や親戚を呼んで調理した獲物を振舞うらしい。
変わった風習だけど、風習なんてそんなものかもしれないな。江戸時代辺りから伝わっているのかもしれない。
夏休みが終わったらクラスの連中に披露してあげよう。案外好き者が多いんだよね。
親父が色々と揃えてくれたから、これはそのまま持って行こう。俺が準備した荷物は防水バッグに入れてあるんだが、さすがに非常食という考えは無かったな。
何らかのアクシデントで、小舟で漂流することも考えないといけないってことなんだろう。
救助隊がやって来るまでの2、3日を過ごすとなれば……。非常食と水を追加しとくか! 使わなければ、夜食にすればいい。
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「荷物は全部積んだのか!」
親父が玄関口で騒いでる。荷物は一通り積み込んだんだが、忘れ物が無いかどうかもう一度部屋を眺めていたところだ。
「もう少し待ってね。女の人は色々とあるのよ!」
「私は、この荷物で最後だよ!」
普段よりも念入りにお袋がお化粧をしている。妹の方はまだ中学生だから、それほど荷物が無さそうだ。
親父のワンボックスには、後ろが見えないほど荷物を積んであるから、近所の人が見たら夜逃げと間違われるんじゃないかな?
「だいじょうぶ、忘れ物はないよ。お袋達はまだなの?」
「相変わらずだ。これで2本目だぞ」
親父が待ちくたびれてタバコを吸っていたようだ。
助手席に乗り込もうとしたら、お袋達がやって来た。カギを仕舞っているところを見ると、家のカギを掛けるのは忘れていなかったようだ。
「さぁ、出掛けましょう! 高速で行くんだから今日中には着くでしょう?」
「途中で夕食だな。さあ、乗った、乗った!」
お袋と妹が後ろ座席に乗り込んだところで、俺達を乗せたワンボックスが走り出した。
高速を乗り換えながら6時間の旅だ。
親父の好きなポップスを聞きながら、周囲の景色を楽しむ。
見慣れた風景だけど、4WDだから少し視点が高いんだよね。ちょっとした違いではあるんだけど、見慣れた町がまるで別の町に変わったようだ。
「どうしても突けない時には、釣りの獲物を銛で突いて持ってくるんだぞ!」
「それって、反則じゃないの?」
妹が親父の忠告にちゃちゃを入れている。
たぶん昔からそんなことがあったんだろう。だいたい、今時分に銛で魚を突ける人がいるんだろうか?
「伯父さんが水中銃を貸してくれると言ってたんだ。『これだって立派な銛だ』と言ってたよ』
「兄貴は甘いからなぁ……。だが、傷跡を見ればすぐにバレてしまうぞ。上手くやるんだな」
傍から聞けばよからぬ相談に思えるに違いない。
一発で殺せ! とか、後ろからそっと……。なんて会話を繰り返してるんだから。
後ろの2人はいつの間にか寝てしまったようだ。
親父と俺は相変わらず、漁の話しで盛り上がっている。
「そうだ! ダッシュボードを開けて見ろ。サングラスが入ってるはずだ」
「これ? ちょっと若向きじゃないけど。それとこれもあったよ」
ごついプラスチック枠のサングラスに小型の双眼鏡だ。サングラスを掛けてみるとフロントガラスに縦縞が見えた。
「偏向グラスだ。海の中が良く見えるぞ。その双眼鏡も持って行っていいぞ」
「サングラスの方は役立ちそうだけど……」
「一人で漁をすることになるが、そんな奴がたくさんいるはずだ。そいつらの様子を見て、漁をするのは反則じゃないぞ」
見掛けは1人だけど、そんな連中が大勢ってことか。ちょっと安心できる話なんだけど、それなら遭難前提で荷物を作るのは過大評価にならないか?
もう少し、息子を信用しても良さそうなんだけどねぇ。
「海には分からないことが色々あるんだ。工場の娘さんの話しには続きがある……」
急に真顔になって親父が話してくれたことは、行方不明になってから半年後に手紙が届いたらしい。
娘さんの親父さんが飲んでいたボトルに入った手紙は、かなりの年月が経過したようだと、実物を見た連中が話していたそうだ。
「その手紙によると、同じ日に行方不明になった少年と仲良く暮らしていると書かれていたそうだ。住んでる場所は……、ニライカナイ。渚は知らんかもしれんが、俺の育った町に伝わる伝説の地だ」
親父の育った町には、お寺はあるけどお墓が無い。
死んだら、小さな船に骨壺を乗せて海に流すのだ。男性なら銛先を一緒に入れ、女性なら針と糸を入れるらしい。
「流れ行く先にあるのがニライカナイだと、俺の爺様が教えてくれた。その爺様が亡くなった時は、その話の通りに送り出したんだ」
「生きながら、死人の住む島に行ったってこと?」
親父が前を向きながら首を振る。
そうではないということなんだろうけど、どう伝えるべきか迷っているようにも見える。
「ニライカナイは男達が銛の腕を競って、女達は砂浜で夫の帰りを待つとのことだ。果物で作った酒を飲み、毎夜のように浜で宴会が始まる。あの町の祖先はその島からやってきたらしい。俺も死んだらその島で暮らせるんだろうな……」
楽園追放というのは、クリスチャンのクラスメートに聞いたことがある。
それと似た話に聞こえるな。
「精一杯生きることだね。そうすれば、楽園に招かれるんだ」
そう言ってたな。今、思い出してみると天国とは言わなかったんだよな。
人類の共通の思いなのかもしれない。世界中に似た話があるんじゃないか。
「ニライカナイには不思議な人達が住んでいて、2人を仲間にしてくれたそうだ。一緒に漁をして、船を手に入れ、島の果てで手紙を潮流に流したと書かれていた」
「不思議な人達?」
「ネコのようだと書かれていた。その上、魔法まで使うそうだ。2人も、魔法を覚えたということだが、その魔法が氷を作ることだということだな」
「氷ですか……」
もっといろいろあるんじゃないかな? よりによって氷とはねぇ。
「考えてもみろ。ニライカナイは年中素潜りができるらしい。要するに南方の島ということなんだろうな。突いた魚を保存するには……」
「保冷して運ぶ、もしくは売る、ということ?」
「そうだ。必要に迫られて覚える外に無かったんだろうなぁ」
少し、行ってみたくなってきたな。
皆で銛の腕を競うのもおもしろそうだし、魔法だって他に色々とあるんじゃないか?
「社長が人を使って南方の島々を探したらしいが、どこにもそんな島は無かったそうだ」
「まるで都市伝説だね。でも、亡くなったわけではなく幸せに暮らしているならそれで十分じゃないかな」
親父が小さく頷いた。
親父も同じ思いに違いない。亡くなったと思うより、遠くの島で幸せに暮らしていると思った方がどれだけ心が休まるか……。
ひょっとしたら、心労で弱った両親を思いやる誰かの仕業かもしれないけどね。
「いたずらではないんだよ。そのボトルに2人の髪が入っていたそうだ。間違いなく2人の髪だったらしい」
急に背筋が寒くなって来た。
親父は人を脅かすような人物ではないから、誰かに聞いたにしろ、その通りのことを教えてくれたんだろう。
「だから、注意するんだぞ。常に周囲を見るんだ。魚はスマホで連絡すれば市場から運んでやるからな」
「スマホは置いていくよ。俺一人というわけではなさそうだし、港が見える場所なら心配はいらないさ」
親父が口を閉じる。
知っていることは全て話したということなんだろう。
もう直ぐ高速を下りるはずだ。伯父さんの家まで残り2時間というところかな?




